星屑の円環 −モブトレとモブウマ娘の話−   作:華月響音

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『過去は死んでいない。それは、過去ですらないのだ』

――ウィリアム・フォークナー



4章4話 墓守4

 

中山11Rで、15番ワンスプロミスは、下記疾病を発症したため、決勝線手前で競走を中止した。

 

靭帯損傷・断裂及び中足骨疲労骨折

 

 

(URA発表による)

 

 

 

 

 

 

桜舞い散る季節に輝かしい一歩となるはずだったその瞬間からの暗転。

 

先頭を駆けていた彼女がガクンと速度を落として外周側に逃げる。やがて蹲る様に動きが止まり、助けを求める悲鳴だけが響く。

 

『痛い、痛いっ、いたいよ、トレーナー、さんっっ』

 

『脚、あ、し、がっ、ぁぁぁ、っ、と、れーなー、さんんっっ、あし、わたし、の、あし、っ、がっ』

 

甲高く脳髄に響く声に、わたしは一歩も動けずに立ち尽くす。距離があるはずなのにはっきりと耳に届く。

直ぐに向かわなければ。通路に降りて、彼女の元に行かなければ。脳はそのような司令を出すが、足は竦み上がりたったの一歩も踏み出せない。

 

最後のコーナーカーブを抜けて直線を駆けるその途中。強引に加速しながら追い縋る後続を突き放そうとした瞬間。不自然にヨレたかと思うとそのままターフに崩れ落ちる教え子の姿。

 

『あぁ、どこ、ねぇ、トレーナー、さん、どこ、きて、よ、ああっ、いた、いっっ』

 

やがて救急隊が搬送の為に姿を見せ、担架に悲鳴の主を載せるとそのまま搬送していく。レースは終わり順位が確定した後も競技中の事故の動揺はスタンドに漂ったままだ。

 

『ねぇ、どこに、いるの、とれー、な、さんっっ、ねぇ、っっ』

 

ほんの僅か目の前を通り過ぎる。助けを求める彼女とはるか距離を空けて一瞬目があった気がした。その涙に濡れ、幼子の様に周りに誰かを探す目と視線が交わった、そう感じた時、わたしは走り出した。彼女の元へではない、自分の張りぼての居城である学園のプレハブ小屋に。

 

 

 

 

 

 

「――追い縋る8番、末脚で迫る、が強い11番寄せ付けない、突き放す、これは決まりか――」

 

大音響でレースの実況が流れる。ぼんやり眺めていたそのレースは事前予測の通りに中盤からスルスルと抜け出した11番のゼッケンの娘が1着となった。笑顔で短い勝利インタビューを受ける様子が流れ、何度も『トレーナーさんが』と指導者への感謝を伝えている。そのせいだろうか、かつて自分に幾度となく笑顔を見せてくれたウマ娘を思い出してしまう。

 

 

『負けちゃいました…でも、次こそは』

 

『わたしは大丈夫です。落ち込まないでトレーナーさん』

 

『2人で勝つんです。わたし、まだまだ折れませんよ』

 

 

どうしても勝ちきれない彼女に対して冷たく当たったこともあれば、自分の指導や事前の戦略組み立ての不出来に自信を失いかけたこともあった。

その度に笑顔で、常に笑顔で呼びかけて共にある事を望んでくれた。彼女の折れない心は、当時のわたしのかけがえの無い支えだった。

 

そして、心より先に、脚が折れた。わたしは彼女の支えになれなかった。1番求めていただろう時に尻尾を巻いて逃げたのだ。自分の唯一の担当が、競走バ生を終えてしまうその場面から。

 

 

 

 

 

 

『辞めないで、下さいね?』

 

手術が無事に終わり容態も安定した頃、学園側から何度となく促され、わたしは漸くに教え子の病室を訪れた。

共に居たのは母親だろうか、少しだけ年配のウマ娘。髪色のよく似た穏やかな人だった。自分の娘を見捨てて引きこもり、今の今まで見舞いどころか、連絡のひとつも寄越さなかったわたしに何か言うことも無く、軽く一礼をして病室を出ていった。

その後、教え子から出たのが先の言葉だ。自らの競走能力の喪失に直面していると言うのに何を言っているのだろうと、聞き返してしまった。

 

『寝てないでしょ、トレーナーさん。』

 

『わたしが見てないとご飯もちゃんと食べれないですもんね。』

 

『お風呂入ってます?シャワーだけじゃダメですよ?』

 

ボサボサの髪や厚塗りの化粧でも誤魔化し切れない目の下の隈を指摘しながらこちらの生活態度を指摘してくる。

 

そんな事を言ってる場合なのだろうか。わたしは、見捨てたんだぞ。顔も見せずに音信不通になっていたわたしを何故そんなに労るのか。言葉も返せずに立ち尽くしたままのわたしに、彼女はサイドボードから茶色の封筒を引っ張り出して、手渡してくる。

 

『お別れ、です。』

 

『わたしは沢山、夢を見せて貰いました。』

 

『だから、辞めないで下さいね。』

 

押し付けるようにしながら彼女は言った。わたしは肩が震え、視界もボヤけて何も言葉を返せない。

 

担当を持ったのは彼女が初めてではない。つまり、夢を途中下車せざるを得ないウマ娘は何人も見てきた。契約を終えることは、始まりがあった以上どうしようもなく訪れる事だ。

