星屑の円環 −モブトレとモブウマ娘の話−   作:華月響音

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2章8話 玄月の現世

 

「あぁう、滑ってしまいました…」

 

ライブを終え、汗を流して制服姿に戻った青鹿毛セミロングのウマ娘が絆創膏を貼られた額を撫で回している。

盛大にやらかしてしまった、初めてのセンターで思い切り転んでしまったのだ。これってウマ娘チャンネルで流されてしまったりするよね。きっと見ている両親に申し訳無さすぎる。

 

そう思ってライブ終わりにシャワーを浴びて着替えてスタンドに戻る。そこでようやく、一連の流れの中で1度も見てなかったスマホを確認する。

 

そこにはチームの同級生が初めに、それから今日は見に来てない3年の先輩も、続いてクラスメイトからもちらほら。そして最後にライブまで終わってからメールしたのか両親からのメッセージが届いていた。

 

「わたし、やっと…」

 

「ここから、だぞ?お前の夢、のな?」

 

メッセージに目を潤ませているとトレーナーさんが声を掛けてくる。うん、うん、と頷きながら文字を打ち込み返信している最中、スタンプだけのメッセージが届く。

合宿でご一緒した赤毛の大先輩からだ。柔軟と基礎練ばっかりしてたわたし達のこと、気にしてくれてたんだと嬉しくなる。

 

ピコピコと耳を動かしゆらゆら尻尾を揺らし返信をすること暫し、ふと顔を上げると、自分たちの周りに人が増え始めていたことに気づく。

 

他のトレーナーは殆ど居なくなっていて、自分の両親と同じくらいの、少し年配の夫婦連れが目立つ。いわゆるウマ娘ファンとは客層が異なっている。不思議に思いトレーナーさんを見上げると、どこか申し訳なさそうな顔をしていた。

 

「折角勝ったところなのにな。不甲斐ない先輩の巻き添えに付き合わせて悪いな。ま、ちょっと早い社会勉強とでも思ってくれ」

 

ポンと頭に手を載せて謝る言葉の後でトレーナーさんの表情が変わる。険しい、練習の時に見せる顔。胸を張り、パンパンと二度と手を叩く。時間になった時にする仕草だ。その音に弾かれた様に2年生2人が振り向き、慌てて寄ってくる。

 

「どうしたの、トレーナー?」

 

「なにかありました?」

 

それまで談笑していたサイドテール黒鹿毛とメガネ青鹿毛の先輩たちは、各々何事かと問うてくる。サイドテールの先輩の表情は随分と明るい。気分転換になったのだろうか。もしも万が一、自分のレースを見ての事だったら、とても嬉しいのだけれど。

 

そんな先輩達を前にトレーナーさんは厳しい顔をしたまま、そしてあまり聞かない冷たい声で話し始める。

 

「次の第4レース、しっかり見ろ」

 

2人に言っている様で目は真っ直ぐとサイドテールの先輩に向かっている。

トレーナーさんからの冷ための目線に晒されてウマ耳が垂れ、またしょんぼりとした様子に、対して隣のメガネ先輩は何となく不服そうな尻尾の揺れを見せている。

 

「見る、けど…?」

 

足りない言葉に真意が分からず問い返すしょんぼり気味のサイドテールの先輩。それに敢えて言葉を返さずに背を向けてどっしりと座り、ゲート前に姿を見せ始めたレースの走者たちへと視線を向けるトレーナー。

 

 

 

 

第1、第2レースとは異なりゲートに入っていくウマ娘たちはヒリつくような緊張感と共にどこか落ち着ききった雰囲気を見せている。普段より早く場内が静寂に包まれ、金属音と共にゲートが開き、踏み出しの轟音がスタートを告げる。

 

始まりと同時に手元のスマートフォンで確認しようとしたメガネの青鹿毛ウマ娘をトレーナーが制し、目だけで見るように改めて指示を入れる。サイドテールの方は何か感じたのか、ピクッと耳を揺らしていた。

 

「出遅れは無し…というか…これ、保つの?」

 

