神が首を乞う   作:端取合

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鮮やかな絶望、濁った希望


火炎の餞別

 海を分断する赤い土の大陸(レッドライン)に、聖都〈マリージョア〉は存在する。

 名に冠す通り地は赤く、大陸の名に恥じぬ硬さと高さを誇る。前半と後半に海を隔てる壁を陸路で行く手段はないに等しい。それこそ素手でよじ登った冒険家フィッシャー・タイガーが例外なのである。

 

 世界貴族の住まう土地を守るように位置するのが海軍基地〈マリン・フォード〉だ。

 尊き血の宿る一族の有事には、総帥直下の海軍大将が対応することが決まっていることを考えれば、場所も頷けるのかもしれなかった。すぐ傍に守護者が控えているのは心強いものであるが、今日ばかりは下界の事情を知る者はどうしたって落ち着かない。

 

 白ひげ海賊団二番隊隊長ポートガス・D・エースの処刑。

 

 彼の二つ名である〝火拳〟に相応しく、世界を沸かせた報せは、まさに火種。

 世界の三大勢力に数えられる四皇が一人エドワード・ニューゲート――生きる伝説の男の有能な部下、同時に愛する()()であるのがエースという男だ。

 現在海賊王に最も近い男と謳われる白ひげは、相手が誰であろうと自らの家族を傷付けるものを決して許さない。血の掟ではなく親子の盃で繋がった彼らにとって、たとえ同じ三大勢力であろうと、身内に手を出された時点で相手を倒すべき敵と断じる。エース処刑を発表した時点で、海軍と白ひげが争うのは必然、今回の戦争は避けて通ることのできない出来事だった。

 世界の均衡を保つ勢力同士が衝突(ぶつか)るのだから、これまでの規模にない総力戦となる。

 すでに海軍基地本部(マリンフォード)にはかつてないほどの軍人が終結しており、物資なども運び込まれている。作戦通りの布陣も、処刑日に合わせて敷かれていたことだろう。

 

「いーい?」

 

 つまりそれは。

 海軍基地本部(マリンフォード)以外の場所の守りが疎かになるということだ。

 護衛は政府管轄である。が、海軍管轄が皆無ということには繋がらない。有事に三大将が駆けつけることが可能な程度には、海軍は聖地(マリージョア)に食い込んでいる。そしてこのド派手な戦いに政府が一枚も噛まない理由もないのである。

 海軍からも、政府からも。後の世に〝頂上決戦〟と呼ばれることとなる大きな戦争へと人員を駆り立てている。悲しいことに資源というものは有限であり、人材とて同じこと。聖地(マリージョア)の守りは手薄とならざるを得ない。

 とは言えさすがは聖地(マリージョア)、世界で最も誇り高く気高き血族が住まう土地。巡回時間ぴったりに回ってくる聖騎士も、眠ることのない監視用伝電虫も、通常通り。守護は強く、固い。

 その様はまるで鉄壁。だからこそ天竜人は普段通りに過ごしているし、なんならシャルリアは来たるXデーに向けて婚礼衣装を選んでいたところだった。

 しかれども。

 ほんの少し、その綻びがありさえすれば。

 

()()はここから抜け出すことができるし、その先できっと会いたかった人に会うことができる」

 

 シャルリアは断言した。

 告げた相手はシスター……ではなく、彼女と同じ赤毛の男。線が細く、まだ幼さを残した彼は男というよりも少年の呼称が馴染むし、少年というよりも子供と称するほうがしっくりときた。

 

「ここ最近出かけた先なんてシャボンディ諸島くらいのものなのに、なんでそんなことわかるわけ?」

「えー、そこで聞いたとかは思わないんだ?」

「……半年も前に()を持ってきた人間が何言ってんの」

「それはそう」

 

 軽口の応酬。関係者が訊けば皆顔色を揃えて真っ青に染め上げるに違いない。天竜人相手になんてことを、みたいな悲鳴も上がることだろう。

 

「約束したでしょ、絶対に会える機会を教えてあげるって」

 

 その後に言葉を続けようとして。けれど。

 追いかけるはずだった内容は、すべて――轟音に飲み込まれることとなる。

 

 

 

 

 

 煙の臭いがした。

 鈍く響いたのは崩落音。轟々と鳴り続けるのは狂焔の音。

 鐘の音にも似た警報が幾重にも駆けて、あちこちで叫び声が跳ねる。

 

「……、え?」

 

 おかしい。

 ()()()()()()()()()()()()()

 少なくともかつてのシャルリアの記憶にはなかった。

 

聖地(マリージョア)が襲撃されるのはどんなに浅く見積もっても二年後。世界会議(レヴェリー)に合わせたタイミングで革命軍が仕掛けてくる予定だったはず。二年後に通じるすべての火種が〝頂上決戦〟だったとしても、この戦争はまだ終わってもいない……!)

