神が首を乞う   作:端取合

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白と黒


戦場の父親

 

 

 美しい女である。

 褐色の肌は瑞々しく、彼女の華やかな顔立ちを引き立てるようだった。牡丹()(かんばせ)に鎮座する緑の瞳(グリーンアイ)は、きっと怪物の部下にこのうえなく相応しい。

 鮮やかで艶めかしい眼差しの先、映像を(さかな)にワインを(たしな)む男がいる。

 

「バカラ、おまえはこれをどう()()?」

 

 海軍基地本部(マリンフォード)での戦争を酒の供にできるような男の名をギルド・テゾーロという。

 テゾーロは一代で海上国家〈グラン・テゾーロ〉を成した。世界政府に〝絶対聖域(グラン・テゾーロ)〟を中立地帯として認めさせる政治的手腕、新世界に〝怪物〟として名を轟かせた強者としての実力。バカラのような極上の女を傍に置くことを許されるのがこれまた極上な男の特権だというのなら、まさにテゾーロは世界規模の男であるに違いなかった。

 

「どう思う、と申しますと?」

「おれは利口な女が好きなんだが」

「これは失礼いたしました」

 

 バカラが敬愛する主人にとってはただの確認作業であるのだろう。あるいは認識の差の有無という情報共有、だから。

 

()()が主導したとは思えませんわね」

 

 自分とて常日頃の小悪魔の微笑み(営業スマイル)で誤魔化したりはしない。思考を整理し、舌のうえで吟味して、そうして音にする。

 

「ありえませんわ。お粗末ですわ。杜撰ですわ。出たとこ勝負が過ぎますわ。賭けにもなりませんわ。とてもじゃないですけれど、勝ち戦とは言い難いのではありませんこと?」

 

 海軍も海賊も、馬鹿なことをした。世界の均衡を担う勢力の衝突は、勝敗が決しようとも、なんとか保ってきた海の平穏を崩すことに他ならないのに。

 

「命担保に得るものが名誉だけだなんて腹の足しにもなりませんわ」

 

 けれど。ときに名誉(面子)が命よりも重さを持つことを、この黄金船((グラン・テゾーロ)という国で生きるバカラは知っている。

 

「それで?」続けろ、とテゾーロが促した。

 

「弟子の独断かと。……おそらく周囲に(そそのか)されはしたでしょうが」

「だろうな、ありゃあ一人じゃあ博打は打たない」

「でしょうね。巻き込まれた形で賭けざるを得なくなった、あたりの線が濃厚だと思います」

 

 それに。バカラは知っている。

 世に言う妖精(ピクシー)妖精(バンシー)がそうであるように。

 

妖精(フェアリー)とは律儀なものでしょう」

 

 我々に何の断りもなく事を起こすはずがない、と。意を込めて言葉にする。

 テゾーロは、瞼を閉じた。一度頷いて、眼差しを上げる。

 

「港を封鎖しろ」

 

 トン、っと。

 彼の指が軽やかに踊った。

 

「よろしいので?」

 

 返事はわかりきっていて、なおのことバカラは確認する。

 

「ああ、かまわない。ポートガス・D・エースの処刑が決まってからは客足も不自然なくらいに落ち着いてるんだ。必要な()はどうせ内側(ウチ)にも入り込ませているだろうさ。今さら出ていく真似はしないだろうよ」

 

 ただし。

 

「封鎖前に高速船を派遣しろ」

「海域は?」

「なあ、バカラ。恩を売るのも悪くないと思わないか? どうせ状況把握ができない馬鹿(ウジ)はどこにでも沸く」

「手配致します」

 

 テゾーロが策を描き、バカラが応える。

 

「いやあ、外道(クズ)相手の商売はいい。良心が痛まなければ懐も痛まない。そうだな、おまえは北のほうに行くといい。雪国の男は頭も口もお堅いだろうが……」

「あら! この私が出向くのですよ、堅物だろうと勝利の女神だろうと振り向かせてみせますわ」

 

