踏み締める脚の強さを上げ、一歩の歩幅が広がる。曲線と共に上り坂を越えて、下りへと移行する中で徐々に脚の回転を上げていく。
第二コーナーを抜けた所で前に10人、後ろに3人、残り3人はほぼ同じペースで並ぶように駆けている。
前走同様に、思考する事は脇にできるだけ置いて、前だけを見て加速を続ける。僅かの下り坂にスピードの乗りが早く、直線の半ばで前に居たはずの半数が固まるバ群へと接近していく。
中団を形成するその群れは、後方からの突き上げを警戒して内側から横に広がり、こちらの走路を塞いでいる。ここまでは想定内、だが次のコーナーに入るまでに形にならなければ恐らく脚は最高速度まで届かない。
「ほんと、あたしなんかを警戒するんだ」
前の集団との距離が詰まるに連れてチラチラと何人かが後方を気にしている様子も伺える。トレーナーから予め言われていたにしても実感するのは別だ。
前走1位、オープン戦績とは言え気軽に獲れるものでは無い。本人は無自覚だが、そこで見せた走りは周りの陣営に勝負に絡む可能性のあるウマ娘が産まれたことを意識させるのに充分だった。
意識を外へと向ける。内は閉められていても開いているその走路は相応の距離を無駄にする覚悟が無ければおいそれ突くことは難しい。スタミナとの兼ね合いにはなるが、今以上の速度でベリーショートの赤毛を追い駆け続けた夏を思い出す。
この程度じゃまだ先輩には届かないかな、と進路を外目に持っていき、食いついた中団を横目に速度をジワリジワリと上げ続ける。
『次はお前が魅せてくれ』
策を授けてくれたトレーナーの言葉が次に脳裏に浮かぶ。ホワイトボードに描かれた予想はほぼ的中で、多少のウマ娘の相違はあったがここまでは順調だ。
トレーナーが立てた戦略をできる限り狂いなく遂行する。それによって自分に委ねられた最終局面の絵が完成する。これが共同作業だと気付いた時から、必死の競り合いに腰が引けてた筈がレースが待ち遠しく思うようになった。
きっと、同級生の青鹿毛メガネウマ娘はもっと前から気づいていた。彼女にとっては再びレースに出ること、そして自分との約束まで走り続ける事自体がそういう事だ。
思えば最近は前と違う意味で近寄り難い小柄芦毛の先輩も、好き勝手に走ってるように見えて、自らをトレーナーが磨いた結晶だと周りに教える様に駆けている。
「っ、思ってたより、キツい、っ」
無心と言いながら最高速度付近まで乗った事に油断してコーナーに入ると思い切り遠心力がかかり、更に外に持っていかれそうになる。普通は速度を若干落としながら最短コースで巡るカーブで身体全体を傾け、脚の送りを変えて前への推進力に強引に変える。
赤毛先輩直伝のコーナーワークだ。抜けた所で前は3人、直線までの同行者ははるか後方、外から抜いたバ群からはこちらを捉え様とする足音が2つか3つ。
「あ、そゆ、こと、っっ」
直線に入り急に前との差が詰まる。と同時にこれまで以上に脚に急激な負荷を感じ声が出る。上げたはずの速度が僅かの間に持っていかれる。背後から聞こえる足音が大きくなる、が同時に前の背中もまた近づく。
坂を登りきり、フワッと身体が浮く感覚に前傾姿勢を深める。残り100メートルを切って前に見えるのは2番手の背中。事前のトレーナーの見立てよりも前が少ない。
それなら最良をもたらすのが自分の役割だ。風を感じ、もう限界だと悲鳴をあげている脚をひたすらに回す。僅かの距離だと言うのに前が縮まらず抜いたはずの背後の足音は並びかけようとしてくる。
ダメだ、イヤだ、諦めない。ふっと、意識が飛んでその刹那に数秒の爆発的推進力が身を押す。次に気がつけばゴール板を越えた先。大きく振り返り電光掲示板を見る。3着、なんとか追撃からは逃げ切ったらしい、らしいがゼッケンの番号の斜め下にはアタマの文字。
「あ、は、危なかった…」
「っ、ちっ、トレーナーの言った通りだ、ま、次やる時は負けないから」
