当時の同盟国だったナチスドイツに派遣された「伊号400潜水艦」には、その帰途、ドイツ側から提供された兵器技術の情報に関わる搭載品が詰め込まれた。
その中には、ロケット戦闘機「Me163」やジェット戦闘機「Me262」の実機サンプルから、小は「StG44」までがあった。
第2次大戦(World War II)後から冷戦時代には、殆どの国家の陸軍での普通の兵隊である歩兵の武器が、この銃のドイツ語名(シュトゥルムゲヴェーア)を訳した突撃銃(アサルトライフル)と成る程の先進的な銃だった。
だがしかし「伊400」がシンガポールまで帰って来た時、日米戦争は日本の「負け逃げ」の形で停戦と成った。
この報告を受けた「伊400」に秘密命令が届いた。
「技術情報に関わる物品を処分せよ」
未だヨーロッパ西部戦線でドイツ軍と交戦中のアメリカ軍にとってすれば、ドイツ軍の兵器情報は喉から手が出るほど欲しいだろう。
だがしかし、日本側としては「負け逃げ」の形で今後はアメリカ合衆国の同盟国に成るとはいえ、昨日までの同盟国に対して其処までの不誠実を働くか。
停戦条件の交渉でも議論には成ったものだった。
その結果が「伊400」への処分命令だった。
「伊400」はシンガポールを出港すると、ロケット機やジェット機などの実物サンプルをシャム湾(後のタイランド湾)に投棄し、図面を甲板上で焼き捨てた。
こうして「伊400」の日米戦争における只1度の任務は終わった………。
……。
…ところが、アメリカ側が見落としていた実物サンプルが在った。「StG44」である。
何故、これ程までに先進的な銃を見落としていたのかというと、ドイツ軍でも歩兵用小銃の数量的主力は従来型のボルトアクション小銃だったこと、そして第2次大戦(World War II)に参戦した各国陸軍がボルトアクション小銃を使用し続けている中で、アメリカ陸軍だけがセミ・オートマチックライフル(半自動小銃)M1ガーランドを主力小銃にして、実際に戦場で有利を勝ち取っていたことがあるだろう。
アメリカ陸軍の将軍たちは「これまで考案された物の中では最も偉大な武具」「我が軍に対する最も偉大な貢献の1つ」などと称賛しており、M1をすら超える先進的な銃を「伊400」が運んできたとは気付かなかったのだ。
尤も、日本側とて何処まで此の銃のことを隠したか、そもそもボルトアクション小銃を使い続けていた帝国陸軍が、何処まで此の銃の価値に気付いていたか、は定かではない。
それでも陸軍から委託されていた研究者たちは、停戦条件の1つ「アメリカ製兵器の日本市場への開放」に因ってアメリカ側から購入される兵器の普及に忙殺されている中で「StG44」の研究を開始した。
そして、この銃が如何に先進的な戦術思想に因って開発されているかに気付いたのである。
研究の結果として、彼らは38式歩兵銃の使用弾薬だった6.5mm実包を応用した突撃銃である「100式改自動銃」の開発に成功した。
尤も、1940年(かつて日本だけで使用された皇紀では2600年)に開発された機関短銃(サブマシンガン)100式機関短銃の改良型であるかの様に扱われて、ようやっと制式化された処に、当初は此の銃がどう扱われていたかが想像される。
「StG44」もまた、当初は其の先進性を理解しないドイツ指導者を誤魔化(ごまか)す為
「新型の機関短銃である」
と、扱われたものだった。
それでも「100式改自動銃」は正式採用され、実戦部隊に配属された………。
……。
…日米停戦から1年が過ぎた頃、日ソ戦争が勃発した。
この戦争の陸戦では、ソ連軍のT-34戦車と帝国陸軍の4式戦闘戦車(アメリカ側から購入したM4シャーマン戦車)の対決が注目されているが、数量上の主力である普通の兵隊だったのは歩兵である。
その歩兵は、両軍とも数量上の主力小銃は従来型のボルトアクション小銃だった。
その中で数量上は少数派ながら「100式改自動銃」は活躍した。
「100式改自動銃」に遭遇したソ連軍の1部では、様々な反応が起きた。
帝政ロシア時代、日本から入手した6.5mm実包を使用し後の突撃銃と同じコンセプトを世界で最初に実用化したフェドロフ自動銃が、開発された歴史があった。
その為、ソ連軍の1部では「フェドロフの亡霊」などと言う声が起きた。
だがしかし、真相は判明する。
双方の独裁者同士に「ホットライン」が引かれる以前、未だ「StG44」の原型銃が”新型の機関短銃”として扱われていた当時に遭遇した経験が、当時のソ連軍にもあった。
その経験から判明したのである。
この日本の新式銃は「StG44」の技術情報を基に開発されていたという真相が。
真相が判明した結果、ソ連側からドイツ側に「ホットライン」で抗議された、とも伝えられる。
抗議の結果として、ドイツからソ連が購入していたBf109G戦闘機その他の兵器の購入条件に融通がきせられた、とも言われる。
そしてWWII後の冷戦時代、ソ連軍とソ連から兵器を購入したユーザーにとって、普通の兵隊の武器とは、カラシニコフ突撃銃だった。
やがて「100式改自動銃」の活躍は、アメリカ製のM1ガーランド半自動小銃を購入するかどうか迷っていた陸軍上層部の眼を引くことにも成った。
遂に、当時としては(保守的とされる当時の陸軍上層部としては)英断が下された。
M1ガーランドの購入を断り「100式改自動銃」を量産したのである。
当時のアメリカ側が”この”英断をどう評価したかは定かではない。
当時の平均的な日本人の体格には、M1が大き過ぎ、重過ぎることが理由だともされた。
その為、日本人はサブマシンガンを選んだのだろう、という辺りがアメリカ側の認識だったともいわれる。
だがしかし結果としては、やがてアメリカ軍も「100式改自動銃」の6.5mm実包よりも突撃銃に向いた5.56mm弾を使用するアサルトライフルM16アーマライトを、長く普通の兵隊の銃とすることに成る。