血溜まりを覚えている。
十六発の銃声は理不尽で、鉄錆の臭いがした。煙の臭いがして、肉の焼ける臭いもした。
黄金の銃を持った父はそれが当然の行いのように在ったけれど、白亜の城と天鵞絨の絨毯には見合わないものだと思った。
理解はできた。納得はできずに心がかじかんだ。声は震えて、でも倒れたり叫んだりしなかった。
この惨事に慣れなければ。
この権能を上手く扱う神に為れなければ。
血溜まりを作るのは、きっと自分の身体になる。どこでもないいつかの記憶を覚えているシャルリアだからこそ、この世界に生きて片手にも満たぬ年齢ながら判断することができた。
衣食住を満たしてなおも貪ることも。街をひとつ、どころか国をひとつ支配下に置くことも。人間の尊厳を根こそぎ奪うことも。――圧倒的な権力を持つ人間の欲望が、どこまでも際限がないことも。
天竜人はこの世界の絶対悪だ。シャルリアは世界貴族の真の興りも在り方の目的も知らないが、どのような形であれいつか必ず倒されることだけは知っている。そうでなくても、飛ぶこともできやしないのに、天上で世界は我が物然と振る舞っているのだし、想像にも難くなかった。
「似合う?」
白を基調としたドレスを纏って、シャルリアは鏡の前でくるくると回ってみせた。
花と真珠の飾りで緩く結い上げた髪が揺れ、金細工の耳飾りがその動きに倣う。硝子の靴はシャルリアが履くにしてはヒールが高く、普段は愛らしく映る姿も、今日ばかりは大人びたものに見えた。
「お美しいです」
即答したのは側仕えの
シャルリアを飾り立てた人物の賛美は、彼女の
鏡に映るシャルリアは確かに美しい。
首から鎖骨、そして背中にかけてを覆う丁寧に白百合柄の繊細なレエス。胸元と腹部をきゅっと包むのは
本決まりとなった衣装を着たシャルリアは、本心にもない殊勝なことを言ってみた。
「ふふふ、旦那様となるひとにも気に入ってもらえると良いのだけど」
豪奢ながらも洗練されたドレスは紛うことなく
今年十五になったシャルリアに舞い込んだという縁談は、本人の預かり知らぬところでいつの間にか婚約となり、果ては結婚となっていた。たとえ望まぬものだったとてシャルリアは身分の恩恵を浴びてきたのだ。血を繋ぐことも、一族を続かせていくことも、貴族の義務だとするならば受け入れる。だから結婚は構わない。
気にかかるのは配偶者となる相手、後は婚約話を結んだ相手についてだった。
――夫となる者の名はドンキホーテ・ミョスガルド
五老星かねての推薦である。
舞い込んだ縁談話よりも。相手との年齢がひどく離れていることよりも。胸に重くのしかかったのは。
(潮時かあ)
という、現状把握に尽きた。
無垢ゆえに残酷な子供の毛皮は、どうにもよれてきたらしい。
シャルリアが一族の子供で在る間に、ミョスガルドは下界では良いふうに変わった。オトヒメによって説かれ、愛の人に導かれたミョスガルドの思想は疑いようもなく人間として正しい。
ただし天竜人としては正しくなかった。五老星及びそのまた上は、理由は不明であるが、天竜人に正しく在ってほしくないのだ。
そういう人物、いわば危険分子との婚姻を薦められたということは、シャルリアの行動に何かしらの意図を見出しかけたのだと推測される。ここで考慮されるのは、あくまでも「結婚」という点だ。国ひとつ文字通りなかったことにできる力を持つ彼らが、その手段を取らなかったということ。
奴隷に優しいシャルリア。
奴隷を持たないミョスガルド。
天竜人としての在り方が正しい子供と人間として在り方が正しい大人を一緒にすることで双方に見張らせるのだ。
ミョスガルドがシャルリア側に傾けば良し、それはそれで天竜人らしい在り方になるということで願ってもいないだろう。だが、おそらく五老星の狙いは、シャルリアが本当に天竜人として正しい思想を持ち得ているかどうか、の確認である。
シャルリアが象る子供像とは「夢に夢見る夢子ちゃん」だ。たとえばそう、この世界にはない子供向け絵本のお姫様みたいな。
ただの平民が王族に加わって幸せに生活できると思うか?
王子の口付けで目が覚めたとして、彼のひととなりを知って幻滅することはないか?
狼に食われた少女が何の支障もなく今後を送れると思うか?
恩人が救われずに死んだと知った王子が悔いることないと思うか?
めでたしめでたしの後にだって、良いことも悪いことも含めて人生は続く。考えられる都合の悪いことをなかったことにして、自分の見たいものだけ見て、したいことだけする。そんな綺麗事を体現したのが〝聖地(マリージョア)の妖精〟シャルリアである。独善ながらも善は善、――上にとっては目に余るとまではいかないが、放っておけもしない違和感であることだろう。
ミョスガルドに傾いたら傾いたで良し。まとめてなかったことにすれば解決する。にしても即断しないあたり、
(まだ怪しまれている段階かな)
シャルリアをミョスガルド同様に危険因子と断ずるには判断材料が不足していると見た。
(でも)
潮時だ。
「お美しいです」
思案に浸ったシャルリアを引き戻したのは、薄絹のヴェールを携えたシスターだった。
普段は「可愛らしい」と称するシスターが普段とは違った賛辞を重ねたことに、改めて自分の手から
(あーあ、もうなくなっちゃうんだ)
この世に永遠というものはない。
老いは誰にでも訪れる。そして変化は世の常だ。
可愛いが年月を纏って、美しいに羽化する。天竜人の権能はそのままに、子供の特権が失われてしまう。
我儘放題しながらも最後の一線を守ってきたシャルリアにとって、結婚という名の監視は、どう捉えても痛い一手だった。
「……だからこそ
何か思うところのあるらしいシスターが言葉を続ける。
「あんな冴えない男にも、上の食えない男たちにも、貴方様を決して好き勝手にはさせてやりません」
シャルリアの頭上にヴェールが
「神の血を引く貴方様」
この装いは鎧だ、と。
触れることも見ることすらも
「可愛いらしさを失っても、その強さまでは失いません」
言動は毒。
美貌は剣。
衣装は鎧。
「飾り立てましょう、これは貴方様にしかできない武装です」
銃も鞭も持たなかった、否、持てなかったシャルリアだったから。武器とも思えないような武器を必死になって磨き上げた。
「ご覧になってください。貴方様は
柔らかく、小さな爪を。
シスターが賛美する。
「神々の住まう地で貴方様だけが、正しく我々にとって――
鏡のなかのシャルリアは、まるで触れてはならぬ神のようだった。