イマドキ魔王は苦悩する 作:だいふく。
誠に勝手ながら、今日も愚痴らせてもらう。
──昨日の俺……何をした?
朝、目が覚めた瞬間から胸の奥が熱い。熱というより、焦げついたみたいな嫌な感覚だ。
まぶたを閉じても、見える。黒い炎。焼け落ちる音。地面に伏せる人々。怯えて後退するモンスター。
そして何より──俺の声で吐き出された、最悪の台詞。
『──頭が高いな、ひれ伏せ人間共ッ!!』
もう嫌だ。死にたい。
あれを“俺の声”でやらかした以上、今日から俺の人生は「渋谷の厨二魔王」ルートに入っていてもおかしくない。
枕元のスマホを掴み、指が震えるのも構わず画面を叩く。ニュースアプリ。SNS。動画サイト。検索。
──「渋谷 黒い炎」
──「学ラン 魔王」
──「ひれ伏せ 学生」
最悪の単語を自分で入力している時点で、もう罰ゲームだ。……が、出てこない。
出てくるのは「渋谷でスタンピード」「異能防衛機関が対応」「負傷者は軽傷中心」といった、当たり障りのない記事だけ。動画も遠景ばかりで、黒炎の中心がどうなっていたかは曖昧にぼかされている。
……消されてる?
その可能性が頭をよぎった瞬間、背筋が冷えた。
消されているなら、誰かが消している。
そして“誰か”が、未登録の異能者を放置するはずがない。
『フフ……追われ迫られてこそ、魔王の本懐よ』
(黙れ)
横で笑う骸骨──メルギドスの気配を無視して、俺は布団から這い出た。
考えても仕方ない。どうせ現実は、俺の都合なんて一ミリも聞かない。だったら、いつも通り学校に行く。授業を受ける。友達とくだらない話をする。
昨日を“昨日”に押し込める。押し込めるしかない。
台所から、味噌汁の匂いがした。
テレビのワイドショーが騒いでいる。天気予報と出現注意報が並んでいる。
「あはよう悠。すこし顔色悪いんじゃない? 寝不足?」
母さんが湯気越しに言う。
俺は味噌汁をすすって、なるべく普通に頷いた。
「……ちょっと」
昨日のことを思い出すたび、胃がねじれる。
でも言えるわけがない。“昨日の渋谷で、俺の身体が勝手に魔王になってさ”なんて。
向かいの椅子に、妹がドカッと座った。
長い髪を雑に下ろしていて、毛先だけ少し色が抜けている。耳のピアス。制服は規定から外れた着崩し。
いわゆる不良のような見た目。普段の俺との会話なんて朝晩の「飯」と「うざ」くらいだ。
なのに今日は、妙に静かだった。
「……昨日」
妹がぼそっと言った。
箸が止まる。
「……ありがと」
小さすぎる声。聞き間違いかと思った。
母さんも一瞬だけ固まり、それから何も言わずに皿を並べ直す。空気を読んだのか、見なかったことにしたのか分からない。
俺は曖昧に頷いた。頷くしかなかった。
すると、ゆっくり妹は口を開いた。
「兄貴さ。昨日、なんか変な──」
「あぁ!! そろそろ行かないと遅刻だ!!」
俺は大きめの声で被せた。
露骨だ。雑だ。最悪の誤魔化しだと自分でも分かる。
「お、おい待てよ兄貴!」
妹が椅子を鳴らして立ち上がる。
俺は返事もせず、食器を流しに置いて鞄を掴んだ。
「行ってくる!」
「ちょ、まだ味噌汁──!」
母さんの声を背中で切って、玄関を出る。
靴紐を結ぶ指が、微かに震えていた。息が浅い。心臓がうるさい。
言葉にした瞬間、現実になる気がした。
俺は顔を上げて、朝の冷たい空気を吸い込んだ。
いつも通りにしろ。
いつも通りに、学校へ行け。
……やっぱり俺にはなんの覚悟もないし、何も受け入れられていない。
通学路はいつもと同じ。コンビニの前でだべる高校生、開店準備の商店街、駅へ向かうサラリーマンの足音。
渋谷が燃えた翌朝だなんて、嘘みたいに日常だ。
……嘘にしてくれ。
そう思いながら、いつもの小さな公園の脇を通り過ぎる。ブランコが一つ、錆びた鎖で揺れていない。ベンチに座る老人もいない。
俺は公園の角を曲がった。
相変わらずこの辺りは人気がない。──そう思ったときだった。
「佐々木悠さん、ですね」
背後から声が飛んできた。
心臓が跳ねた。反射で足が止まり、振り返る。
黒っぽいスーツの男が二人。
