東京から新幹線でおよそ2時間半足らず。日本海側とはいえ、まだまだ残暑の厳しい時期。雲一つないとは言えないまでも見事な晴天。この青空の下でウマ娘たちは自らの脚でもって運命の審判を受ける。
「今日は、そうだな折角だしGⅢレースまで見て帰るか」
レース場へと向かうタクシーの中、助手席で専門の新聞を片手に1日のスケジュールを確認するトレーナー。
後部座席には相変わらず浮かない顔のサイドテールの黒鹿毛とそれを心配気にチラ見しているシルバーフレームの眼鏡をかけた青鹿毛のウマ娘。
そして緊張のあまり耳がピコピコと四方八方に動いているのは、今日の第二レースに出走予定のセミロング青鹿毛の1年生だ。4回目の未勝利戦、今までのパッとしない着順を乗り越える為、夏合宿では人一倍励んだつもりだ。それでも、またダメかもしれない、そんな思いが鎌首を擡げたか表情も晴れない。
「勝った姿を想像するんだ。負けたくない、でもまぁいいんだが、勝ちたい、勝つぞ、と願う気持ちが最後の力になるからな?」
レース場の関係者駐車場へと着いた車内で料金を払いながらトレーナーが言う。それは緊張でガチガチの1年だけへの言葉ではない。浮かぬ表情の2年にも向けられていた。
普遍的な精神論ではあるが、彼女たちは練習を重ねたトップアスリートの端くれでもある。気持ちが最後を分けた、そんな後悔だけはレースで感じて欲しくないというのもトレーナーの本音である。
「さて、と。2年は先にスタンドで第1レースから見ておけ。特に走る前から、な」
◇
右手と右脚が同時に動いている後輩を連れて関係者口へと向かうトレーナーを見送る。
おはようの挨拶以来だんまりだったサイドテールの同級生がようやく口を開く。
「こうやってレース観るの、久しぶりだよね」
「そう言えば…そうね、始めは別々に来てたのに、一緒に見るようになって…最近は?」
「全然、他人のレースなんて、見てる余裕ないよ」
2人でゆっくり歩きながら言葉を交わし学生証を改札で見せ、スタンドへ向かう。
人はまだ疎ら、未勝利戦と新バ戦が中心の時間帯は余程コアなファンか関係者だけが見守るだけで、混み合い出すのは午後になってからだろう。
「パドックも見てから、行こっか」
半年ぶり位だろうか、肩を並べて出走予定のウマ娘たちがレース前にお披露目するエリアへと向かう。
各々が鍛えた身体を誇示して周りからはトレーナーやチームメイト、あるいは未勝利からでも注目していたいファンからの温かい声援が飛ぶ。その一方で誰からの声もなく、暗い表情でチラリと周回した後は引っ込む娘も居たりする。
「あの娘、大丈夫かな、震えてたよ?」
「ん…トレーナーも来てない、みたいね」
レースに出るにはトレーナーとの契約が必要だ。独りのウマ娘だけを育てるのを好むトレーナーも居れば、自分たちの所のように毎年1人2人ではあるが必ずスカウトして育てる事を良しとするトレーナーもいる。
と、同時にレースに出たいウマ娘たちの声に押されて名義だけを貸すトレーナーもまた存在した。
そのようなトレーナーたちは未勝利戦に帯同することはまず無いし、何なら重賞だとしても姿を見せることは少ない。
勿論学園としては名義貸しなど認め難い事だが、咎めるには生徒数に対してのチームの、そしてトレーナーの絶対数が足りないという根源的な問題に触れざるを得ない為に黙認状態が続いているのが現実だった。生徒たちがレースに出る権利を守るために、学園は『空っぽの契約』に目を瞑るしかなかったのだ。
