魔王を倒した勇者ですが、魔王の娘に殺される約束をしています 作:侶逆 ばあ
外観から予想できた通り、街の中は酷い有り様だった。建物から人まで区別なく、その全てが冷たい氷の中に閉ざされている。
そして、二人が何より異質に感じたのは。
「こっちは教会、こっちは……何かの店、だな」
それら建物や人を包む氷が複雑な形に組みあげられ、様々な構造体を作り上げているのだ。
荒野の枯れ木や、小さな教会。
そして――妙に見覚えのある、素朴な家。
市門を入ってすぐのところからずっと、ニックスの街に何か別の街を貼り付けたような、そんな光景が広がっているのだ。日光を浴びて煌めくそれらは一見すれば美しくも見える景色だったが――その中に人らしき影が閉じ込められているのだから、そうも言っていられない。
「……オーロラとやらは、こんな悪趣味な事をする人間だったのか?」
「まさか。彼女はちょっと無口で無愛想だったけど、それでもいい人だったよ」
氷の街路樹を見つめながらアルマが尋ねた。その中には買い物帰りだったのか、パンの盛られたカゴを持つ少女が埋まっている。
「……もし彼女が生きていたら。こんな事はきっと望んでいな――ッ!」
ルーカスはそう言いかけて、言葉を止め――横合いから襲いかかってきた氷の人形を殴りつけた。
頭部を砕かれた人形はひび割れ、盛大に弾け飛ぶ。
「ちっ、またか――
同様にアルマの方にも二体ほど人形が迫っていたが。一息の詠唱で両手に激しい炎を発生させ、近付く前にその身体を溶かしきっていた。
「やっぱり、襲撃も増えてるね」
「こいつら一体一体は弱いが、こう何度も来るといい加減うんざりだ。いっその事、辺り一帯を焼き払ってはダメなのか?」
「ダメだよ、何言ってんのさ」
うんざりした顔で言うアルマに、ルーカスは窘めるように答える。街に入ってから断続的に氷の人形から襲われ続け、いよいよアルマの不機嫌が募ってきているのだ。
「ならば早くお前の仲間の居場所を探し出せ」
ふん、と荒く息を吐いて言う。
「それに、我の角もここでは使い物にならんしな。街全体に、なんというか――『帰りたい』感情が満ちている。目の前にいる奴ならまだしも、そうじゃない誰かの感情を探すのは到底不可能だ」
「いやあ、段々と惹き付けられる感覚は強くなってるんだけど……」
言いながら二人が歩いていると。
少し遠くに、ぽつんと一軒だけ建っている小さな家を見つけた。
それは他の構造体とは明らかに違っていた。壁も、屋根も、扉も――すべてが不自然なほど精巧に形作られている。
「……あそこだ」
ルーカスが無意識に呟く。
自分でも理由は分からない。ただ、胸の奥がじくじくと痛み、そこへ行けと訴えてくる。
「……惹かれているのか?」
「……たぶん、そうなんだと思う」
その家に近づくにつれて、周囲の氷の造形はより鮮明になっていった。
店は看板の文字まで読めるようになり、井戸を模した氷には苔すらも再現されている。納屋の中の小麦まで作り込まれており、色さえつければ食べられるのではと思うほど。
まるで、誰かの記憶を一つずつ丁寧に複写しているかのようだった。
そして、何より。二人が辿り着いたその家は――ひどく見覚えのあるものだった。
「カイアスさんの、家――?」
二人の目の前にあるのはつい先日出立したはずの村の、あの優しい人物がいた家。
「どういう事だ?なぜここにあの人間の家がある?」
首を捻るアルマだったが、対してルーカスにはうっすらと思い当たる節があった。
ここまでの、まるで誰かの記憶を複写したような光景――誰の記憶か、とは言うまでも無いだろう。
少しだけ考え込むと、ルーカスはアルマへ振り向いて言った。
「アルマ。悪いんだけど、ちょっとだけここで待っててくれないかい?」
「なぜだ?我がいては都合が悪い、とでも言いたいのか?」
「いいや。都合が悪いとかじゃなくて――僕が、君に聞かせたくないんだよ」
ルーカスが重ねてそう言うと、アルマはあまり納得はしていないようだが引き下がってくれた。
ありがとう、と笑顔で礼を言って。ルーカスはドアを開け、家の中へ入っていった。
***
やはりと言うべきか、家の中も精巧な氷の構造物で満ちていた。暖炉には炎を模した氷が揺らめいていて、窓から入る光が部屋中に反射し、幻想的に輝いていた。
そして、部屋の真ん中のテーブルに向かって座る人影がひとつ。
