「ごっめーん。遅くなっちゃった」
カラン、と音を立てて扉が開くとパタパタと小走りに青鹿毛のウマ娘が入ってくる。午後の少し遅めの時間。洒落た外装の戸建てのレストラン。
足を踏み入れた先の円形のテーブルが幾つも並んだホールで、彼女はキョロキョロと目当ての場所を探す。
「今来たとこだし、だいじょーぶー」
手を振り応える声が挙がる。口にしていたものを咀嚼し終えたのだろう彼女は長い黒髪をゆるっと左右おさげにして、その姿は現役時代とあまり変わっていない。
着座しているテーブルの上には既に幾つか料理が並んでいて、今来た、なんてのは慣用句程度の意味もないのは明らかだった。
「しょうがないじゃないです?忙しいのは知ってるですし、ね?」
あちこちで跳ねて癖味の強い栗毛をポニーテールにした3人目のウマ娘が手招きをしながら空いている椅子を指し示す。
「うん、久しぶりだからーって、思ったんだけど、渋滞でさー」
頭をかきながら席につき、少し氷の溶けたグラスの水を口にする青鹿毛ウマ娘。柑橘系の薄味が喉を潤わせ、ふぅ、と一息つく。周りを見ればそこまで混み合ってはいないがチラホラと席は埋まっていて、ランチ時間を過ぎた飲食店にしては繁盛してると言えた。
「預けてきたんでしょ?大変だよねー。うん、わたしはまだ暫くはいいかなー…あ、カルボナーラ追加で」
「まずは相手を探す事からじゃないです?でも最初聞いたときはビックリでしたよ?まさか、卒業して一年で」
メニューを片手に遅れた弁解をしているのに対して、便乗して注文を通しす、ゆるふわおさげウマ娘。
対してポニーテールの栗毛はクルクルとパスタを巻きながら、重大報告、と銘打ってのメールをくれた時を思い出して少し笑う。
「あ、だって、ねぇ…」
「現役の時はトレーナーさん一筋って感じでしたし?卒業式の時も爆泣きだったし、先輩がヒクくらい」
口籠る様子に、ポニーテールが追撃する。会うたびの鉄板ネタではあるが、一番状況の変わった青鹿毛をからかう。
念仏の様に『勝つ』と呟き続けながら先頭を追い回すタチの悪い走法で幾つか重賞を手にした彼女が眉毛ハの字の困り顔になると、ようやく責め手を緩める。
「一児の母だなんてねー、あ、写真見せてよー?」
運ばれてきた料理をつつきながら、ゆるふわおさげが青鹿毛にねだる。
差し出されたスマホの画面に映る、以前に見た時よりも目鼻がすっきりとして掴まり立ちをしている姿に歓声を上げて向かいの席にも見せつける。
「髪色同じですね。目指すはGIウマ娘です?」
伸びてきた髪に同じく耳がツンと上向いている様子に癖栗毛がピザを追加で頼みながら冗談めかし言う。
自分たちは届かなかった高み、それを掴む為に死に物狂いの3年間は、それでもまだ足りなかったと思い知らされた月日でもあった。
「んー。本人がそう言ったら、かなぁ…目指そう、って気軽にわたしから言えることじゃないし」
身近にGIウマ娘を目指し、成れなかったウマ娘が居ただけに言い淀む。
マスメディアに登場するようなキラキラと輝くスターウマ娘しか知らなければ気楽に言えただろう台詞は、それこそ血反吐を吐くほどに自らを追い込み駆けていた姿を知る身には重いものだった。
「そういや先輩、まだ走ってるんでしょ?」
重賞勝利を幾つか重ね、4年目の切符を手にして最後にはマイルで栄冠までハナの差まで迫ったサイドテールがトレードマークの一つ上の先輩。
徹頭徹尾『自分らしい走り』を貫いて一等星から輝きを奪い獲おうとした彼女は未だ、どうやら海を渡ったらしいと人づてに聞いていた。
「卒業式の時、あっさりしてたもんねー」
「誰かが爆泣きして駄々捏ねてたからじゃないです?」
