魔王を倒した勇者ですが、魔王の娘に殺される約束をしています 作:侶逆 ばあ
端的に言えば、その時魔王は死にかけていた。
片腕を無くし、両足は腱を切られ、右目は潰され、体中至るところに凍傷、切傷に刺傷が蔓延っている。もはや傷ついていない所を探す方が難しいのではないかという程に、魔王は追い詰められていた。
しかもその相手とはたった一人の人間であったのだから、まさに前代未聞である。
当のそれを為した下手人はと言えば、こちらは無傷――とまではいかないものの、大きな手傷を負っているようには見えない。短い赤毛にくせっ毛の、ともすれば少年のようにも見えてしまうような、まだ幼さが残る顔つきの青年である。右手には王城の兵士が使うような簡素なつくりの剣、左手には駆け出しの冒険者が買うような薄い盾。要素だけ挙げればおよそ強者には思えないが――――その実力の程は、結果が如実に語っている。
「貴様。たった一人であれだけの魔法を使い、剣術すらもそれ程までに高められているとは……一体どれだけの鍛錬を積んだというのだ?」
「……たった一人、か。お前にはそう見えるんだろうな」
忌々しげに、しかしどこか相手への敬意が籠った口調で魔王が言う。しかし赤毛の男はそれに答えず、代わりにぽつりと呟いた。
「――?何だ、まさか伏兵がいるとでも?バカバカしい。貴様一人で、既に我はここまで……」
「いや、いいんだ。そうだ、僕は一人だよ。紛らわしい言い方をして悪かった」
言いかけた魔王の言葉を遮って男が謝罪する。このやり取りだけ切り取って見れば、二人はまるで明日の天気でも話しているかのような、そんな何気ない日常会話をしているかのようだった。
だが、二人の間に流れるのは穏やかな空気などではなく、あくまでも殺伐としたもの。
そしてこれで問答は終わりとでも言うように、男が一歩魔王へと踏み込む。
「なるほど、もう終わりか……では、最後にひとつ聞いてもよいか?」
「……手短に、一つだけなら」
「――感謝する。ならば青年よ。貴様の名前は――我を殺す強者の名は、何と言う?」
問われ、男は少し虚を突かれたように動きを止めて。そして、ゆっくりと剣を掲げると、重々しく答えた。
「ルーカス。ルーカス・ダインだ」
それを聞くと魔王は満足したのか、静かに目を閉じた。
お互いに何も言わないが、それでも、それがひとつの合図だと両者とも分かっていた。掲げられた剣に篝火が反射し、平凡なはずのそれが妖しく光る。
「……お前は強かった。それだけは、覚えておく」
最後に、その一言を投げかけて。
男の振るった剣が、魔王の首を地に落とした。
***
王国歴500年。
統一王国が建国されて500年、王家の成立からは800年を迎えたその年に起こった出来事は、本来は祝うべき節目の年を正反対の凄惨な歴史に塗り替えてしまった。
あらゆる魔物を統べる王――『魔王』が、大陸北端の都市をひとつ潰し、人間に対して宣戦布告したのである。魔王軍はその後順調に南下を進め、道中の街や小国を飲み込みながら着々とその勢力を伸ばし続けた。もちろん人類側も抵抗しその勢いを抑えてはいたが、それでも全体で見れば押され気味の、ジリ貧の抗戦であった。
そうして十年ものあいだ、暗黒の時代が続いた。
その十年間で、奮戦虚しく統一王国以外の主要な国家はほとんどが魔王に滅ぼされていた。実に大陸の七割近くが魔王軍の手に落ちていたのである。
いよいよ人類も終わりかと思われた、その時だった。
彗星のように、一人の青年が━━勇者が現れた。
出自は不明。ただ一つ明らかなのは彼が異常なほどの実力を持っていて、そして人類に味方しているという点だけ。
唐突に現れた彼は大陸中に蔓延る魔王の軍勢を単独で次々と撃破していき。そのうちに、彼に呼応するように各国から多くの人物が助力すべく彼のもとに集まった。
ひとりは氷の魔女。
ひとりは
ひとりは隻眼の大義賊。
ひとりは神に愛されし聖女。
そうして集まった彼らは長い旅の末、ついに魔王の討伐すらやってのけたのだった。
***
先程まで魔王と対峙していた魔王城の最深部、玉座の間にて。
魔王の血で濡れた刃を肘窩で拭い、勇者――ルーカスは剣を鞘に収めた。落とした魔王の首を内部の時間の流れを止められるという魔法の箱の中に仕舞うと、ルーカスは暫しの間目を閉じ、立ち上がる。
そしてつかつかと歩き出し、その足取りは出口へと向かう――――のではなく。玉座の間の一番奥。部屋の名にある通り、華美な装飾の施された玉座へと歩いていった。
「……」
色とりどりの宝石や彫刻で飾られたそれを眺めて。しばらくの間、そうして立っていると。