序盤から動く展開に、メガネウマ娘はデータを見れないことに少し苛立ちながら、言いつけを守り目と耳と、自らの肌感覚だけでレースの中に意識を沈める。一方でサイドテールの黒鹿毛は落ち着かない様子でレースを見つめる。

 

視界に映るのは2200メートルの未勝利戦にしては随分と一気に加速して後続を引き離していく2人のウマ娘。

最初の長い直線でスピードに乗り切り、コーナーにさしかかり減速が入っても8バ身は離れただろうか。

 

いわゆる『大逃げ』だ。2人は競り合い煽り合うように後先のないペースで先を走り続ける。

 

「笑って…?」

 

カーブを抜けた先の直線で後続もペースを上げ始め、全体が押し上げられ詰まり始める。

その中から1人2人とバ群から前に抜けて未だ逃げ続ける先頭を射程圏内に捉え始める。駆けるウマ娘たちの表情は皆当然必死だ。だが、一様に口角が上がり、笑みを浮かべているようにも見える。

 

「どうして、こんなに…?」

 

即興の分析と予測に意識を向けて無言になったメガネウマ娘に代わって目を見開いたままのサイドテールが呟く。どうして、こんなに、楽しそう、なのか。優劣をつける。1着以外に価値のないもの。それがレースだと言うのに。

 

「このレース、どういうレースか知ってるか?」

 

トレーナーが先程よりは硬さのない声で尋ねる。それに対して、未勝利戦じゃないの?、とレースを見つめたまま、首を傾げる。

 

走りは中盤を過ぎ、大逃げを打った2人は垂れ始め、代わりに好位追走の先行組が最終コーナーを抜けて前に出てくる。

競り合いの中から半バ身抜けてくるのはショートカットの栗毛、これは決まりかな、そう思い視線を切ろうとした瞬間、トレーナーから再び声が飛ぶ。

 

「しっかり見ろ、見届けてやるんだ、目に焼き付けろ」

 

言われた言葉に混乱する。2年の、未勝利戦、てそんなのこんな時期にまであったのか。自分が勝ち抜けた後は、意図的に避けて見なかったレース。

時期が遅くなればなるほど、誰もが死にものぐるいで、始まる前から暗くて重たくて。そんなレースは、見たくもなければ走りたくもなかった。だから必死に這い上がった。

だけど、目の前で駆けていくウマ娘たちの表情はどうして、こんなに、眩しいんだろう。まだ、いつまでも、どこまでも走っていたい、そんな顔をしているのだろうか。

 

「なんか、来るっ」

 

「差しが、来ますっ」

 

無言で見ていたはずのメガネウマ娘と青鹿毛セミロングが声を揃えて大声を出す。

ゾクリと背中に痺れが走る。視線を先頭から僅か後ろへとずらすと垂れた逃げウマ娘の間を抜けて、溜めに溜めた脚を解放した三つ編みひとつに結った黒髪が突き進んでくるのが見えた。

最後の直線も残りはほんの少し。追い捉えようとする三つ編みが、先頭の栗毛ショートカットの背中にまで届こうとした時、それがゴールを駆け抜けた瞬間だった。

 

縺れた2人に遅れて、終盤までで1着の栗毛と競った娘が、続いてレース中盤まで逃げ切っていた大逃げウマ娘が、更に走りきった残りの面々もゴールを通過していく。

 

電光掲示板には見届けた通りの番号が順に点されている。白熱した勝負だったがタイムは平凡。

そんな1着の栗毛がスローダウンを終えると、自分の後にゴールを抜けるウマ娘たちに身体ごと、くるりと振り向く。そして深々と腰を折る様に頭を下げる。

 

「え、なんで?どういうこと?」

 

スタンドからレースを見終えた3人のウマ娘は三者三様に戸惑い、それでも頭を垂れた勝利者から目を離せない。

やがてそのウマ娘が顔をあげると、共に未勝利戦を駆け抜けた10人の敗者と順番に、肩を叩かれたり、握手をしたり、或いは言葉だけを交わしている。

最後に2着の三つ編みの娘が声をかけて、栗毛が顔を上げる。遠目から見ても分かるくらいに肩が震えている。人目も憚らず涙を流す2人のウマ娘はその場で抱擁を交わし、互いに耳元で何かを囁き合い、そして頷き合う。

