魔王を倒した勇者ですが、魔王の娘に殺される約束をしています 作:侶逆 ばあ
「ニックスはここからまっすぐ東に向かった先だ。地図もあるし、この天気ならそう迷う事も無いだろ」
次の日の朝。
無事雪も止み、旅立つにはちょうどいい快晴の空が広がっている。
「ええ。一晩泊めてくださりありがとうございました。このご恩は、いつか必ず返します」
「そんなかしこまんなって!俺だって久々に家が賑やかになって楽しかったんだぜ?ほれ、神様だって言ってるだろ?『汝、隣人を愛せよ』ってな」
「聖句ですね。聖教徒で?」
「信じてる、ってわけじゃあねえけどな。女房が聖教徒だったもんでよ、自然と覚えちまったのさ」
「……?
不思議そうに呟いたのはアルマだ。
「あっはっは!番って、面白い言葉使うなあ嬢ちゃん!」
「ちょっと、アルマ……」
「いいよいいよ、気にすんな」
ルーカスは何が悪かったのか分かっていない様子のアルマを咎めかけたが、カイアスが鷹揚に手を振って収めた事で言葉を飲み込む。
「別にいいんだよ。アイツはアイツで、俺は俺だ。それに俺はまあ、神様なんていないと思っちまってなあ」
「いない、ですか」
「おうとも。なんだ、お前はいる派か?」
いる派、というか。かつての仲間に聖教のお墨付きを貰った奇蹟の使い手がいて、何度もそれによって命を救われてきたのだから、最初から疑いすらしていなかった。
いるかいないか、という問いは持った事すら無かったのだ。
「まあ、これは自論だけどよ。もし神様がいるんなら、なんで魔王軍のやつらに天罰を与えなかったんだ、なんで皆をもっと早く助けてくれなかったのか、って話になるだろ?」
だから神様はいないし、聖教を信じる気にもなれない、と言う。
聖典にはそれに対する反論となる記述も確かあったはずだが――恐らくはそういう話ではないのだろう。
そして。カイアスのその言葉に、隣でアルマの肩が小さく震えた。
一人で使うには広すぎる家。
久々に賑やかになった。
女房が聖教徒
――なんで神様は助けてくれなかった。
よくある話だ。魔王軍の侵攻で、誰かを喪って。けれどその思い出から離れられずに、そこで暮らし続けるのも。
その言葉だけで、彼が何を失ったのかは十分察せられた。
「……すみません」
「おいおい、なんでお前が謝るんだよ?よくある事じゃねえか。気にすんな」
どうやらカイアスはルーカスが謝った理由を勘違いしているようだ。辛い事を思い出させたと、そういう謝罪だと思っている。
まさか目の前の人物が、
「……お前だってそうだろ。そんな小さい妹と二人で、こんな雪国まで旅して来て」
違う、と叫びたかった。
僕は被害者なんかじゃない。
僕は少女の親を殺す為に仲間の魂を喰らった。
僕は自分の約束を果たす為だけに、帰ろうとすらしていない。
僕は帰らないが為だけに、魔王の死を人類に打ち明ける事すらしていない。
僕はそんな、優しくされる存在ではない。
「じゃあ、これで――」
ルーカスが話を切り上げようと言いかけた言葉はしかし、無理矢理抑えつけた自罰的な感情のせいで掠れて、か細い声となっていて。
だから当然、カイアスには届かず――その先の言葉を許してしまった。
「その子、お前にとって数少ない親族なんだろ。大事にしてやんな」
心底優しい声で、カイアスは本人も知らぬ間に一線を越えた。越えてしまった。
「……先に行く」
だがしかし。それでもアルマは何か行動を起こすでもなく――わずかに震える声でそう言うと、足早に東へと歩いて行った。
「ちょっと、アルマ――」
「お、俺、何か悪い事言っちまったか……?」
カイアスは目を白黒させておろおろとルーカスと遠ざかるアルマの背中を見比べる。
彼は何も悪くない。
その日会ったばかりの怪しい旅人に宿を貸してくれるくらい優しくて、自分の傷に触れられても許せるくらい強くて、それどころか相手を慮れるくらい尊い人だった。
ただ、巡り合わせが悪かっただけなのだ。