追い縋り届かなかった4着の娘が、安堵の息を漏らした時に肩を叩いてくる。悔しげでもあり、清々しいまでの笑顔で告げてくる。
「あ、うん…」
「ったく、あんたの次のレースは応援してやるよ」
背中を向けるとヒラヒラ手を振りながら通路の方に去っていく。次のレース…、と言い方から共に走る訳でなさそうなそれが何か分からないまま、周りに声を掛け合いながら自分も地下通路へと降りていく。
控え室の扉を開けば今日のレースを観戦していたチームの面々とトレーナーが出迎えてくれる。
「怪我なく完走お疲れさん」
あっさりした言葉で労われ、次いで同級生や1年生たちが順位を褒めてくれる。小柄芦毛の先輩だけは無言のままで、トレーナーに背をつつかれてようやく口を開く。
「お疲れ。次も、ね」
最近殆ど言葉も交わさない間柄になってしまった先輩は僅かにそれだけを言って、1人先に部屋を出ようとする。
「あ、と…明日、レースなのに見てもらって、すいません、ありがとうございます」
背中に慌てて声を掛ける。振り向きもせずに頷くだけの先輩。あたしだけにじゃない、チームの誰も声をかけにくい位に最近は張り詰めている。耳障りな間延びした喋り方も潜め、最低限以下にしか話す事もない。
扉がパタンと閉じて足音が遠ざかるとそれだけで控え室の空気が少し緩む。
「やれやれ、と…ああ、月末までにこの書類、提出だからな?」
先輩の挙動に対してだろうか、呆れた様に肩を竦めたトレーナーが真っ白な封筒を渡してくる。
URAのロゴの入ったそれは入学願書以来見た事のないものだった。なんだろうか、なにか学園に届けを出さなきゃならない様な事、してしまったのだろうか?大抵の事務的なものはトレーナーが代行してくれているため、自分が何かしなきゃならないなんて、殆ど初めてだ。戸惑い顔でトレーナーを見上げる。周りの1年生は不安げで、同級生は…なんで呆れ顔。
「次のレースに必要なものだ、その格好で走らせる訳にはいかないからな?」
こちらが気がついてないことに、トレーナーが少し意地悪く暈す様に言う。思い当たり、慌てて封筒の中の書類を確かめる。
そこには『勝負服作成依頼書』の文字と何枚かの必要事項やデザインの概要を伝えるための用紙が数点。
「ふへ…っ」
驚き過ぎて変な声が出た。そして膝が笑い床にへたり込む。まさかそんな、ていうか、なんで。言葉もなく目を何度も瞬かせていると、あたしより先に1年生たちがキャイキャイと騒ぎ出す。
今日の4着の娘が、先輩が、しきりに次、を強調してたのはそういう事だったのか。というか、てことは、次は、GⅠ、え…。
この後、ライブを終えて寮に帰り翌朝を迎えるまでふわふわしすぎて記憶も曖昧で、目覚めても、机の上の真っ白の封筒を見るまでこの日の出来事は夢じゃないかと思ってしまった。
◇
「もう少し、労ってやって良かったんじゃないか?」
新幹線の窓際席で高速で流れる景色を見ている芦毛のウマ娘へと男が声をかける。それに対してチラッと青い目が声の方を向いて、ツイとまた景色に戻される。座席に乗った尻尾は何度か男を叩いてきたものの、やがて腕に絡みつくようになる。
「少し、寝ろ。朝になってもその調子なら、出走取り消しにするからな?」
景色が夕焼け空から群青色に空が染まる中、厳し目の言葉と裏腹に肩を差し出してやるトレーナーに、こてん、と正面向いた芦毛が頭を寄せて傾ける。
「ん…、ごめん、ね」
座席と肩の間に挟まった唇から小さく言葉が漏れる。その先は肩を貸してくれたトレーナーにか、最近かなりの塩対応の後輩たちにか。
しばらくそのまま身動ぎもせずに時間が過ぎる。久しぶりの、本当に久しぶりのトレーナーとの2人旅。殆ど無音の車内の中、触れ合う体温に微睡み始め閉じた瞼から、ひとつふたつ涙が零れる。
「嬉しいのに、喜べないよ…」
「…追い…抜かれ、ちゃった…よ…」
眠りに落ちるその寸前、零れた言葉は混じり気のない本音だった。