星屑の円環 −モブトレとモブウマ娘の話−   作:華月響音

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1章3話 麝香連理草

天気は快晴、バ場は良好。東京競バ場に歓声が響き、そして静寂が訪れる。

 

次の瞬間、金属が擦れ扉の開く音。同時に、地を踏みしめ駆ける轟音が鳴り響く。

 

「あー、いや、まぁ、分かってはいたけどだな……」

 

目の前で繰り広げられるのは激闘、と言えない一方的な虐殺だ。

 

ハナを取ったウマ娘はそのまま悠々自適に一人旅といった風情で、後続との差をひたすら広げていく。

 

その様に呆れたように言いながらも目を離せずに呟く。

 

並んで立つ、小柄で芦毛ショートカットのウマ娘が同じような表情で、バ身を広げていく先頭を見つめる。その後、不安げな視線をゆっくりと後続の一団へと向けた。

 

「これで故障明け……ん、あー、大丈夫かなぁ」

 

ひと塊になって先頭を追う集団。その中ほどに、黒鹿毛のサイドテールのウマ娘がいた。

 

前を見て脚を踏みしめ駆ける姿は懸命で、だがどこか常とは違う空気を纏い始めていた。

 

「この展開なら、しょうがない……なんて、お前は言わないんだろうな」

チラリと小柄な隣に視線を走らせたあと、中段からやや後方へ下がりだしたウマ娘へと目をやる。

 

競り合いも何もない、ただただ一方的で目の眩む一等星の輝き。それを浴びせられ焼き尽くされた後に残るのは、「わからされた」という事実だけだ。

 

「言わないし……あと、その言葉、絶対言わないで」

 

ピクリ、と体を揺らす。ギリッと奥歯を噛み締める音が聞こえたような気がする。

 

普段の少し間延びした口調と真反対の、冷たく低い声が発される。視線はジリジリと順位を下げていく後輩へと向けたまま、するりと隣の手を握り、クッと僅かに力を込めた。

 

「……っ、あ、ああ、悪い……っ」

 

零してしまった失言に気づき、握られた手から伝わる抗議の圧力にくぐもった声が漏れる。

 

対して彼女は無言のまま、開始と同時に趨勢の決まった勝負を見続ける。

 

彼女は悔しいのだ、どうしようもなく。それは実力差に対してでもあり、圧倒的な輝き——隣に立つ敬愛するトレーナーさえも焼き尽くさんばかりの煌めきが、悔しいのだ。そして光を浴びせられ目を眩まされ、意識か無意識か脚を緩めてしまった後輩の姿が、悔しいのだ。

 

2分弱の虐殺劇が終わり、1着の一等星所属のウマ娘は樫の女王への標を手にし、故障明けの復帰を飾った。

 

故障前は全戦全勝、復帰は大差の勝利。そんな彼女に対して重賞では珍しいほどの囲みがなされ、取材が続く中で一行は地下通路へと移動していく。

 

その一方で2位以下のウマ娘たちは完全にお通夜状態で引き上げ、合同の控え室で着替え、メイクを直してウイニングライブに備える。

 

沈黙だけがその場を支配して、やがて開演のブザーが鳴り響く。

 

舞台へと順番に飛び出していく彼女たちは、笑顔を見せる——作る。

 

自らの心がどうであれ、観客たちには最高のひと時を、勝者には祝福を。それはいついかなる時も変わらない、この世界の不文律だ。

 

 

 

 

 

 

煌びやかな時間が終わり、なんとも言えない昏い気持ちを抱えながら自分用の控え室へたどり着く、サイドテールのウマ娘。

 

殆ど何も考えることなくバックダンサーを務めあげた後は、半自動の何かのように着崩れたレース服のハーフパンツと体操着姿に戻っていた。

 

替えの服、用意するの忘れてたな……とか。ライブの後でも残るレースの汗と泥、跳ね付いた芝が、否応なくさっきのレースを頭の隅から追い出せない。

 