 貴方に一杯、私に一杯。

 世にも物騒な商談の後、高らかな音を響かせてグラスが口付け合った。

 

 

 

 

 

 ひどい臭いだと思った。

 鉄錆の臭い。臓腑の焼ける臭い、硝煙が海水と混じった臭い。

 悲鳴か、雄叫びか。砲撃音か、地響きか。敵味方を区別付けるものなど衣服か刺青くらいの戦場で、聞き分けがつくはずもなかった。

 

(痛い)

 

 シャルリアの身体に流れるという神の血は、どうにも軍神のものではないらしい。

 でなければ。惨状を前に、こんなにも心が竦むはずがない。戦の臭いを嗅ぐだけで、腹の底から身体が冷えるはずがない。

 あの肉塊が、もしかしたら次の瞬間の自分の姿なのかもしれない。想像するだけで恐ろしく、けれど、銃も鞭も持てなかったシャルリアは、自分が殺される前に相手を同じように殺すということも、この期に及んでまで出来そうになかった。

 

 もしも、シャルリアの生まれが戦争国家の孤児であれば。

 もしも、どうしたって武力を行使することでしか生きられない環境であれば。

 

 もしかしたら、シャルリアとて別の名前で別の人生で、銃を持ち剣を掲げて生きていたかもしれない。策と美貌だけではなく、欲と暴力で生きていたのかもしれない。でも、そうはならなかった。

 

(うん、そう思うと恵まれてた)

 

 衣食住が整い、どころか上質な生活まで用意され、働かずとも生きることを許されていた。天竜人の価値観とは、どうしても相容(あいい)れなかった。が、寒さに凍えることもなく、暑さに乾びることもなく、飢餓に怯えることもなく、搾取を恐れることもなく、そうやって――誰かの犠牲のうえに、確かに生きてきたのがシャルリアである。

 そんなシャルリアが、今さら。犠牲のうえに成り立った戦場を、恐れるなんて。傲慢にもほどがある。

 

(せめて口にはしない)

 

 ひどい空気を、胸いっぱいに吸った。

 咽そうになる喉を抑えつけて、唇を固く結ぶ。そうして、戦場を、見た。

 

 

 

 

 

 シャルリアがウタに最低限求めたのは全部でみっつ――エースとルフィの近くを駆けること、ルフィの関係者であると意識付けること、海軍に対しては誘拐犯である態度を貫くこと——である。

 

 無傷は保証できずとも、少なくとも三条件を攻略したのであれば、おそらく囚人が乗っ取った軍艦には乗船できたはずだ。なにせインペルダウン脱獄囚にとって主人公(ルフィ)は恩人、加えて革命軍幹部イワンコフにとっての希望の光(ルフィ)とは上司(革命軍の頂点)の息子及び無茶と奇跡の体現者。そんなルフィにとっての関係者ともなれば、海軍基地本部(マリンフォード)からの避難船にウタが乗ることは易い。

 

 そして、ウタに()()()求めたのは全部でみっつ。

 

 ――ひとつ、エースの注意をウタかシャルリアに向けること。

 ――ふたつ、早い段階でルフィとエースを第三者に託すこと。

 

 ()()()()()()()()()ポートガス・D・エースが、ウタの口から紡がれた提案に頷いたのなら条件を繰り上げる。ウタの最低限の身の安全が保証されたうえでなら、()()すると最初から決めていた。

 麦わらにつく。それは何も身体を助けるだけとは言ってない。彼の精神をも救ってしまおう、ということだ。義兄の死という主人公の成長を促進させるための舞台装置、であればそれすらシャルリアは利用して、死なないために足掻(あが)いてやる。

 

 欲張りは身を滅ぼす?

