日米停戦の後、停戦条件の1つ「アメリカ製兵器の日本市場への開放」に因って、アメリカ空軍の開発した「超空の要塞」とも呼ばるB-29爆撃機を帝国空軍が購入し、29式重爆撃機「火竜」と名付けて日ソ戦争にも使用した。
その重爆撃機の系譜は、WWII後の冷戦時代にも続いた。
1970年代に至って、国産空対艦ミサイルが当時の主力戦闘機であるF4Jや少数生産ながらも国産に成功した支援戦闘機F1に搭載されることに成ると、アメリカ空軍がインドシナ戦争などで使用したB-52爆撃機を此の対艦ミサイルを搭載できるように改良して、52式爆撃機「火竜II」または新たな「火竜」と呼んだ。
戦略爆撃機の長大な航続力や核攻撃能力よりも、あくまでも通常兵器の莫大な搭載量に注目したのである。
この頃アメリカ空軍では、新たな爆撃機B-1の開発が進められていた。
戦略爆撃機としての航続力と、音速性能、低空侵入での運動性などを並べ立てさせる為、可変翼が採用され「白い怪鳥」と呼ばれた。
その開発に紆余曲折する間に冷戦はピークを迎え、更に冷戦の終わりが宣言された直後に湾岸危機が起こった。
開発に紆余曲折していたB-1は湾岸戦争に間に合わなかった。
その1方で、B-1の生産ライセンスを取得し、国産空対艦ミサイルの搭載機能を持たせた帝国空軍の重爆撃機「飛鳥」は、湾岸戦争に間に合った。
この戦争の結果としては、国際連合の権威が1時高まり、平和維持活動に日本の帝国陸海空軍が積極的に参加することに成った事が在るだろう。
湾岸戦争から数年のうちに、旧ユーゴスラビア連邦でも民族浄化を伴う紛争が起こり、これを監視する平和維持活動の1環として、帝国空軍の「飛鳥」重爆撃機部隊も東地中海のキプロス島に派遣された。
ここも、民族対立に因る紛争の火種を抱えており、かねてより平和維持軍が派遣されていた………。
……。
…その日も、平和維持軍に派遣されていた帝国空軍の「飛鳥」重爆撃機は離陸に備えて待機していた。
その「飛鳥」が離陸の為に可変翼を拡げようとした時、緊急通信が飛び込んで来た。
東アフリカのルワンダでも、かねてから民族対立に因る紛争が起こっていたが、遂に1方の民族による、もう1方の民族に対する虐殺が始まった、との情報だった。
取り敢えず「飛鳥」には、そのルワンダへの緊急飛行が命令されたのだ。
元々、戦略爆撃機B-1に習った「飛鳥」ならばキプロスからルワンダへの爆撃行は可能だ。
とはいえ、何を目的として何を爆撃目標とするのも不明なままに、兎に角(とにかく)発進が命じられた。
アフリカ大陸の半ばを縦断する飛行の間に、更に詳しい情報と命令が、取り敢えずは送られてきた。
どうやら、この虐殺から隣国タンザニアへと逃れようとする人々を追いかけている民兵とも暴徒ともわからぬ者どもが、爆撃対象となった様だった。
データリンクされてきた爆撃目標へと近付いた「飛鳥」は、救うべき避難民を誤爆しない様に、低空に舞い降りて地形を確認しながら侵入した。
やがて、爆撃目標が近づく。
先ずは旧ユーゴでもそうだった様に、警告の為の照明弾を投下する。
だがしかし、応答は無かった。
次いで、爆弾倉の扉を開き、自由落下の通常弾頭爆弾を投下する。
インドシナ戦争で悪名を上げたB-52を上回る「飛鳥」の搭載量で搭載されてきた爆弾が、地上の虐殺者たちを虐殺した。
相手は民兵らしきものとはいえ、現代ならば携帯型の地対空ミサイルを持っているかも知れない。
それが、旧ユーゴでの平和維持活動の教訓だった。
「飛鳥」は地上の惨状を尻目に、可変翼をデルタに後退させ4発エンジンのアフターバーナーを点火させて、携帯型ミサイルの届かない高空へと駆け上った。
これで、どれだけ虐殺を抑えるのに貢献出来たか。
それを知る術も無く「飛鳥」は帰途につく。
合流した空中給油機から聞こえてくるメロディーがあった。
「飛鳥」の登場以降、何時しか歌われる様に成った軍歌「「飛鳥」の征けぬ空は無し」だった。
次話は、艦魂が登場します。
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