星屑の円環 −モブトレとモブウマ娘の話−   作:華月響音

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4章5話 肇春の辞別

 

前日に降っていた雪は止んで除雪作業を終えたターフがキラキラと日の光を反射していたのは午前中まで。10のレースで踏み荒らされ、その度に整備はされていても発表は稍重、曇天。

 

パドックを終えて本バ場に体操服姿の16人のウマ娘たちが姿を現す。クラシック戦線を駆け抜けてきた2年生と、その実績を買われ4年目、5年目へと足を踏み入れた経験豊富な上級生との対決。

そんな手強い上級生たちをターゲットに絞込み対策を立てて挑まなければならないレース、本来なら。

 

「やっと、だね」

 

ゲート入り前の時間に、サイドテールの娘が青鹿毛の娘に声をかける。互いのゼッケン番号は離れていて青鹿毛が内枠、サイドテールは外枠だ。

 

「…お互い、良い枠になりましたね。でも勝ちますよ」

 

青色の瞳が真っ直ぐにサイドテールの目を射抜く。普段は眼鏡をかけている分、段違いに目力が強い。言葉の後はクルリと背を向けて収まるべきゲートへと足を進めていく。

 

「あたしだって、ね」

 

キュ、と拳を握り直して、普段は眼鏡姿に大荷物で早口でウマ娘の事を語り続ける青鹿毛の背中を見送る。と、不意に肩を叩かれて振り向く。

 

「相変わらず、変わってんなぁ、お前らのトコ」

 

どこかで見た栗毛が親しそうに何度も背を叩いてくる。チームメイトと駆けるだけなら練習にしとけよ、などと言いながらも、春の盾を目指してるであろう他の走者からの冷ややかな目から庇ってくれている様だった。

 

「お前はGI惨敗後の初戦で、向こうさんは上がり調子で春戦線狙いってか?ま、なんにせよ借りは返さねぇとな」

 

しっかし、わざわざ当ててレース選ばなくてもいいだろうになぁ、と同情めいた口調で続けて周りに聞こえる様に言う。

まるでトレーナーの意向により振り回されての出走だと言わんばかりだ。

 

「フォローありがと。でも勝つのはあたしたち、だからね」

 

そう言い残し一瞬だけ目を合わせると鉄籠へと脚を進めていくサイドテールのウマ娘。

 

「言うねぇ、アンタのとこが一番ヤバいって、みんな思ってるんだぜ?」

 

背中を見ながら栗毛のウマ娘もゲートへと収まる。

 

中団の支配者然として振る舞う青鹿毛に、終盤後方からぶっ飛んでくる黒鹿毛。

周りの目線が冷たかったのは同一チームからの出走というイレギュラーを踏んだ事だけではなかった。

 

単純に、無視できない強者が紛れ込んできたが故の警戒。もう少し早く出て来ればクラシック戦線も荒れたろうになぁ、と自分のトレーナーが言ってた事を思い出す。

特に黒鹿毛のサイドテール、秋に初めて駆けた時とは違う雰囲気にブルリ、と体を揺らす。同時に煌々と緑の瞳を輝かせながら前傾姿勢に構える。

 

 

 

 

 

 

鈍い音が響き鉄扉が開く。同時に踏み出される脚が奏でる重低音が場を支配する。一歩、二歩、三歩、絶好の飛び出しに左右のウマ娘も負けじと速度を上げる。

競り合うかに見せて下がる、が2人は牽制し合い逃げウマの位置まで届いてしまう。それでいい、前に4人、その背中を追い、少し緩い足場に脚をしっかりと踏み込む。

 

やっぱり、ね。雪に濡れ、十度踏みしめられたターフは膝に重みが蓄積していく様な感覚。

 

『お前たちの走りを魅せてくれ』

 

レース直前、控え室に来てくれたトレーナーさんが言った言葉を反芻する。3人だけで乗り込んだレース場。サイドテールの同級生にも同じ事を言ったがな、と追加で半ば独り言での言葉もくれた。

それは今言わなくてもいい情報じゃ無いかな?とジト目で見つめると、まだ何か言いたげな顔で、それでも無言でトレーナーさんは部屋を辞していった。

 

