星屑の円環 −モブトレとモブウマ娘の話−   作:華月響音

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1章7話 風待月の目醒め

 

1600メートル右回り、夏のマイル戦線の始まりを告げる一戦はあいにくの小雨の模様だった。足元が沈みやすく、深く蹴りこめば泥が飛ぶ。

スピードが出しにくい展開が予想されるレースだが、走る彼女に出した指示は普段通りに加速を初めろ、とシンプルだった。

 

大きく緩やかになっているコーナーから速度を上げ始め、最後の坂に負けないトップスピードまでギアを上げるというものだ。

 

「もう少し、天気が良ければ良かったんだがな」

 

ゴール前の観客席に陣取る彼は少し恨めしそうに雨粒を降らす空を見る。どの天候、どの対戦相手であっても、今回の方針は不変だった。だがそれでも有利な要因は多い方が良い。

 

「大丈夫ですよ、落ち着いてますし…」

 

隣で長大なレンズを装着したカメラを三脚に乗せ、ファインダーを覗き込んでいた眼鏡ウマ娘が言葉を返してくれる。

三脚に固定されているのはカメラだけでなく傘もだ。本人は動きやすい様に傘はささずに雨合羽、手の中にもうひとつ、こちらは手持ちで撮影するつもりなのだろうカメラの設定へと作業を移していく。

 

「ん、ああ、そうだな」

 

走るサイドテールの黒鹿毛娘にはもうひとつ、何があっても方針遵守と伝えていた。出遅れてもどこかの悪い見本のように無茶駆けをする必要も無いし、前回のように千切られても慌てず諦めず、ただ、淡々と自分のレースをするように指示していた。

 

彼の目から見るに、オープンウマ娘となっている3人の中で1番バランスが取れているのは彼女だ。3年はかなりの出たとこ勝負娘だし、もう1人の2年は駆け引きは問題ないが脚部不安でそう多くを望めそうにない。

 

新加入の1年生組はまだメイクデビュー前、となれば期待をしてみたい所だが、どうにも本人は今ひとつ勝負根性が足りてない。というか根深い諦め癖がついているようで5月の敗戦は半ば自分のせいでもあり、責めることもしなかったが、どうもその対応で余計に拗らせてる感じが否めない。

 

「普通にしてくれれば、それだけで十分なんだが、な」

 

「ふーん…」

 

ふと漏らした呟きに応えるように、真横から鼻を鳴らすような声が聞こえる。レースに出るウマ娘たちをひとしきり眺めてご満悦だったはずの小柄芦毛の出たとこ勝負娘からは不満そうな声だ。

 

以前にキレ散らかした時の事は悪いと思っているようだし、一時は仲も改善した様だったが、最近はなにか別の要因で冷戦状態が継続している。

牽制しあう雰囲気はあるものの最低限のコミュニケーションは取っているし、貶め合う事もしていなそうなので取り敢えずは静観しておくしかないとトレーナーとしては割り切ってはいるのだが。

 

「あ、先輩、手を振ってくれた」

 

「ほーん…余裕、今日はだいじょぶそーねぇ」

 

競技場に掛かるターフビジョン、そこにゲート入り直前の姿が映ると、ふと視線をカメラに向けてヒラヒラ手を振りサイドテールを揺らす姿に、黒髪ふんわりおさげの1年が耳をピコピコ動かし歓声をあげる。

 

3年の出たとこ娘もなんだかんだで心配はしていたらしくほっと軽く一息ついている。ちなみに他の新入生であるところの癖毛の栗毛と青鹿毛のストレートの2人は案の定というか補習で居残りだ。

食い気命の黒髪だけが赤点すり抜けとか、勉強は学生の本分だぞ。

 

「さ、始まったな」

 

辺りの喧騒が収まり、金属の扉が開く音だけが響き渡ると再び人々の声が周りを取り囲む。出足は順調、中団前目につけたサイドテール娘は、途中何人かに追い抜かされても予定通りの歩調で駆けていく。

 

「それでいい、スピードを上げていくんだ、そのまま、そのまま…」

 

