貞操観念逆転世界でオタクくんから愛される感じのTS転生Vtuber 作:たぶんあり
朝の光が、薄手のカーテンを通して部屋に差し込んでいる。
私はベッドの中で目を覚まし、枕元のスマホに手を伸ばした。
画面には、昨晩の配信の視聴回数とチャンネル登録者数が表示されている。
前回から、また少し増えていた。
(……じわじわ、だけど)
急激な伸びではない。
でも確実に誰かに届いているのが分かり、その実感が、胸の奥をくすぐった。
ベッドから這い出し、洗面所へ向かう。
鏡に映る自分の顔は、前世の感覚からすれば驚くほど整っている。
いや、整いすぎている。
目元は涼やかで、鼻筋は通り、唇の形も美しい。
けれど、この顔を見るたびに、どこか他人を見ているような違和感が拭えない。
「……おはよう、天城はるか」
鏡の中の自分に向かって、小さく呟く。
返事はない、当たり前だ。
歯を磨き、顔を洗い、髪をざっと整える。
今日は大学の講義がある日だった。
リビングに戻り、簡単な朝食を用意する。
トーストとコーヒー。
前世と変わらない、シンプルな朝の儀式。
ただ、テレビをつければ、やはりこの世界の「当たり前」が流れ込んでくる。
『――では次のニュースです。人気男性アイドルグループ「Lumière」のメンバー、桜庭蓮さんが、深夜のコンビニで女性ファンと私的に接触していたとの報道が……』
画面には、困惑した表情の若い男性が映し出されている。
キャスターの女性は、厳しい口調でこう続けた。
『ファンとの距離感を誤ったこの行為は、アイドルとしての「清純さ」を損なうものとして、事務所も対応に追われているようです』
私はトーストを齧りながら、画面を眺めた。
この世界において、男性アイドルやVtuberは「純潔」を求められる。
恋愛はもちろん、女性と親しげに話すことすら、時には「裏切り」と見なされる。
逆に、女性Vtuberには「リーダーシップ」などが求められ、視聴者との距離感は比較的寛容だ。
(……面倒な世界だな、本当に)
コーヒーを飲み干し、カップをシンクに置く。
時計を見れば、家を出るまであと三十分ほどあった。
大学までは電車で二十分ほど。
私はいつものように、トートバッグにノートパソコンと筆記用具を詰め込み、玄関へ向かった。
靴を履き、ドアを開けると、廊下の向こうから声がかかる。
「あ、おはよう、天城さん」
振り向けば、隣室に住む同級生の姿があった。
名前は、確か篠宮ユウ。
経済学部の二年生で、私と同じ学年だ。
肩まで伸ばした柔らかな茶髪と、穏やかな笑みが印象的な、この世界で言うところの「男らしい」容姿をした男子学生だった。
「おはよう、篠宮くん」
私は軽く会釈を返す。
彼は少し頬を染めながら、こちらに歩み寄ってきた。
「あの、もしよかったら……今日、一緒に大学行かない? ちょうど同じ方向だし」
その言葉遣いは、どこか遠慮がちで、控えめだ。
前世の感覚で言えば、女性が男性に対してこう話しかけるような、そんな感じだった。
でも、この世界ではむしろ男性が女性に対して、こうして「お願い」するのが自然なのだ。
「ああ、うん。別にいいけど」
私は肩をすくめて答えた。
篠宮くんは、ぱっと表情を明るくする。
「本当? ありがとう! じゃあ、ちょっと待ってて。すぐ準備するから」
そう言って、彼は自室へ駆け戻っていく。
私はその背中を見送りながら、小さく息を吐いた。
(……この世界の男って、本当にこんな感じなんだよな)
篠宮くんは、別に特別な存在ではない。
この世界の「普通の男性」は、こうして女性に対して遠慮がちで、控えめで、どこか「守ってあげたくなる」空気を纏っている。
前世の感覚からすれば、まるで立場が逆転しているようで、いまだに戸惑うことが多い。
数分後、篠宮くんが戻ってきた。
彼はショルダーバッグを肩にかけ、少し息を切らしながら笑う。
「お待たせ。じゃあ、行こうか」
「うん」
私たちは並んで、アパートの階段を降りた。
朝の空気は爽やかで、近くの公園からは小鳥のさえずりが聞こえてくる。
篠宮くんは、時折こちらをちらりと見ながら、話しかけてくる。
「あのさ、天城さんって、いつも一人で行動してるよね」
「……まあ、そうかな」
「友達、少ないの?」
その問いに、私は少し考えた。
友達、か。
前世では、会社の同僚や学生時代の友人がいた。
でも、この世界に来てからは、正直なところ「友達」と呼べる存在はほとんどいない。
いや、正確に言えば、作る気が起きなかった。
「別に、少なくはないと思うけど」
曖昧に答えると、篠宮くんは少し困ったような顔をした。
「そっか……でも、なんか天城さんって、他の女子と違うっていうか。なんだろう、あんまり『グイグイ』来ないっていうか」
「グイグイ?」
「うん。ほら、他の女子って、もっとこう……リーダーシップがあるっていうか、自信満々っていうか。でも、天城さんはそういうのないよね。だから、なんか話しやすいっていうか……あ、ごめん、変なこと言ってる?」
彼は慌てたように言葉を濁す。
私は少し笑って、首を横に振った。
「いや、別に。そう見えるなら、そうなんだろうね」
「……うん。でも、それが悪いとかじゃなくて。むしろ、なんか……いいなって思う」
篠宮くんは、少し照れたように視線を逸らした。
私は内心で小さく苦笑する。
(まあ、ある意味で的を射ている?)
