アメリカ海軍の「アイオワ」クラス戦艦と、日本海軍の「金剛」型戦艦には、通説とされていることがある。
30ノットを超える高速性能の為、空母機動部隊に同行出来た。
その為、航空母艦が戦艦に代わって主力艦と成った新時代にも活躍出来たと。
成程「金剛」型は、開戦から戦争中を通じて空母機動部隊の支援に活躍した。
また「アイオワ」クラスは戦後、他の戦艦が退役する中も生き残り、遂には20世紀末にまでも復活した。
だがしかし、果たして其れは高速性能だけの恩恵だっただろうか。
実の処「金剛」型4隻は、日米戦争に日本海軍が参戦させた戦艦各型の中では最も艦齢が古く、その主砲攻撃力は36cm砲8問と最も小さかった。
言わば、最も戦艦として期待されていない戦艦だったかも知れなかった。
それ故に、開戦前は主力戦艦部隊の露払いの様に考えられていた空母機動部隊の支援にも、またガダルカナル島への艦砲射撃の為の夜間突入といった危険ではないとは言い切れない作戦に投入もされたのかも知れない
方や「アイオワ」クラスは、確かに「金剛」型を上回る高速性能を持つ戦艦としても計画されていた。
だがしかし、第2次世界大戦(World War II)にアメリカ海軍が参戦させた戦艦の中で最後に就役した戦艦だった。
そして、その主砲は16in,(インチ)(41cm)砲9門であることだけなら前級「サウスダコタ」クラスや前々級「ノースカロライナ」クラスと変わらないだろうが、長砲身化に因って、より威力の大きい砲弾を投射する様に成っていた。
つまりは最も新しく、最も主砲の強い戦艦だったのだ。
事実「アイオワ」クラスは空母の支援に限らず、艦砲射撃によって対日戦争の末期から半島戦争、インドシナ戦争から20世紀末の湾岸戦争まで活躍した。
更に言えば、最高速度27~28ノットの「サウスダコタ」クラスや「ノースカロライナ」クラスでさえ「エセックス」クラスの高速空母に同行して対日戦争末期を戦っている。
結局の処、戦艦の存在意義とは主砲の攻撃力、それに対応した装甲の防御力そして其れに由来する「見た目にも強そうに見える」象徴性にあると言えよう。
特に「アイオワ」クラスは、主砲の数を増した次の「モンタナ」クラスが対日戦争に間に合わないとの理由もあって建造されなかった為、アメリカ海軍の最後にして最強の戦艦と成った。
そうした事情は「アイオワ」クラスの5番艦「イリノイ」と6番艦(最終艦)「ケンタッキー 」の建造にも影響した。
姉4隻に遅れて建造された此の2隻は、対日戦争停戦の時点では未だ進水前だった。
その為、もはや不要とされたか1度は建造キャンセルが検討された。
この時、その運命に影響したのは日本海軍の戦艦「大和」「武蔵」の存在だったかも知れない。
アメリカ海軍の16in,砲戦艦を超える46cm主砲と、その主砲に対応した厚い装甲を誇る此の姉妹は、日米停戦の時点で撃沈されることも無く、戦後に引き渡されることも免(まぬが)れて健在だった。
停戦し今は同盟国とはいえ、昨日までの交戦国に「見た目にも強そうに見える」戦艦が存在することが、どこまでアメリカ側に影響したか。
無論、日本が同盟を裏切れば「大和」「武蔵」と言えども、アメリカ海軍の現在の主力艦である「エセックス」クラス空母によって撃沈可能だろう。
アメリカ空母が日本戦艦を撃沈出来ることは、戦争中の戦艦「陸奥」の撃沈で証明済みだった。
尤も、当時は「エセックス」クラスの隻数が流石にアメリカ合衆国の工業力をもってしても揃っておらず、巡洋艦を改造して急造した「インディペンデンス」クラス軽空母で席数を補っている状態だった。
その為、確実を期して「大和」型よりも防御力が小さい筈の「長門」型の其れも「陸奥」1隻に攻撃を集中した、という事情もあったが。
何れにしても、日本海軍に「大和」「武蔵」が健在である以上「アイオワ」クラスも6隻が揃った方がバランスが取れると、誰かが主張したのだろうか。
その上「大和」型戦艦は、危うく2隻では無く3隻に成る処だった。
「大和」型3番艦から建造中に空母に改造されることに成った「信濃」が、日米停戦の時点で完成目前とされていた。
(尤も実態は、工事を急ぎ過ぎた結果、多くの工事や試験が省略されていて却ってやり直し工事をしなければならない状態だったが)
停戦条件の1つとして改造空母は原則、改造前の元の艦船に戻される筈だったが「大和」型戦艦が増えることを避けたのか「信濃」は其のまま空母として完成させられた。
こうした事情があったのかどうか「イリノイ」「ケンタッキー 」は、建造キャンセルがキャンセルされて、無事完成した。
その時には、対米戦争が停戦していただけでは無く、ヨーロッパ西部戦線で続いていた戦争も終盤だった。
結局「ケンタッキー」が間に合った戦争は、WWII戦後の冷戦の中で勃発した半島戦争だった。
この戦争に於いて「ケンタッキー」は姉たちともに、地上戦を支援する艦砲射撃に活躍した。
そして「アイオワ」クラス以前の戦艦が古い順から退役し「アイオワ」クラスも劣化を防ぐ処理をしたモスボール状態で保存される様に成った。
その眠りの期間に勃発したインドシナ戦争には、姉の1人「ニュージャージー」が目覚めされられ、インドシナ半島に対する艦砲射撃を行ったが、やがて彼女も再び眠りについた。
そのまま保存され続けた彼女たち姉妹が、揃(そろ)って目覚める時が来た。
冷戦の激化によりアメリカ軍は軍拡の時代を迎えた。
「アイオワ」クラスもトマホーク巡航ミサイルなどで近代化が行われ、新時代の主力艦である巨大空母の隻数を補う存在とされた。
だがしかし、3度目の大戦は起こること無く、冷戦は崩壊する。
その直後の湾岸戦争には、姉の1人「ウィスコンシン」が出撃した。
けれども、戦艦の存在意義は此処までだったかも知れない。
冷戦崩壊後には、軍縮が待っていた。
維持にも高コストが掛かる戦艦は其の対象と成り「アイオワ」クラスの姉妹は、それぞれに記念艦等に変えられていった。
その中で何故か「ケンタッキー」は数年遅れた。
所縁(ゆかり)のケンタッキー州に海岸や港が無い、という事情が在ったかも知れないが、今1つの事情も在ったかも知れなかった。
日本海軍の「大和」「武蔵」はイージスシステム艦に改造されていた。
そして新時代の防衛に対応するイージス艦の隻数不足を補う為か、現役に留まっていた。
あるいは”この”為、全ての戦艦を退役させることを躊躇(ためら)ったのかも知れなかった。
何れにせよ「ケンタッキー」は21世紀初頭まで現役に留まり、2003年のイラク戦争にも参戦した。
この戦争に於いて「ケンタッキー」は、湾岸戦争での姉同様、ペルシャ湾の海上から地上のイラク軍をトマホークミサイルや艦砲射撃で叩き、アメリカ軍のイラク本土への進撃を支援した。
尤も周知の通り、この戦争の勝利は長い平和維持活動の始まりと成ったが。
”その”顛末(てんまつ)を待たず「ケンタッキー」はペルシャ湾を去った。
そして、誕生の地として所縁のバージニア州ポーツマスで記念艦と成った。
彼女は、今も其処に居る。