ビジョンに映る前集団の映像に独り言が漏れる。ピクピクっと隣でウマ耳が動き、尻尾が軽く体を打ってくる。いや、応援するの当たり前だろう?というかちゃんと見てやれよ、お前が見出した原石だぞ。まぁ、磨き損ねていることは認めるが。

 

「いいぞ、落ち着け、そこだっ、抜けるぞっ」

 

加速を続けたままでコーナーを抜け出る。当然のように遠心力に振られて外へと放り出されるが、そこでも慌てずより強く脚を踏み出し速度をどこまでも上げていく。

一人、二人と前を行っていたはずのウマ娘を追い抜くも、チラリと見ることもせずに前傾姿勢がより深くなり、最大戦速まで引き上げる。

 

「え、ちょっと、速すぎない…?」

 

カメラで追いかけていた眼鏡ウマ娘が声を上げる。普段から計測に付き合っている彼女からしてもレースで完全にハマったロングスパートは予想外だった。

 

一方で先行組は後方バ群での乱れた雰囲気から抜け出てスピードを上げてくる姿に、予定よりも早く逃げる体勢に入ることを強いられる。

結果としてレース全体のペースが加速し続け最高速に至り先頭を奪い去った一人へと集約されていく。

 

「そんなことないさ、これくらいは当然だからな…だが、ここまで整えて、届く、か」

 

場を乱し、自分だけが思うがままに駆けていく。

その状況は作り出せた。だからと言って万事丸く収まるとは行かない。乗ったスピードを奪う上り坂が立ちはだかっているからだ。

 

ここまで、だ。

自分が計算し教えを授けられるのは。

 

見立てでいけばそろそろスタミナは底をついてしまうだろう。この後の絵を自分は描くことが出来ない。

 

懸命にゴールへと向かい足を回す教え子の姿。その駆ける姿をただじっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

『悪いが今日は何も考えずに走ってくれ』

 

トレーナーの言葉に目をパチパチと瞬かせる。レース前の控え室、まるで人目を忍ぶように1人で現れた彼はそう告げた。いつもは走り出したらお前たちのレースだから、と授けた戦略の成否をさほど考慮しない彼がこんな事を言うなんて意外中の意外だ。

 

その言葉に頷き、そして墨守して今、脚を動かしている。流れる景色はいつも通りで、ただ自分が加速し続けていることを教えてくれる。

 

右に左に前の走者を避けて追い抜き、ただ前だけを見る。普段なら何番目だとかあと何人とか残り何メートルとか、追いつけるのか、そうじゃないのかとか、色々と頭の中がグルグルとなるのだが、今日はスッパリと考えることを止めた。

 

『やるだけやってみてから、それでダメならぜーんぶトレーナーさんのせいってことで。だから、はい、あーん』

 

新潟のレースの後、両足包帯グルグル巻きの先輩が、何故かトレーナーに林檎を剥いて貰いながら言ってた言葉だ。

幾つかの愚にもつかない疑問とそれより僅かに明確な殺意を覚えながら聞かされた言葉。即座に『出遅れしたくせにやるだけやったで俺のせい、はないだろ』と苦笑いで言い返していたトレーナーは給餌を続けていたのだが。

 

「じゃ、あたしも、トレーナーのせい、でも、いいよね」

 

肺が痛い、脚が重くなる。最終盤の上り坂だ。耐えられず落ちる速度に、一度抜いたはずのウマ娘達が一気に背後から押し寄せる感覚に呑み込まれそうになる。

 

だめだ、今日は、何も、考えない、じゃないと。再度競り合う形になり、意識がそっちに持っていかれる。

必死だよね、そうだよね、だけど、さ。再び並ぶようになった短髪栗毛を横目で見ながら、それでもできる限りの無心で前を目指す。

 

競り負けて抜き離れていこうとする背中が見える。

 

先輩みたいな流れ星みたいな走りは出来ないけど、でもまだ、まだ、あたしは走れる、今日は、諦めない、諦めたく、ないっ。

 

踏み込む脚に力が入る、どこに残ってたのか落ちた速度が帰ってくる。

風切り音が聞こえる。一瞬、風に溶けた感覚と同時にゴール板の前を駆け抜ける。減速しながら脇に流れ、息を整えようと顔を上げる。

 

前には誰も、居なかった。

 

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