 

 聖都〈マリージョア〉のはるか真下では、現在進行形で海軍と海賊が威信を掲げて争っている。

 

(いや、考えるのは後。まずは避難誘導に従って、)

 

 踏み出そうとしたシャルリアの、その足は宙に浮いた。なぜならば。

 

「へ?!」

「捕まって!」

 

 軽口を叩き合っていた相手に俵担ぎにされたのである。

「口閉じといてね」と忠告を受け、指示に従った。途端ぐぃと細い肩が腹に食い込んで、思わず声が出そうになった。

 運ばれること約五分――二度と俵担ぎになんかされたくない、振動のたびに腹部を圧迫されたシャルリアの結論である。ひどい乗り心地ではあったが、重い衣装を身に着けた身体ではこんなにも早く避難できなかっただろうから、文句の一つも言えやしない。

 

「御無事ですね?」

 

 真っ先に確認されるのはシャルリアの状態だ。五体満足、痛む腹部以外はどうってことなかったから大丈夫だと頷いた。

 

「ああ、良かった」

 

 安全確認をしたシスターに続き、安堵したように息を吐いたのは医師(ドクター)だ。この予期せぬ火災で随分と駆け回ったのだろう煤と血に塗れ、医療用具が入った鞄を下げている。

 

「それで何が……」

 

 起こったのか、と。把握している範囲で良いから教えて、と。

 普段通り命じる前に。

 

「シャルリア様」

 

 言葉を遮ったのは、

 

聖地(マリージョア)に火をつけたのは我々です」

 

 いつになく真面目な表情をしたシスターだった。

 

 

 

 

 

 ただでさえ大きな瞳が、さらに見開かれて。

 ころん、とそのまま落ちてしまいそうだった。

 唇を開いては閉じ、また開いては閉じ。そんなふうに目の前の少女――シャルリアが何と言っていいか言語化しかねているのを、普段とは違って、シスターは黙殺した。

 

「ねえ、シャルリア様」

 

 シスターは、教会の生まれだった。出生がそうだったものだから、教えの通りに神を信じ、祈り、――あの頃はどこまでも敬虔な信徒であったと自負している。

 聖水で身を清め、修道服に身を包み、人生を聖書に習う。日の出とともに目覚め日の入りとともに眠る生活ながらも、慎ましさは性分に合っていたようで、苦に思ったことはなかった。同輩の子が「祈りじゃ腹は膨れないのよ」なんて頬を膨らませるのを見て、むしろ疑問に思ったものだ――どうしてそんな罰当たりなことを言うんだろう、って。

 

 信じる者は皆救われるのだと信じていた。

 世界は明るく優しさに満ち、未来は輝いているのだと疑いもしなかった。

 

 シスターの世界が覆ったのは、天竜人が教会を訪れたときだった。慰問と称されたそれは、実のところ選別(女漁り)だったらしい。町一番の美女と謳われた牧師、自分を含む数人の女、それから教会で飼育していた羊が数匹、この神々が住まう地(マリージョア)へと連れて来られた。

 そこから後のことは、思い出したくも、ない。

 

「私、絶望してたんです」

 

 焼印。皮膚の爛れる疼痛。

 紋章。消えることなき人間以下の証明。

 悲鳴。理不尽に嬲られる同じ奴隷。

 嬌声。後先ない強姦。

 嘔吐。見るも無残な肉塊。

 嗚咽。次は自分かもしれない恐怖。

 破棄。使えなくなった()の処分。

 

「この世に神などいない、そう思うようになってました」

 

 繰り返される理不尽な搾取は地獄のようだった。シスターの、シスターとしての在り方を壊すには充分なもので。

 

 神を否定し、

 天を呪った。

 

 祈りの言葉は怨嗟の念に姿を変え、それでも。ある種の諦観と、臓腑を焼き焦がすような憎悪だけが、なぜだかシスターを生かしていた。

 

「そんなときに貴方様にお会いしたのです」

 

 あれは、シスターの破棄が決まったとき。焦がした砂糖みたいな瞳を緩めた幼子の一声『これ、ちょうーだい』が、地獄を変えた。

 はじめは、もっとひどいことになるのだと予想していた。なにせ教会は多くの子供の面倒を見てきたのだ、幼さゆえの残酷さがどれほど根深いものかを、よく知っていたのだから。

 

 蟻の行列を踏み潰すような。

 蝶の翅を捥ぐような。

 花を毟るような。

 

 そんな純真さで、シスターを嬲るのだろうと諦めていた。当然だ。信じるには、もう、奪われたものが多すぎた。平穏も尊厳も。奪われ踏みにじられたまま、同じものは二度と手に入らない。

 けれど。

 