 

 上等だ。そもそもこの命が、星の数ほどの欲のうえに成り立ったもの。

 それでも滅びるというのなら、腹立たしいもの全部巻き込んで道連れにしてやる。

 

 

 

 

 

 生き急いでいた末っ子は、どうやら自らが欲っしていた()()を理解したらしい。

 憑き物の落ちたような表情を、エドワード・ニューゲートは嬉しく思った。義弟と、それから義弟の友だろう人物と共に去ったエースの背中は逞しく、もう心配いらないだろうという漠然とした安心感もある。

 そしてこうも思うのだ。

 

(息子たちの未来を見届けてやれねえのは、――)

 

――寂しィもんだな、と。

 命が惜しいとは言わない。死にたくない、とも。なにせエドワードは、海賊としては過ぎるほどに充分な時間を生きた。

 もしも息子たちがいなければ、もしも領海(シマ)なんてものがなければ。鬼より怖い白ひげとしてだなんて、この海に在ってはいなかっただろうから。

 

 どこまでも手が掛かった。ひたすらに愛しかった。

 船上で送る家族との生活は、そんな時間だった。

 

 平和や平等なんてものとは無縁の人生であったが、それでも老いと衰えは嫌になるほど平等だ。全盛期を過ぎて以降、エドワードは自分の命の砂時計が落ちていく感覚が、手に取るようにわかっていた。

 それも、もうじき、尽く。

 海に返る未来(時間)はない。しかしながら、未来(先の)短いエドワードとて為すべきことがある。息子たちを、新しい時代を生きる子供たちを、この死地から送り出すことである。

 人生の相棒とも言える大薙刀を再び構え、振るおうとして。

 

「ああ? なんの真似だ、子供たち(ガキども)よ」

 

 一欠片の警戒心も、ついでに敵意もなく。恐ろしいまでに無防備な姿で、海賊白ひげの傍にやって来た子供二人の影に気付いた。

 

 

 

 

 

 繰り返し言おう、ウタに()()()求めたのは全部でみっつである。現時点で達成されたのはふたつ――エースの注意をウタかシャルリアに向けること、早い段階でルフィとエースを第三者に託すこと——だ。

 

 赤犬の挑発の代替として用意したのは「ウタによるルフィの兄弟序列煽り」と「シャルリアによる天竜人という血筋の存在」であり、ルフィの身代わりになるエースの対策として「ウタの提案に頷かせて退かせること」及び「早期にルフィを誰かに担がせること」である。急ごしらえの策にも関わらずウタはこなしてみせ、それから。

 

 最後の条件――白ひげの後方に控えること——が、今このときをもって満たされた。

 

 血を流しながらも揺るぐことなく敵の前に立ち塞がる白ひげの姿は、覇者の在り方そのもの。感嘆の息を吐く、よりも先にシャルリアの胸を満たしたのは。

 

(ゆ、優秀~!!)

 

 ウタの有能さであった。

 本当に、よく揃えてくれたものだと思う。そして、シャルリアと同じように血を得意としない彼女のことだ。よくぞこの戦場を駆け続け、ここまで耐え抜いてくれた。言葉にできない代わりに、労わるように首に回した腕にぎゅっと力を込めた。

 

(でも安心はできない)

 

 戦争は、終わっていない。

 しかも現在地は白ひげの傍、戦線の中心だ。

 

(ここからも勝負)

 

 シャルリアは拉致被害者、でなくてはいけない。どんなに策を練ろうともウタに代弁させるしかない現状に歯噛みをした。

 

 

 

 

 

 シャンクスと同じ四皇の肩書きを担う白ひげを前に、ウタの心は不思議なほどに凪いでいた。

 

(変なの)

 

 海軍基地本部(マリンフォード)の惨状を生み出した一人であるというのに、どうしたって警戒心が微塵も沸かないのだ。自分だけは大丈夫、だなんて慢心しているつもりはない。シャルリアよりも多少マシな自信はあるが、この海の怪物相手に無傷で切り抜けられるほどの戦闘能力をウタは有さないのだし、実力不足は承知のうえだ。

 

「お初にお目にかかります、白ひげ。上等な酒も生まれの酒も用意はできませんでしたが、少しばかり若輩者のお願いを聞いてはいただけませんか」

 

 力では、振り向いてもらえない。

 だったら、言葉と態度を尽くそう。

 

「マーシャル・D・ティーチが来ます」

「……はァ?」

 

