日本トレーニングセンター学園、略してトレセン学園、それは優秀なウマ娘が集い、切磋琢磨し頂点を目指す学び舎。
毎世代綺羅星の如き才能が現れ、世を熱狂させ、あるいは消沈させる、中高一貫、総生徒数2000余人というマンモス校、その中庭で。
「結局、重賞では勝てなかったケド、走りきったとは思ってるんだ」
白地に花を飛ばした着物に紺地の袴を履いた小柄なショートカットの芦毛のウマ娘が隣の男性を見上げる。
学園に入学して暫くの全体練習で無茶苦茶な走りをして力尽きたところを拾ってくれたトレーナー。どこまでも諦めずに足掻いて駆ける姿が気に入ったと言ってくれたのはもう3年前のことだ。
「そうか。無茶をさせたとは思ってるんだ。だが、満足しているならそれでいい」
普段はぼんやりした振りを止めないが、レースとなれば殺気に近い何かを振り撒いてとにかく逃げを打つ彼女。最後の何戦かは凄みすら増していてかくやと思わせるものまであった。
「ん。なんかね、うん…。説明できないな」
毎度毎度、ゴールを越えた先での減速すらできず地面にダイブが代名詞になる程に死力を振り絞り駆けた3年間。
最初で最後となったGIレース以後の心境の変化、ウマ娘としての大切なナニカの一つを喪ったそれは今はまだ言語化はできそうになかった。
「でも、やってみたい事、見つけられたから。…オープン一勝止まりのウマ娘の言う事、聞いてくれるか分かんないけど」
競走ウマ娘生活最後付近では入着も増やしていたが、ついぞ重賞勝利には届かなかった。
先日、あっさりとひとつ下の後輩が重賞2勝目を上げていたが、眩しくは見えても悔しさを覚える事もなく手荒く祝福してやったところだ。
「そう言うな。完走出来た事自体が誇れる事なんだからな」
「お前の、我武者羅な輝き、折れない煌めきを側で見れてよかったよ。ありがとう」
男はポン、と芦毛の頭に手を置く。卒業後、専門学校に通いながら、先達のツテを使い就学前、あるいは低学年のウマ娘たちを集めたトレーニングクラブで下積みをするつもりだと聞いていた。この卒業生は、トレーナーを目指すと、そう宣言したのだ。
レースへの情熱が霧散してしまっていた彼女に、目先を変えさせるために指導の真似事などをさせてみたのが、思いの外にアタリだったようだ。
「…ここに、帰ってこれるといいな」
へへ、っと照れた笑いを浮かべながら並ぶ男を見上げる芦毛のウマ娘。いつかまた自分が育った学園に、そして育ててくれたトレーナーの隣に、と淡い想いを乗せて言う。
「ああ、まだ暫くは俺もここに居れそうだからな」
「うん、居てくれないと困っちゃう、かな?トレーナーさんが見ている景色、見てみたいから。…それじゃ、行くね」
門の方から名前を呼ばれて手を振られている事に気づき、大声で返事を返した後で小柄芦毛のウマ娘は少しトレーナーから離れる。
「3年間、お世話になりましたっ。…でも、今後ともよろしくっ」
大きく頭を下げて言い終えると身を翻し、トトッと袴姿で駆けていく。遠く見えるのは両親だろうか、手を振り娘の名前を呼びながら、こちらにも頭を下げてくれていた。
「俺の見てる景色、ね…」
そんな高尚なものでもないさ、と背中を見送りながら独りごちる。
想いを賭けて駆けるウマ娘に取り憑かれているだけのしがない男だ。チーム名だけは北天不動の二等星を名乗ってはいるが、名前負けだなんだと外野の声も聞こえてくるような、プレハブが居城の有象無象のトレーナーに過ぎない。
「でも、それでも、…か」
巣立った教え子の口癖を真似ながら、簡素な組み上げの小屋が林立する区画へと歩を向ける。
魂を燃やし命を削る様に駆ける姿に魅入られてどれほど経ったのか。それは、駆けたい想いを不器用に胸の内に仕舞い込んでいるウマ娘たちを導くと言う今の立場に結実していた。
自分の簡素な居城の扉が開き、黒鹿毛サイドテールの娘を先頭に体操服に着替え終えた教え子たちが姿を見せ、手を振りこちらを呼んでくる。
一つの節目の日を迎え、忸怩たる思い、後悔もある。しかし前を向き、彼は歩みを止めることはない。共に歩み駆けることを選んでくれた今の、そしてかつて共に夢を追った彼女たちのためにも。
また、一年が、始まる。
本編はここで終わりです。