薄手のロングスカートが翻る。道の真ん中でクルクルと体を回してご機嫌そうに通りの看板に目を輝かせる。漢字の並ぶそのどれに入ろうかと算段をしているようだ。
「小籠包だって、食べようよ」
長袖のブラウス、色は白。グルグルと両腕に巻かれた包帯を隠すためとはいえ、その服でそのチョイスはどうだろう。いや、そもそも食いだおれたいと言いながら、本場ではなく中華街に遠征するというのはなんなのか。
「紙エプロン貸してくれるってー、ほら、あとであそこも並ぼー?」
浅めのスチロール皿に数個並べられたそれを巧みに散蓮華に載せ替え、割り箸で包みを破いて中の汁を啜る。ひとしきり堪能しながら、通り向こうの列を指す。あれは豚まんの有名店だったか?到着直前まで見ていたグルメサイトの情報を思い出しつつ、頷いて同意を示す。
4着に終わったレースの後、応急処置でウイニングライブをこなして、明る翌日つまり今日は朝から病院。幸い擦過傷と軽い打ち身だけとの診断で、万が一に備えて最終に予約を入れた列車の時間待ちを利用して、こうしてぶらついているわけだが。
「あ、これかわいー、食べるのもったいなー」
食べ終わり紙エプロンごと屑籠に皿を処分して通りに戻ると、数歩進んで今度は屋台に引っかかる。頭に被った少し大きめのキャスケット帽がズレてそれを直しながら、声を上げながらパンダと豚を模したそれを受け取っている。
ゴールへと身体ごと飛び込み転げていく姿に、6月を思い出して肝が冷えた。ただその時と違い本人に意識があった事、それ故に最小限のダメージになる様にまがりなりにも受身を取れていたことが軽傷で済んだ理由だろう。
勿論、学園に戻れば精密検査にぶち込むつもりでいる。慌てて駆け下りた地下通路で出逢ったよろめきながら歩く姿、虚ろな目でこちらの胸にまで辿り着くと今までに無い力で抱き着いてきた。
泣きも喚きもせずにただ無言で、締め上げに耐えながら背中を撫でていると、負傷を聞きつけた医師たちがバタバタと姿を現し、あとは控え室で応急の手当を受けるのを見守り、言葉を交わすことも無くライブに向かう背中を見送った。
前走、今走と勝てる兆しは決して多くは無かった。それを掴みきれなかった事は責められない。その中で精一杯を見せてくれたとは思うが、それは3年の秋というこの時期に競技者としての限界を突きつけられたとも言えた。
「やーっと買えたねぇ。ん、美味し」
店の前、広場の様になっている場所のベンチで並び座って買ったばかりの豚まんを口にする。肉汁が口を満たしなかなかボリューミーだ。それでいて買い食いというイベント性が食欲をそそるのかパクパクと食べきってしまう。さて、この後は雑貨屋でも巡りますか、と行きすがら手にした案内地図を見ている帽子を目深に被った横顔をぼんやりと眺める。
ライブの後も振り返る様な話は一切していない。お互いほぼ無言で夕食を済ませ、早めの時間に各々延泊の部屋に戻り夜を過ごした。向こうはどう過ごしたか分からないが、トレーナーは何十回と今日のレースの録画を見ていた。時に全てを流し見し、あるいは特定の部分だけを繰り返して。時折飛んでくる卒業生からのメッセージに返事を返したりなどしながら、ようやく眠気がやってきた未明の時間になってベッドに潜り込み朝を迎えた。
若干の寝不足を抱え朝食で合流した時には、小柄芦毛はすっかり普段の様子で、むしろ久方ぶりにあの作った甘ったるい声を聞かせてきた時は一晩で何があったかと訝しんだ。が、結局、異常なしなら食いだおれたい、の要望に応えて今に至る。
「お土産買ってくねー。あ、そだ、服買ってもいーかなー?」
エスニックな香り漂う軒先で目を輝かかせて、独創的なデザインの布地を引いて確かめている。かなり強烈な匂いがしてるが大丈夫なのだろうか。構わない旨を伝えながら、ふと違和感に気づく。今日一切、スマホを触っていない。所持はしているのだろうが、肩掛けのバッグから取り出して触れているのを見た覚えがない。
普段の買い出しなどでは下級生たちに割とどうでもいいものまでメッセージに写真添付で送ってたりするのに、だ。
「ちょっと、試着してくるからー。テキトーに見てて」
幾つか服を掴んで奥に消える。独特の香りが立ち込める店内に、ヒト以上に耳や鼻が敏感なハズのウマ娘が耐えられるものなのだろうかと疑問に感じながら、時間を潰す。
安価だが小洒落た不可思議アクセサリーなどを物色しつつ、時間を潰す。アジア系というのだろうか、動物の意匠の小物などを何となく手に取っては戻し、チラリと芦毛が消えた店の奥に視線を向ける。
「待ちきれなかった?ね、これ、いーと思わない?」
足音を消して近づいて来ていた着替え済みの姿と目が合う。紺地に大小の花が舞う派手な色味のロングスカートに、上は無地の青色、背中部分だけ丈の長い変形ワンピース。頭には相変わらずのキャスケット帽子。