本当の本当は走って欲しい訳じゃない。それは分かってる。分かった上で私は彼女との決着を望んでいる。

それも理解されていたし、それ以上に私たちがどんな輝きを煌めきを魅せるのか、その期待に抗えないのが私たちのトレーナーだと言うのも理解していた。

つまるところ、お互いの抗えない欲に対する共犯関係といえるかもしれない。ただ、その先にあるのは破滅でしかないのだけれど。

 

カーブを抜けて序盤の競り合いがひと段落して縦長の列が形成される。あの足音はまだ聞こえてこない。前走で幻聴まで聞かされたあの音。聞こえもしないのに踏み出す脚に力が入る。

 

まだ、まだ、その時じゃない。懸命に気を逸らせながら、横にブレて直後方の進路を塞いでおく。直線が終わり3度目のカーブを越える辺りで背後の威圧感が増していく。加速を始めた後方に、懸命に前を守ろうとする4つの背中。じわりじわりと距離を詰めていく。駆ける脚が何度も重く地を蹴り上げる中で、あの音、を耳が捉える。焦がれるほどに待ち望んでいた、最終盤での番狂わせを誘発させる蹄鉄の響きが。

 

 

 

 

 

 

今まで無いほどに脚が軽い。最後尾からの加速は続き、大外から曲がりを抜けていく。GIでは煮湯を飲まされた。だから採った対策は大外の更に外、壁を強引に追い抜くほどの外側。

距離のロスなんて瑣末ごととさえ言えるくらいの十二分な加速ができれば勝ち負けまでは持っていける。道中誰を、あるいは何人を抜いたかなんて、どうでもいい。

 

ただ探す背中はひとつだけ。先頭集団の底で前も後ろも威圧する様に空白地帯を作りながら前方へと進軍しようとしてしている青鹿毛を靡かせたあの背中。

 

『来たよ』

 

『待ってた』

 

加速を続けたまま、直線に入ったところで並び駆ける。チラリとこちらに青色の瞳が向く。と、同時に更に加速して逃げようとする。追いかけてまた並ぶ。幾度か繰り返す。ほんの僅かのその瞬間が、何倍の時間にも感じる。

 

2人だけで駆けている様で、周りのことなんて全く目に入らない。ただ、隣にだけ競りかけて前を奪い合う。

永遠に続いて欲しい。やっと、ようやく、本気で駆けてる。昔に夢想していた煌びやかな勝負服でなく、泥塗れの体操服姿だけど、それでも友達だ、仲間だ、好敵手だと思った相手と、曇りなく走る。

 

一歩一歩が惜しい、駆けるほどにゴール板が近づく。誰よりも、先輩やトレーナーよりも早くにあたしに気がついてくれた、この親友と駆けていたい。

 

もっと、もっと、いつまでも、この瞬間。終わらないで。

 

 

 

 

 

 

それは待ち望んでいた時だった。何一つ遠慮することの無い本気のレースの中で貴女と競う。

重かった膝も悲鳴を上げる様に軋んでいた足首も、何も気にならない。競りかけられて追い追われて、どちらが前に残るのか、たったそれだけのシンプルな話。

だから前に出る。相手よりも一歩、半歩でも前へ。追い比べは続く、いつまでもいつまでも駆けていたい、貴女と。

 

初めて会ったのは入学して少ししてからの模擬レースだった。今も変わらないサイドテールに結った黒鹿毛を揺らして、自信なさげに不安げに周りを気にして、案の定の出遅れ。

それでも最後尾からの追い上げは気になるものがあった。とはいえ結果は後ろから二番目。以降はなんとか先行気味のポジションは獲るものの毎度の様に競り合いに負けて結果は全く出ないまま。

 

そして迎えた選抜レース。そこでは競り負け崩れて最下位。この時がわたしと彼女の初めてのレースでもあった。

 