「ちょっと、それはもういいって。…ん、先輩かぁ、心境の変化?…でも凄みあったしなぁ」
ゆるふわおさげの指摘に、癖栗毛がまた茶化す。競争バとして一年の延長を勝ちとった先輩とは卒業のタイミングが重なったのだ。
誰がどう見てもトレーナーにベタ惚れでなんなら依存してるとさえ見えた先輩が、予想外なほどに冷静に別れを告げたのは意外だった。その様子を当時泣いて騒いでいた、今や一児の母となった青鹿毛ウマ娘が振り返る。
式が終わり、チームで集まりトレーナーとの別れを惜しむ場で、勝負服を模した濃紺の振袖姿で艶然とした表情を浮かべてトレーナーに何事か告げた先輩。
完全にフリーズしたトレーナーが再起動する迄には踵を返して笑顔で学園を去って行った。
先輩が何を言ったのかは定かでは無い。が、夏のチーム合宿に1日か2日程度顔を出していたそうなので、決定的な何かでは無かったのだろう。
くっついたワケでも無さそうなのでいいですけど。と癖栗毛がパスタを食べ終えてチーズたっぷりのピザに手を伸ばしながら独りごちる。
その後も思い思いに近況報告を重ねながら、テーブルに運ばれてくる料理を片付けていく。と、不意に店内のスピーカーから勇壮な音楽が響く。
同時に照明が少し暗くなり、今まで景色や料理、メニューといったものを映していたサイネージが競バ場の映像へと切り替わる。
「あ、もうそんな時間なんだ」
「わたしたちには縁の無かったレース、ですね」
「自慢の後輩、だね。会ったこと無いけど」
3人の視線が一斉に向くとそこにはちょうど、黒いチョーカータイを付けた紅色の着物を模した勝負服のウマ娘の姿が大写しになる。スタンド側に手を突き出し指して何かを大声で叫んでいる。
「『トレーナーさん、見てて下さい』かな?」
口の動きをゆるふわおさげが追いかけて言葉にする。同時に画面の中の映像が動いてスタンドの一角、最前列に腕組みをして立っている男を映し出す。声が聞こえたのか、男の周りの制服姿のウマ娘たちが手を振り、男自身は少しだけ口角を上げて応えている。
「トレーナーさん、です、ね」
久々に見る恩師の姿に癖栗毛がポツリ呟く。卒業して数年は経つが全く変わりのない様子に、まだ少しだけ胸がザワつく。男のターフに向けられた眼差しは、最早自分に向けられることが決して無い熱を帯びている。それが分かってしまったから、卒業後は一度も顔を合わせていない。
3年の秋、まだ幾つか挑めるレースがある中で走るのを辞めることを決めた時、その決断を尊重してくれたトレーナー。同時に共にレースに挑んでいた時とは関係が変わってしまった。共に同じ舞台での勝利を目指す盟友、戦友と言える間柄から、学園職員と生徒の関係。精々が各々のバ生、人生を歩む歳の離れた先輩後輩へと。一方的な想いとわかっていても、割り切る事はまだ出来そうになかった。
「二等星の黄金時代、だっけ?」
「そういえばトゥインクルにそんな記事あったね」
未だチームに出入りしてるらしい黒髪ゆるふわおさげが思い出した様に言い、一児の母となった青鹿毛がまだ定期購読しているらしく言う。その記事の一部を書いたのは誰と言わずに癖栗毛だった。
学生時代、趣味のライトノベルが中心だったとは言え、読書家だった彼女。活字に抵抗感がないためか同期以上にレース関係の書籍も深く読み込んでいた。それを活かしてというわけでも無いが手慰めに寄稿してみた一文。
卒業後はコスメ関係の職に就いて、その隙間時間に書き上げたそれは幸運にも編集の目に留まり、大幅な添削の末に漸く掲載されればほんの数分の一の文量。副業フリーライターの夢はあっさりと投げ捨てられた。
『ことしもまた、あなたの、わたしの夢が走ります。あなたの夢は━━。』