ふんわりとしたロングスカートと帽子の組み合わせと言うのは、競技ウマ娘が、ウマ娘じゃないですよ、と主張して外出している時のひとつの記号化された姿だ。
整った顔立ちや均整のとれた身体つきなどで周りからはすぐ分かるのだが、お忍びですと主張していることで、周囲は触れずにただヒトとして対応するのが暗黙の了解事項として定着していた。
「ああ、いいと思うぞ。この辺りを首から下げて、な。」
手元のアクセサリーを幾つか手渡すと、鏡の前でつけたり外したりを数度。納得したらしくひとつ頷いて白い石が通された首飾りだけをつけて戻ってくる。
これで出来上がり、とか上機嫌でクルクルと回り、民族衣装風な出で立ちを見せつけてくる。
「このまま着ちゃってもいーかな?」
甘えたように上目遣い、わざとらしい仕草に苦笑いしながら、遠巻きに見ている店員をこちらで呼び寄せる。決済する旨を伝え、着ている服に付いているタグを切って貰う。
今まで着ていた服を袋詰めにして提げながら店を出ると、少し歩いてからゆっくりと2度3度深呼吸する着替え済み芦毛。
「途中から何も匂わなくなっちゃった。甘い物食べてリセットしたいなー。」
通りにはみ出す様に置かれた看板を指さしながら、鼻をスンスンと言わせている。
時計を見れば午後も3時前、普段なら練習にかかる時間か、など思いながらに看板が示すパン屋で幾つかクロワッサンや菓子パンを買い込み、さっきから微妙に流れていた潮の香りに誘われて海沿いの公園に向かう。
「そっか、港町、だもんね」
「浜は無いがぼんやり行き来を見てるのも悪くないぞ?」
大きな通りを越えて、オブジェが飾られた入口を通り抜けると奥の海に一番近いベンチにまでほぼ一直線で向かう。
誰も居ないことに何となくほっと一息つきながら、並び腰掛ける2人の間に買ってきたパンや飲み物を広げつまみのんびりと過ごす。
大小の船が通り過ぎるのを眺めながら、今日の振り返りであそこが美味しかったのここが良かっただのを言い合ってるうちに、オレンジ色に傾いた太陽が変わりはじめ一日の終わりを告げてくる。
不意に、小柄芦毛がベンチから立ち、海との境界となっている手すりに凭れながらまだ座ったままのトレーナーを見下ろすようになる。
そのまま、買い物行ったね、食べ歩きしたね、あ、服買って貰っちゃたねー、とか一日の事をまた何度も振り返って、当たり前、とか、普通、とかそんな言葉を何度も使って、その最後に感想のように、少し意を決した様に言おうとする。
「ねぇ、ふつーに過ごしてたら、これからこんな日ばっかりだったりとか、するのかなぁ?」
「今日みたいなのが、当たり前でさー…………昨日、みたい、の、が…とく、べつ…」
そこから先は、言葉に出来なかった。青色の瞳から滲み出た涙は止まらず、頬を伝い地面にポタポタと落ちる。
鼻を鳴らししゃくりあげ、肩が震える。言おうと、言ってしまおうと思った言葉を口にする事が出来ない。
悔しくて、情けなくて、でももう、思ってたより少し早いけど割り切ってしまえないかなって、一日、頑張った。誰にも関わりたくないから携帯も一度も見ないで、トレーナーさんとはデートのつもりで丸一日付き合って貰った。なのに、まだ、言葉に出来ない、言えない。
その様子にトレーナーがゆっくりと立ち上がり、向き合うようになる。
「何が当たり前とか普通とかは、ま、お前が決めればいい事だが」
冷たい物言いで目の前で涙を溢れさせ小刻みに震える小柄芦毛を見下ろす。そしてそのウマ耳を隠していたキャスケット帽を奪い去る。
夕焼けが髪を照らし、風でサラサラと流れる。ずっと畳まれていたであろうウマ耳が外気にさらされピクピクと向きを慌ただしく変える。
「特別に出来ないのなら、いつもの事にしておけばいい。ウマ娘は走るのが当たり前、いつもの事だろう?」
「…っ、ぁ…ま、だ、走って、も、いいんですか…?」
トレーナーの言葉に彼の服を掴む。しがみつくみたいになりながら揺さぶる。多分もう、自分はこれ以上の何かがある訳じゃない。
あと二戦くらいオープン戦を軽く走って卒業かなって、その未来予想図が浮かんだ瞬間、何もかも嫌になった。自分から離れてやるって今日一日を思い出作りがてらに過ごしたのに。
「走れるんだろ?走りたいんだろ?ウマ娘の心が求めるなら、俺たちトレーナーは道を拓くのが役割だ」
そっと涙を指で拭ってくれる。ああ、まだ、共に駆ける事を許してくれるんだ。こんな、重賞勝利もない、3年のこの時期で自分が分かってしまって全部投げ捨てたくなったわたしなのに。
「それで、だ、スプリンターズステークス、走ってみるか?」
続けられたトレーナーの言葉に硬直する。いや、まさかそんな次走を提案されるとは。優先はことごとく力及ばずだったが、抽選なら辛うじて滑り込めるだろうからって。
そんな気軽に言っていいレースじゃないよ、それ。 わたしのこと泣かせたいのかな、次は戻ってきた時は我慢しないでギャン泣きするよ?
でも、いいよ、精一杯を魅せるよ。トレーナーの為に。