なんにしても、と彼女はぼんやりと扉に手を掛ける。

 

とりあえずシャワーを浴びて着替えて、あとは帰って寝てしまおうか。取り留めもなく思いながら部屋に踏み入り、先に入り込んでいた2人と顔を合わせ——あ、と声を上げる。

 

ようやくたどり着いた控え室には、どこか気まずそうな顔をしたトレーナーさん。そして隣に、普段はぽやぽやと親しみはあるがあまり頼り甲斐があると言えない小柄芦毛の先輩が、今まで見たことのないような表情で仁王立ちしていた。

 

「ねぇ、それで……今、どんなこと考えてた?」

 

「え、ぁ……せ、先輩……?」

 

小柄な先輩からの圧力が凄まじい。耳は後ろに逸れ、脚が床を擦るように何度か削る。時折レースの終盤で見せるあの姿が、今ここにあった。

 

「だから、わたし、聞いてるんだけど?」

 

青色の瞳が細められ、床を蹴る音が大きくなる。

 

控え室だ、扉は閉まってるとはいえ防音されてるはずもないし、誰か通るかもしれない。やめて欲しい。それにそんな質問、どうして今あたしにするの?答えなんて決まってるのに。

 

「ぇ、なにも……考えたりとか……なかった、です」

 

「そう。楽しかった、とか悔しかった、とか……そういうのも何も、無いんだ?」

 

意味が分からない。一方的な大差をつけられて、後はズルズルと順位を下げた。それのどこに何の要素があるのか。どこからどう思えばそんな発想が出てくるのか。虐殺されたのはあたしたちだ。思わず返す声が大きくなる。

 

「どうやって、そんなの……あんなの無理じゃないですかっ」

 

サイドテールが揺れる。圧倒的な速度で駆けられ、手も足も出ない事を思い知らされ、後に何が残るのか。スタートから15秒で投げ出したくなって、あとは何となく走り終えた。ただそれだけだ。

 

「そんなの出走表見た時から分かりきってるでしょ」

 

底冷えする声。なんで先輩そんなに怒ってるの? それに「分かりきってる」とか、ひどい。そんなこと思って一緒に練習してたの? 勝てない勝負に出る愚か者だと思って?

 

大体、先輩とは得意距離が違うから並走だってそんな何回も……あれ、何回したっけ。適性は短距離寄りだけど次はマイルだからって、なんか駄々こねて散々走ってた気がする。え、あれって自分のため……だよね?

 

「わたしは、悔しいよ……」

 

え、なんで? あたしより先輩が悔しい?

 

……悔しい? 負けたのに、後ろから数えての2着なのに——あたし、悔しいとか思わなかった? あたしより? 先輩が? え、どうして?

 

「お前、最後、流しただろ?」

 

ようやく仲裁に入る気になったのか、トレーナーさんが口を開く。

 

だが次の刹那、先輩に靴を踏まれ悶絶していた。この2人、仲いいよね……去年は先輩の先輩がそのポジションだったっけ……。なんて現実逃避気味に眺める。

 

「あんなに練習して、対策みんなで練って、それなのに……」

 

「すいません、ブービーで……」

 

「……違うっ」

 

みんなで頑張ったのに、か。そうだよね、先輩だけでなくリハビリ中の同期も、今日は補習とかで来てない入ったばかりの新人三人娘にも手伝ってもらって……とか思い出してたら、食い気味に否定された。

 

「そうじゃない、あれだけやってきたのに……最後あんなの……わかんないの?」

 

分かるわけない。あんな眩しい光に焼かれて何をする前に燃え尽きさせられたあたしに、分かるわけないよ。でも確かに、もうどうでもいいかなって、何も考えないで脚動かすだけだったな、あたし……。

 

「わかんない、ですよ……そんな、あんなの、どうにもならない、しょうがないじゃないですか……」

 