 

「こんな、のって…」

 

その情景を見ている3人のウマ娘は絶句したままだ。気がつけば周りの年配の夫婦連れの多くも、ハンカチで目元を覆っている。よくやった、とか、怪我なく終えれてよかった、などと勝ち負けとは別の慰労の言葉が嗚咽と共に漏れ聞こえる。

2年9月始めの未勝利戦。それは中央に残る者とそうでない者の最後の線引き。勝者1人を除き、地方の門を叩くか、あるいは一般の学生に戻るのか、どちらにせよ1週間後に彼女たちは中央トレセンから姿を消す。

だが、それを当事者以外の立場で見るトレーナーやウマ娘は皆無に等しい。厳しい現実など、頭で理解していればわざわざ目の当たりにしたい物好きなどは居ないからだ。

 

ようやく口を開いたトレーナーは言い聞かせる様にゆっくりと言葉を発する。

 

「この時期、ここまで駆けてきて、自らの脚で決着をつけた。そして、送り出すんだ、自分たちの想いの全てを託して」

 

だからこのレースは最期まで自らの脚を信じ、走りに殉じたウマ娘たちの卒業式とも言えた。

残った1人に、自分たちが学園の門をくぐった時に描いた夢の続きを預けて。

 

「それでもまだ、走る理由を探したいか?」

 

真っ直ぐにサイドテールのウマ娘を見つめる。誰かのため、何かのためなんて見つける前から、勝ち抜いたウマ娘にはそれだけで得難い走る理由があるはずだ、と言外に匂わせて。それでも、と震える唇で黒鹿毛は鈍る想いを零す。

 

「なら、諦めろ。お前は俺のウマ娘だ。未勝利を勝ち抜けばオープン、オープンで実績挙げれば重賞、そこでも名を刻めれればそれ以上のレースに出て貰う」

 

言い放たれた言葉に、ビクリと2年生2人が肩をゆらす。サイドテールの黒鹿毛はトレーナーの言葉のどこか一部分を口の中で反芻し、青鹿毛のメガネウマ娘は急の頭痛を覚えた様にこめかみを抑え、ジトっとした目でトレーナーを見る。

 

それに気付かないトレーナーは脳裏に先程の未勝利戦の道中、駆けながら笑みを浮かべていたウマ娘たちの姿を想い描いて、熱に浮かされた雰囲気で言葉を続ける。

 

「お前たちと走る事は等号だ。言ってみれば存在意義そのものだ。だからこそ、走るウマ娘は、ここに存在しているんだと、叫ぶような走りは心を震わせるんだ」

 

 

 

 

ああ、ダメだ、このヒトは。始めの厳しい言葉の直後に、もう少年のような目でウマ娘たちに注ぐ想いを言葉にし始めた。それは薬ではない、劇薬でもない、ただの毒だ。同級生にとっても、わたしにとっても。

 

熱く語るトレーナーの姿に珍しいものを見た目をしている1年生にはまだ、伝わらないだろうか。この人のこの熱量が、電気鞭を振るうつもりが激甘山盛りパフェを用意してしまうようなトレーナーの言葉が。

 

「も、分かりましたからお昼ご飯にしましょう。この後もレース、見るんでしょ」

 

まだ言いたげなトレーナーさんの言葉をぶった斬り、レース場内の飲食店に誘う。

これ以上は本当にダメだ。どう責任を取ってくれるのだろう。あの夜に伝えた様にわたしはあと2回、貴方の為に走る。だけどその後は?胸の疼きを感じながら、トレーナーの熱のある言葉に潤んだ目をしている同級生の背中を押して強引に話を打ち切らせる。

 

本当に、どう責任を取ってくれるのだろうか。わたしが貴方のウマ娘だと、魅せつけるような走りをしなきゃいけないと思わせて。その想いまで、嵩増しさせて押し付けてやろうか。この、ふわふわと尻尾を揺らした、すぐに自信を無くして甘ったれのサイドテール、黒鹿毛の貴方のウマ娘に。

 

わたしは、夢を託そうと思った同級生の背中を見ながら、少し下がったメガネを直しつつ大きな溜息をついた。

 

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