「…皆、迷子、なんですね」
スーツ姿の小柄芦毛のウマ娘が漸く言葉を紡ぐ。
「だけど、走ることは辞められない…」
かつての恩師が熱に浮かされた表情で『等号』と言った事を思い出す。
それは祝福であり呪いなのだと、自らの学生時代を思い起こす。
「そうだな、私は、ただ見守る事しか出来ない。それでも…」
「…違いますよ」
深く沈んだ声に、即座に否定を投げる。
「貴女の看取りは、間違いなく救いだったと。それでも走りたいと望んだウマ娘たちに…」
「そんな高尚なものではないさ。さて、では契約するかね?」
「対価は君がこれから得る賞金の半分だ。指導するもしないも任せる。ああ、君の現役の時のような走り方はさせるなよ?」
リムレスの眼鏡を直しながら、真っ直ぐに青い瞳を見据える。
「『墓守』の片腕になるなら、『魔女』とでも名乗ってもらおうか」
冗談めかして小さく笑いモニターの鎮座する机に戻る。引き出しから取り出したそれは正に2代目墓守への契約書だった。
◇
『月明かりさえ眩しいと感じるウマ娘たち』
『駆けたいと思う望みが捨てれない、捨てられた星屑が最後に立ち寄る場所』
今や恩師となった黒髪の女性はそう形容しながら説明してくれた私の新たな居場所。
距離や脚質も戦術適性も問わない。ただ本人の意思と将来得るであろう賞金の半額を差し出すことを約束すればいい。怪我持ちでも気性難でも凶状持ちだろうが受け入れる。
そんなチームだけあって実にあっさりとサブトレーナーとして受け入れられた。しかし、課された業務は相当に過酷なものだった。
練習場所の確保にはじまり、チームメイト各員への個別のメールによる練習メニューの伝達、そして現場での監督と指導。当初はトレーナーがメニュー作成をしていたが、気づけば1人、2人と任せてくる人数が増えてとうとう全員分を見る羽目になっていた。
寄合い世帯で人数だって不定で適性も何もが揃わないチームメイト個人に個別メニューを沿わせながらチームとしての練習成立させていくのは殆ど曲芸に近い。
加えて縁もゆかりも無く、他人を唸らせるほどの実績もない自分の指導など、表向きは頷いてもまともに取り合うウマ娘はごく少数だった。
事前に共有しているメニューについては従っても、現場で臨機応変に対応しようとするとほぼ言うことを聞いていない。つまりトレーナーの目がある部分では従ってもサブトレーナーの指示に返ってくるのは『いい返事』だけのことが大半だった。
もっとも、メニューそのものが最早サブトレーナー作のものにすり替わっていたのは当該ウマ娘たちの知るところでは無い。
そんな苦行の様なサブトレーナー活動でも、続けていけば妙にウマの合う者も居たり居なかったりする。徐々にではあるが、わたしはチームの中に受け入れられていったのだった。
◇
笛の音が響く。続いて蹄鉄が芝を蹴る音。駆けている生徒たちとは色の違うジャージ姿でストップウォッチを手に小柄芦毛のウマ娘が身振り手振りを交えながら声を張る。
「こらーっ。故障明けでしょ、トバし過ぎー」
両手で大きくバツ印を作って一番に戻ってくる長身大柄な黒毛ウマ娘の前に立つ。
彼女は違和感を抱えたままに何度もレースを繰り返して、遂には壊れてしまった娘だ。とにかく走るのが好きだとリハビリ過程から練習参加を願い出るほどの走り好き。
それだけに要望に小出しに応えながらもしっかりと監視しなければ元の木阿弥になりかねない。
「さーせーん。いや、調子よくってー。サーセン、サーセン、パイセン」
生徒たちとは色違いのジャージに身を包んだ年上の小柄芦毛のウマ娘の目の前で片手だけ立てて軽く何度も頭を下げる。
ふざけた態度にも見えるがこれが彼女の平常運転。走って実績を上げている間は受け入れられていても、不振なら直ぐに持て余される気質。
頭一つ二つ分抜けた力を持ちながらもこのチームにまで流れ着いてきた理由の一つ。
「確かに調子は良さそうだけどね?半年棒に振ったんだしー?復帰のGIIIレースもまだ先でしょーに」
事前に渡してあるスケジュールをソラで伝えながら、青色の瞳を少し細めて見上げる。
メンゴ、メンゴと冗談めかして言いながらも形だけヘコヘコと頭を下げてくる仕草に何か違う雰囲気を感じとる。ふざけてる様に見せかけて、何かに追われている様な、焦り?
