Re: 液冷エンジン始末
日米停戦がら数か月、新たに発足した空軍省に呼び出された者たちが居た。
陸軍航空隊と海軍の基地航空隊が帝国空軍に統合される以前、陸軍向けに3式戦闘機「飛燕」を開発した川崎航空機のエンジン部門の技術者たちと、付き添いで来た経営陣の代表である。
呼び出した空軍士官は、先ず問い質す様な態度をした。
「例の首無し機の件だが」
「飛燕」の搭載エンジンは、ドイツ製の液冷エンジンDB600系エンジンからライセンス生産した「ハ40」だった。
だがしかし、DB600系は当時すでに先進工業国だったドイツでこそ量産出来た精密機械だった。
当時の日本の工業技術水準では、合格品を量産するには無理があった。
結果、エンジンの完成品は機体の生産に追いつかず、配備されても前線では整備員泣かせと言われた。
遂にはエンジンを待つ「首無し機」が機体工場に並ぶに至っていた。
その不備を責められるのか、瞬間だけ思った川崎側に対して空軍士官は、何かの分厚い文書を取り出した。
「知っているだろうが、停戦条件の1つ「アメリカ製兵器の日本市場への開放」に基いてアメリカ製の兵器が輸入されることに成った」
唐突に話題が振られたと思ったが、
「その中にパッカード社のマーリンエンジンが入っている」
DB600系エンジンの搭載機であるドイツ空軍のBf109メッサーシュミット戦闘機と性能向上を競ったスーパーマリン・スピットファイアを始めとするイギリス軍の殆どの機体に搭載された、いわばDB600系のライバルエンジンとも言うべきロールスロイス・マーリンエンジン、そのエンジンをアメリカ合衆国のパッカード社でライセンス生産したエンジンである。
「今後「飛燕」にはパッカード・マーリンエンジンが搭載されることに決まった。
この文書は、パッカード社から渡されたマーリンエンジンの整備マニュアルだ。
諸君には、これを翻訳してもらう」
川崎のエンジン部門には屈辱で無い、とは言えない。
それでも、技術者としての関心もあった。
DB600系のライバルエンジンとも言うべきマーリンエンジンには。
無論、川崎側の技術的課題がマニュアルの翻訳だけだったわけでも無い。
その搭載が機体設計の前提だった従来のエンジンと、全く別のエンジンを積むのだ。
尤も、エンジンを待つ「首無し機」が機体工場に並ぶに至って、ほぼ同出力の、けれども信頼性では勝る国産の空冷星形エンジンへの換装を検討するに至っていた。
全く、機体設計の特性が異なる空冷星形への換装に比べれば、液冷エンジンであることは同じならば、小さな設計変更で済みそうだった。
同じ頃、海軍向けにDB600系エンジンをライセンス生産していた愛知航空機も、海軍省に呼び出されていた。
かつて陸軍と海軍が其々(それぞれ)にライセンス取得を申し込んで、ドイツ側を失笑させたというエピソードの繰り返しとは言えた。
ともあれ、川崎と愛知の技術者たちは、当然ながら英文で書かれていれたマニュアルの日本語への翻訳に取り掛かった。
幸いにして、その文章は英文としては平易だった。
研究の為、海外の技術論文も読む必要のある技術者たちにとっては、むしろ読みやすいとは言えた。
実の処アメリカ軍では、必ずしも高等教育を受けているとは限らない整備兵でも理解出来ることを優先に、理解しやすい平易なマニュアルを作成することを心がけており、文章は英文としても平易で、またイラストなどもふんだんに使用していた。
それまでの日本陸海軍の整備手引書と比較すれば、これも1つのカルチャーショックだった。
こうして翻訳された手引書が整備兵たちに行き渡っていた頃には、エンジンを待っていた「首無し機」はパッカード・マーリンエンジンを搭載することで、あっさりと完成品と成って実戦部隊に引き渡されていた。
更には、帝国空軍の新鋭主力戦闘機として51式戦闘機「奔馬」(その実態はアメリカから輸入したP-51H「マスタング」戦闘機)が採用された。
その搭載エンジンはパッカード・マーリンだった。
当然に「マスタング」を開発したノースアメリカン社から渡された機体整備マニュアルも翻訳されて実戦部隊の整備兵たちに配られた………。
……。
…日米停戦から1年。
ソ連軍の満州侵攻に因って、今度は日ソ戦争が勃発した。
当然にパッカード・マーリンエンジンを搭載した日本軍機は、日ソ戦争の戦場の空に戦った。
ソ連軍もBf109G戦闘機などの兵器を、今は停戦成って友好国の1つに成っていたドイツから購入していた。
DB600系エンジンとマーリンエンジンというライバルエンジンの搭載機は、日ソ戦争の空でも対決した。
蛇足の様な短小編を投稿させて頂きました。
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