正月気分がまだ抜けない時期の寒風吹きすさぶレース場。昼下がりに盛り上がりを見せたGⅢレースの後の最終走に挑むべく、14人のウマ娘たちがターフに足を踏み入れていた。
メイクデビューあるいは未勝利を勝ち上がった者だけが集う一勝クラス。年間20人あまりだけが名乗れるGⅠウマ娘への道のりの二つ目の関門だ。
「今日の要注意は…4番と9番…です…」
柔軟を済ませた後で少し荒れたコースの上を軽く走りながら、直前のレースまで共に観戦していたメガネ青鹿毛の先輩が言っていたゼッケンを付けるウマ娘に目を向ける。
先行策と差しの2人。ハーフパンツから伸びた脚は蠢動を繰り返し、確かな仕上がり、そして調子の良さを周りに見せつけている。特に9番、差しウマ娘はトレーナーさんさえ、ここで燻る器じゃないはずとまで評価していた。今日は殆ど無言だったくせに、口を開けば他のウマ娘を褒めるとかあり得ないんですけど、と不意に思い出して地面を少し掻いてしまう。
翻って自分は、しっかりとトレーニングは積んできたし、睡眠、休息も十分。だけどどこか、絶好調を見せてくる2人に対して気圧されている。こんな時は気合い、気合いです。口の中で言いながら目を閉じて深呼吸。
メガネ先輩からも、前目に付く先行ウマ娘を追って、最後まで差されない様に気合いで走り抜くのが勝ち筋かもと言われた。
それはトレーナーさんと立てている作戦と似た話。だけど実行するのはもう少しエグい。
先行ウマ娘には潰れて貰う予定。そのシミュレーションを何度もしてきた。それこそ学園のグラウンドは当然、布団の中で夢に見るまで。それを出し切る。
トレーナーさんからは『自分の走り』を見つける事が課題だと重ねて言われている。未だ暗中模索。中等部から学園に所属しているので競走ウマ娘としてのトレーニング歴は同級生よりも、むしろ上級生よりも長い。
だと言うのに3度の未勝利戦を要し、今は一勝クラスで足踏みをしている。どの脚質も苦手意識はないけれど、他人に誇れるほどに得意でもない。平均的と言えばそれはそうだけれど、器用貧乏の方が言葉としては似合う中途半端が今のわたし。だから最後はどうしても精神論に頼ってしまう。
誘導ウマ娘に促されて奇数番からゲートへと収まっていく。3枠6番、ほぼ真ん中の位置に脚を進める。途中一度立ち止まり跳ね返る癖毛をキュッとリボンで締め直す。去年の暮れにこっそり買ったトレーナーさんのネクタイとお揃いの色。勝負リボンと言っていいかもしれないそれは、同級生へのささやかながらの宣戦布告でもある。
「食いついて…後は、気合い、です…。」
飛び抜けた得意が無いのなら、飛び抜けた娘に食らいつく。これが今回の作戦。
金属音と共にゲートが開くと警戒する2人のうちの1人に的を絞って追走する。アテが外れたら共倒れのこの作戦。
ターゲットの選定ミスという悲劇を招かないようにトレーナーさんとの作戦会議を増やさないとですね、そんな事を片隅に思いながら前の走者がはね上げる泥を受けつつ追尾を開始する。
緩やかなカーブから始まり長い下り坂にさしかかる。加速しがちな脚を抑えて背中を追い続ける。
こちらの視線や足音を気にしてフェイントのような動きを度々取ってくるけど気にしない。どうぞお好きに、バテるだけです。自分のスタミナを勘案しながら、嫌がり逃げようとする背中をひたすらに追いかける。僅かずつだがペースが上がり、背後を取ったまま順位を押し上げていく。
やがて急角度のカーブに差し掛かる。想定以上の速度で突入してしまい曲がる事を強いられた背中は外に外にと流れていく。ここです、ここ。幾度となく脳内で描いていた図をなぞる様に曲がりきる。相手のペースを乱して先行策を逃げの位置まで押し上げた追尾から、相手よりも内側でほんの僅か先に直線に向く。あとは直線、そして急坂が待ち受けるだけ。
「後は…後は、気合い、です。」
何度目かになる同じ言葉を口にして、踏みしめる脚に力を入れ直す。残り200を切ればそびえる坂。後ろについて消耗を抑えていたとはいえ、結果ペースを上げたためか既になまくらの脚は重い。追い立てていた足音は遠く下がっていくが、代わりに猛烈に上がってくる差しウマ娘の蹄鉄の響き。
溜めに溜めた末脚を炸裂させて並び抜き去ろうと迫ってくる。
「気合い…、です…きあい…」
