「アクア先生!娘のマリナは治るんでしょうね?」
「ただの食べ過ぎです。薬を出しておきますから食前に飲んでください」
泣きべそをかく父親を諭し、白衣を纏う金髪の男は目の前にいる女の子の頭を撫でて柔和な笑顔を浮かべ安心させようとしている。カルテに必要なことを記載して後方にいる助手に必要なモノを持ってきてもらう。2人を帰し今日の診察を終わらせると彼女が飲み物を差し出してくれる
「ありがとう」
「夕飯どうしようか?」
「そうだな」
その問い掛けに思案する彼は少し悩みながらも頭の中でリクエストする献立を思い浮かべ、これからも同じような日々が続くことを願っていた
ー本日発売された『週刊芸能実話』によりますと、14年前に殺害されたB小町の『アイ』には当時4歳の双子の子供がいて、それを知り激昂したファンの暴挙でアイさんは殺害されたと週刊誌では報じていますー
スキャンダルを撮られた有馬かなを助ける為にアクアは、自身たちの出生を明かして彼女の記事を差し止めることに成功したが受けたダメージは大きかった。妹のルビーから侮蔑的な目で見られミヤコからも今回のことについて窘められてしまった。自宅にいても彼を空気のように扱っていた
「ちょっと監督のところに行ってくる」
誰も返事をしてくれない、玄関のドアを閉める音だけが無情に響いてしまう
「(これで良かったんだ…俺以外のみんなが幸せになれば)」
黒川あかねと破局後に情緒不安定な日々が続きギリギリの精神状態で生活していたがそろそろ限界が近い、破滅願望に近い闇がアクアの心を支配しかけたときだった
「えっ!」
惰性で歩いていたせいで横断歩道の信号が赤だったことを失念していた。そして自身の側面から居眠り運転中のトレーラーが突っ込んできた!
「(もうこれで終わりか)」
雨宮吾郎の時もそうだったが自分の死はあっけないものだと感じてしまい目を閉じてしまった。きっと悲惨な状況になるだろう。『若手タレント交通事故死』朝のニュースで雑に扱われそうなネタだろう
「あれ?」
「ようやく気付いたか愚か者」
しばらくして目を開けるとアクアは古びたアパートの中で窓から夕陽が差し込んでいた。目の前にはちゃぶ台があり銀髪の男が座布団の上に座っていた
「あんたは?」
「神様みたいなものだ!あんたは死んだんだよ星野アクアいや雨宮吾郎と言うべきかな」
前世の名前を言われ怪訝な表情になるが神を自称する男は淡々と言葉を続けていく
「事務所のアイドルを守る為に自分のスキャンダルを明かして身内から嫌われるって、正真正銘の馬鹿だよ!第2の人生をルナティックモードにするなんてドMの鑑だね」
「だけど…それしか」
「自己満足した結果がこれだろ?しかも死んじゃった」
口喧嘩は得意だか矢継ぎ早に飛んで来る罵詈雑言になす術なくアクアは黙って、顔を俯かせてしまった。それでも神の口は止まらずに捲し立ててくる
「だからテメェをもう一度転生させる!」
「それって、また」
「いや地球じゃない、二次創作でよくある剣と魔法のファンタジー世界だ!2回も日本で産まれることが出来たんだ!そんなラッキーは続かない」
まさか自分がそんな世界に送られてるなんて、そもそも自分が推しのアイドルの息子として産まれたことがフィクションそのものだ
「スキルはこっちで適当にやっておくから」
「はぁ」
「なんだよ!気の抜けた声なんて出しやがって、ポメラニアンにでも転生させてやろうか?」
流石に犬は嫌なので大きく首を横に振って否定した。男は書類にペンを走らせているが日本語ではなく解読が出来なかった
「お前は何でもかんでも背負い過ぎなんだ!痛くて辛い日々なんて嫌だろ‼」
「でも…有馬やみんなを」
「あ~もう!テメェは神様でも仏様でもないんだよ!ただの未成年のガキなんだ!ガキなら大人に頼れ‼そこから考えろ、身の回りの奴等は自分の足元に及ばないザコって認識してんのか?」