「ちょっと、高いとこ行こっか」
幾人かのウマ娘の纏う不穏な空気に、見たくないものを見せられたといった様にサイドテールの黒鹿毛はまだ続くお披露目もそこそこにスタンドへと同級生を誘う。
普段チームの応援の際はゴール前の前列寄りに陣取るがただ見るだけなら全体が見える席の方がいい、そんな事を言いながら、疎なスタンドの中段に落ち着く。
「自分たちの時は、気が付かなかった…」
「そう、ね…でもあなたも毎回あんな顔してた気もするけど?」
特にトレーナーさんが傍に付いてない時は、と少し毒を持たせて軽く返す。うっ、と言葉に詰まるサイドテール。
はっきり言えば今の顔だって同じような表情だ。独り勝手に追い詰められて周りが何も見えてない。
「あ、と…は、始まるよ?」
話題を逸らす様にゲートの開く音に視線をターフへと向け直す黒鹿毛に、はいはい、とメガネを直し、事前に入力を終えていたスマホのデータと目の前のレースを交互に見る。
短距離の未勝利戦、僅かの時間で決するその勝負は取り立てた見所もなく、逃げウマ娘がお手本の様に逃げ切って終わった。パドックで気になった娘は15着。事前の様子からすればさもありなんと言ったところだが、どうやらそれが気になるらしい。
「あんなのじゃ、勝てるものだって勝てないよ…んん…」
他人の事に構う余裕も無いくせに走り終えて去っていく背中から目を逸らせないでいる。その優しさ?があるなら、宿で3人部屋と同室になった後輩をもう少し気遣ってやれなかったのだろうか。ウチの後輩がガチガチなのは多分にあなたのせいも含まれるよ?
「そうね…それじゃ、大事な後輩がそんな顔してないか、見に行きますか」
立ち上がりゆっくりとスタンドを降りていく。慌ててサイドテールを揺らしながら同級生が傍に付く。その後はたわいも無い話をしながら再びパドックへ、第2レース出走のウマ娘達を眺める。少し隅の方にトレーナーさんと言葉を交わしているセミロングの青鹿毛、随分と表情はマシになっているみたいだ。
「今日は?」
「勝つ」
「走って?」
「勝つ」
「追い抜いて?」
「勝つ」
「抜き返して?」
「勝つ」
トレーナーの問いかけに、全て『勝つ』の言葉だけで何度もループしながら続けている青鹿毛の1年生。ある種異様な光景に、声をかけていいものかと戸惑いながら、並んでトレーナーさんへと近づき、そっと二の腕を叩いて来たことを伝える。
「ああ、第1レースはどうだった?」
言葉を止めて振り返り、2人のウマ娘を迎えるトレーナー。柵の向こう側では変わらず『勝つ、勝つ』と繰り返しながら屈伸や腱を伸ばす動きを始める1年生。
レース場に向かう途中の表情は引っ込み、前だけを見据える目をしている。ただ、それは洗脳とかなんかそういうヤバいやつじゃないのか、ジトっとした目でトレーナーさんを見上げる。
「おまじないだよ、おまじない。お前らもやってみるか?」
流石に、と辞退を申し出るが隣の同級生はブツブツ言い出してる。藁にも縋るってやつかな、でも結局こういうやり方もあるって教えてるトレーナーさんはやっぱ贔屓してるよね。
「勝つ、勝つ、うん、確かに気分アガるかも、勝つ、勝つ…」
いや、そんな単純にこの世の終わりみたいな雰囲気纏ってたのを消すのは止めて頂けたいんだけど。
この娘ほんとに依存しかけてるよね…よくないなぁ。他人のことはよく分かる、とは言っても、自分自身、トレーナーさんに頼ってるのをわたしはまだ、自覚してるよ?