「…走りたい、レースがある……違うね、走りたい、相手?」
その言葉についと目を逸らす長身の黒毛を睨む様に目を更に細めて、癖で何度か右脚でグラウンドを掻く。
目の前のウマ娘が持つどこかで見た様な空気感の元を辿ると、ひとつ下の後輩だったサイドテールの黒鹿毛を思い浮かぶ。同級生のメガネ青鹿毛と駆ける事だけを望んで、拗らせて、チーム創設以来2人目の快挙だった『5年目』を蹴飛ばして、挙句海を渡って本懐を遂げた後輩。
去ったメガネ青鹿毛の故障が癒え、再び走れる様になったとの報を何処からか仕入れてからの突っ走りぶりは流石わたしのトレーナーの教え子だった。
「才能あるヤツが、すっげ苦労して、やーっと重賞走るんすよ。アタシみたいな運だけ走りたいだけのと違った、モノホンなんす、彼女は」
最後に顔を出した夏合宿で土のコースばかりを周回していた後輩の姿を思い出してると、不意に頭の上から声が降ってくる。こちらを見下ろしている目に見えるのは語った相手への羨望と嫉妬。
「それで、走りたいんだ?」
少し遠くで荒れた芝に蹄鉄が踏み込む低い音が聞こえ、その元へと目線を動かしながら言葉を返す。グラウンドの半面を共同利用してる別チームでスタートの練習を始めた様だった。躍動しているロングヘアを靡かせた栗毛が何度となく踏み出しを切っているのが遠目で見える。
「…っす」
視線を追いかける様にした目の前の長身黒毛の半握りだった拳がギュッと強く締まる。
「へぇ、お相手は、ふぅん…一筋縄じゃいかなそう、ねぇ」
顎に指をかけて考える仕草をする。視線はそのまま遠くの栗毛、そして傍で指導しているスーツ姿の男性と自分と同じく生徒とは色違いのジャージ姿の尾花栗毛のウマ娘を捉える。
揺らめく虹の様な才能を示す瞬き。子供たちを指導する様になってから無意識に封じてたそれが蘇る。次いで口角が無意識に持ち上がる。
「ふーん、へー、ほーん…」
「ぱ、パイセ…ン?」
口元から溢れた年不相応な呟きに似た吐息に目の前の黒毛がギョッとした顔で向き直る。
目の前には普段の邪気の無い、悪く言えば頼り甲斐の有る風に見えない飄々とした表情は無く、ギラギラとした好戦的な光を帯びた瞳。
ウマ耳さえやや後方に引き縛られたその姿は現役時代、最終盤で捲られ差されて沈む刹那に見せていた輝き。ザリッと強く掻いた右足が芝に沈み、かつて唯一のG Iで現出させた超新星の煌めきを立ち昇らせる。
「わたしも、目を逸らさせたくない相手、居たんだよねぇ…」
遠くに見えるスーツ姿に目を細め、それから目の前の長身黒毛のウマ娘に向き直る。その身から溢れる才能の瞬きは向こうの栗毛に勝るとも劣りはしない。ならば後は覚悟の問題か。
「走りたいレース、走ろっか…」
「…へ?」
呆気に取られた顔でこちらを見下ろしてる長身黒毛に笑いかける。慈しむような、それでいて奈落の底に叩きおとそうとする様な表情で。
「いいよ、走ろう。…でもさ、わたしの…ウマ娘になってもらうけど?」
かつて北天の極を冠するチームが産まれた時の言葉。
知らずともそれを口にしたその瞬間。それは彼女が南天の十字架を背負うことを決めた瞬間でもあった。
例え見上げた夜空に共に並ぶことがなくとも。