「先輩は…何のために、走ってました…?」
助手席で無言のままだったサイドテールの後輩が、こちらに視線を向ける事なく正面を見たままで声をかけてくる。高速に上がり順調に道半ばを過ぎたところでようやく口を開いたかと思えばそんな質問だ。
「初めは楽しいから、これに尽きたかな?アイツが走れなくなってからはトレーナーのため…って事にしてたっけ。」
ハンドルを握る指を軽く浮かせてトントンっと叩く。国際線のターミナルはこっちだったか?進路を変えながら瞬間だけ視線を後輩に向ける。
まだ萎びた雰囲気のままだが、同級生に会えるかも知れないという想いが彼女を動かしているのだろう。目はプレハブ小屋の前で佇んでいた時よりも光が戻っていた。
「…事にしてた?」
「ああ、アイツの怪我の時も何故か大袈裟に報道されてな。普通、専門紙くらいでしか取り上げられないんだけどな?重賞未勝利のオープンウマ娘なんて、コアなファン以外には数合わせくらいにしか思われちゃいないし」
そのコアなファン、のおかげで今も草レースにお呼ばれしてるんだけどな?と少し自慢げに言ってから言葉を続ける。
「で、アタシが勝てばトレーナーにもハクが付くだろ?くだらない記事を書いたヤツも見返せるだろうって、だからトレーナーのためにってな…本当は、この場でお前だから言うけど…走れなくなったアイツのため、だった」
少しアクセルを踏みながら前の車を追い越す。ハザードを焚いて謝意を示しながら目的地に予定より少し早く着きそうだと一呼吸を入れる。
「そう、だったんですね…」
「ああ、けどま、重賞じゃ1つも勝ちを獲れなくて終わったけどな」
カラッと笑って、現役時代に何度も無謀だと言われて駆けたレースを思い出す。競技中の事故で走る事が叶わなくなって落ち込んだ同級生。更に追い打つように、自分のことやトレーナーのことを面白おかしく書き立てられて、精神的にかなり追い詰められていた。
その時に、約束したのだ。同級生の分まで駆けて、見返してやる、と。だから常に格上だけを狙って走り続けたのだった。想いを残されるってのはキツいんだよな、と勝てないままに卒業を迎えて抱いた本音は言葉には出せずにまたチラりと後輩を見る。空港が近づくにつれて緊張感が増してウマ耳がかなり忙しなく動いている。減速してエントランスに差し掛かり、やがて車止めにて停車する。
「行ってこい、帰りは連絡しなよ」
肩を叩いて降車を促すと、大きく深呼吸してシートベルトを解くサイドテールのウマ娘。まるでレース前の様な張り詰めた表情のままで車を降りると一礼だけをしてガラス張りの自動扉の向こうへと小走りに駆けていく。
◇
国際線のチェックインカウンターの前は混んでいて旅立つひと、見送るひとでごった返していた。その中でたった一人を見つけるのは難しい。だからもう、恥も外聞も無く大声を上げる。
「チルっ、コノハマイチル、どこにいるのっ」
ウマ娘が腹から声を出せば相当のボリュームで、周りがざわつけば警備のヒトもウマ娘も何事かと声の主に視線を向ける。
あぁ、目立っちゃってるよ、何やってるんだろう。心の中で諦め顔の自分がボヤいている。それでも、こんな今生の別れなんてあり得ないから、ともう一度声を張り上げ名前を呼ぶ。流石に2度も大声を出せば不審者確定と警備員と警備ウマ娘に取り囲まれそうになったところで、聞き覚えのある声がした。
「はいはい、恥ずかしいから静かにね。あ、連れが煩くして済みません。ちょっと迷子になってまして」
ちょ、なにその言い草。言い返そうと視線を向けて、思いの外に低い位置から声が聞こえた違和感の理由を知った。その瞬間に顔を見たら問い詰めてやろうと思っていた気持ちが砂の様に崩れる。
「あ…髪、切ったんだ」
