それが彼女の選択。
太陽が中天を過ぎれば汗ばむ陽気でも心地よい風が吹き始める5月の半ば過ぎ。府中の芝にゆっくりと、煌びやかな勝負服に身を包んだウマ娘たちが姿を現す。
その数は17。春の女王を決める大一番に挑むウマ娘たちだ。緑のターフへと歩みを進める彼女たちは思い思いに身体を動かしレースに備える。
その中でポツンと距離を空けられている1人、群青色の勝負服にサイドテールが目印の黒鹿毛のウマ娘が青空を見上げる。物思いに耽るような仕草に近くに居た栗毛が肩を叩く。
「心ここに在らず?しっかりしてよね。今日は私が勝つんだから」
サイドテールに黒鹿毛の目に映るのはいつも自分の真後ろの着番に居る栗毛のウマ娘。一着の時も崩れて二桁順位の時も何故か背後にいる彼女。
「ん?あー、うん、ごめん。ちょっとトモダチがさ…」
パンっと自分で頬を挟む様に叩いてその場で足踏みして気分を変える。
「友達?ん、ま、いいけどさ、腑抜けられちゃうと困るからさ?」
二度三度と芝を爪先で引っ掻くとヒラヒラ手を振りながらゲートに向かう栗毛。赤を基調にした勝負服。そういや初めて見るな、とか思いながら自分もゲートに向かう。
「というかさ、他に走るとこあると思うんだけどな…」
一方的にライバル視してきて絡んでくるのを暑苦しく思いながら、同じ4年目に足を踏み入れた同志としては二千メートル級こそ本領が発揮されるであろう栗毛の選択に苦言を呈したいところだ。
「あー…ま、いいか…」
レースで度々顔を合わせて絡まれるが、そこまでの仲でしかない彼女にあれこれ言うのも筋違いだし資格も無いか、と秒で切り替えると収まった鉄籠の中で前傾姿勢で構える。
甲高い金属音が跳ねてゲートが開くと響く重低音の脚音。すぐさま視界にはヒラヒラと揺れる色とりどりの勝負服の背中が映る。
いつも通りの後方待機。スタートの切れはとうとう新入生ともいい勝負だと発覚してしまった。
GIII、GIIでの入着や勝利を幾つか重ねた結果の4年目。直近の先輩たちが成せなかった偉業。それを背負っての久々のGIレースなのだ。諸々無様は晒せない。だと言うのに。
「っ…ん、大丈夫…かな、大丈夫…だよね…」
身体はいつも通りに脚を回す。ややスローペース気味の展開でも後方寄りの位置取りで。敵味方関係なく皆が知ってるウィンドウィナーの走り。体に染み付いてるそれは思考とは別で鈍る事はない。
「急に言ってくるとかさ…スケジュール、伝え損ねてたあたしが悪いんだけど…」
レース前日の深夜。いつもの定期連絡じゃない電話。告げられたのは脚の手術。
同級生の銀縁眼鏡がトレードマークの青鹿毛ウマ娘。脚部不安を抱えていた彼女の脚は、およそ1年半前、春先の京都で限界を迎えた。
以降海を渡っての治療をしていたのだが、どうやら光明を見出したらしい。
とはいえ、それをレース前に告げられて心が乱れないはずもなく。十分に加速を伴った脚に風を纏わり付かせながらカーブを利用して大外に出ていく。正面を向けば長い直線、先頭の背中が小さく見える。
「だとしたら…もう1回、走ろうよ」
深夜の会話の最後に告げた言葉を漏らす。
風が吹いた。
ゆらゆらと木の葉が緑の芝へと舞い落ちる。季節外れの幻想。
進路を睨みつけていた目が捉えるのは懐かしい、今この瞬間には場違いな体操服。たなびく長い青鹿毛。
常の眼鏡を外して少しキツめの素顔がこちらに視線を向けてくる。
「わかってる、あたしらしく…走るって、だからさ、ブチ抜かせてよ」
一瞬の惚けたような表情が、漸く狩る獲物を見つけた獣のごとく引き締まる。中団の支配者然と振る舞う幻の彼女の背中に向けて、溜めた末脚を爆発させる。風に乗って木の葉が舞う。
