星屑の円環 −モブトレとモブウマ娘の話−   作:華月響音

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3章11話 霜降月の日暮

 

吐く息が白く染る。グラウンドを周回した後だからジャージを着込んだ体からも湯気が出ているかもしれない。呼吸は荒く、心臓はまだ収まらない。

酸素が足りない、酸素が。膝に手を付いて鼻も口も息を吸い込む。緩く編んで結わえた左右の髪が息に合わせてゆらゆら揺れる。

 

「大の字にならなくなっただけ成長だよー。息が落ち着いたらストレッチしてもう一本走るよー」

 

首から画板を掛けた小柄芦毛の先輩がニコニコしながら言ってくる。体を起こして両手を広げながらの深呼吸をしたタイミングで飲み物を渡してくれる。

自身のレースの後からトレーナーさんにくっ付いて裏方的な仕事を積極的にこなしてるなぁ、とか思っていたら、ここ数週間はわたしに付きっきりの先輩。

 

「先輩、いいんです?」

 

「ん?なにがー?」

 

意を決して聞いてみるが、画板に貼り付けた用紙に何事か書き込みながらのんびりした声で逆に問い返される。

今までも何度かあった遣り取り。なんでもないです、と答える所までが定型文。だけど今日は聞こう。もう今年も1ヶ月ちょっとしか残ってないし。

 

「あ、いや、えっと、走らないのかな、って」

 

「あー、ん、レースのことー?」

 

手を止めてこっちを真っ直ぐ見てくる。声は間延びした感じだけれどふざけた目はしてない。

チームの1年生で短距離志望はわたしだけ。残る2人は中・長距離を希望していたし、実際1人はプレオープンで勝ちをもぎ取って結果を出している。得意な脚質も先行ともう1人は差し寄りで、わたしは逃げ。

 

つまり目の前の3年生の先輩と完全に被っている。だからこそ他のメンバーと別メニューでも付きっきりで見てくれているのだろう。

しかし先輩は今年で引退のはず。年末までにまだ短距離のレースは幾つかあるし、わたしの面倒なんてみていていいのだろうか。

直接見て貰えるのはありがたい反面、2度3度と見せられた先輩のあの走りをレースで見れないのは寂しい。

 

「はい…。先輩の走り、好きなので」

 

不意打ち気味に本音を投げてみる。レースを牽引する様に逃げて、最後に競り合いながらも力を全部注ぎ込むように振り絞って勝者を目指す。そんな逃げの走り。それ以外にも出遅れからの後先考えない全力疾走。

先輩のレースは全部録画データをスマホに入れて何時でも見れるようにしている。体格も似ているし、多分そこまで頭が良くなさそうなのも似ている、と思う。あとはちょっとキャラを作ってしまってるとこも。

 

「急な告白ー?んーでも、レースはゴメン、多分無理だから、併走で許してくれないかなー?」

 

困ったなぁ、と頭を掻きながら先輩が言う。尻尾がゆらゆらっと大きく揺れている。

思い出すのは初めて取り乱したトレーナーさんを見た9月末のレース。現場の医療班を動員したりレース翌日から2日ほど病院に先輩を軟禁したりと結構な騒ぎ振りだったが結局異常なしだったんじゃなかったっけ。

 

あの鬼気迫る最後の疾走。爆発めいた加速。小柄な先輩が周りを弾き飛ばす様に駆け抜けていた。あと何メートルか長ければ結果は違ってたんじゃないかって今でも思う。脚の具合を尋ねながらその事を伝えてみると、返ってきた答えは想像の斜め上だった。

 

「んー。トレーナーさんも驚いてたけどさ。医者の先生から『こんな故障寸前の状態初めて診た』って言われたんだよねー。だからもし、まだ距離があっても先にわたしの脚の方がダメになっちゃってたんじゃないかなー」

 

付け加える様に内緒の話だと言いながら、どこか他人事に先輩が言う。全力で走るのは当分禁止なんだよね、普段はどうって事ないんだけど。と、その場でトントンと足踏みをして見せてくれる。

 

衝撃の内幕をなんでもないように言う様子に、もうひとつ別の事に気づく。走りたいのに走れない、そんなウマ娘特有の雰囲気がない。

2年生のメガネ先輩は練習に完全復帰するまではもっと、なんというか取り繕っていても悲壮感?とか焦り?とかそういうのが漏れてたりしてたのに、目の前の先輩はまるきり余所事のような雰囲気だ。

 

 

 

 

 

 

「そう、なんですね…」

 

「それに、んん、なんでもなーい」

 

にへらっと笑い顔を作って言葉を濁す。脚の事は事実だけれど、もうひとつのことにも気づいただろうか。目の前の1年生は勘のいい娘だ。本人は食い気のオブラートに包んでるつもりなんだろうけど、空気を読んで突っ込んでくる。

 

直近でも色々開き直った感のある2年生コンビに対して全面戦争してやろうかって時に割り込まれ有耶無耶にされた。結果、冷戦で済んでるのは周りからしたらいいのかもしれないけど。そんな彼女ならうっすら察しがついたかもしれない、今のわたしの心持ち。

 

