ギラギラと照りつける陽射しが窓から差し込む。阻むことの出来なかった薄手のレースのカーテンが、屋内の涼を広げるための扇風機の風で揺れる。
長雨の季節が終わったかと思えば、待ってましたとばかりの晴天が続き、気密性の薄いプレハブ小屋ではエアコンが全力で冷気を吐き出している。
「夏、だなぁ…」
部屋の主は大きく伸びをして、次いで団扇で風を起こす。毎年のこととはいえ、この時期はミーティングも長時間は避けたいところだ。
「順調、過ぎるくらいに順調なんだよな…」
端末への入力が終わり、印刷されたばかりの紙束を手に独り言を漏らす。すっ転んでの負傷付きではあるが2着に終えた谷川岳。
最後に差し切り、終わった後にキョトンとした顔で周りを見廻していた米子ステークス。
主力の2人はどちらも『想定外』の結果をもたらしてくれた。翻ってメイクデビューの1年は一勝二敗、これもいい意味で予想外だ。夏を過ぎれば上級生は秋の重賞戦線、1年も順次未勝利戦を抜け出せばプレオープンから駆けていくことになるだろう。
ここに2年の硝子の脚をどう絡めていくか、チームの運営としてはかつて無いほどに前途洋々だ。勿論問題も山積みではあるが。
「それもこれも、半ばアイツのおかげ、か…ん?」
脳裏に小柄芦毛のウマ娘が浮かぶ、今の好循環を生み出したのは間違いなく彼女の『目』によるものだと自嘲気味な笑いが浮かぶ。
スカウトとしての見る目さえ現役のウマ娘に敵わないだなんてな、と昏い思いを覚えた後、ふと端末の通知に気付き、操作して開く。
学園の事務方からのメールに加えて、幾つかかつての教え子たちからの便りが未読のままだった。
曰く、毎月草レースで走ってます。曰く、転職しました。曰く、結婚しました等等。近況を報せることと、今年の夏合宿への参加について可否を答えてくれている。
もちろん音信不通になる者もなくは無いが。それも辿れば大体は消息は掴めた。ただ1人を除いては。
今年は2人、直近の卒業生が参加してくれるらしい。何かと空回りしがちな3年への重しと、あとは並走や身体のケアなど任せられる事を指折り数えていると、扉を軽く叩く音がして、ゆっくりと開かれる。
「おはようございます、トレーナー」
練習開始の30分前、いつも通りにサイドテールの2年生が一人姿を見せると、慣れた足取りで荷物をソファーに置いて、備え付けの簡易キッチンに向かう。
トレーナーにはホットのブラック、自分にはアイスカフェラテを淹れると、尻尾を左右に揺らしながら、荷物を先行させていたソファーに座る。
「どうだ、決めれそうか?」
「ん、トレーナーはどっちがいいと思う?」
ここ数日繰り返している問答。9月にどの重賞にエントリーするかについての話題だ。自分のレースなんだから、と決めさせたいトレーナーに対して、言いつけ通りの走りで勝てたから、と投げ返してくる。何度かの堂々巡りの後でため息と共に考えとく、といつもの答えが返ってくる。
「まだ時間もあるしな、だがどういう走りをしたいのかは、自分で決めて欲しいぞ?」
トレーナーとしては明らかに格上と当たるが、今後にも繋がるであろう中山か、勝ち経験のあるバ場である阪神のどちらかに進んで貰いたいのだが、本人はどちらにも及び腰で委ねようとしてくる。
気持ちは分かる。どう転んでも苦い思いをすることになる可能性の方が圧倒的だ。だが、結局それは逃れられるものでは無いし、前走で見せた驚異的な最後の粘りは本人由来のものだ。彼女の競技者としての現在地を自分も周りも正しく把握する必要がある、と彼は考えていた。
「うん…。ところで、さ、2人で走れそうなのって検討ついた?」
練習開始まで残り少し、他のメンバーがやって来る時間も近づいたところでそう切り出してくる。顔を見るに、今日いちばん話したかった事のようでやや耳は垂れ、尻尾は完全に動きを停めている。やれやれ、自分の次のレースよりも優先事項か、先送りなのか逃避なのか、ま、同級生と走りたいっていうのはその通りなんだろうが。
