海軍次官から連合艦隊司令長官に転出した山本五十六は、次官時代の持論だった対米非戦は兎も角(ともかく)として、実戦部隊の長として対米戦略を模索する様に成った。
そして、日米開戦が近づく(結果として翌年に迫っていた)頃の大演習の結果、かつて自分が航空本部長として育てていた海軍航空勢力の進歩に注目し、真珠湾攻撃を思い付いたとされる。
この時、同時に、とある新戦術と其の為の新兵器について思い付いたとされる。
この着想が、例えば真珠湾の後だったら「間に合わなかった兵器」に成っていただろう。
だがしかし、結果として開戦前年に思い付いていた為「間に合った兵器」に成った………。
……。
…この着想に基づいて建造された新鋭姉妹艦中1番艦の初代艦長に任命されたのは木梨鷹一である。
木梨は日本海軍の潜水艦長の中のエースだった。
*
1942年4月。
日本陸海軍、特に連合艦隊がアメリカ合衆国を含む連合国軍に対する第2段作戦を始めた。
当初の予定では、第2段作戦の最初は「前門の虎」であるアメリカ太平洋艦隊に対して「後門の狼」と言うべきインド洋のイギリス艦隊を撃滅する予定だったが、ミッドウェー作戦の優先と航空母艦6隻の全力投入へと変更された。
これに従いインド洋に対しては、潜水艦による海上交通路破壊戦が強化されることに成り、太平洋方面から何隻かの潜水艦がインド洋へと引き抜かれた。
その中に、木梨が艦長を務める「伊号19」潜水艦が居た。
その日。
インド洋を哨戒中の「伊19」は「敵らしきもの」を発見した。
それはインド洋に於けるイギリス主力艦隊「A部隊」だった。
「戦艦と空母が居るな。上手くやれば両方とも喰える。魚雷戦用意」
それはイギリス東洋艦隊の旗艦である(マレー沖海戦で戦没したプリンス・オブ・ウェールズに代わった)戦艦「ウォースパイト」と今や東洋艦隊の主力と言うべき正規空母「インドミタブル」だった。
東洋艦隊は「艦隊の保存」を命令されており、慎重に行動していたが、木梨は巧みに接近し「伊19」の魚雷発射管6門全門を発射した。
無航跡で発見されないまま、連合国の魚雷を上回る高速で突進した酸素魚雷は「ウォースパイト」に3本「インドミタブル」に2本そして軽巡洋艦「エンタープライズ」に1本が命中した。
この被雷によって「エンタープライズ」は、イギリス側では英雄扱いされることに成る。
もしも此の1本が「ウォースパイト」か「インドミタブル」に命中していたら、沈没しかねなかった。
連合国仲間のアメリカ海軍からは
「やはり「エンタープライズ」という艦名は栄光と共にある」
等とまで言われた。
イギリス東洋艦隊は主力艦が2隻とも、本国に回航の上での少なくとも数か月から下手をすれば年単位の修理を必要とする損害を受けたことで、日本軍への脅威を大いに減じた。
以降は益々、艦隊保全に努める様に成り、拠点から出撃することも少なく成った。
この「全射線命中」に因って木梨鷹一は、日本海軍の潜水艦長の中のエースと成った。
*
「エース艦長」木梨に与えられた新たな任務は、新鋭潜水艦の1番艦の初代艦長だった。
「伊号400」型潜水艦は、アメリカ本土などの敵中深くの重要目標への奇襲を企図して建造された。
水上攻撃機「晴嵐」3機を搭載し「潜水空母」とも呼ばれた。
そしてカタログ上は地球を1周半航行可能という長大な航続距離を持ち、理論上はアメリカ本土それも太平洋を挟んで向かい合う西海岸だけでは無く、インド洋と大西洋を越えて東海岸まで攻撃可能とされていた………。
……。
…だがしかし「伊号400」に与えられた最初の任務は、当時の同盟国である独逸(ドイツ)への派遣だった。
連合国軍に因って連絡を分断された形に成った日独両国は、ステルス兵器である潜水艦を利用した連絡を試みた。
ドイツは日本占領下の東南アジアに産出される戦略物資を欲した。
連合国軍に因るドイツの交通路破壊は、実の処Uボート等に因るドイツ軍に因る連合国側への破壊よりも深刻だったのだ。
方や、日本は当時から先進工業国だったドイツの兵器技術の情報を欲した。