「いえ、そんな事ありませんよ。難しい年頃なんです、あの子は」
ありがとうございました、と改めて礼を言って、アルマの足跡を追って駆け出す。
難しい年頃だなんてよく言えたな、とルーカスは胸中で自嘲した。
自分は、あの子に年齢を尋ねることすらしていないくせに。
***
「アルマ、アルマ!」
何とか追いついたルーカスの声に、アルマは振り向かず答えた。
「ちょっと、一人で歩いて行かないでよ。また迷ったらどうするのさ」
「……うるさい」
「ニックスまではカイアスさんに簡単な地図書いてもらったからさ。だから――」
「……頼むから、少し。少しだけ、黙ってていてくれ」
そう言ってルーカスを睨みつけた顔には、どうしようもない怒りと寂しさと、そして迷いが滲んでいて。
「我は……我は、魔王の娘だ。魔物を率いて、我らの理想を果たすために命を捧げた多くの魔族の思いを背負っている」
言葉を選ぶように、ゆっくりと一言ずつ話す。ざくざくと雪を踏む音と、時折吹く風の音がやけに大きく響いていた。
まるで、考えるなと世界に急かされているかのようだった。
「我らも多くのものを喪った。だから、もう止まれないのだ。止まってはいけないのだ――なのに」
そこで足を止めて。アルマは俯くと、力無く言った。
「あの男からは、善意しか感じられなかった。我らが滅ぼそうとした者に――我らが喪わせたものに、善なるものがあったのだと思ってしまった」
「――僕達人間だって、君ら魔族を殺しただろう。そこまで背負い込むのは――」
「ああ、分かっているとも。だが……我は少し、考えたいのだ」
耐えかねて口を挟んだルーカスに対し、答えるアルマの口調は幾分か落ち着いた様子だった。
ざく、と柔らかい雪を踏みしめながら歩く。ニックスまではあと半分と言ったところだろうか。
ルーカスは黙り込み、アルマは俯いたまま考え込んでいるようで――やがて、弾かれたように顔を上げた。
「なにかあった?」
「……何か来る」
アルマが足を止めた。
風が止み、音が消える。
「?来るって何が――」
次の瞬間だった。
背後から、空気を裂くような気配が近付き――
「――『盾』ッ!」
咄嗟に振り返ったルーカスが襲撃者の方向に手を翳し、硬いものがぶつかり合う甲高い衝突音が響く。
「おい勇者、こいつは何だ!?何で襲ってきた!?」
「知らないよ!」
アルマが戸惑ったように叫ぶ。二人に襲いかかったのは、薄い水色をした透明な物質――氷でできた
しかし氷の人形はそれに頓着せず、初撃が防がれたのを確認するとすぐさま身を翻してもう一度飛び掛かるが――
「
ごう、と低い轟音と共に横合いから飛んできた火球が人形を飲み込んで、一瞬にしてそれを溶かしきった。
「……ありがとう、アルマ。助かったよ」
「ふん。ひとつ貸しにしておくぞ」
瞬時に埒外な火力の火魔法を詠唱したアルマはしかし、どこか腑に落ちない様子で答える。
「あのサイズの氷を一回で溶かしきるなんて流石だね。やっぱり魔法を使える人ってのは憧れちゃうよ」
「我は魔王の娘なのだぞ?当然だ。それよりお前、先程の『盾』とやらはなんだ?ただの結界術……とはまた違うような感覚だったが」
その角で感情を読めるアルマは、少し違和感を覚えていた。それは『盾』を使用した瞬間に生じた僅かなブレ――ルーカスの姿に、誰かが重なっているように感じたのだ。
それを問われ、ルーカスは合点がいったように言う。
「ああ。あれが仲間の
「……例の、受け継いだとかいうやつか」
「うん。ティグラルさんって言うんだけどね。彼はすごいよ、村一つくらいなら簡単に結界で囲えんだ」
「それは何というか……桁違いだな」
信じられない、と言ったふうにアルマが答える。魔王軍にも、そこまでの使い手は果たしてどれだけいたか。
「まあ、僕には結界術どころか魔法に関しては一切才能が無かったからだいぶ劣化してるんだけどね。小さい板くらいなら作れたから、まあ騙し騙し使ってる、ってとこかな」