手ぶらで、派手さもない。なのに立ち姿が妙に洗練されている。どこか日常とかけ離れた雰囲気。
普通の顔をしているくせに、普通じゃない空気をまとっている。
「……誰ですか」
喉が乾いて、声が掠れた。
男の一人が、胸元から身分証を見せる。
俺が見たくなかった、その身分証を。
──異能防衛機関。
モンスター対処の実働機関。そして、異能者が関わる事件──異能犯罪の対処も担う、国家権限の組織。
つまり、逃げても追ってくる種類の相手だ。
「昨日の渋谷の件で、少し事情を伺いたい。お時間よろしいですか」
丁寧な言い方。
でも断れる雰囲気が一ミリもない。もう一人が自然に俺の斜め後ろへ回り、逃げ道を潰す。……確保。そういう動きだ。
(やっぱり来たな……)
息が浅くなる。
ここで逃げたら、追われる。逃げなくても、詰みは詰みだ。──その時、
「……あ? 誰だテメェら」
低い声が横から割り込んだ。
俺が息を呑むより先に、妹が公園の角から出てきた。……追ってきたのか。あの会話の続きを、どうしても切りたかったんだろう。
長い髪が風で揺れている。表情は険しい。
普段、俺に向ける「うざ」の顔とは違う。明らかに“敵”を見る目だ。
「なにコイツら。……兄貴に何してんの?」
兄貴。
その呼び方を、こいつが外で使うなんて滅多にない。 スーツの男が「落ち着いてください」と言いかけた瞬間、妹が一歩踏み込んだ。
「落ち着け? テメェら誰だって聞いてんだよ! 朝っぱらから人の兄貴止めてさ。ナメてんの?」
「……お嬢さん、我々は」
「うっせぇ黒服野郎! 近づくんじゃねぇ!」
(やめろ! 目立つな!)
俺は妹の腕を掴もうとして、手が空振りする。妹の勢いがそれ以上だった。近所の犬の散歩中の人が、ちらっとこっちを見る。最悪だ。
そのとき、通りの向こうから落ち着いた声が挟まった。
「妹さん……気持ちは分かる。でも、ここで騒ぐと余計に拗れる」
スーツじゃない。機関の戦闘服。
若い男が歩いてくる。目の下に薄い隈。装備を身につけているのに、動きは静かだ。
「異能防衛機関の北見です。……そちらの、佐々木悠さんに用がある」
妹が睨む。
「誰だよ、テメェ。
「……異能防衛機関、B級隊員の北見です。こちらの職員とは異なります」
北見さんの言い方が妙に生々しい。
“職員”と“隊員”を分けるのは、たぶん現場の線引きがあるからだ。そして、今ここに“隊員”が出てくる時点で、話が軽いはずがない。
妹が俺を見た。
「……兄貴」
見た事ないほど、不安そうな表情だった。
「大丈夫」
だから兄として。安心させなくてはと思った。
妹の目が鋭い。普段会話も少ないくせに、こういう時だけ刺してくる。嘘を見抜く目だ。
「……わかった」
喉が詰まった。
聞きたいことが山ほどあるだろうに、飲み込んだんだ。全く、いつからこんな大人になったんだろうな、うちの妹は……。
「今は何も聞かねぇ……だから、全部整理できたら話せよな」
「……うん、わかった。ありがとう」
すると、黒服を一度睨んでから、妹は踵を返した。
「──逃げんなよ。兄貴」
それだけを言うと、妹は歩いていった。
足の力が抜けた。久しぶりにこんなに喋った。
小さい頃と比べ見た目は随分と変わったが、その優しさは昔のままだったな。
逃げたい。消えたい。全部なかったことにしたい。
でも妹の前では言い訳ができない。いや、できてもしたくない。改めて、そう思えた。
北見さんが小さく頷き、スーツの男たちも一歩引いた。
「……改めて言います。これは処罰じゃない。保護と事情聴取です」
スーツの職員が丁寧に頭を下げる。
「昨日の一件は重大です。──同行をお願いします」
昨日の地獄は、俺の中だけのものじゃなかった。
俺は小さく息を吐いて、頷いた。
「……分かりました」
§
連れて行かれたのは警察署ではなかった。
白い壁、静かな廊下、監視カメラ、消毒液の匂い。
病院と役所を足して割ったような施設。
“保護”という言葉に嘘がない程度には柔らかい空間だった。
だが、柔らかいからといって安心できるわけじゃない。むしろ、その柔らかさが怖い。ここでは暴れられない。声を荒げられない。異常者として扱われるだけだ。