こちらは氷では無い。長い金髪ですらりとした長身の、端正な顔立ちの女性である。一見すればただの人のようにも見えるが――その目には光がこもっておらず、息を吐く事すらしていないように見えた。
「……やあ、オーロラ。久しぶり」
ルーカスが声をかけると、オーロラは緩慢な動きで振り返った。
「外のあれ、すごいね。君の記憶をそのまま出力したのかい?」
あくまでも何気ない風を装って話しかけるが、オーロラは答えない。ただじっと、光の灯らない虚ろな瞳でルーカスを見つめるだけ。
声が届いているのかは分からないが、それでもなお呼びかける。
「今日は報告に来たんだ。魔王は、僕が倒したよ」
そう言うと、ぴくりと僅かにオーロラの肩が跳ねた。
「だからもう、君は何も心配しなくて――」
「……あの子は、死んだのよね」
脈絡無く、オーロラが口を開く。低く、感情の抜け落ちた声だった。
「……何の話だい?」
「……私は……へオスに……」
その名を聞いた瞬間、ルーカスの喉がひくりと引き攣った。
「私、帰るって言ったのに。あの子を守るって、約束したのに……」
その言葉に感情は無く。ただ事実を反芻しているだけのようだった。
「恨んで、いるわよね……」
誰が、何を。
問いかけるような言葉だが、しかし。答えを求めているようでは無かった。
「それは――」
「いいえ……分かるのよ……」
ぶつぶつと呟くその姿が、酷く痛々しいものに思えて。
ルーカスが口を挟めずにいると、その顔に何か冷たいものが当たった。
「……雪?」
「私は……約束を……」
周囲にはちらちらと雪が舞っていた。窓の外は晴れていて、室内だと言うのに、である。
「こんな私じゃ……あの子には……会えない……!」
オーロラの言葉が一段と強くなる。それに呼応するかのように雪の降る勢いが強くなり、風が吹き始め――
「ア――あァあアあァッ!」
オーロラが狂ったように叫び――激しい吹雪が、意志を持ったようにルーカスに襲いかかってくる。
「――ッ!落ち着いて、オーロラ!僕だ、ルーカスだ!」
「近付か……ないで……!私は……ここで……!」
叩きつけるような風と雪に負けじと声を上げるが、それでも吹雪の猛威は止まらない。さらにまずい事に、吹雪に紛れて時折氷の
「
『盾』でいくら防ごうとも、いくらかは体に当たる。
やぶれかぶれで、理性なんて欠片もない攻撃。攻撃を差し挟む隙はいくらでもあるが――今のルーカスが迂闊に手を出す事はできない。
ただでさえ歪で、脆いこの存在だ。四人の魂を手にした常人ならざる実力を持ったルーカスが攻撃して、無事で済むというのは少しばかり楽観的な考えだろう。
「――ごめん、今日は引かせてくれ――!」
だが、しかし。いつまでもこのままという訳にもいかない。
部屋の窓から外の様子が見える事を確認して。
行きたい場所を見据えて。体の内部を引っかかれるような、気持ちの悪い疼きに耐えながら詠唱する。
「『
刹那、ルーカスの姿が室内からかき消え――次の瞬間には、窓から見えた家の外にいた。
「おい!勇者!中でなにが……」
物音を聞き付けたのか、アルマがルーカスの元へと駆け寄ってくる。そして傷だらけのルーカスの様子を見て、その後家を見て。それだけである程度は察したようである。
「……ごめんね。失敗しちゃったよ」
「それは見れば分かる。この中にやはり、オーロラがいたのか?」
窓を指差し――その窓は雪で白く曇っていて、中は見えなくなってしまっている。けれど既に荒ぶる気配は消え失せていて、外に音が漏れている、という事もない。
ともすれば異常とも言えるほどの静寂である。
「うん。いたよ……まあ、僕が不甲斐ないせいで、逃げ出しちゃったんだけどね」
「……ふん、自虐なら誰にだってできる。そんな事をしている暇があるなら、早く次に向けて動け」
あまりに素っ気ないその言い草に、手厳しいな、とルーカスは苦笑した。
そして、アルマはそれに頓着せず続ける。
「それより。氷の中の人間どもだが、あれらはまだ生きているぞ。集中して感情を『聴いて』みたら、微かにだが恐怖や困惑、不安が感じ取れた」
「……!本当かい!?」
さらりとそう言うと、目を輝かせてルーカスが聞き返した。
想像以上に食い付きが良いな、とアルマはやや戸惑いながら答える。
「……生きてはいる。凍っているのではなく、閉じ込められているにすぎんからだ」
けれど。
「いつまで生きてられるか、とかは分かるのかい?」
「それは分からんな。あれは術者以外では解けない部類だ。それに、肝心の術者も――」