 怒気。凄まじい気迫が、自分に向けられたものじゃなくて良かった。でなければ言葉を続けてられやしなかった。

 

「インペルダウンから脱獄した麦わらと同じく、軍艦を奪ってここにやって来ます。貴方の船の、鉄の掟を破った()()です」

 

 黒ひげが食べた悪魔の実の能力はブッ壊れ性能で、ついでに黒ひげ自身もブッとんだ体質である。

 

「あれを倒すのは至難でしょう。という訳で、――手を組みませんか」

「望みは?」

「わたしたち()()の身の安全を、この海軍基地本部(マリンフォード)から脱出した暁には保証してほしい」

 

 地響き。戦場にこそ相応しい声量で、笑った。

 

「グラララララ、おれに安全を望むたあイイ度胸だ! その心意気に頷いてやりてェところだが、おれは老いぼれだ。この時代を作った決着(ケジメ)がある。後のことは息子たちが決めるんだ、何も言えやしねえよ」

 

 軽快に、けれど重々しく。

 刃を振るう、戦士の身体は。

 この戦争の果てに。

 

 

 

 

 

「――肉も骨も、海が弔う」

 

 

 

 

 

 見事な覚悟だこと。

 白ひげの返事は想定内。頷かなかったのだとしても、ここで話したことに意味がある。

 今もほら、思う通りに動けていないだろう海兵が確認できた。

 

(バギーの世界放送が再開されたってことね)

 

 現在進行形で、天竜人シャルリアが白ひげに囚われている、場面が映っているということ。幾ら戦争の勝者となれば良きしに語れるとしても、こうも堂々と人質となられては、易々世界貴族を害せまい。

 時間稼ぎはこれで充分。シャルリアにしてはよくやったものだと自分を褒めてやりたい。惜しむらくは、白ひげから「はい」も「ああ」も「YES」の言質を取れなかったこと。予想の範囲内だとて、悔しいものは悔しかった。

 その悔しさは、たぶん怒りに起因する。

 

 烏滸がましくも、シャルリアは怒っているのだ。

 ウタの父親にも、エースの父親にも、白ひげという父親にも。彼ら彼女らの事情を知っているのに加えて、自分の父親がそういう理想像とは違っていたから。話せば理解できる価値観を持っているのに、一緒に生きてくれって頼めば助けてくれる人がいるのに。

 

(いいなあ)

 

 と、ちょっとだけ羨んで。

 それで、感情に蓋をする。だって、ないものねだりをする暇はないのだから。

 

「おまえ……」

 

 何を察したのか。白ひげの視線が、ウタではなくシャルリアに向く。奇妙な沈黙が続き、言葉にしあぐねている世界一の海賊白ひげ(父親)を前に。

 

 シャルリアは、(わら)った。

 

 妖精という二つ名のように、無垢な白百合()(かんばせ)で。何も知らぬように子供のように。血濡れた戦場でも、ことさらに美しく微笑んでみせた。

 

 

 

 

 

 白ひげとシャルリアとの間に会話は生まれない。

在るのはただ沈黙のみ。強者の顔色を窺うような無粋さもなければ、弱者を慮るような憐憫さもない空気は、どこまでも戦場には似合わなかった。

 優れた覇気の使い手は相手の心まで読むという。いまだ胸の内の大半が恐怖で占められているシャルリアの胸中を、比類なき戦士である白ひげがどう読んだのかは本人以外預かり知らぬところではあるが。束の間の、ほんの瞬きの間に。互いの身の上を労わるような、柔らかな空気が流れたのは確かな事実であった。

 だが、そんな時間も長くは続かない。

 海軍も海賊も、どちらもが傷付き疲弊した状態。一進一退を繰り返す均衡を壊したのは、――嗤い声。

 

「ゼハハハハハ!」

 

 歴史に悪名を刻む犯罪者たちを従え海軍基地本部(マリンフォード)に現れたのは、不気味な策を引っ提げた〝黒ひげ〟マーシャル・D・ティーチ、その男であった。

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