誰も追いすがれないような、速度で直線を駆け上がる。最後、ゴール板の手前で並ぶ。そのまま通り過ぎる。
「…っ、はっ、あ…あたし、らしい…か」
確かに並んだ。なんならハナ差位はあったかもしれない。だけど電光掲示板に表示される自分の番号は2段目だ。
「遠いね、1着ってさ…」
ふわりと笑顔を浮かべながら消えていく同級生の幻に、それでも今回はあたしの勝ちのハズだよ、と口の中だけで言ってみる。続きはこっちに来たらね、と残響のような声が聞こえた気がした。
その後はいつものように健闘を称え合って共に駆けたウマ娘たちと握手を交わす。相手の顔色が悪い。特に1着の娘なんて震えてる。何があったんだろうかと訝しみながら、ウイニングライブのための御色直しで地下の控え室に向かう。
道中、いつもの栗毛が声を掛けてくる。なんやかんやでしっかりと3着をキープしたらしく、周りに比べ1人だけ鼻息が荒い。
「とんでもなかったね。追いすがるのでいっぱいいっぱいだったし。でも次こそ、負けないからなっ」
バンバン背中を叩くのはやめて欲しい。そうでなくてもGIレースはアウェー感半端ないのに。しかも勝ったはずの娘以下、皆なんだかお通夜気味だし。
「お疲れ。いい走りだったぞ?」
名前の書かれた扉の前ではスーツ姿の男と綺麗な青鹿毛を腰まで伸ばしてるウマ娘が待っていた。 トレーナーと後輩だ。トレーナーは2着だったにも関わらず随分と満足そうで何度もいい走りだったと繰り返してる。
「あ、そうだ…これ」
ふっと思いつきで首に巻いていたチョーカータイを外し後輩に差し出す。驚きながらも、後輩は受け取って、その後どうしたらいいか分からずに狼狽えてトレーナーのスーツの袖を引っ張っている。
「内緒にしてるみたいだけど秋の女王を目指してるって聞いたから。お守り、付けて走るといいよ」
軽く笑いながら手を振って、控え室の中に滑り込む。『トレーナーのウマ娘』だって証の黒に光の十字が縫い込められたチョーカータイ。後で箱と名前書く紙も押し付けてしまおう。
「自分らしく…自分のために…だったら、走りたいのは1人しか居ないから」
トモダチの、コノハマイチルの手術が上手くいったと、聞いたのはその2日後の明け方だった。
◇
桜が舞い散る季節。晴れやかな着物や袴姿のウマ娘たちが学舎から流れ出てくる。1番数が多いのはやはり3年目を終えた娘たちでそこかしこで輪が出来て後輩たちに囲まれている。学年が違うあたしは少し間が空いてから外に出て、周りを見回す。
「とれぇなぁさぁん…おわかれ、さびしぃでずぅぅぅぅ」
見事な爆泣き。探す手間は省けたが、ちょっと近寄りたくない空気ではある。同期の癖栗毛にゆるふわおさげも若干引き気味だし。まぁ、秋にドンケツだったし、でも走れたし良かったじゃん。
「キリノ、賑やか過ぎだよ?」
ポンポンと肩を叩いて、涙と鼻水ですごい顔になってる青鹿毛の後輩を引き剥がす。大して話がある訳でもないけど、トレーナーを独占されるのは話が違う。ほっとした顔してる同級生にまずは謝りなさい。
「で、ちょっと内緒話、いいかな…?」
ようやく空いたトレーナーの前でひらりと回って衣装を見せつけた後、こちらに耳を寄せるようにねだる。
「っとね。アメリカで走れるようにしてくれる?なんかツテくらいはあるでしょ?」
コソコソとそれだけ言うと、それじゃあね、と返事も聞かずに踵を返す。完全に固まってるトレーナーを尻目に満足気に笑い脚を踏み出す。
あたしたちのレース、今からが本番、だよ。
見てて、魅せつけてあげるから。