「うん。だから、急がなきゃいけない」
被せるようなその返答に、一つため息を吐いて。しかしそんなアルマには目もくれず、ルーカスは歩き出しながら言った。
「とりあえず、今日のところは一旦戻ろう――少し、確かめたい事があるんだ」
***
それからしばらく歩いて。ニックスの市門を出たルーカスは傷だらけで、顔には疲労が色濃く滲んでいた。
オーロラとの戦いで蓄積していた疲労に加え、市門までの帰り道では往路の倍近くの襲撃があったからだ。一度明確にやり合った事で敵意が増したのかは知らないが――ともかく、疲れているのは確かだった。
日は既に背後で低く傾き、もうそろそろ夜が来そうな頃合だ。二人で並んで歩くと、影だけがまっすぐ伸びていて――不意にアルマの頭に、いくつかの情景がよぎった。
氷でできたカイアスの家。街全体に満ちていた「帰りたい場所」の感覚。それを思い出した瞬間、胸の奥の何かが、嫌な音を立ててひび割れそうになる。
失って、思い出を守る人をこれからどれだけ見る事だろうか。
自分はもう――知りたくない。
そう考えてしまえば、後は早かった。
今、他には誰もいない。勇者は酷く弱っていて、そして油断しつつある。
今ならば、殺せるかもしれない。
約束を違える事になるがそんなの知ったことか。そもそも奴はお父さまの
だから、いいのだ。
そうやって、理由を付けた。
「……なあ、勇者よ。あやつを鎮める方法について、何か手は思いついたか?」
「うーん……まあ、心当たりは無いでは無いけど……」
何気ない風を装って問いかける。案の定ルーカスはアルマの内心に気づいていない様子で、気の抜けた返事をしながら考え事にふける。アルマが裏切るなど考えてもいない様子で――同じ部屋で寝たのに寝込みを襲わなかった、というのが効いていたのかもしれない。
ともかく、そんな具合であるから。
「ほう?それはどんなものだ?」
右に立つルーカスから体で隠しながら、無詠唱で左手に
「うん。とりあえず、カイアスさんの家に行って確かめたい事が――」
油断しきった様子でそう語るルーカスの心臓に向けて。熱を持ち、硬化した手刀で貫こうと伸ばした腕は――しかし、虚空を切った。
「……やっぱり、そうだよね」
気付けばルーカスの姿はかき消えていて、アルマの背後から声が降ってくる。それは妙に悲しそうな声で、アルマの心がちくりと疼いたような気がした。
「ちっ!後ろ――」
「ごめんね。まだ殺されてやるわけにはいかないから――カイアスさんのところに着くまで、少し眠っててよ」
そして。瞬間移動じみた動きに対応すべく振り向こうとして――次の瞬間、視界がぐるりと裏返った。一拍遅れて首筋に感じる痺れで、神経をやられたのだと気付く。
「君、途中から殺気が漏れてたよ。僕は感情こそ読めないけれど、そういうのには敏感なんだ」
奇襲を避けられ、挙句の果てに急所に一撃。
一瞬で、攻防とも言えないくらいに軽くあしらわれて。
絶望的な力の差を感じながら――アルマは、意識を手放した。
***
ゆらゆらと、揺り籠のように揺れている。遠い昔には、よく味わっていたような気がする感覚。
泥のような微睡みの中、何事かと訝しみ――自分が背負われているのだと気付いたアルマは、そこで目を覚ました。
「おっ、起きた?」
アルマが辺りを見回せば、 頭上には満点の星空が広がり、地面には雪が月明かりを反射して眩しく浮き立っていた。
自分がルーカスに背負われて運ばれているのだ、と気付き。反射的に攻撃しかけて、その前に踏みとどまった。
「……なぜ、我を殺さなかった」
「なんで殺さなきゃいけないんだい?」
ルーカスの赤毛の後頭部を睨み付けながらの問いかけは、しかし穏やかな疑問でもって返された。
「……我は、お前を殺そうとしたのだぞ」
「最初から僕を殺すって約束だったじゃないか。何を今更」
「だから、我がその約束を違えると証明したばかりではないか」
「うん。でもまあ、それくらいの方がいいよ」
ルーカスが何を考えているのか、アルマにはもう分からなかった。約束を破る事を肯定する、というのはアルマのこれまでの人生経験とは相反するものだったからだ。
そうして何も言えずにいるアルマに対し、ルーカスはおもむろに尋ねた。
「ま、それはそれとして、だよ。オーロラから懐古の感情が強く感じられた、っていうのは確かなのかい?」
唐突に話を変えられ、アルマはかなり面食らう。けれど聞かれているのは至極真っ当な事で、それが「約束」を果たす事への近道になるのだと予想できたから。