『きたない』冷水ではなく、熱湯でもなく。ぬるま湯で清められ。

『きたない』襤褸ではなく、囚人服でもなく。揃いの給仕服に包まれて。

『きたない』興奮剤ではなく、残飯でもなく。腹が満たされるだけの三食を出されて。

 

『ん、かわいいねえ』打つではなく、撃つでもなく。柔らかで滑らかな手で、頭を撫でられて。

 

 奪った物を返すみたいに。

 親が子にするみたいに。

 

 そうやって。ただシャルリアと言う名の人間だけが。

 

「貴方様はお与えなさった」

 

 女を救った。

 神でも天でもなく、シャルリアだけが確かな救済だった。

 

「この世に絶望など無いのだと、貴方様が教えてくださいました」

 

 子供だったシャルリアは、その実大人のための子供(理想像)で在り続けただけの人間だった。残酷な物言いでは隠せない憐れみ(優しさ)は、シャルリアが彼女の(価値観)を殺すことと引き換えに得た蜘蛛の糸だ。覆い隠された救いの手――彼女が垂らした不可視の糸に、どれだけの奴隷が引き上げられたことだろう。

 

「ええ、ですから」

 

 今度はシスターたちが報いる番だ。

 此度の結婚が実質上の監視であることを察すのは、シャルリアの近くに控える者にとっては決して難しくない。排斥をただ先送りにしただけで、こんなことを続けていれば、いつかシャルリアだって処分される。

 だから。

 

「お逃げください」

 

 聖地(マリージョア)に、火をつけた。

 シスターたち奴隷が火薬を手に入れることなんてできないし、よしんば手に入れられたとしてもカモメの涙ほどしかない。だが、それは子供(シャルリア)を逃がすことを諦める理由にはならない。

 

「いやあ、苦労したんですよ。普段こんな計算になんて頭を使ってられませんからね」

 

 からからと笑ってみせたのは()()のなかに含まれる医師(ドクター)である。彼が持つ鞄は今こそ空なれど、先まで入ってあったのは粉物だ。

 武器になるものなど、知恵と知識で幾らでも作り出せる。自分よりもずっと年下の女の子に、痛いほどに教えてもらったことだった。

 

 

 

 

 

 轟音が連鎖している。崩壊の響きは一時として止むことはないのに、ここだけ音が入ってきていないような心地がした。

 

「盲信よ」

「はい」

「思考の放棄だわ」

「はい、それでいいです」

 

 シスターの言う地獄はシャルリアが連なる一族が生み出したもので、シスターの言う救済とはあくまでも平等に人々が持っているべき権利――所謂普通の幸せであって、別段に恩を返されるべきものではないのだ。

 

「ところで猫被りはやめたんですか?」

「そんな話は今してない!」

 

 シャルリアが考えるべきは現状の打破案。

 聖地炎上(マリージョア襲撃)の首謀者であるシスターとドクターは極刑を免れないが、死ぬよりもひどい目になんて事態にならないように考えなくてはならない。他の奴隷たちにも連帯責任がいかないようにして……、浸りかけた思考を制したのは「大丈夫です」またしてもシスターだった「他の者たちはすでに殉じました」

 

「――は?」

 

 シャルリアが持つ奴隷は他に比べても少ないが、それでも裕に十は超える。

 

「マリーとジョセフ、それからフーリは服毒いたしました「その三人と場所を同じくしてリリアナとジゼル、ヨハン、ウィンセントが爆死「マーシィとパッソは浴槽で失血死、ここは二発後に爆破されますね「残りの爆破地点は……って、大丈夫ですか?」

 

 ――大丈夫なわけがあるか。

 

 そう思っているのに。なぜだろう、シャルリアの口は動かない。

 冷たくなった指先を、シスターがやんわりと握った。

 手の皮膚は厚く、赤く濡れ、熱かった。

 

「なにも心配なさりませんよう。自暴自棄になった奴隷が、最後の最後に神の手を噛んだだけです」

「ついでに俺は粉を撒いただけですからね」

 

 シスターは噛みついただけ。ドクターは撒いただけ。

 烈焔と成り得たのは聖地(マリージョア)の在り方のせいだ。

 火炎地獄を作り上げた人は言った。

 

「どうか大人(幸せ)になってください」

 

 別れの挨拶。

 嗚呼、けれどそれは。未来を想う、祈りのようではなかったか。

 

 

 

 

 

 炎に焦がされる白亜の城、幾つもある真白の回廊のひとつ。そして駆ける足音もたったひとりのものだった。

 

「離してっ!」

 

 抱きかかえられながら叫ぶ。

 空気は熱い。喉が渇く。目が痛くて、滲んで。

 

「お願い、()()!」

 

 純白の衣装と踵の高い靴では、駆けることもできないから。ただただシャルリアは叫ぶことしかできなかったのだ。

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