「う、うぉぉぉぉ!」
玉座の陰から、ひとつの小さな人影が飛び出した。短剣を握りしめたそれはまっすぐ、ルーカスの胸へと飛び込んできて――
「ごめん。まだ、殺されてやる訳にはいかないんだ」
甲高い金属音をあげて、盾で短剣が弾き飛ばされる。その衝撃で飛び出した人影もまた弾き飛ばされ、地面へと横たわった。
見れば、飛び出したのは人間の子供と大して変わらない背丈の少女で――しかし、その銀髪の頭に生えたヤギのような二本の角を見れば、彼女がただの子供ではないとひと目でわかる。
真っ黒いワンピースと軽装の鎧をごちゃまぜにしたような服装には各所に細かな装飾が施されており、王都のやんちゃな貴族子女が連想された。もっとも単にお嬢様、と言うには些か気高く、勇ましすぎるように見えるのだけれど。
「お前が……!お前が、お父さまを!お父さまを殺したんだ!お父さまの仇だ!」
「――魔王の、子供か」
地面に倒れた彼女はしかし、それでも上体を上げると気丈にも憎悪を目に湛えて勇者を睨みつける。
子供とはいえ、あの魔王の娘である。放っておけば、魔王軍の残党が彼女を神輿に新たな魔王として担ぎ上げるかもしれない。
けれど。
勇者にとって、そんなことはどうでもよかった。
「そうだ!お前が魔王を――お父さまを殺したんだ!だから
無茶苦茶な理論でいきり立ってそう言う彼女の目には、もはや涙すら浮かんでいた。
無理もない話だ。だって目の前で肉親が殺され、そしてその下手人がすぐ側にいるのだから。恐怖と憎悪と悲嘆と、その他色んな感情が混ぜこぜになった視線で、彼女は涙での滲む目を必死に吊り上げ、まだ幼さの残る顔に似合わぬほど強く睨みつけてくる。
暫しの間の沈黙。その後に返ってきた言葉は、少女の予想していなかったものだった。
「……ああ。君は僕を殺す権利があるし、僕は君に殺されてもいいと思ってる」
「じゃ、じゃあ――!」
「でも、今はダメだ」
だがしかし。少女の期待はすぐに打ち砕かれる。きっぱりと、付け入る隙も無いほどにそう言い切られた。
「僕にはまだ、仲間との約束が残っているんだ。だからそれを果たすまでは、死ぬ訳にはいかない」
そういうルーカスの目は真っ直ぐに少女を見据えていて、そのあまりの力強さに少し怯えてしまうほど。そして同時に理解できた。自分では――それどころかどんな相手であっても、この勇者を打ち負かし殺す事など出来ないだろう、と。
「……なら。それが終われば、我はお前を殺せるのか?」
「ああ。勇者の名において。そして君のお父さまの名にかけて、約束しよう。」
けれど。
そう言った勇者の目に偽りは無い気がして。
これでも少女は、魔物を統べる王たる魔王の娘である。王族に必須とも言える『人を見る目』の良さについては、自他ともに認めるところがあった。
だから、わかった。分かってしまった。
「……じゃあ。その約束とやらを果たすのに、我も連れていけ」
少女は立ち上がると、ぐしぐしと涙を擦ってそう言った。
「お前が約束を果たしたら、その瞬間に我がお前を殺す。一瞬だって待ってやるもんか」
「ああ。勿論だとも」
そして、少女は真っ向から勇者の目を見て。挑むように告げた。
「我はアルマ。アルマ・デ・メル・サタノ・ディエリア。誇り高きディエリア一族の末裔にして、偉大なる大魔王、ルシルフル・デ・メル・サタノ・ディエリアの娘。お前を殺す女の名前だ、覚えておけ!」
「……僕は、ルーカス。ルーカス・ダイン。君に殺される、ただの農民の倅だ」
自己紹介と言うには余りにも歪。
魔王の娘と勇者。本来敵同士の二人は、こうして出会ったのだった。
***
そして、それから数時間後。
魔王城を出たルーカスとアルマは、果てしない荒野を歩いていた。二人の背負う背嚢には食料と、そして他でもない、魔王の首が収められている。
二人の服装はどこにでもいる旅人のような、簡素な服装に風よけの外套を羽織っただけ。勇者の装備も、魔王のドレスもしまい込んでいる。万が一にも、二人が共に旅をしているなんてバレてはいけないからだ。
「それで。まずはどこに行くんだ?」
「南東だね。少しだけ南下して、その後大陸の東岸に向かう。そこに最初の目的地――
アルマに問われ、とりあえず、とルーカスは気楽に言う。
「
「んー……途中の道と天気の具合にもよるけどね。だいたい一週間くらい、かな?」
「一週間!?そ、そんなにかかるのか……?」
「これでも短い方だよ。間に特に大きな山や森がある訳でもないからね」
驚いたアルマにルーカスはしかし、柔らかく微笑んで答える。