「……ああ。オーロラから、と言うよりもあの街の氷全体から、と言った方が正しいがな」
答えると、ルーカスはうん、と頷いて。
「ありがとう。君のおかげで、オーロラの魂を返せそうだよ」
そう言うとルーカスは振り向いて、人のいい笑顔を浮かべて。
「やっぱり。殺さなくて良かっただろう?」
***
「いやぁ……こんな夜中に尋ねてきた時は誰かと思ったが、あんたらだったか。大変だったろう?」
その日、月が頂天に昇るころ。
ルーカスとアルマの二人は、カイアスの家へと辿り着いていた。
真夜中に叩き起されたというのに快く二人を受け入れてくれた彼は、よっこいせ、と椅子に座ってそう尋ねた。ちなみにアルマは早々に暖炉の前へ陣取り、そこから不動の姿勢である。
「ええ、まあ……ところでカイアスさん。ひとつ、お尋ねしてもいいですか?」
「?なんだなんだ、そんなかしこまって。遠慮せず何でも聞いてくれよ」
カイアスは大柄で威圧感すらある体格とは対照的な人好きのする笑顔をして言った。だからルーカスも心持ちリラックスして尋ねる。
「あなたの奥さんの名前――へオス、ではありませんでしたか?」
「……そうだが……なんだ?あんたら、アイツの知り合いだったのか?」
「いえ。へオスさん本人ではなく、そのお姉さんとご縁がありまして」
「オーロラと?」
訝しげに言ったカイアスだったが、それよりも懐かしさが
「ああ、懐かしいなぁ……俺らがちっさい頃は同じくらいの歳の子供が少なかったからよ。三人でよく遊んだもんだ」
そう言う彼の声は優しげで、柔らかい響きに満ちていて。
その声は当然アルマの耳にも届いていて――カイアスはおそらく、とっくに乗り越えているのだろう。失った辛さも、かつての幸せも。
「へオスはいつも言ってたよ。私のお姉ちゃんはすごい人なんだ、って――そりゃ幼なじみなんだから知ってるに決まってんのによ。日記にもアイツ、事ある毎にそう書いてたんだぜ?」
「――日記が、あるんですか?」
ぴく、とルーカスの肩が跳ねる。
「おう。アイツはかなり筆まめでなあ……どうしても、捨てらんねえよ」
「あの……それを読ませてもらうことって、できたりしますか?」
「そりゃあ……ちょっと、お前よ。いきなりってのは――」
ルーカスがダメ元で申し出る。が、しかし。カイアスはあまり気乗りしない様子だった。
それはそうだろう。死んだ妻との大事な思い出を、どこの誰ともしれない奴に見せるのは抵抗感があるはずだ。
けれどもう一度、とルーカスが食い下がろうとしたところで。
「――オーロラは、何かを懐かしがっていたようだ」
いつの間にかそばに来ていたアルマが、唐突に口を開いた。
「それは、どういう……」
「すまない。詳しい事は言えない。だが我らはニックスの為にも、オーロラのその感情について知りたい――知らなければならないのだ」
そこまで言うと、彼女は深々と頭を下げて。
魔王の娘らしからぬ低姿勢で頼み込んだ。
「まだ、ニックスの民は生きている。――だから、お願いだ。少しでいいから、その日記を読ませてほしい」
子供らしからぬ言葉遣いに驚いているのか、それとも頭の中で信頼度を測っているのか。少しの間、三人の間に重い沈黙が降りる。
そうして。沈黙に耐えかねて、ルーカスが口を開きかけた時。
「――はあ。ここで読むだけなら、いいぜ。今取ってくるからちょっと待ってろ」
大きくため息を吐いて。カイアスは短くそう言うと、別の部屋へと引っ込んでいった。
居間に残された二人は呆気にとられた顔と、少しだけ得意げな、しかし真剣な顔を見合わせて。
「――我を殺さなかった事と、この件。これで貸し借りはナシだ」
あくまでも素っ気なく。アルマはそう言うのだった。
***
「ほれ、これだ」
少しして、カイアスは日焼けした一冊の手帳を持って戻ってきた。
「あ、ありがとうございます!」
「おうよ。くれぐれも汚したりすんじゃねえぞ」
カイアスはそうやって釘を差し、そして少しでも不審な動きを見逃すものかと言いたげに二人をじっと見つめる。
日記を開くと。そこには、パンが美味しく焼けた、空がきれいだった――そんな他愛のない、けれど幸せな日々が綴られていた。
そして、日記に多く記されていた言葉。短いながらも、それこそが一番重要なのだと言いたげな一文。
『私は、お姉ちゃんを誇りに思う』
ルーカスは確信を持って呟いた。
「……これが、オーロラの『鍵』だ」