自分が競走馬になってさらには牝馬となってしまい最愛の息子を失った二度の衝撃を受けてから早一年、今は第二の母であるポイントフラッグ母さんからも親離れもして、自分の部屋を用意してもらって一人暮らしをすることとなった。まあ食事や掃除とかは人間の厩務員がいるので、一人暮らしというより使用人付きの一人部屋という見た感じである。
一年も経てば馬生にもなれてくるもので、初めは忌避していた藁もっしゃもっしゃと口の中で頬張る。人間だった頃であれば絶対に口にしなかった代物であるがいざ食べてみると案外美味いものである。
人間で言うところの主食、白米やパンという感じで、付け合わせの主菜と一緒に食べればご機嫌な食事となる。
主菜のメインは野菜や果物、とうもろこしやにんじん、りんご、バナナといったものが出されるので全ていただく。残して仕舞えば生産農家に申し訳がないからね。
だけど野菜や果物の中でも食べられないやつもいくつかあることを初めて知った。キャベツやキャベツ、チョコレートなんかが駄目らしい。前世で好きだったものも含まれるので少し落ち込んでしまったが。
「よしよし、お前は好き嫌いもしないし何より綺麗好きだからな。手がかからなくて本当に助かってるよ」
私をお世話してくれる厩務員のおじさんは鼻先を撫でてくれた。きちんとトイレは一箇所でするし自分のできることはできるだけしているからな。他の馬の世話と比べたら格段に楽であろう。ほらもっと褒めても良いぞ。
そんなこんなでこの牧場で暮らしているが私の名前は未だにない。というのも競走馬の名前登録は2歳ごろからつけられるのでそれまでは母の名前に生まれた誕生年で呼ばれているので『ポイントフラッグの2008』と呼ばれている。
ゴールドシップは確か2012年のクラシック世代なのでつまり逆算するとゴルシの幼名はポイントフラッグの2009、私はゴルシの姉ということになる。
走らずに繁殖入りはないと思うので種牡馬として大成することが確定している父ステイゴールドの名声を高められるよう頑張らないといけない。
まぁ、まだ名付けまで期間があるので厩務員のおっちゃんや牧場主夫妻、他の牧場スタッフからは未だに幼いころからのあだ名……幼名で呼ばれていた。
『エクレア』、私が名付けられた幼名はなんとエクレアである。顔の真ん中に太く白い流星が走っており、黒い毛色も相まってと生クリームが入ったエクレアのように見えるらしく、いつの間にかそう呼ばれるようになってしまっていた。……まぁ変な名前じゃなくてよかったと思うべきか。
そんな私ことエクレアであるが、気象の荒い母ポイントフラッグと気性難筆頭のステイゴールドから生まれたにしてはあまりにも大人しすぎて「本当にステイゴールドの子供か?」と首を傾げられた。
それに加え、大柄だったポイントフラッグ母さんから賢く中くらいの体型の馬が生まれたと、馬産関係者各位に喜ばれた。
……なんだか不思議がられているのか喜ばれてるのかわかんなくなってきたが中に元人間がはいってるんだ。言葉ぐらいは理解できるし新聞だってあれば読みたい。走り回るのは楽しいがいかんせん娯楽が足りん。厩務員のおっちゃんとか持ってきてくれないかな。
「ははっどうした?エクレア。おまえさんの弟が生まれたからってソワソワしてるのか?」
あー!そうか!一年経ったからゴルシが生まれてるのか。どうしよう見に行くか?いや、放牧地を脱走するには……。ま、いいか!1回ぐらいなら脱柵しても怒られんだろ。
それから数日後、放牧地に出された私は隙を見計らって放牧場を仕切っていた柵を助走をつけて飛び越してポイントフラッグ母さんと子ゴルシがいる放牧場に移動した。
『やっほー母さん会いに来たよ』
私が会いに行くとポイントフラッグ母さんは驚いたような顔をしたが弟を見に来たというと背後にいた子ゴルシがひょっこりと顔を出した。あの芦毛はどこへやら、栗毛、顔には太く白い流星がある可愛らしいとねっこがいた。
『お姉さん誰?』
『君のお姉さんだよ。姉御って読んでいいよ』
『わかった!姉ちゃん。一緒にはしろ!』
おっと、まだ気性があらくなっていない頃の貴重なゴールドシップだ。何が子ゴルシの気性難を加速させたのかはわからないが素直なゴルシもかわいいものである。
しばらく母と私と子ゴルシ、三頭と一緒に走り回っていると血相を変えた厩務員のおじさんがやってきた。その後ろには他の牧場スタッフ……やべ牧場主の親父さんまで勢揃いしている。
『ごめん!人間に見つかった!また遊びにくる!』
『姉ちゃんまた遊んでねー』
慌てて子ゴルシとポイントフラッグ母さんと別れて元いた放牧場へと柵を飛び越えて戻る。これで一安心……かと思ったら牧場主の親父と厩務員のおじさんが近づいてきた。随分と息を切らしていた。
「え、エクレア……随分と探したんだぞ……。隣にいるならいると行ってくれ。こんなことを繰り返されたら儂の心臓がもたん」
馬だから喋れるわけないだろうと思いつつも無断で出ていったことは反省している。今度からはちゃんと許可を取ってから行くようにしよう。
「まぁまぁ……大河さんそれぐらいにして……にしても1歳の幼駒なのにかなりの高さがある柵を軽々と超えていったとなれば随分とエクレアはものすごいバネを持っているんじゃないでしょうかね」
そういうと牧場主の親父さんは私の頭を撫でる。良いぞ良いぞ。
「多分だが、エクレアは大河さんの言葉を理解しているんじゃないですかね。エクレアの前で弟が生まれたとか話した言葉を聞いていたんじゃないですか?」
「いや……それは……、や、あり得る話ですな」
おじさんが思い浮かべているのは多分、引綱なしでも厩務員のおっちゃんの後ついていくし、放牧でも運動不足にならない程度に走ってコンディションを整えているしボロ……トイレはしっかりと決まった場所でしかしない。
「妙に人懐こいですし、どの馬にもない人間味があります。それにステイゴールド産駒かと思うほどおとなしいです。中に人間が入ってるみたいですしね……冗談ですよ冗談」
一瞬ヒヤリとした。おどろかせないでほしい。