ヤンデレ幼妻(雪女)と超方向音痴の考古学 作:葱ラーメン大盛A定食セット(旧竜騎兵)
詰まってない鼻で感じるコーヒーの香りはなんて芳醇なんだ。私は改めて本調子になった自分の身体と献身的に看病してくれたアメリカの女神、マイと冷心に心からの感謝をした。
やっぱり看病中も私が寝込んでる横で目線で火花を散らしていた光景を思い出すと後者2人への感謝は半減した。
「と、私が寝込むことになった原因はこんな感じだな。暫く会えなくてすまなかった、シエル」
「ま、シエルちゃん気にしてないですけどね~。でもでも面白いネタの提供ありがとうございます! いやぁ~貴方の話は小説のネタにできそうなものばかりですね」
喫茶店のコーヒーを一口。サンドイッチを頬張る彼女を見る。ネット上のインフルエンサーにして小説家である彼女。シエルというのはペンネームだ。本名は別にある。いわゆる幼馴染という奴だ。具体的に言えば幼少期、迷子になっていた私を彼女が助けてくれた時からの縁だ。
怪異と人間とのハーフらしい。それが本当かどうかは知らないし興味も無い。彼女は大切な私の友にして共犯者だ。
「うむ。前回も助かった。女神の名を広く知らしめられたのは君のお陰と言える。私の論文を小説のネタとしてインフルエンサーである君が紹介してくれたお陰だ」
「良いんですよ~、シエルちゃんも良質なネタを提供してくれてるユウト君のお陰でネタ不足にはなってませんからね~。まぁでもアメリカの物凄い田舎から連絡来たときは新手の詐欺かなと思っちゃいましたけど」
妻は不思議な事にシエルと会う時は怒らない。いや、最初は怒ってはいたのだが何やら2人で私が知らない間にやり取りして公認の仲となった訳だ。……狂愛を向けくる彼女らしからぬ事だが、何があったか聞くと蛇が明らかに潜んでいるであろう藪に棒を突っ込むかのような事になりかねないので深くは触れてない。命は惜しいし『ナマコ』にはなりたくない。
「まぁ……今回の出来事のせいで妻同伴でフィールドワークすることになりそうなのが困ったところだな。あまり危険な場所に彼女を連れて行きたくないのだが」
「普通、現代の考古学のフィールドワークで危険になることは無いんですよユウトさん。危険なことになるのは貴方が異次元の方向音痴だからじゃないですかね~? この待ち合わせ場所に来るのにどんだけ時間かかったんですか」
「心外だな。私は常に、シュリーマンがトロイアを見つけた時と同じくらいの情熱を持って、駅前の喫茶店に向かっているんだがね」
「いいんですよ、許します。ですけど次のフィールドワーク。久しぶりにシエルちゃん、一緒に行ってみたいなー、なんて。たまにはいいですよね?」
ノーと言えるだけの材料が無かったせいで私は家に帰った後に妻の説得に悪戦苦闘することになったのは記録されないであろう歴史だ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「紀要のページを無理やりこじ開けて欲しいと行方不明になっていた奴から言われて困惑したのがこの私だ。何か申し開きあるか? 九条裕翔准教授」
「仏の顔も三度までとは言いますがまたなんです」
「バーボンは要らんぞ。というかそのネタ懐かしいな」
はぁ、と盛大な溜息をついてる強面の男は私の上司にあたる人。つまり都内にある某私大の教授だ。山崎教授には本当に毎回助けて貰ってます……。
学会にもコネがあって緊急で論文を出したい際に彼の力をよく借りている。
まぁ横紙破りを何度かやらかしている分、私への学会のヘイトはとんでもないことになっているかもしれない。暗殺前の独裁者の気分を日本において味わえるのは稀有な経験だろう。
「毎度の事ながら君の体質は一体どうなっているのだね。君と最初にフィールドワークに行ったときだってそうだ。廃村に残された資料を集めにいったはずなのに君は何時の間にか私とはぐれて別行動をとっていたな。そしてふらっと戻ってきたら従来の学説をひっくり返しかねない資料を集めてくる」
「某神の手みたいなことはしてませんよ?」
「分かってるとも。君が見つけてきた資料は年代測定を行って検査しても本物であるという事が分かるからね。だからこそなおさら不可解だ。君の異次元方向に向かってるとしか思えない方向音痴。どのような原理なのだね。もし原理を科学的に解明出来たらノーベル賞受賞は間違いないから調べさせてくれ」