多分本人は黒歴史扱いで思い出したくも無いだろうけど。わたしははっきりと覚えている。

沈んでいったサイドテールの娘が駆け上がってくるんじゃないかと。

その警戒と期待が自分のレースからの集中力を奪ってしまった。彼女を責めたいわけじゃない。なぜか、どうしてかあの凡走の模擬レースで見た末脚が頭から離れなかったのだ。

 

私だって掲示板入りはしたものの人のことなど気にしてる立場でもなかった。結局スカウトも無くて教官による基礎トレーニングに追われる日々が続いた。

 

それから紆余曲折あって同じチームになって、同じ時間を多く過ごした。未勝利戦では共に足掻いて、トレーナーさんに甘えてみたり、先輩と冷戦してみたり。

 

療養中は3日に一度は顔を見せてくれてたわいも無い話をして、チーム復帰後は共に練習に励んで、互いのレースを応援して、同じレースを走るためにちょっと距離を置いてみたりして。

 

わたしの競技バ生を語るのに欠かせない、いや必須となった彼女。ライバルで親友で、それ以上にわたしの眼を灼いた走りをしてくれる同級生。だから彼女と駆けたかった。一歩、一歩ゴール板に向かう中で、最後になんて、したくない、まだ、もっと、共に駆けることを願った。祈った。

 

 

だけど、それは、何かが砕け潰れる音と共に唐突に終わった。

 

 

 

 

 

 

次に気付いた時には競っていたはずの隣が消えて、自分の背中を通り外側へと流れていく姿。崩れた前傾姿勢、明らかに左脚に力が入ってない。

 

コマ送りの様な瞬間、風を切る轟音が左右を抜けていく中で共に駆けていたはずの青鹿毛が壊れ崩れる姿から視線が外せない。のに、なんで、そんな顔で。満足したって笑い顔、俯いてたって髪で隠れてたって、わかるよ。

どれだけ憧れたと思ってた?周りを統べるその姿に、焦がれてたのに。なんで勝手に走るの止めてるのさ。

 

崩れそうな体勢のままなのに、青鹿毛が不意に前を指差す。その仕草、先を示す指。

 

分かった。そうだ、まだ、レースは終わってない。示す先、さっきの音は追い抜かれたって事か。少し先に2つの背中が見える。

 

『征って、魅せて』

 

踏みしめた脚、蹴り出す瞬間に風の通り道が生まれる。追い風と共に木の葉舞い散る幻想。

 

飛ぶ様な感覚。残りほんの僅かの距離を駆ける。

意識が消えそうになる。周りの景色も何もかもが消える。

 

さっきまで2人で駆けていたはずの場所。今からは独りで駆け抜けていかなきゃいけない。でもね、だけどね、だからこそ。頭の中で渦巻く気持ちが踏み出す脚に力をくれる。駆けるのは、あたしひとりだけじゃないから。

 

 

 

 

 

 

落伍者を出したことへの揺らぎをはらみながらも歓声が場内を震わせる。その中で天を掴む様に片手を挙げて勝利者である事を知らしめる。掲示板の最上段に表示された16という数字。

 

ようやく掴んだ重賞初勝利。慌ただしくインタビューが行われて、その流れで衣装替え、ウイニングライブと進んでいく。翻弄されて全て終わった後の控室には精魂尽き果てた様子でサイドテールの黒鹿毛ウマ娘がパイプ椅子に座っていた。

 

「…トレーナー、チルは大丈夫、かな?」

 

ようやく聞けた、と怒涛の様なレースの後を終えて瞳を揺らしながら目の前の男に問いかける。

 

緊急搬送された、生命には関わらない、とだけライブ前に伝えられた同級生のことを尋ねる。一方でトレーナーは無言のまま。バインダーを小脇に抱え、腕を組んで目を閉じたままで口を開きそうもない。

 

その様子に苛つき床を何度も爪先で蹴りながら催促する。幾度かかぶりを振ったトレーナーは意を決したように真正面からパイプ椅子に座る今日の勝利者となった教え子に告げる。

 

「…『コノハマイチル』という名前の競争ウマ娘は、もう居ない」

 

努めて感情を消した声が男から溢れる。暫くの沈黙。

 

次の瞬間、絶叫が控室に響いた。

 

 

 

 

 

 

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