「それじゃ、スタンド行きましょうか…ゴール前で待ってるからね?」
まだブツブツ言いながらの隣を押して、同じように呪詛の如く口の中で繰り返してる1年生に手を振ると、周りから分からないように尻尾でトレーナーさんの尻を軽く打つ。
別方向に掛からせてどうするのか、どうせまた力業で話強引に押し流すつもりなんでしょうに。顔を向けてきたトレーナーさんに思い切り冷たい視線を浴びせながら、その場を揃って離れ、スタンドの前列に3人で陣取る。
そこには同じようにトレーナーと思しき人物がお互いに多少の距離を取りながら前に詰めていた。数は10人は居ないだろうか、流石に出走以外のウマ娘を連れているのはわたし達を除けばあと1組くらいだ。ゆっくりとゲート入りが終わり、場の空気が張り詰める。乾いた音ともにゲートが開き、地面を踏み締める音が鳴り響く。我らが1年生は中団前め、先行策の構えを見せる。
「実質半分、なんだね…。」
口の中でモゴモゴ言うのを止めたサイドテールがビジョンに映る縦長の隊列を見て呟く。勝負になってない娘たちが距離が伸びる程後方に追いやられていく。表情は見えないがそれでも必死で脚を回して前へ前へと進んでいる。
「そうでもない、まだ目はある、そうだろ?」
腕組みをしながらレースを見ているトレーナーが、逆隣のメガネウマ娘へと声を掛ける。ストップウオッチとスマホで両手を埋めたその娘ははい、と返事した後また暫しの無言になり、そして答える。
「平均的なメイクデビューや未勝利戦に比べてハイペースです。最後までこのペースは考えにくいかと。押し切れるのか垂れるのか、データが不足してるので予測までは出来ないですけど」
「その通り、最後にもつれる可能性がまだ残っている、が、『今回は』そうはならない」
ほぼ満点の分析ウマ娘の回答に満足気に頷いた後、確信を込めてコーナーを回り直線に入ってきた先頭集団へとトレーナーは目を向け、言い切る。
「もう1段ペースは上げるまではまだ早い、か。ほら、後輩の晴れ舞台だ、よく見てやれ」
ビジョンに映る後輩はピッタリと先頭の背後に付いて逃がさない。流れるようにセミロングの黒髪が揺れ、口元は何か小さく動き続けている。え、動き続け?
「ちょ、なに、あれ、怖い」
気付いたサイドテールが肩を震わせる。まだあの娘『勝つ、勝つ』言ってる?それは怖い。ペースを上げても振り払えず、真後ろで呪いの様な囁き戦術なんて怖すぎる。
ウマ娘の耳は人の数倍優れる。駆けていても十二分に聞き取れてしまうだろう。やがて一瞬先頭が緩み沈んだ瞬間に、青鹿毛セミロングの後輩は半歩外に踏み出しそのまま抜き去りゴール板の向こう側を締める。
「これって作戦勝ち?」
2年2人が顔を見合わせ、それからトレーナーへと視線を向ける。立ち上がり走り終えたウマ娘達へと拍手を送っていたトレーナーは首を左右に振る。
「実力だ。前走の結果で自信が持てなかっただけだ。速度もスタミナも身体能力的には十分オープン戦までなら競れる力をつけているぞ?」
最後は執念がモノを言う世界だし、お前らも追われる側だぞ、と授けたイレギュラーはカウント外とでも言いたげに涼しい顔をしている。
いや、でもあれは嫌だ。嫌がらせでしか無い。そんなこんなを言いながら、ウイナーズサークルに向かい、1年生を出迎える。
「と、トレーナー、わたし、わたし」
顔を見た途端、子鹿のように震えて勝者の余裕などなく縋り付くようにこちらに寄ってくる1年。
ようやく迎えた一勝、やっと同級生たちと肩を並べる資格を得たとひたすらに言葉を連ねてくる。トレーナーを含め3人全員で手を握り、頭を撫でて祝福する。
この後はウイニングライブ、殆ど練習なんてしてなかったけど大丈夫かな。大丈夫だよね、きっと。
目の端に涙を浮かべた笑顔の1年生を送り出し、自分たちも観る為に併設のライブハウスに向かう。
結果から言ってしまうと、後輩のウイニングライブは…大丈夫じゃ、なかった。