詠唱すら無しに結界を使えていたクセに何を言うか、と思ったが、アルマはその言葉を飲み込んだ。この男は受け継いだ力を――力を受け継いだという事実を快くは思っていない。だからそれを誇るのも嫌うのだろう、と。
「……それで、さっきのアイツだけど。アイツ……後ろから来た、よね?」
「ああ。背後で敵意のような冷たい感情を感じたと思ったら――奴が襲いかかってきた」
「予兆とかは無かった?」
「無かったな。まるで地面から急に生えてきたみたいな感じだった」
「……ふむ。なるほどね」
そう言うと、ルーカスは地面に屈んで何かを拾い上げる。水色がかった透明なそれを見てアルマが言う。
「さっきのやつの手首か」
「うん。こっちが溶け残ってて良かったよ。僕の予想が正しければ、こうすれば――」
言いながら、ルーカスは外套の前を開けるとその氷の手首を自分の胸へと押し当てた。
「?何を――」
首を傾げて尋ねたアルマだったが、その問いかけの声は途中で立ち消えた。
胸の押し当てられた箇所が、薄ぼんやりと水色に光ったかと思ったら――手首が磁石のように吸い付き、音も無くルーカスの体内へと沈み込んでいった。
それと同時に、突き刺すような凍気がルーカスの肺を満たす。それは再会を喜ぶ抱擁というよりは、奪われたものを取り返そうとする執念の牙のようだった。
「ッ、ぐっ……はあ。やっぱり。思った通りだ」
冷気が体中を侵して苦しそうに呻いたルーカスはしかし、ひとり合点がいったように呟く。
「お前、それ――」
「うん。これも仲間の
「仲間……」
「彼女がよく使っていた魔法だよ。氷の人形を作り出して、兵士として使うっていうやつ。終わった後に彼女が触れて回収すれば魔力のロスも殆ど無い、って事でね」
「……なるほど。じゃあ、それをお前が吸収できたって事は……」
「――ああ」
短く答えて、ルーカスは改めて東の方角――ニックスの方向へ向き直る。
「確信したよ。これは僕の仲間の『氷の魔女』――オーロラの仕業だ」
そう行って、何か決心したような顔で歩き出す。遅れないよう慌ててアルマもその後をついて行き、横に並ぶ。
「ニックスが近付いてきた、このタイミングでの襲撃。やっぱり、彼女がニックスにいるので間違い無さそうだ」
「待て。お前の仲間なら何で我らを襲うんだ?我だけならまだしも、お前まで――」
「アルマ、僕が彼女の魂を食べたって事を忘れてないかい?」
そう言って力無く笑う。困ったようなその笑顔の底で、何か寂しげな感情が見えた気がして――しかし、何か靄がかかったようになって、アルマにはその感情を読み取れなかった。
「彼女は魂を失って、抑えが効かなくなってるんだろう。だから、無理矢理にでも失った魂を奪い返して安定しようと――正しく死のうとしてるんだと思うよ」
あくまで淡々と。まるで他人事のようにそう言う姿に、アルマは少したじろぐ。
「でも、僕にはこれから先もまだやらなきゃいけない事があるし――それに、最後は君に殺されなきゃいけない。だから、今死ぬ訳にはいかない。オーロラの分だけ、直接返さなきゃ」
「……そうか」
「そうだよ」
直接返す、とは。
それは、かつての仲間をもう一度、自分で殺す事じゃないのか。
アルマはそう言いかけたが、その言葉は声に出ず飲み込まれた。
それを言ったところで誰の救いにもならないだろうし――何より、ルーカス自身はそんな事、とうに納得しているように感じられたから。
だから、何も言わずにただ歩く。
ニックスまではあと少しだった。
***
「……これが『凍りついている』とか言うやつか」
その後、幸いにも襲撃も無くしばらく歩いて。二人はニックスの市壁の前に立っていた。
カイアスの言う通り建物すら凍りついており、立ち並ぶ透明な氷柱の中には何も認識する間もなく凍ったのだろうか、歩いているそのままの姿勢で人が閉じ込められている。辺りには動くものの気配が一切無く、ただ風の吹く音とそれにより氷の軋む音だけが僅かに響いていた。
