8月末、札幌。サマースプリントの第5戦。右回り1200メートル。一着バにスプリンターズステークスの優先権が与えられる一戦は晴天に恵まれた。
「この雰囲気、かぁ…久しぶり」
パドックでのお披露目でウマ娘たちが各々パフォーマンスと共に鍛え上げた身体を見せつける。中でも仄かに立ち上る気迫が共に駆け争う面々に緊張感を与えているのは、各々異なる一等星所属の2人。
それぞれ1番人気と2番人気だ。翻って自分はと言うと負傷明けにいきなりの重賞、しかもほぼ1年振りともあって14番人気。オープンでの順位は上げて来ていたが対外評価的には妥当といえば妥当の範囲だ。
「そっか、こういう気分、なるほどぅ…ん」
間延びした声で周りのウマ娘たちを見ながら、何度か頷く。大きく期待されずに綺羅星の中に放り込まれた気分に、耳が次第に後ろに引き縛っていく。かつては臆して傍観する様に駆けていた事を惜しいことをしたと思いながら、二度三度、地面をつま先で引っ掻く。
「キラキラしてるのをひっくり返す、うん、ちょっと分かってきたかな」
夏合宿の間、特に序盤でひたすら追いかけさせられた短髪赤毛の卒業生の気持ち。語られはしなかったが少し分かる気がした。
小柄芦毛の彼女にだけ見える景色。主戦場にしていたオープンと異なりどのウマ娘も直視には眩しい光を見せていて、色とりどりで壮観だ。
「だからと言って、もう眺めてるだけじゃ、嫌、なんだ…よねぇ」
大きく息を吸い込み、吐き出す。ゲート入りを促されて狭い半個室の中に脚を踏み入れる。次いで左右に鉄板越しにウマ耳が見える。薄く漏れ出る光は点滅しながらスタートに向けて輝きを高めて行く。うん、いいよ、凄く、綺麗。誰にも聞かれない位に小さな声で呟きながら前傾姿勢を作っていく。
前走の様な無様は晒せない。何せ今日は先輩方が生で見ている。油断すると半泣きになりそうな圧と言葉責めをしてくるくせに脚の事だけは誠心誠意の栗毛の先輩。そしてバッサリ髪を切って誰かと思った赤毛短髪になった勝負好きの先輩。苦手なところもあるが、こんな自分を手取り足取り導いてくれたのは間違いない。そんな2人が見ているんだ、精一杯を見せないでどうする。
金属が擦れ爆ぜる様な音を立てて視界が広がる。瞬間に脚に力を入れ地面を蹴る。開門の音に負けない轟音が響く。抜け出せたと思いきや僅か先に自分より内枠の一等星ウマ娘が燦々と光を振り撒きながら先頭を取る。
でもこれは予定通り、コーナーに入るところで背後にへばりつく。前評判通りの逃げウマ娘、道中は2人旅でお願いしたい、一方的なお願いだけど。
「えっぐ、でも先輩ほどじゃ」
流石の加速に巧みなコーナーワーク。こちらが抜く気配を見せられなくても牽制までしてくる。前を譲らない気迫はわたしの目には眩しい光に見える。
肺が痛む、直線に入っても全力疾走は止まらない。追う、追いかける、目の前に昏い帳が降りてくる。輝きだけを追いかける瞬間、空間。踏み締める脚の力が増す、倒れそうな前傾姿勢になる。
眩い光を墜とす、わたしだけの力。手が届く、以前よりも近く、間違いなく。
歯車の空耳が聞こえる、噛み合わない。でもいける、並ぶ、追い抜く、先頭に立つ。その瞬間、背後からとんでもない圧力がわたしの世界をかき消す。
「んなっ…」
羽ばたきの様な幻聴と共に、もう1人いた一等星のウマ娘が並び競る。残り僅かで届かない、抜かれた半歩が遠い。淡い翠の輝きが軌跡を描いて爆発的な光となって前に前にと進もうとしている。
ああ、これは、届かない、だとしても、それでも。歯を食いしばり脚を回す。カチリ、カチリと歯車が噛み合わせを探す空耳を聞きながらゴール板の前を駆け抜けた。
◇
「…やられたな」
到着点付近に陣取り見届けていた男は天を仰ぐ。当初の予定通り、いや、それ以上の走りで魅せてくれた小柄芦毛の3年生だったが、最後の最後で差し切られ無念の2着となった。
下馬評の高かった一等星の逃げウマ娘の真後ろに張り付き、相手の予想外の展開で精神と体力をすり減らして最後に抜き去る。これはハマった。