尤も、日本側にも提供できる兵器が無いわけでも無かった。
例えば、酸素魚雷である。
こうして日独両国の利害は1致し、日本からもドイツからも潜水艦が互いに派遣された。
そして、実戦配備されたばかりの「伊400」も注目された。
その長大な航続力ならば、道途上での補給という危険を冒(おか)すことなく、そして従来の潜水艦を超える巨体には其れだけ多くの物資や技術サンプルを搭載できる筈だった。
こうして「伊400」は其の巨体に戦略物資を満載し(魚雷などはドイツ側に引き渡すサンプルしか搭載せずに)シンガポールを出港した………。
……。
…木梨艦長の手練の指揮の下「伊400」はインド洋を横断し、大西洋を縦断して、ドイツ占領下のフランスに儲けられていた潜水艦基地に辿り着いた。
「伊400」(艦魂)は「子供たち」を見送っていた。
空母にとって搭載機は「子供」である。
「潜水空母」とも呼ばれた「伊号400」型潜水艦も例外では無かった。
だがしかし、今回の任務に於いて「伊400」が「晴嵐」を搭載してきたのは、目標を攻撃する為では無かった。
ドイツ側と交換する為のサンプルとしてだった。
「伊400」の甲板上でデモンストレーションを兼ねた「晴嵐」3機の急速組み立てと発進が披露された。
そして、発進した「晴嵐」は母艦だった「伊400」に戻ることなく、ドイツ軍の水上機基地へと飛び去って行った。
その「子供たち」に「伊400」(艦魂)は、
「さようなら」
との言葉を贈りながら「帽振れ」で見送っていた。
「伊400」が積んで来た戦略物資や技術サンプルと交換に、ドイツ製兵器の実物サンプルや図面が積め込まれた。
その中には、ロケット戦闘機「Me163」やジェット戦闘機「Me262」の実機サンプルから、小は「StG44」までがあった。
第2次大戦(World War II)後から冷戦時代には、殆どの国家の陸軍での普通の兵隊である歩兵の武器が、この銃のドイツ語名(シュトゥルムゲヴェーア)を訳した突撃銃(アサルトライフル)と成る程の先進的な銃だった。
帝国陸軍は此の銃の技術情報を基に、38式歩兵銃の使用弾薬だった6.5mm実包を応用した突撃銃「100式改自動銃」を開発して、日ソ戦争で実用化することに成る。
ただし、これは後日談である。
こうして貴重な技術情報に関わる物品を搭載した「伊400」は帰途についた。
再び大西洋を縦断し、インド洋を横断してシンガポールに帰還したとき、急転が待っていた。
日米戦争は日本の「負け逃げ」の形で停戦と成った。
この報告を受けた「伊400」に秘密命令が届いた。
「技術情報に関わる物品を処分せよ」
未だヨーロッパ西部戦線でドイツ軍と交戦中のアメリカ軍にとってすれば、ドイツ軍の兵器情報は喉から手が出るほど欲しいだろう。
だがしかし、日本側としては「負け逃げ」の形で今後はアメリカ合衆国の同盟国に成るとはいえ、昨日までの同盟国に対して其処までの不誠実を働くか。
停戦条件の交渉でも議論には成ったものだった。
その結果が「伊400」への処分命令だった。
「伊400」はシンガポールを出港すると、ロケット機やジェット機などの実物サンプルをシャム湾(後のタイランド湾)に投棄し、図面を甲板上で焼き捨てた。
こうして「伊400」の日米戦争における只1度の任務は終わった………。
……。
…日米停戦から1年後。日ソ戦争が勃発した。
木梨艦長が続けて指揮を執る「伊400」を姉とする「伊号400」型潜水艦の姉妹は、ドイツ製のDB600系エンジンをライセンス生産したエンジンに代わって新たな同盟国アメリカから輸入したパッカード・マーリンエンジンを動力源とした「晴嵐」を新たに搭載し、新たな戦場へと出撃して行った。
真に遺憾ながら、今話にて書き溜めていたストックも尽きた様です。
取り敢えずは、ここで当面の投稿は途切れますが、また思い出したり思い付いたりしたものを投稿するかも知れず、勝手ながら完結とは致しません。
けれども、以降は不定期投稿と成ります。
ここまで読み進めて頂いた皆様には、ここで1端、お礼を申し上げさせて頂きます。