ウマ娘にとって大切なもの、色々あるが根幹は2つ。その一つは当然ながら健康な脚。そしてもう一つは闘争心。

 

体にとんでもなく負荷をかけるレースに出ようなんて、勝ちたいと思わなきゃやってられない。練習だってキツいし、レースに絶対はないし。どれだけ準備をしても覆る時は覆る。ひっくり返された事は何度もあるし、こちらが番狂わせを演じたのもある。

そんな中に身を投じようなんて、勝ちたい意志がないなら無理な相談だ。それが残念ながら今のわたしには薄くなってしまっている。2着に終わったスプリンターズステークス。あの後からめっきりと喪ってしまった。

 

短距離のGIは確かもうないけど、一等星所属のウマ娘たちは卒業までにまだまだ重賞レースに出てくる。限られた4年目の切符をもぎ取るために。

 

その中で自分も間に合うのならば、となるところなのだが、全くに意気が上がらない。というか、もう、レースで走ること自体が別世界のように感じてしまっている。

 

そんなわたしはトレーナーさんから少し外側から見るのも悪くないと言われ、補佐のような役を割り当てられて今に至る。

ちょうど2年生たちとは冷戦期間中だし、距離適性や脚質がわたしと丸被りな目の前のゆるふわおさげの1年生の専属のようにここのところは過ごしている。

 

「次は12月半ばー、だっけ?何度か併走して調子上げていこっかー?」

 

部室のホワイトボードを思い出しながら、スケジュールを脳内で調整していく。案外に他人の練習相手をするのは楽しいし苦にならない。

 

自分だけならかなりのズボらだったはずなのに、細かくメモを取り逐次練習メニューに反映させていく。これは意外だったとトレーナーさんにも褒められた。

 

自身の時にもストップウォッチの刻む1秒についてこれだけ考えることができていたのならあと一伸びがあったのだろうか。今となっては後の祭り、考えても意味の無いことだ。

 

「はいっ。よろしく、おねがいします」

 

ペコッと頭をさげておさげが揺れる。ふわふわと尻尾も大きく揺れてるのが正面からでも分かる。

 

こんな喜んでもらえるなんて先輩冥利に尽きるなぁ、そんなことを思いながら、同時に別の言葉も脳内で浮かぶ。『見つけられなくてごめんね』それがこの1年生に対して一番思う想い。

 

トレーナーさんと共謀して見定め、別々に声をかけた2人が実は幼馴染で、かつ互いの間に共通の馴染みがもうひとり。聞けば3人で小中とライバルとして駆け合った仲だとか。

 

そんな3人の内2人がトレーナーから声をかけられ自分は外れ。目の前のゆるふわおさげはその事について一切口にしたことはないけれど、普通に考えれば忸怩たる思いがあって然るべきだろう。

 

3人が揃って部室のプレハブ小屋に来てくれた時も、わたしの目には2人しか目立って映らなかった。両脇に確かな光を放つ同級生に挟まれた小柄で引っ込み思案ぽい娘、それ以上の感想は持てなかった。

 

しかしトレーナーさんが『こりゃ3人まとめてだな』と面談と模擬走の間の時間に独りこっそりとため息をついきながらも、嬉しそうにしていたのを知っている。

 

「それじゃ、今日の最後ー。1200メートル全力でブッ飛ばしてみよっかー」

 

わたしが見落としたこの娘に、トレーナーさんが何を見たのかは分からない。だけど決して非才という訳じゃない。学園の門をくぐれただけでも一流なのだから。そんなシンプルな事をわたしは忘れていたのかもしれない。

 

光が強かろうが弱かろうが原石である事には変わりなく、これから如何に輝いていくのか、磨き上げていくのかそれが大事、多分そう言う事だろう。

 

ズルが出来るわたしには気づけず、トレーナーさんが見初めた資質。近くに居る事で少しづつ分かってきた、走る事に真っ直ぐなこの娘の想い。

 

「はいっ。次のグラウンド練習の時は併走お願いしますっ」

 

スタート位置につくおさげの1年生に頷きを返す。これはちょっとトレーナーさんとお医者さんを説得しなきゃだな、それは明日でいっか。そんな事を考えながら、スマホでコース反対側のトレーナーさんと連絡を取り合う。ラスト本気で走らせるから出迎えよろしく、それだけ伝えたら、腕を振り下ろしスタートの合図を送る。

 

低音を響かせて駆けていく後ろ姿、あっという間に小さくなり曲線へとさしかかっていく。うん、やっぱり横でとやかく言いながら走った方が良さそう。腕の振りも脚の送りもなっちゃいない。だから、伝えなきゃね、走る事でしか分からないこと、伝えられないこと沢山あるんだから。わたしの出来る限りを、あと1ヶ月で叩き込むから。

 

地面に散らかしていたボードや飲み差しのボトルやらを集めて既にゴールにたどり着いた後輩の元へとグラウンドを横切るように向かう。これは罪滅ぼしの自己満足なのかもしれない。だけど、誰かに想いを託すこと、意外と悪くないんだよね、これが。

 

秋から冬へと変わる時期の夜と昼の狭間の空を何の気なしに見上げて思う。ああ、本当にわたしの時間は終わったんだな、と。

 

 

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