実を言えば思い当たる節がある。だがこれは科学的に説明できるものではない。幼少期の神秘的な出来事について説明しても到底彼が信じてくれるはずがないし、よしんば信じたとしても原理を解明することは不可能だからだ。
ついでに言えばあの時の記憶はできれば心の奥底にしまっておきたい。『彼女』との約束もあるからだ。
「実は私もよく分からなくて……」
「本当は思い当たる節があると言いたげな顔をしているがまぁいい。君の異次元の方向音痴の才能はまぁいいだろう。ギリギリ分からないでもない。だが君のなんだ……『怪異』や『女神』と出会ったという話は到底信じることができんな。現代日本だぞ? 漫画の中の話では無いかね。学会で絶対にその事は口に出すなよ」
「はい」
まぁ普通に考えて現地で妖怪や神と出会ったという話をしても頭のおかしい狂人の戯言だと流されるだろう。山崎教授もまだ話せるほうだが、私の話については実に懐疑的だ。
なので新知見が盛り込まれた論文という結果だけを出せばいい。結局私は学者であり知見は論文という形で発表せねば価値を証明することができないからだ。
「事後承諾で数か月間の海外でのフィールドワークを行わせていたと書類上は処理するが、お咎めなしでは示しがつかない。遺物整理室の掃除が終わるまで研究室に戻ってくるな」
「温情に感謝します……」
遺物整理室。別名土器の墓場。その場所に私は足を踏み入れることになった。埃が鼻腔を撫でてくしゃみが出そうになる。マスクを装着。これでヨシ。
価値が低そうな土器や1つずつ丁寧に梱包されて段ボールの中に納められ、古民家を持つ人が手放した古文書がファイルに挟まれて本棚に保管されている。発掘された当初は学者たちが新しい発見に繋がると喜んだことだろうが彼らが日の目を浴びることは今のところはない。
悲しいかな。新発見に繋がる遺物が見つかることは稀だ。だがだからと言ってそのまま捨てるわけにはいかない。何故ならば今は新発見に繋がらなくともまた別の何かが発掘された際にそれと組み合わせる事で新発見に繋がる事もあるからだ。
「遺物の墓場みたいな場所ですネー。こんな場所で仕事するよりもあたしとイイコトしませんか? 挟みますよ?」
「大学のセキュリティについて学長と今度話した方がいいかもしれないな。なぜ君がここにいる? マイ。そして何を挟むつもりなんだね」
「そりゃあナニですヨー?」
今日はトレンチコートを羽織り、年季を感じさせる木造の壁にもたれて腕組みしているアメリカ先住民たちの女神を見る。トレンチコートの布地が虐待を受けていた。というか星条旗ビキニは今日は着てないんだな。流石の彼女もTPOを弁えているか。
「見ますか? トレンチコートの下。今日もばっちりデース」
前言撤回。この毒婦め。
「しかし、こんな所で働いてるんですネ~。マイダーリン。退屈じゃないんデスカー?」
「ん? いや、退屈という事はないぞ。資料整理、保存は軽視されがちであるが重要な仕事だ。例えば古文書を古民家などから発見するだろう? その古文書は保存状況が良いとは限らない。それを補修する作業は確かに地味なように見えるかもしれないが私は嫌いではないしな」
「ふぅん、変わってるんデスネ? てっきりこう、毎日色々な所を冒険して私のような存在を救ってるのカナーと思ったんでスケド」
「フィールドワークしかやらないで許されるのはインディージョーンズだけだ。……まぁ私の場合は知らんうちにどこかに転移してる事も多いんだが」
この特異体質のせいで両親には多大な迷惑をかけてしまった。幼少期にはこの体質がきっかけでいじめに発展し両親に学校に行くと言って学校の裏山で時間を潰した。その時に出会った彼女達は元気にしているだろうか。
学生の頃は実家の蔵から資料類を引っ張り出して現代語訳して読み、クラスの輪には入らないという変人だった。だがその時の経験のお陰で昔の遺物を発掘し、新しい発見を知見を得るという喜びを知ることができた。そして何より考古学者を目指したおかげで今の愛妻と出会えたのだから幼少期の辛い経験も今の私を作る重要な糧なのだ。
「辛くないんですカ? 何時の間にかどこかに飛んでるナンテ、不便でしょう? あたしが救う事もできるかもしれませんヨ?」
女神のような、いや実際彼女は女神なのだろうが優しい視線をこちらに向けて来る。ふむ、過去の私ならばこの言葉に乗っていたかもしれない。救いを求めていただろう。
だが、私はこの体質を受け入れて堂々と宣言しよう。