「どうする?やっぱり着いてくるのは止めるかい?約束を果たした後、僕がここに戻ってくるっていう事もできるけど」
「む……バカにするな。このくらい、魔王の娘たる我にとってはどうって事ない」
ふん、とそっぽを向いて答える。それに実際のところ、単なる強がりではない。魔物は例外なく極限環境に強い。だから一週間歩き通すなど屁でもなく、むしろただの人間にすぎないルーカスこそがおかしいといえる。
それに。
「……お前はお父さまの死体を弔ってくれた。だから、ちょっとだけなら。付き合ってやっても、いい」
歪な自己紹介の後。立ち去ろうとするルーカスに対し、アルマは父の遺体を埋葬し弔ってもいいか、とダメ元で頼んだのだ。
断られるかと思ったのだが予想に反してルーカスはそれを快諾し、それどころか簡素ではあるが墓まで作ってくれた。
だから。
「お前はお父さまの魂をここで眠らせてくれた。殺したのはお前だけど、それでも――お前の死に場所くらいは、お前自身に選ばせてやる」
「――」
ひと息にそう言うと、アルマは呆気にとられたルーカスを置いて振り向かずにずんずんと先へ進む。
「おい!どうした、行かないのか!?」
「――ああ、すまない。今行くよ」
大声で呼ばわると、そこでようやく着いてくる。迷子みたいだ、とアルマは思った。
「――ところで、お前。仲間との約束っていうのは何なんだ?」
「……ああ。まあ、ちょっと、ね」
ルーカスは少し言いづらそうにして、しかしその微妙な感情の機微をまだ幼いアルマが読み取れるはずもない。だから納得などしていない様子で、じっとルーカスの横顔をその燃えるように真っ赤な瞳で見つめる。
だから、ひとつため息を吐いて。
「今から言う事は、絶対に誰にも言わないで欲しい」
「……それは、どうしてだ?」
「僕と共に戦った仲間の名誉の為、だよ」
共に戦った?とアルマは首を捻る。
玉座の間にいたのはルーカス一人だけであり、他の人影は見当たらなかった。
魔王城を出てから誰かと合流した訳でもなく、誰かと待ち合わせをしているようでもない。
イマイチ飲み込めていなさそうなアルマを見て、少し苦笑して。ルーカスは続けた。
「僕には四人の仲間がいたんだ。けれど彼らは人で、疲れもすれば怪我もする」
「……『いた』って事は……」
「うん。僕の仲間は皆、魔王城に至るまでの道のりで死んでしまったんだ」
あくまでも淡々と言うルーカスの姿に、アルマの胸がちくりと痛んだ。
父の仇だと思っていた人物が、そいつ自身も誰かを喪っていると知ったからか。
それとも、よりにもよって親を殺した相手が一丁前に仲間の死を語っているからか。
どす黒い感情が漏れ出かけ――そして、それを飲み込む。
今はまだ、それを出す時では無い。溜めて溜めて、やつを殺すその時、最後に思う存分吐き出せばいい。
そんなアルマの胸中などつゆ知らず、ルーカスは続ける。
「人が死んだらその魂は自然に還り、そうしてまた違った人間として生まれてくる。それが自然な流れ――なんだけどね」
「生死流転、とかいう考えだったか」
アルマも聞いた事がある。''澱み''から産まれる魔物とは違って、人間たちの魂は流れ続けるのだと。
「そう。それで、僕は弱くて、彼らがいなければ到底魔王を倒せっこない」
「……お前、まさか」
そこまで聞いて、アルマはひとつの考えに思い至った。
死んだ者の魂が自然に還るというならば――その還る先を自然ではなく、特定の誰かへと向けられたなら。
死者の魂を、誰かに取り込ませる事ができたなら。
「僕は彼らの魂を食べた。そうして、死んだ彼らの力を得たんだ」
「……魂を還せなかった死者がどうなるか、分かっているのか?」
「もちろん。自然の理に背いた死体は、正常な腐敗と輪廻に乗れない。だから――世界から見放され、化け物に成り果てる」
「ッ、そこまで分かっていたなら、なぜ――!」
「――アルマ。君は、優しいんだね」
そう言われて、言葉に詰まる。
よりにもよって貴様がなんて事を言う、生命の禁を侵すなんてありえない、そんな傷ついた顔をするな、お前はお父さまの仇で――
グルグルと、怒りとも悲しみとも憎しみとも、よく分からないごちゃまぜの感情がアルマの頭を巡る。
どうだい、人でなしだろう?と勇者は力無く笑った。
「……だから、僕は。全部終わった今、彼らに貰った
魂を失った
「化け物に成り果てた彼らを、せめて終わらせてあげなきゃいけない」
魔王を殺した勇者と、父を殺された娘。
勇者が死ぬまでの、短い旅が始まった。
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