『勝つ』とだけを呟き続けて走ると言った青鹿毛の同級生。『先頭の景色を探してる』と照れ笑いを浮かべたゆるふわおさげの同級生。自分よりも先に進んでいる2人を思い浮かべ、脚を回す。誰にも負けたくない、同級生にだって先輩にだって。ヒリつく喉、呼吸無しの全力疾走に視界も狭まる。
前傾が深まり芝を思い切り蹴り上げる。横とか後ろとか最早気にしてられない。ただひたすらに駆けて駆けてゴール板の向こうを目指す。何も聞こえなくなる、静寂の一瞬、そして湧き上がるスタンドからの歓声。それがわたしがまた一歩、目指すレースに近付いた証だった。
◇
迫る差しウマ娘の猛追をなんとか凌いで半バ身
の差で1着を掴み取った後輩の姿に席を立ち上がり手を叩いて称える。
一番人気の娘の背後にピッタリと張り付き、追い立てるだけ追い立てて最後にカーブを利用して置き去りのスパートを決めた姿に彼女らしさ、を見た気がした。
本人は薄味のつもりで振舞っているが結構な癖ウマ娘な後輩。いや癖が強いのは自身含めて全員か。思い浮かぶチームメイトの姿、言動に癖しか無い気がしてきた。頭痛がしてくる前にメガネを直して隣で腕組みをしているトレーナーさんに声をかける。
「作戦どおり?」
「ああ」
返事は短い。今日は今走っていた後輩を交えてたっぷりとレースを見た。トレーナーさんは時折言葉をくれる以外ほぼ無言。
わたしがレースごとの解説やらなにやらを後輩にレクチャーし続けで軽く疲労感を感じている。あれこれ話をしていた彼女が無事に1着を獲れたのは何よりだった。
しかしトレーナーさん、レース場に着いてからほぼ物言わぬ地蔵となりこちらに丸投げをして来たのはなぜか。今日の観戦は珍しくトレーナーさんからの提案だったはず。引退した3年の先輩も同級生のサイドテール娘も、あるいは走者だった1年生の同級生の誰も誘わず、わたしと癖栗毛の2人だけ。
「それで…いいのか?」
あまりにも言葉が足りない。どの何が良くて悪いのか。だが控えめに言ってくる様子にどの話なのかは伝わる。だからこちらはわざとはっきりと伝える。
「はい。わたしのゴールがそこだった、ただそれだけの事ですよ」
翌週に控えた京都での同級生との一戦。GⅡレースだけあって他の出走ウマ娘だって侮れない。
けれどわたしが意識するのはたった1人。恐らく相手もそうだろう。だから、きっと傷痕を残してしまうんだろうけど、でも決めた事だから。
「そうか」
それだけの返事。普通は避ける同門対決。
グランプリレースならいざ知らず、重賞レースに同一チームから出走するのはあまり好まれない。
余りに力の差のある2人の出走では勝利のための展開操作を疑われがちであるし、仮に拮抗して1着、2着を独占できたとしてもトレーナーにとっても旨みは多くない。
トレーナーの評価実績として積み上がるのは先ずは1着の数、あとは入着か着外。年間に走れるレースの数に限度がある中で力のあるウマ娘の1着のチャンスを捨てることに繋がるし、まかり間違って両者着外だなんてなった日には目も当てられない。
だけどトレーナーさんが言っているのはそんなことでは無い。むしろその辺の心配をぶつけた時には、些細なことだ、と一刀両断してくれた。彼が懸念を示したのはそれよりも後のこと。そう、レースの後の事だ。
「自分で、決めた事…ですから。それより多分、いえ、必ず…とても迷惑かけると思うので…」
無意識に膝に手を伸ばして触れてしまいながらトレーナーさんの顔を覗き見る。自分の身体だ、レースに出ればどうなるかなんて分かりすぎる位に分かっている。だからその後の事も全部決めた。不慮でも不測でもないからこその振る舞い。
「今更、だろう?望むのなら応えるのがトレーナーだ。例え他の誰にも理解されなくてもな」
大きく息を吐きながらトレーナーさんが言う。そうだ、そういう人だった。ウマ娘が望むなら何をおいても優先して実現しようとする。
このチーム自体、その結果産まれたものらしい。それを知ったのはごくごく最近の事だけれど。
場内放送がウイニングライブの開催を告げる。後輩のハレの舞台。そしておそらくわたしが見る最後のライブ。
リリカルなイントロが聴こえて照明が色を変える。その真ん中で躍動する癖栗毛の後輩。この娘にも何か託せたのかな?そんな思いが過ぎりながら、歌い踊る姿を見ていた。