その言葉に怒りがこみ上げ拳を握り右ストレートを繰り出したがすり抜けてしまう
「あほ!格が違いすぎるんだド三流、それに顔を赤くするってことは周りの奴を認めているってことだろ?」
いつの間にか煙管を取り出して火を点けて煙を燻らせると、深く息を吐きながらアクアの目を真っ直ぐに見つめる
「自己犠牲の性格を見つめ直してこい、命を粗末にしなければ長生き出来る保証ぐらいしてやる」
「待ってくれ!まだ」
「待たねぇよクソ野郎!」
指を鳴らしアクアの周囲が暗転すると、吸い込まれるような感覚に陥ると意識がプツンと切れてしまい何も出来なかった
「自分自身の欲を貫いて生きやがれ、誰かの為ではなく己の心に身を任せてみな!」
消えてしまった彼を見送った神だが2つの致命的なミスを犯していたことに気付いてなかった。彼の魂ではなく肉体そのものを自分の領域に呼び込んでいたのだ!つまりあの世界に星野アクアの遺体は存在しない、そして所持をしていたスマホを現場に放置したままであることに、これが後々に厄介なことを引き起こすことになる
「アクアは?」
「監督のところだって」
眩い光が落ち着いたことを感じたアクアの目の前には広大な草原が地平線まで埋め尽くしていた。周囲を見渡すと自分以外に人は存在しなかったが、目を凝らして遠くの方を見ると某ドラゴンをクエストするゲームに出て来そうな水色の塊がウネウネと闊歩している
「本当に来たのか?」
てっきりあれは冗談の類だと思っていたが嘘ではなかった。頬を抓ってみると痛みがあり痕が赤く残っている。現実であることを理解したアクアは状況判断を済ませると今後のことについて検討を始めた
「(このまま野宿はまずい、モンスターや夜盗に襲われる可能性は十分にある)」
とりあえず安全に寝泊まり出来る拠点を探すことを決めた彼は道なりに歩き始めることにした。太陽の位置を見る限り日没まで時間があるが余裕は無い、転生した次の日にお陀仏なんてまっぴらごめんだ
「お~い!あんた歩きかい?」
しばらく歩き続けると後方から声を掛けられ、振り向くと馬に荷車を牽引させているご老人がアクアの方に近づいてきた。敵意はなさそうだが油断してはいけないと考え、逃げれるように踵の体重をかけていた
「(日本語が通じる)」
異世界特有の言語だったら完全にお手上げだったが言葉が通じることに安堵する
「ダノンに行くなら乗って行くか?」
「ダノン?」
聞きなれない単語にクエスチョンマークを作るが、街や村の名前だと察したアクアは話しを合わせ荷車に乗せてもらった。老人はベルーガと名乗る商人で買い付けからの帰り道だった
「アクア君も商人に」
「そんなところで…助かりました」
「なに、ワシも若い頃に助けてもらったことがあっての」
世間話をしながらアクアは怪しまれないように質問を口にしている。この世界では冒険や商売をするにはギルドに登録しないといけない。大きな都市では『冒険者』『商業』と家屋が分けられているが小さい街では同じ建屋で仕切りをしている程度である。登録料で2000ギルを支払い年間更新は1500ギルとなっている
「商人なら店を持ちたいが市場に行ってみるといい、夢見る者たちの活気に溢れておる」
「ベルーガさんも若い頃に」
「そんなところじゃよ」
2時間ほど揺られながら2人は街の門まで辿り着き、彼の積んでいた荷物を下ろす手伝いをしたアクアは感謝の言葉を述べて別れたのである。雨宮吾郎として突き落とされ星野アクアとして事故死したアクアの第3の人生はいったいどうなることやら?新たな頁にインクを垂らすのは今週の日曜日ぐらいにしよう
「魔法使い」を執筆している時の感想欄に「有馬ちゃんを助ける必要はあるのか?スキャンダルのペナルティ無いじゃん」というのがあって今作を考えました(有馬ちゃん以外に大ダメージを受ける人は沢山いますが)
こっちは週1本更新で「ヤンデレかなちゃん」が行き詰ったらこっちに浮気します