小さな会議室に通され、俺は椅子に座らされた。
向かいにスーツの職員。横に北見さん。
机の上には録音機と書類、ペン、水。
「佐々木悠くん。確認します。あなたは未登録の異能者である可能性が高い。昨日、渋谷においてモンスターの群れが未知の手段で焼失した。あなたは現場から離脱した。──ここまで、事実に相違はありますか?」
淡々とした言い方。逃げ道が潰れていく音がする。
「……離脱って」
北見さんが言う。
「一瞬で消えたのを確認した。それに、空間系の痕跡が残ってた。俺と同じ系統の魔法の痕跡がな」
俺は視線を落とした。
認めたら終わる。否定しても、証拠があるなら終わる。
『ユウ、ここで我が王権を宣言し──』
(黙れ)
机の下で拳を握り、掌に爪を食い込ませた。
痛みで、かろうじて理性が繋がる。
スーツの職員が、声の温度を変えずに言った。
「簡易の確認をします。危険は最小限に。北見隊員が立ち会います」
「……確認って」
「あなたの異能の有無と、反応の種類を。あなたと周囲の安全のためです」
安全。その単語が、逆に俺を追い詰めた。
(発動したら、ここが地獄になる)
周りが本能的恐怖で固まる。俺の口が勝手に痛いことを言う。声も顔も俺のまま。周りから見れば“佐々木悠が突然厨二を始めた”だけ。
そして俺だけが内心で悶える。最悪だ。
「……無理です」
俺は絞り出した。
「使いたくないです」
言った瞬間、空気が少しだけ変わった。
職員は反応を表に出さない。北見さんだけが、ほんの僅かに眉を動かした。
「使いたくない理由を聞かせてください」
職員の声は穏やかだ。穏やかだからこそ逃げられない。俺は喉を鳴らした。
「……発動すると、俺の意思と関係なく、制御できなくなります。意識は残ります。でも、勝手に……」
言葉が詰まる。“勝手に痛い台詞を吐く”とは言えない。死にたい。
北見さんが、低く息を吐いた。
「……昨日の現場と一致します」
職員が立ち上がり、壁の装置に触れた。
部屋の隅が低く唸り、空気が少しだけ重くなる。
「抑制フィールドです。異能の拡散を抑えます。完全ではありませんが、最小限にはできます」
準備が良すぎる。つまり、こういう事案は初めてじゃない。
「……佐々木くん、大丈夫です。我々を信じてください」
「…………」
その優しさが苦しい。
もう、腹をくくるしかないのか……。
「……わかりました」
そして、俺は内側に意識を向ける。
「──ッ!!」
ゆっくりと意識が沈んでいく。
メルギドスの姿が重なり──背筋が勝手に伸びる。顎が上がる。口角が吊り上がる。
全部、自分の意志じゃないのに、全部、自分の体で起きる。
「フフ……フハハハハハッ!!」
(やめろ、やめろ、やめろ……!)
俺の高笑いが響き渡った。
次の瞬間、空気が凍った。
職員の表情が固まる。瞬きが止まる。北見さんの肩が跳ね、そのまま膝が落ちかける。昨日の“跪き”が身体に刻まれているみたいに。
「うむ……よい檻だ。我を迎えるに不足はない。人間共、褒めてつかわすぞ」
(言うな! 頼むから言うな! 迎えられるな! 帰ってくれ頼むから!)
内心の叫びをよそに、俺の口は滑らかに恥を垂れ流す。声は俺のまま。顔も俺のまま。つまり、“俺が言っている”としか見えない。
職員が喉を鳴らしながらも必死に言葉を出した。
「……北見隊員……状況……」
北見さんが歯を食いしばり、姿勢を保つ。決して逃げないという、意思が伝わってくる。
「佐々木……! 聞こえるなら……戻れ……!」
(聞こえてます! 俺はここにいる! だから止めてください!)
抑制フィールドが唸りを増す。空気が重い。水の中に沈むみたいに体が鈍る。
「──おい、発言を許した覚えはないが。どういう了見だ、人間?」
(うわあああああ!! やめろ!!)
俺は必死に内側から体を引っ張った。
指先。足先。呼吸。意志を一点に集める。
“譲る”のを、取り戻すんじゃない。──譲った手綱を、もう一度握り直す。
ほんの一瞬だけ、口が止まった。
「……っ」
北見さんの呼吸が戻る。
今がチャンスだと直感した。
(戻れ……戻れ……!)