それでも慣れるものでも無いし、こんな別れ方はまだ経験が無かった。

 

『知ってました?本当はわたしもう…折れて、しまってたんですよ?』

 

無言のままのわたしに向かって、彼女は声を潜め、内緒話の様に言ってくる。折れて…脚の事じゃない位は流石に理解出来た。

 

『でも、トレーナーさんはわたしの為にいつも、前を向いてくれましたよね、一緒にって』

 

そんな素振りのひとつもなく、いつもわたしを鼓舞してくれたのは彼女の方だ。どうしてそんなことを今、言うのだろうか。それよりは見捨てた事を責め詰られた方がよっぽど良かったのに。

 

わたしは知らなかったのだ。

共に前を向くことが、どれほど残酷に彼女を縛っていたか。ウマ娘にとって、トレーナーの「期待」が何よりも逃れられない呪縛になることを。

彼女は私のために、とっくに限界を超えていた心を偽り、わたしのために『夢に向かって駆けるウマ娘』を演じてくれていたのだ。

 

その結果が、これだ。

 

『だから、です…辞めないで下さい』

 

『わたしはもう、ご一緒出来ません。でも、わたしというウマ娘が居たって事、忘れられないようにして下さい』

 

そこまで言うと、彼女は大きく息を吐いてベッドへと体を沈ませた。

 

こちらからはもう、表情も伺うことが出来ない。その後は沈黙だけが支配をして下手をすれば一時間以上だったかもしれない。

 

わたしは最後に、辛うじて了承の言葉を喉から絞りだすと病室を辞した。

 

 

 

 

 

 

それから何年が経っただろうか。この時の教え子は、後から『わたしがいいと言うまで』と期限をメールで知らせてきて以降は年賀の挨拶のみの仲となった。

それでも律儀に駆けることは出来なくとも何とか日常生活では杖無しで過ごせている事。ウマ娘向けのコスメ業界で職を得た事。また近年は良縁に恵まれそうな事を毎年知らせてきた。

 

それに引替えこちらはどうか。事故は風化しても、担当ウマ娘を見捨てたトレーナーとしての悪評は付いて周る。当然スカウトなど見込めるはずもなく、担当無しが続けばサブトレーナーと言う道もあったが、こんな凶状持ちを抱えるチームなどあるはずもない。

 

だが、そのような状況でも、稀にこの小屋を訪れるウマ娘は居る。初めは年に1人か2人だった。

 

トレーナーが凶状持ちだろうが何だろうが、彼女たちをレースに出走させる権限を持っているのがわたしだからだ。

 

様々な理由から、契約解除を突きつけられ、それでもまだ諦め切れずに藁を掴むつもりでやって来るウマ娘たち。

当初は断っていたが、学園側からの圧力、担当無しのトレーナーを無為に抱える事は出来ない、としごく真っ当な言葉に折れざるを得なかった。

 

だが、それは属していたチームを放逐され、それでも走ることを辞められない彼女たちの、壊れかけの心に負荷を掛ける所業だ。それだけは断じて許されない。彼女たちは誰に強いられることなく駆けなければならない。

 

そこでわたしは最初の篩として獲得賞金の半分を契約の対価として要求した。これは周りの学園関係者には強欲のように思わせることは出来たが、ウマ娘たちには殆ど効果はなかった。

 

学生である彼女たちにとって、即座に手元の現金が増える訳でもなく、あるいは勝てなかったからと言ってペナルティとなる訳でもないからだ。まあ、一部のトレーナーたちが、そんな条件のチームに行ってしまうならば、と寄る辺の無くなったウマ娘たちを受け入れる姿勢を見せた事だけは効果があったといえた。

 

毎朝のルーチンとして練習場の抽選結果を所属のウマ娘たちへとアプリを通じて伝達する。トレーニングの内容も学園で彼女たちが最初に学ぶ教官たちのものを利用し、負荷の度合いだけを個別に指示をしておく。

希望のレースへの出走願いは受け取ったままに申請し、その結果を各個人にこれもアプリ上で伝える。接点を最低限のそれ以下に絞り、関わるつもりが無いことを明確に示した。

 

わたしは彼女たちに期待していない。期待してはいけないのだ。

 

それは真っ当ではあるが相当の圧力をかけてきた学園に対する当てこすりなのか、最後に指導をした教え子への義理立てなのか、今となってはよく分からなくなってしまったが。

 

それでも定期的にチームの人員は補充されて行く。ただ、同時にチーム、そして学園を去って行く人数とほぼ同数。去りゆく彼女たちへの支度金の用意や、ごく稀にだが賞金の返還。最初の生業の手配など、年中行事のように押し寄せてくる。

 

 

 

 

 

 

『――7番苦しいか、差が開いていく、9番の脚は落ちない、ここで12番が上がってきた、届くか、間に合うか――』

 

モニターの中をゼッケン姿のウマ娘たちが駆ける。

苦しく、届かず、間に合わなかった、その娘たちの中央での競走バ生の最期を看取り続けるのが今の自分の役割だ。それ以上でもそれ以下でもない。

 

壁に貼り付けられた白地に黒の十字が染め抜かれたチームの旗が空調の風にひらりと揺れた。

 

 

 

 

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