地面に薄く積もった雪は昼の日差しで少し解けかかっているが、それでも市内から侵食するように広がった氷が融解を押しとどめているようにも見える。
「勇者よ。こいつらは生きているのか?」
「……それはちょっと、分からないよ」
低い声でアルマが尋ねる。それに対してルーカスは言い淀みながら答えた。
「……自然現象と魔法で引き起こした現象は何もかもが違う。これだって、本当の氷じゃないはずだけど」
「ああ、『氷のような何か』だな」
魔法で作った氷や炎は、自然にできるそれらとは別物だ。あくまで『それらしい性質を持った何か』でしか無いが――それでも触れれば熱いし、近付けば凍えもする。
それに閉じ込められた者が凍死するのか、あるいはそのまま保存されるのか。
分からないが、それでも。やる事はひとつだ。
「……この街の奥に、何か大きな感情を感じる。寂しさと懐古と……何だ、これは……?」
「……オーロラのものだろうね。僕も強く惹き付けられるよ――早く返せって言ってるみたいだ」
二人は話しながら、しかしまだ氷へは踏み込まずに市門の少し手前で立ち止まっていた。
これ以上進めば相手の領域に入る事になる。お互いにそう直感していたからこそ、最後の機会だと感じてアルマは疑問に思っていた事を尋ねた。
「それで、例のその、オーロラとやらとの約束とは何なのだ?」
「……うん。まあ、ちょっとね」
「?なんだ、やけに曖昧だな」
「これは僕と彼女の秘密だからさ、言えないよ」
そう言ってルーカスは口をつぐむ。
言えない、というよりも言いたくない、という方が正しいのだが、そこまで言ってしまえば聡いアルマは気付いてしまうかもしれない。
何故ならルーカスとオーロラが交わした約束は、『絶対に魔王を殺す』というものなのだから。
◆◆◆
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◆◆◆
パチパチと焚き火の中で火花が弾ける。既に夜は更けていて、今起きているのは夜番のルーカスと、寝付けないと言うオーロラの二人だけであった。
「……故郷の村に、妹を残してきてるの」
どんな話の流れだったかは覚えていない。どうしてか、生まれ故郷の話になって――普段はあまり喋る方ではないオーロラが、珍しく自分の事を話しだした。あるいはその日、珍しいほど沢山の雪が降っていたからかもしれない。
「へオスは――ああ、妹の名前よ。あの子は泣き虫で、寂しがり屋で、甘えん坊で……ほんと、手のかかる子よ」
そう言う彼女の顔は、それでも柔らかく微笑んでいて。金髪に飾られた緋色の髪飾りへ火の明かりが反射し、きらりと光る。
「私が魔法の才能を見出されてニックスの学院に行くってなった時なんて、もうひどい有様だったわよ。歩いてそんなにかからない距離なのに、たまには帰るって言ってたのに。置いてかないで、ってすっごく泣いて……もう十年は昔の事になるのかしら」
――その村にいた頃の事、楽しかったんだね。
あんまりにも幸せそうに語るものだから、聞いているルーカスも何だか暖かい気持ちになる。そんな気持ちの相槌は向こうにも伝わったようで、焚き火を見つめていた視線がルーカスの顔へと上がり、肯定が返ってくる。
「ええ。休日には聖教の教会に行ってお祈りして、神父さんからあんまり美味しくないパンを貰ったりして。隣の家の男の子と遊んだり、喧嘩したり――平和で、満ち足りてたわ」
そこまで言って、彼女は一つ息を吐いて。再び視線を焚き火に落とすと、重々しく呟いた。
「魔王軍が攻めてきて――あの村だけが安全だなんて訳がない。だからこの旅を早く終わらせて、帰らなきゃいけない」
そして、意を決したような顔で。
「ねえ、ルーカス。約束してちょうだい」
ルーカスとオーロラが交わした約束。果たすべき――果たしたと伝えるべき物の、そのひとつ。
「たとえ私が死んでも、何があっても――絶対に、魔王を殺してちょうだい」