意思がゆっくりと浮上する。
全身がぐらりと揺れ、汗が一気に噴き出した。
俺は椅子の背にもたれ、荒い呼吸を繰り返した。
胃が気持ち悪い。喉が痛い。
そして何より、恥ずかしさで心臓が爆発しそうだった。
「……すみません……今の……」
言い訳が追いつかない。追いつくはずがない。
北見さんが乾いた笑いを漏らした。馬鹿にする笑いじゃない。悔しさ混じりの笑いだ。
「……やっぱり、あんただったんだな」
職員が深く息を吐き、書類に目を落とす。
「……確認できました。佐々木悠くん。あなたの異能は極めて危険です。戦闘能力だけではなく、周囲への影響が」
俺は俯いた。
「……だから、使いたくないんです」
それが本音だった。
強いとか弱いとか以前に、人生が終わる。発動するたび、周りが凍って、俺の身体が勝手に恥を撒き散らす。職員は淡々と告げた。
「しかし放置はできません。本人の意思に関わらず再発する可能性がある。ご家族も含め、危険です。──そこで提案があります」
嫌な予感しかしない。
「異能防衛機関直轄の育成課程──候補生課程への編入。監督下で訓練を受けてください。目的は戦力化ではなく制御です」
育成。編入。監督。訓練。
全部、俺が嫌いな単語だ。特に“監督”が無理だ。俺の恥を、毎日誰かに観測されるってことじゃないか。
「……拒否したら」
俺が絞り出すと、職員は迷いなく答えた。
「保護の継続と、監督の強化です。罰ではありません。再発したとき、一般社会が耐えられないからです」
一般社会が耐えられない。
……色んな意味で、ということか。
北見さんが俺をまっすぐ見た。
「昨日、俺は何もできなかった。あんたが怖かった。今も怖いです。……でも、だからって放っておけない」
その言葉が、変に刺さった。
怖い。そうだろう。俺だって怖い。俺自身が。
『フフ……王の道は孤独にして栄光。その痛みすら蜜よ』
(うるせぇ!! 栄光なんていらねぇんだよ!! 平穏がいいんだ俺は!!)
俺は頭を抱え、観念した。
「……分かりました。行きます。候補生課程」
胃がきゅっと縮んだ。逃げ道が閉じた音がした。
でも同時に、どこかで安心もしていた。
少なくともここから先は、“やらかしたら終わり”が分かっている。分かっている地獄の方が、分からない地獄よりはマシだ。
職員が頷く。
「ありがとうございます。あなたは危険な存在ではありません。危険な“現象”を抱えているだけです。私たちは、それを制御するためにいます」
綺麗な言葉だ。
でも俺は知っている。制御できるようになるまで、俺は何度も恥をかく。何度も空気を凍らせる。
そのたびに俺は、自分の中で悶え続ける。
廊下へ出ると、空調の風がやけに冷たかった。
「……確認なんだが」
北見さんが横を歩きながら、ぽつりと言った。
「……何ですか」
「昨日の現場で、あんた……笑ってたよな」
俺は足を止めた。肺が止まった。
「……俺の意思じゃないです」
「やっぱそうなのか。今日、それが知れてよかった」
それから、北見さんは慎重に言葉を選ぶ続けた。
「能力を発動した瞬間、あんたの言動が“別人”みたいになった。あれは演技じゃない。そういうタイプの異能ということか。人格変容ってやつ」
「…………」
「正体は分からない。誰の魂とか、何者とか、そういうのは俺には断定できない。でも──あれが出てくる以上、放置できない」
俺は視線を落とした。
“正体は分からない”と言われて、なぜか少しだけ救われた気がした。
「……はい。そうですね」
声がやけに乾いた。
北見さんは小さく頷いた。
「候補生課程で制御できるようになれば、少なくとも現場で“再発”する確率は下げられる。……俺も協力する」
「協力、ですか」
「俺の異能は『空間魔法』。あんたも似たようなことができるなら、教えられることはある。あと……現場での“手順”もな」
言葉は淡々としているのに、目だけは真剣だった。
昨日、跪いて何もできなかった悔しさが、まだ残っている目だ。──優しい人だな。
「……ありがとうございます」
『フフ……臣下が増えたな』
(黙れ)
俺は肩で息を吐いて、歩き出した。
候補生課程という名の檻に向かう。
異能を使うことは黒歴史を増やすこと。
そう確信できるのがいちばん嫌だった……。