駅に着くと、改札を抜けてホームへ向かう。
平日の朝、通勤通学ラッシュの時間帯だ。
ホームには、スーツ姿の女性たちが颯爽と歩き、その横で男性たちが慎ましく道を譲る光景が広がっている。
そして、ホームの端には「男性専用車両」の案内が掲げられていた。
「じゃあ、僕はあっちだから」
篠宮くんは、男性専用車両の方向を指さす。
私は頷いて、手を振った。
「うん。また後で」
「うん。じゃあね、天城さん」
彼は小さく手を振り返し、人混みの中へ消えていく。
私は一般車両へ乗り込み、つり革に掴まった。
車内は、女性たちの会話で賑やかだ。
「ねえ、昨日のドラマ見た? 主人公の女社長、めちゃくちゃカッコよかったよね」
「分かる! あの決断力とか、リーダーシップとか、憧れるわ」
「で、彼氏役の男の子も可愛かったよね。あの控えめな感じとか、守ってあげたくなる」
「うんうん。ああいう男らしさ、いいよね」
私は、その会話を聞き流しながら、窓の外を眺めた。
流れていく景色の中に、この世界の「当たり前」が映り込んでいる。
(……まだ、慣れないな)
大学に着くと、キャンパスはすでに学生たちで賑わっていた。
私は講義棟へ向かい、いつもの席に座る。
周囲には、グループで固まって談笑する女子学生たちの姿があった。
「おはよう、天城さん」
隣の席に座ったのは、同じゼミに所属する藤崎さんだ。
ショートカットの髪と、きりっとした目元が印象的な、いわゆる「女らしい」タイプの女性だった。
「おはよう、藤崎さん」
「ねえ、昨日の配信見た? 月夜ナノっていう女性Vtuber」
その名前に、私の心臓が小さく跳ねる。
表情を変えないように努めながら、私は答えた。
「……ああ、聞いたことはあるけど」
「あれ、すごくない? 他の女性ライバーと全然違うの。なんていうか、言葉で表現するのが難しいんだけど。とにかくめちゃくちゃ癒やされるのよ」
藤崎さんは、目を輝かせながら話し続ける。
「私、最近仕事の面接とかで『もっと女らしく、自信を持って』って言われること多くてさ。でも、ナノさんの配信聞いてると、『無理しなくていいんだ』って思えるの。不思議だよね」
「……そっか」
「天城さんも、一度見てみたら? 絶対ハマると思うよ」
私は曖昧に笑って、ノートを開いた。
藤崎さんは、それ以上追求せずに、自分のスマホを眺め始める。
(……バレてないよな、多分)
配信では演技をして声を変えているし、話し方も普段とは違う。
とはいえこの世界では女性Vtuberの数自体が少ない。注目されやすい分、慎重にならざるを得なかった。
講義が始まり、教授の声が教室に響く。
私はノートにペンを走らせながら、頭の片隅で次の配信のことを考えていた。
(……次は、何を話そうか)
この世界の女性たちが抱える「重圧」。
それを、少しでも軽くできるような言葉を。
前世の感覚を持つ私だからこそ、伝えられることがあるはずだ。
(この世界は、観念が逆転している以上に、それに固執している人が多い)
無論それは一概に間違っているとは言えないけど。
とはいえ、生きづらい。
生きるのが辛いって思う人がいるくらいなのは、ぶっちゃけ病的だと思う。
……講義が終わり、キャンパスを後にする。
帰り道。
コンビニに立ち寄り、夕食の材料を買い込んだ。
レジに並ぶと、前に立っていた男子学生が、店員の女性に笑顔で話しかけられている。
「ありがとうございます。またのご来店、お待ちしてますね」
その口調は、どこか母親が子供に話しかけるような、優しく包み込むような響きがあった。
男子学生は、少し照れたように会釈を返し、店を出ていく。
(……こういうのも、この世界の『普通』なんだよな)
私は会計を済ませ、袋を抱えてアパートへ戻った。
部屋に入り、荷物を置く。
窓の外は、すでに夕暮れの色に染まり始めていた。
夕食を済ませ、シャワーを浴びる。
湯気の中で、私は今日一日を振り返った。
篠宮くん、藤崎さん、そして街で見かけた無数の「この世界の人々」。
彼らにとって、この世界は「当たり前」だ。
でも、私にとっては、まだどこか「異世界」のままだった。
(……でも、まあ)
バスタオルで髪を拭きながら、私は鏡の中の自分を見つめる。
天城はるか。
月夜ナノ。
二つの名前を持つ私は、この世界で少しずつ、自分の居場所を見つけ始めている。
「……よし」
小さく呟き、私はクローゼットへ向かった。
防音室代わりの小部屋に、配信機材が静かに待っている。
今夜も、また誰かを少しだけ楽にできるように。
そう願いながら、私はヘッドセットを手に取った。