ジェットエンジンが実用化される前の時代、航空機搭載のレシプロエンジンには、大きく分けて2つの形式が在った。
空冷式の星型エンジンと、液冷エンジンである。
この2つの形式の内、液冷エンジンの特長は機体の空気抵抗を小さく出来ることが大きい。
空冷星形エンジンはエンジンに直接冷気を当てる必要上、エンジン正面に大きな開口部を儲けなければならない。
これに対して液冷エンジンは、そもそも正面面積が星形エンジンより小さい上、エンジンを完全にエンジン覆いに包み込むことが出来る。
その為、エンジン搭載部分の外形を、プロペラシャフトから続く流線形に作ることが出来る。
更には、冷却器用の開口部が元々から星形エンジンよりも小さい上に、必ずしもエンジンに近付ける必要が無い為、最も空気抵抗の少なく成る位置に明けることが出来る。
これ等に因って、液冷エンジン搭載機は空冷星形エンジン搭載機に比較して、空気抵抗の面で有利である。
その1方で、重量が増す、機構が複雑に成る、軍用機の場合だと被弾に弱く成る等の短所もあるが、これらは或る程度は機体設計次第だろう。
とはいえ、こうした特徴が機体設計にも大きく影響することは事実である。
特にエンジン部分の外形が其のまま機首形に成る単発機、特に高速性能を求められる戦闘機に於いては、無視できる要素でも無い。
こうした其々の特性のある2つの形式のエンジンだが、対米戦争当時の日本陸海軍は、圧倒的と言って好いほど空冷星形エンジンを採用していた。
そこには様々な理由があるだろうが、この少し前の時期に1000馬力級の星型エンジンに於いて、各国に並ぶエンジンの開発に成功した、ということが大きい。
これに対して、液冷エンジンの開発と生産の技術は、未だ何歩かを譲っていた。
当然ながら”これ”を好しとしない者も居た。
陸軍と海軍は、当時の先進工業国であり、日本と接近しつつあったドイツからの液冷エンジンに関する技術移転を意図した。
そして、ダイムラー・ベンツ社製DB600系エンジンの製造ライセンスを取得したのである。
この際、陸軍と海軍が其々(それぞれ)にライセンス取得を申し込んで、ドイツ側を失笑させたというエピソードがある。
ともあれ、DB600系エンジンのライセンスを取得した日本側では、陸軍では3式戦闘機「飛燕」又海軍では艦上爆撃機「彗星」や潜水艦搭載の水上攻撃機「晴嵐」などにライセンスを元に開発したエンジンを搭載した。
だがしかし、このエンジンは当時すでに先進工業国だったドイツでこそ大量生産出来る精密機械だったのだ。
当時の日本の工業技術水準では、合格品を量産するには無理があった。
結果、エンジンの完成品は機体の生産に追いつかず、配備されても前線では整備員泣かせと言われた。
遂にはエンジンを待つ「首無し機」が機体工場に並ぶに至って陸海軍は、ほぼ同出力の、けれども信頼性では勝る国産の空冷星形エンジンへの換装を検討するに至った。
この窮余の策が、具体的な設計作業に成ろうとした時、日米戦争は日本の「負け逃げ」の形で停戦と成った。
そして停戦後の陸海軍そして陸軍航空隊と海軍基地航空隊を統合して発足した帝国空軍は、アメリカ軍の同盟軍として再建の道を進むことに成った。
その結果、エンジン問題は従来の経過からすれば意外な顛末(てんまつ)を迎えることに成る。
停戦条件の1つ「アメリカ製兵器の日本市場への開放」に基いて、アメリカ製エンジンの完成品が輸入される様に成ったのである。
DB600系エンジンの搭載機であるドイツ空軍のBf109メッサーシュミット戦闘機と性能向上を競ったスーパーマリン・スピットファイアを始めとするイギリス軍の殆どの機体に搭載された、いわばDB600系のライバルエンジンとも言うべきロールスロイス・マーリンエンジン、そのエンジンをアメリカ合衆国のパッカード社でライセンス生産したエンジンである。
このパッカード・マーリンエンジンを搭載することで、あっさりと「飛燕」や「彗星」等の「首無し機」は完成品と成って、実戦部隊に引き渡された。
アメリカ工業界の生産力は、尚もヨーロッパ西部戦線で交戦中の連合軍にパッカード・マーリンエンジンを貸与しながら、日本への輸出需要に応えるだけの供給力を持っていた。
更に帝国空軍では、新鋭機として51式戦闘機「奔馬」(その実態はアメリカから輸入したP-51H「マスタング」戦闘機)が採用された。
その搭載エンジンはパッカード・マーリンだった。
日米停戦から1年後、日ソ戦争が勃発した。
この戦争の主戦場と成った満州の、特に冬に於いて、51式「奔馬」のマーリンエンジンは小さからない利点を示した。
厳寒下でも、冷却液を予熱することでエンジンを暖める時間を短縮出来たのだ。
これは、特に分秒を争う緊急発進などでは無視出来ない特長だった。
この利点は、例えば潜水艦搭載機である「晴嵐」でも大きかった。
潜水艦の只1つの武器と言って好いステルス性を放棄するに等しい、浮上状態での発進準備時間を短縮することが出来たのである。
こうして、日本軍の液冷エンジンは当初からは思いがけない形で、レシプロ機時代の最後を飾ることに成った。
そして其の時には、ジェットの時代が迫っていた。
ご意見ご感想をお待ちしております。