「年明けの京都かな、それまでにお互いしっかりと実績を出さないといけないが」
「そっか結構先、だね」
「そのためにも、しっかり選んで走って貰いたいんだがな?」
わざと話を巻き戻してみるが、反応は薄い。やれやれこの娘の操縦はやはり一筋縄ではいかないな。強引に決めてしまっても従うのだろうが、どうにもそれは下策の予感しかしない。
常に下克上狙いでどこから聞きつけたか一等星のウマ娘が出る予想がたったオープン戦は全て出たがり、格上重賞でも遠慮なく言い募ってきた卒業生や、走れればそれでと相手お構い無しで定期的にエントリーを要望してくる現3年の出たとこウマ娘に比べると、どうにも熱量が感じにくい。
それでいて虎視眈々というか、負けず嫌いな風合いも持ち合わせているものだから余計に、だ。つまるところ、一言で言おう、君、めんどくさい。
「ん、あ、そろそろ、かな?」
プレハブ小屋の扉前の物音に、少し萎れていたウマ耳がピクっと反応して、顔を向ける。ノックの後、乾いた音がして扉が開く。
「おはようございます、トレーナー、それに…」
珍しく時間前に部室に現れたメガネ青鹿毛のウマ娘。相変わらず肩掛けバッグに両手にも鞄の重装備でソファーに座るサイドテールに気づいて笑顔を見せる。それに応じて立ち上がり、荷物の一部を受け取りながら、言葉を返す。
「年明け、だってさ、あたしとあんたの」
「あ、先に話、してくれてたんですね」
2人して頷きあって笑い合う。さっきまでの湿っぽい雰囲気が霧散して快活な普段の調子に戻り同級生を隣に誘う。フワッとソファーに座るメガネ青鹿毛の様子に足を庇う仕草はなく、体重移動も自然な風合いだ。完治する性質のものでないことは本人とトレーナーしか知らないが、差し当たりはレースに向けて負荷を与えても問題なさそうに思えた。
「え、でも年明けの京都って…」
着座して、鞄からチョコ菓子をチラホラと取り出して隣と分け合いながらメガネ娘は首を傾げる。
「G IIレース、日経新春杯だ」
キッパリと言い切る。同時に2人のウマ娘が固まる。
予想外だったのだろう、だが君たちよ、万年オープンウマ娘で3年終えるつもりだったのか。やはり3年がもう少ししっかりしないと締まらないのか。
「おはよぉーございまーす」
噂をすれば影がさす、と小柄芦毛の出たとこウマ娘が部室へと足を踏み入れる。その真後ろにはトコトコと黒髪ふんわりおさげの1年生。完全に懐かれてるな、同じ短距離志望だし練習でも接点多いからな。
「今日は暑いが外、だ。悪いがいつもの荷物を持って第3グラウンド集合な」
時間前、残りの1年生2人も現れて一気に賑やかになる部室。開始を告げる鳩時計が3度鳴くと切り替えるように手を叩いて指示をだす。
日除け用の簡易テント、事前に用意していた複数のクーラーボックスを指し示し、自分はポータブル電源と扇風機を手にして、着替えの用意に入るウマ娘たちを残し部屋を出る。
残りの荷物は分担して彼女たちが運んでくれる。ウマ娘の膂力からすれば大したことでも無いのだろうが、毎度ながら助かることこの上ない。
「もう夏、か…」
肌を焼く熱を感じ、ふっと白く陽光を反射するコンクリート建ての一等星たちの居城に視線を向ける。その目の色は教え子たちの前では決して見せないものだ。羨望ではなく、挑む目つき。
かつて1人のウマ娘を巡って袂を分つことになった師匠の顔が浮かぶ。
「俺は、俺のやり方でこの娘たちを送り届けてみせますよ」
今日も彼は一足先にグラウンドへと向かう。彼の元に集ってくれたウマ娘たちの、たとえそれがどんなにささやかなものであったとしても夢や希望の助けとなるために。
お気に入り登録ありがとうございます。