が、外から捲り上げてきたもう1人、警戒していたはずの1番人気に物の見事にしてやられた。
「使われた、と言った方がいいかも。多分だけど、ねぇ?」
男の、トレーナーの横に陣取る栗毛のウマ娘が更に隣の眼鏡青鹿毛へと視線を向ける。乱雑に区間時間を記していたバインダーによって予想より早いタイムが刻まれていた事が示される。
「はい、先輩が後ろに付いた事で許容範囲よりオーバーペース気味になっていた様に数字で出てます。最後に少しだけ垂れ気味に落ちて、そこで競り合うところまで読み切られた、そんな雰囲気でした」
飛び出し駆ける2人に対して好位追走で脚を溜め、理想に近い走りをされたと見解をみせる青鹿毛。眼鏡のツルを触りながら、自身の目でシミュレーションでもしているかのように語る。
「警戒はしていたが、予想以上の末脚か。あと半歩、と言ったところか」
多段ロケットの様に加速していく様は見ている分には爽快感が溢れるものだが、勝負させられてる方からすればたまったものじゃない、と走り終えてそれぞれ正反対の表情をしている2人の一等星ウマ娘を眺めながらトレーナーは感想めいた独り言を呟く。
「そう言ってやんなよ、ウチと走ってた時より随分制御できてそうだし、次はアリなんじゃない?」
重賞2着と、自身の過去最高の結果にも悔しげに震わせてる肩を、顔見知りか他のウマ娘に背を叩かれてようやく普段の間の抜けた笑顔を見せる後輩を見ながら、逆隣の短髪赤毛が同じようにトレーナーの肩を叩く。
「ああ、ぶっ倒れなかっただけでも進歩、だな」
その心配があったからお前らを用意したんだが、と言葉を続けた瞬間に左右同時に尻尾で背を打たれ悶絶するトレーナー。
その姿にようやく我に返った1年生たちが口々に感想を述べて拳を握りしめる。先輩ウマ娘の重賞での真剣勝負を生で見る、ただそれだけで大きな刺激と経験になったようで競技前とは目の色が違う。自分たちが当面目指すべき舞台が身をもって示されたのだから当然と言えた。
「ライブ前に少し見てきます…トレーナーはどうします?」
栗毛のウマ娘が立ち上がり、釣られるようにトレーナーの逆隣に座っていた赤毛短髪も腰を上げ、僅かに支えるように左隣に入る。2着となればウイニングライブでは準センターだ。
幾らか機会が増えたとはいえ常多いバックダンサーに比べれば飛んだり跳ねたりとレース後の脚にもうひと踏ん張りしてもらわなければならない。
「俺はコイツらと一緒に向かうとするさ…褒めてやれよ?」
トレーナーは終始無言だった黒鹿毛サイドテールと、バインダーと睨めっこになっている眼鏡青鹿毛の2年生に声を掛けながら同じく席を立ち、そのまま会場に向かう事を告げる。
「ん?顔見せてやらないんだ?…まぁ、ウチはもコイツもコワイ先輩で通ってるからなぁ…褒められて具合崩さないかね?あ、それにコイツの場合は悪役だし?」
「ちょっ、いきなり髪切って威圧感出してる貴女には言われたくないわね?…ちゃんと褒める時は褒めますよ、ホント無茶な走り方しか出来ない娘なんだから…」
意外そうな顔の後、カラカラと笑いながら赤毛短髪が同期に軽口を叩く。普段から厳し目に圧をかけ続けている2人だが、その実、手のかかる妹分に対しての思い入れは他人方ならないほどに抱いていた。
たまには正直にな、とトレーナーが追い討てば、どの口が言いますかといった目を向けた後、卒業生2人は並んで関係者口へと消えていく。
「次はお前たちの番、だな。」
左右に付いた2年生の背中を軽く押し、他の観客に紛れて隣接のライブ会場へと向かう。頷き前を見据える眼鏡青鹿毛に対して、レース直後から無言で俯き気味のサイドテール黒鹿毛。トレーナーの言葉にも僅かにウマ耳が揺れただけで垂れたまま、返事もろくにしない。
「9月はお前の走りで魅せてくれ。」
ぽん、とヘタレたウマ耳の間を1度だけ叩く。その事と言葉にピンっと尻尾が跳ねて、拠れた耳が起き上がる。
背後の1年生からの少し冷ややかな目と、隣の眼鏡の奥からの無言の抗議を感じ、多難な秋となることを覚悟するトレーナーだった。