「――この特異体質さえも私の個性であり今の私を作り出したかけがいのないものであると。不幸ではない人間をどうやって女神は救うというのだね?」
「ふ、あはは……! そうデスネ。すいません、出過ぎた事を言っちゃったデース」
「それに、だ。この方向音痴のお陰で君と出会えた。どこに救いを求める必要がある?」
「……。本当にいつか刺されても知らないよ?」
おっと、マジトーンで言われてしまった。別に他意はないのだがな。
「その言葉を聞いたのは五回目だ。人外の存在は語彙が似通うのか学術的な検証をしてみるのもいいかもしれない」
「あたし以外に何人ぐらい誑かしたのか実に、実に気になりますネー」
心外だ。
「別に誑かしてるわけではない。私は妻一筋だからな。だがそうだな……印象に残る出会いをしてる者達を挙げるなら。中国でのプロジェクトに参加した時に遭難し、虎に襲われそうになった時にチーパオを付けた美女に助けて貰って……。インドでのプロジェクトの時は腕多めの大柄な人に助けて貰って……後は……」
「ストップストップ。どんだけで誑かしてるんデスカー。そりゃああの雪女さんも嫉妬に狂いそうになりますヨネー。むむぅ、ライバル多数デスカ。諦めませんヨ?」
諦めてくれ。切実に。……というよりずっと前から気になっていて聞くタイミングも無かったので聞けなかったが疑問がある。
女神は何故、普段は星条旗ビキニ姿なんだ? 伝統衣装という訳では間違いなくなさそうだが。
「そんな事より今更ながら疑問がある。伝承を聞き、資料群を集めているうちに気になったが、伝承に伝わる君の姿はそのような姿では無かったはずだろう?」
「ああ、コートの下の服装の事デスカー。実はデスネ~。たまたまネットを見る機会があったんデスケド、日本のhentai文化というものを見て衝撃を受けたデース。信徒を獲得するために現代に合わせようと思ってこの格好をするようにしまシタ」
つまり信仰を得るための生存戦略と。だが私が迷い込むまでは大分力が衰えていたようだし、成果は芳しくなかったらしい。
「成果出てないのにどうして今でも星条旗ビキニ付けてるんだ?」
「シンプルに今の喋り方もオシャレも気に入ってるからデース!」
多分露出狂の気があるのだろう。女神が露出狂とか世も末だな。
「それに~。男の人っておっきなお胸が大好きなんでショー? これもネットで調べて勉強した事デース」
そう言って後ろから抱き着く女神。女神が色仕掛けなんてするんじゃない、それにここをどこだと思ってるんだ神聖な学び舎の一角にある学者たちの聖域だぞ。
「アイアム既婚者ノー浮気」
「一発だけなら誤射かもしれませんヨー?」
「妻に申し訳が立たんだろう。ついでに私の108あるバッドエンドのうち1つが訪れる可能性が飛躍的に高まる。そして最後に、そうやって引っ付かれると整頓の邪魔だ。頼むから離れてくれ」
離れてくれと言ってるのに更に密着して来る女神。こいつ日本語が通じてるのか? それとも英語で話した方がいいのか?
「据え膳食わぬは男の恥っていう名言知ってるデスカー?」
「あの……その据え膳毒が盛られてるんスけど……いいんスか、これ」
私が『ナマコ』になる毒が盛られているのは間違いない。分類学上にはどのような神経毒に分類されるか分からんが。
結局、暫くは押し問答が続いて騒ぎを聞きつけた教授がやってきて二人ともこっぴどく叱られることになって、マイは摘まみだされて私は発掘機材が収められた倉庫の整理まで命じられることになった。
そして家に帰ったのは夜の23時。この日の夜は随分と冷え込むことになった。愛する妻への弁明が夜遅くまで続いたせいで床につくのが遅くなり、翌日遅刻しそうになったのは余白に記しておこう。
……なお、翌朝の朝食の席で、妻が『次のフィールドワークには、わたくしも同行しますわ。……ああ、シエル様もご一緒でしたわね?』と凍えそうになるほどの笑みを浮かべていたことについては、胃痛と頭痛のあまり記述を割愛せざるを得ない。
因みに主人公がこのような無法をして許されてるのは、政府が主人公のあまりにも特異すぎる方向音痴の能力に目を付けて、その能力が何かに悪用されないように首輪を付けて行動を監視するためだったりします。
組織に所属させておいたらその動きも掴みやすいですからね。山崎教授は知らない学長などの上層部だけしか知り得ない情報です。
またしても何も知らない考古学者(准教授)です。