車椅子に乗った同級生を見て、初めに出た言葉はなんとも間の抜けたものだった。それに対して伸ばしていた青鹿毛を肩の位置でバッサリと切ったメガネのウマ娘は薄く微笑む。
「ちょっとね。…来たんだ」
「先輩たちに助けられて、かな。…ね、なんで、どうしてこんな?」
車椅子を押していた同級生と良く似た顔のウマ娘がその場を少し離れ、周りに集まった警備の人たちに頭を下げながらなにか説明をしてくれているのを横目に、およその経緯を粗く説明しながら、足らずの言葉で尋ねる。
なんでこんな会えるか会えないか分からない様な残し物をしたのか。なんで荷物纏めて居なくなったのか。なんでレースを走るって決めたのか。どうして一言も説明してくれなかったのか。問いたい事が多すぎて、それが上手く言葉にならない。
「…一言で言うと…忘れられたくなかったから、かな」
見上げてくるメガネの奥が揺れている。忘れるなんて、そんなわけないじゃん。何言ってるの、と思わず顔を寄せて語気も荒くなる。
「だって、これからまだまだ走るじゃない?あの世界で…そうしたら、もう、走れなくなったトモダチの事なんて忘れちゃうかな、って、ね」
「そんな訳、ないしっ。バ鹿な事言わないでよ」
怪我人だと言う事も忘れて肩を掴んで揺さぶる。さすがに顔を顰められて慌てて手を離す。その仕草に苦笑い気味の表情を浮かべながら、胸元のポケットから真新しい携帯を取り出す青鹿毛メガネのウマ娘。
「折角、新しいのにしたのにな…はい、こっちに寄って」
ぼやきながら、まだ近い距離の黒鹿毛の首元に手を掛けて引き寄せる。乾いたシャッター音が鳴って、互いの半泣き顔が画面一杯に映る。
「だから連絡つかなかったんだ…最初は病院だからかなぁとか思ってたんだけど」
まだケースにも入ってない見覚えのない剥き身の携帯を見ながら黒鹿毛が言う。
なるほど番号ごと変えちゃってたか、なんだか徹底し過ぎてて、改めるとヒクなぁ。会えたからいいけど、とメールで送りつけられてきた写真を確認して保存したところでまじまじと親友の顔を見る。
言わなきゃいけない事、半分以上飛んでしまったけど、これだけは告げないと、そう思い口を開こうとした時。
「なんか付いてます…?あ、そうそう、トレーナーさんのアイデアなんですよ…絶対に忘れられなくするにはどうしたらいいって聞いたら教えてくれて」
「は?」
共謀なのは分かっていたけど、トレーナー何を思ってこんな策を提案したのだろうか。そもそも、されるあたしの事は一切考慮されてない辺りがどうかしている。悩んで病んで走りたくないとか言ったらどうするつもりだったんだろうか。
「なんでも、自分がされたことだとかなんとか…部屋の私物もトロフィーも一切合切一晩で無くなったそうですよ?」
「…それは……っていうか、部屋?部室?」
さらっと言ってるが情報量が多すぎる。トロフィーってことはウマ娘?部屋って何?部室じゃない?というかトレーナーがされたって、どういう。
「あ、時間になるから、もう行かなきゃ…」
響く館内放送にウマ耳を少しへたらせながら青鹿毛メガネの車椅子ウマ娘が目の前で混乱気味のサイドテール黒鹿毛に伏し目がちに言う。
「っ、ぁ、ひとつだけ、ひとつだけ絶対言わなきゃいけない事、あったんだ」
戻ってきた車椅子の背後のウマ娘が握りに手を掛けて移動を始める仕草に慌てて言葉を紡ぐ。ここに来るまで考えて考えて、顔を見て、話して決めた想い。
「あたしは…あたしのために走るから。チルにトモダチって言われたあたしでいるために」
「そう…見てるから、魅せて、ね?」
ふわりと笑い顔を浮かべるメガネの親友の首元に抱きついて、囁く。
「うん…征って魅せるから」
共に駆けた最後の瞬間の言葉の答えを告げた。