有名な口上が聞こえ、視線を大型モニターに移す。ゲートへと収まっていくウマ娘たち。紅色着物の勝負服の後輩は外枠か。登って、緩やかに下って最後にまた登りの2000m、選ばれたウマ娘だけが走れるグランプリレースだ。
「こんな大レースで走る後輩が出てくるなんてね」
「ホント、わたし達は重賞獲れるか獲れないかでヒーヒー言ってたのに」
そんなにわたし達でも誰かの夢になれたのだろうか。GIII、GIIなら掲示板確定と言われてもGIじゃ後ろから数えた方が早かった現役時代を思いながら癖栗毛は青鹿毛の言葉に頷く。
ゲートが開き駆けていく勝負服のウマ娘たち。実況と解説の軽妙なやり取りもそこそこに、映し出される映像から目が離せない。
退いて何年か経っても習慣化された目線は展開を追ってしまう。地方のサブトレーナー職に就いた黒髪ゆるふわおさげはブツブツと各バの特徴を言いながら先を読み、一児の母となり今は育休中の青鹿毛は自分が走ってるかのように先頭を睨みつけている。現役時代に差しで鳴らした癖栗毛はスパートの瞬間を読んでいて。
「「「今っ」」」
3人の声が重なった瞬間に、画面の向こうの紅色着物の勝負服のウマ娘が進軍を開始する。やや後方の先行策を採っていた彼女はカーブを抜けて最後の登りまで一気に歯を食いしばり一気に加速していく。
やがて駆け抜けるゴール板。掲示板には躱され、差されの4段目に示す数字が表示される。膝に手をつき、睨み上げる後輩の姿は、かつての自分たちの姿を想起させた。
「まだ、届かない、かぁ…叶え、たいな『星墜し』」
後に中央、地方の交流戦を荒らし回るチームを率いることとなる、今はサブトレーナーの黒髪ゆるふわおさげが職業人の顔で呟く。
「どんな背中でも、追わなければ抜けないから、ね」
縁あった小柄芦毛のウマ娘トレーナーに娘を預ける事になり、図らずも真後ろから呪いのように『勝つ』と呟き続ける戦術を継承させる青鹿毛ウマ娘は、息を整えて勝者と握手を交わす後輩を見ながら、その目の光が曇るどころか増している気配に安心したように、そして誇らしげに息をつく。
「『夢』に向かって、です…ね」
あなたの夢、わたしの夢。口上にあった言葉。ウマ娘の夢、トレーナーの夢。ふと抱いた走りたいという衝動に彩りを与えてくれるそれ。悔しさと同時に進むための推進力となる力。
周りが呆れるほどの諦めの悪さで、将来雑誌のコラムニストになる癖栗毛は放り投げた物書きの道ともう一度向き合う事を決めた。
「あー。久々にお腹いっぱい」
「そんな?生徒さんたちも食べるんじゃないです?」
現役時代から健啖家で鳴らしていたゆるふわおさげは女子にあるまじき膨れた腹部をさすりながら一息つく。呆れたような顔の癖栗毛が、デザートのシフォンケーキの最後の一欠片を食べ切る。
「昔っからだよね。あー食事、食費、かぁ…って、もうこんな時間だし」
新しい家族としてウマ娘が増えたばかりの青鹿毛が将来に嘆いた瞬間に、腕時計からアラームが鳴る。それは会の終わりを告げる合図。学生時代の気の置けない友人たちとの別れの時だ。
「じゃ、また…次は秋かな、冬?」
「です、ね。連れてきて貰えると嬉しいですけど?」
「冬なら、かな?ん、と、迎えに行かなきゃ」
次の予定をふんわりと決めながら、それぞれに席を立って身支度を整える。かつて集ってレースを駆けて、今は異なる道を進む。その現在地が徐々に離れたものになったとしても、彼女たちの原点は一つ。
『諦めなければ手の届くところにいつでも在る。あとは足掻くか足掻かないか、だ』
かつての恩師の言葉を胸に、彼女たちはそれぞれの道を駆ける。光は少し鈍くとも、北の空に不動に輝く2等星。航路は違えても辿り着く先は同じと信じて。