あたしは投げやり気味に言った。それが完全に地雷だったと気づいたのは直後——ドンッと一際大きな足踏みの音が鳴る。床が凹んだらどうするの……こんなの理不尽だよ。

 

「この、大バ鹿っ。もういい、もう、もうっ」

 

部屋中に響くほどの大声でそれだけ言うと、薄青色の瞳に涙を浮かべて先輩は控え室から出ていく。あれだけ怒りの感情を見せていたのに、最後は悲しそうにその場から小走りに消えた。

 

後に残されたのは唖然としたあたしと、ようやく悶絶から復帰して苦笑い気味のトレーナーさん。

 

「ああ、まぁ、あいつの話は半分に聞いとけ。あいつの『悔しい』は、理解は出来ても共感は難しいかもしれないし。と——軽く診ておくか。疲れてるところ済まないが」

 

ストッパーが居なくなって暴走気味なんだよ、あいつも昔はああじゃなかったんだがな。などと去った先輩をフォローするように言いながらも、サイドテールの娘を備え付けのパイプ椅子に座らせ、足首、ふくらはぎへと触れる。

 

「ぁ、これ、やっぱり慣れない、です……」

 

学年が上がるまではサポート役の最上級生が大半をしてくれていたため、トレーナーから直接触診を受ける免疫が少ない。元より年頃の娘だ。教導する立場にあるとはいえ、異性に脚を触れられることには羞恥心が勝る。

「悪いな。だが張りも炎症も許容範囲内だ、入浴の後に自分でもしっかり解しておけば問題ないだろう」

 

レースは筋肉を破壊する行為だ。それまで痛めつけては作り直して組み上げた身体を、僅か2分かそこらの全力疾走は壊してしまう。だからこその日々の準備であり、レース後の確認行為である。

 

慣れた手つきで足首を回し、ふくらはぎ、膝裏、太ももまでを一通り確認し終える。そこで表情が真面目なものに変わる。ボソリと言う。

 

「昨日の努力は今日の自分を裏切らない、ってのはよく聞く言葉だろ? だけどな——今日の自分は、昨日の努力を裏切れるんだ」

 

責めるでもなく淡々と。うつむき加減で、それでいて触れてくる指先を目で追ってしまっているサイドテール娘に向けて、トレーナーは言う。

 

なんで先輩にキレ散らされたかも含めて考えてみな、と付け加え、控え室から出ようと立ち上がる。扉に向かう途中で振り返った。

 

「明日は午後から感想戦だ、しっかり休んでからちゃんと来るんだぞ。全員集合、だからな」

 

「ぇ、あ、はい……って、ええっ」

 

全員集合は勘弁して欲しい。キレ散らかしてた情緒不安定気味の先輩はともかく、同級生と後輩には今日のレースの事を話したくない。かっこ悪い、恥ずかしい……なんで?

 

だってそうだよ、あんなどうにもならない現実、逃避したって、投げ出したって——。

 

あ、え、あ。あたし、逃げて、投げ出したんだ……。

 

「夜更かしは、するなよ?」

 

トレーナーさんはそんなことを言って去っていく。

 

独りになった部屋の鍵をかけ、服を脱ぎ捨てて備え付けのシャワー室に飛び込む。少し熱めのお湯が体を打つ。

 

当たり散らかしてきた先輩の訳の分からない気持ちの押しつけも、深いようなそうでもないようなトレーナーさんの言葉も、グルグルと頭の中で回る。

 

汗を流して、濡れた体をタオルで拭いて、下着を改め、元通りにと同じ制服に着替えて化粧を整える。

 

そして姿見で確認した時に、ふっと我に返る。

 

化粧よし、格好よし。

 

だけど自分自身に違和感——こんな感じだっけ? 走って、人の後ろで踊って……だけどそれでもいつかはって、気合い入れてたはずなのに、あれだけ練習して……なのに……。

 

「あれ、なんで、いま、さら……」

 

鏡の中の自分が一筋だけ、涙を零していた。






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