グラウンドの砂埃が舞う中、歌声が響き渡る。
いや、歌じゃなくて、ただの食いながらの鼻歌だ。
「クッソォォ! どんなデブだよお前!! 動き重すぎんだろ!!」
五条悟が地面に膝をつきながら叫ぶ。白髪が砂で汚れ、サングラスがずれて半分顔にかかっている。普段の余裕はどこへやら、息も絶え絶えだ。
その視線の先で、夏油傑は悠々と立っている。
……いや、立っているというより、どっしりと根を張っていると言った方が正しい。
制服のボタンが今にも弾け飛びそうなくらいパツパツで、腹回りが丸々と膨らんでいる。
それでも顔は爽やかで、長い黒髪を後ろで結んだまま、にこやかに微笑んでいる。
「もっと言葉を選んだ方がいいんじゃないかい? 悟。これは博多の塩だよ……ゴクン! しゃとる。」
夏油は手に持った巨大なおにぎりを豪快にかじり、頬を膨らませながら満足げに頷く。
「悟だっつーの! 悟!! しゃとるじゃねーよ!! それと俺が話してる最中におにぎり食うなよ!! 超ムカつく!!」
「極の番! うますぎ!!」
「急に叫ぶな!! 耳痛ぇ!!」
二人の掛け合いに、傍らで夜蛾正道が盛大に頭を抱える。
学校のグラウンドはすでに半壊状態。コンクリの破片が散乱し、フェンスは曲がり、地面には巨大なクレーターがいくつもできている。
原因? もちろんこの二人だ。
私は――1年唯一の女子、家入硝子――ベンチに座って、ため息混じりにタバコをくわえながら眺めている。
(……何がどうして、こんなことになったのやら……)
普通に考えたら、五条悟が勝つはずだった。
最強の六眼+無下限呪術の持ち主…はっきり言ってチート。
なのに今、砂まみれでへばってるのは五条で、優勢なのは……あの、明らかに体重120kg超えてそうな夏油傑だ。
隣で夜蛾先生が呟く。
「胃が…………」
そりゃそうだ。入学式からまだ1ヶ月も経ってないのに、校舎の半分がもう使えなくなってるんだから。
ことの発端は、そう……今からちょうど1時間半前。
東京都立呪術高等専門学校・1年教室。
一ヶ月前に入学式が終わったばかりの教室に、バリボリ……バリボリ……という小刻みな咀嚼音が響き渡る。
五条悟は机に肘をつき、担任の夜蛾正道を睨みつけている。
「マジで言ってるワケ? ヤガセン。」
夜蛾は淡々と頷く。
「ああ、悟。お前の隣に座っている夏油は呪霊操術の使い手だ。熟練度からして、今のお前では勝てない。」
「はぁ?」
五条はイラついたように声を荒げ、隣の席に座る太った青年に指を突きつける。
「このデブが俺より強いわけねーじゃん! 早めにボケたのかよ夜蛾センセー!」
教室の隅で、気だるげに頬杖をついていた家入も珍しく口を挟む。
「たしかに信じられないわ。五条より強い感じは……しんないけど。」
夏油傑――当の本人――は、今まで黙々とポテトチップスを食べ続けていた手を止め、ゆっくりと顔を上げる。
口の周りには油がついていて、にこりと笑う。
「デブとは聞き捨てならないね、悟。私は動けて、格闘技ができて、ちゃんと走れるデブ……つまり『ぽっちゃり』だよ。」
五条の額に青筋が浮かぶ。
「大差ねーよ!! つーか馴れ馴れしく呼ぶな!」
「ならそっちもデブ呼ばわりはやめてくれよ。それに……私は今の君と戦えと言われたら、勝つ自信すらある。やはりポテトは、塩に限るね。」
夏油は新しい袋を開け、ポリポリと音を立てて食べ始める。
その音が、五条の神経をバリカンで削ぎ落とすようにイラつかせる。
「お前さ……舐めてんの?」
「私が舐めるのは、スーパーカップの蓋だけさ。」
「うわっ、キッショ!! まあいいや。夜蛾先生があんだけ言うんだ、強いんだろ? ならグラウンドで戦おうぜ。お前が勝てたら……俺の相棒にしてやるよ。まあ無理だろうけどな!」
五条は夏油の机にドカッと足を乗せ、ニヤリと笑う。
夜蛾が慌てて止めに入ろうとするが、夏油が先に立ち上がる。
その動きで椅子がギシッと悲鳴を上げる。
「あまり他人を下に見ていない方がいい。受けて立ってあげよう、悟ゥ! 君のようなガリガリには、デブの恐ろしさを味合わせてあげるよ。」
「結局自分でデブって言ってんじゃねーか。」
「……言っていないよ。」
「言ってたわ! なぁ家入!」
私は面倒くさそうに頷く。
「まぁ……言ってたけど。」
夏油は一度咳払いをして、五条を真っ直ぐ見据える。
「……それより、そんなこと気にしていていいのかい? 負けた時の言い訳を、ちゃんと考えておきなよ、悟。」
五条は額の青筋をピクピクさせながら、立ち上がる。
「やってやるよ……クソデブ!!」
夜蛾は心の中で呟いた。
(……これは、大変なクラスを受け持ったな……)
そして二人は、教室を飛び出しグラウンドへ向かった。
この後、五条がボコボコにされ、夜蛾の胃に穴が空くとは、この時点では誰も――本人たちすら――知らなかった。
――そして今。
グラウンドの中央で、五条がようやく立ち上がる。
「はぁ……はぁ……お前、なんでそんなに強いんだよ……!」
夏油は新しいおにぎりを頬張りながら、優しく答える。
「呪霊が……おいしいから、かな?」
「は?」
「呪霊ってさ、味がするんだよ。みんなは知らないだろうけど……低級はなんか、ポテトチップスのような塩気。中級は唐揚げみたいなジューシーさ。特級になると、もう……極上の霜降り肉みたいに、舌の上とろけるんだ。」
五条、絶句。
「……お前、それマジで言ってんの?」
「大マジだよ。だから任務に行くたびに、つい……食べちゃう。食べたら食べたで、力が湧いてくる。呪力も体格も、どんどん増えていく。結果がこれさ。呪霊はいくら食っても糖尿病にはならないし。」
夏油は自分の腹をポンポンと叩く。
鈍い音が響く。
「だから……動けるデブなんだ。ガリガリの君には、わからないだろうけどね。」
五条は呆然としながらも、闘志を燃やす。
「じゃあ……もう一回だ! 今度こそぶっ飛ばしてやる!!」
「いいよ。でもその前に……ちょっと待ってね。」
夏油はポケットから、なぜか炊飯器を取り出す。
……マジでどこから出したんだよ、それ。
「炊きたてのご飯に、呪霊の佃煮をのせて……最高の〆だよ。」
五条、完全にドン引き。
「お前……マジでヤバいだろ……!」
「褒め言葉として受け取っておくよ、悟。」
私はベンチから立ち上がり、ため息をつく。
「もう……どっちも大概ね。」
夜蛾先生は、とうとう座り込んでしまった。
「胃薬……誰か胃薬を……」
こうして、高専1年目の春は、
最強の六眼少年と、
呪霊を食べて太り続けた暴食の呪霊操術師の、
アオハルで、ちょっとおかしい戦いが、
まだまだ始まったばかりだった。
呪霊がおいしいからふとっちゃった