イマドキ魔王は苦悩する 作:だいふく。
──候補生課程。
聞こえだけは立派だ。
異能防衛機関直轄。国の名の下に、モンスター対応と異能犯罪対処の“現場”を支える人材を育てる場所。俺みたいな未登録の異能者でも、危険性が高ければ例外的に編入させることがある──そういう説明を、北見さんは淡々と口にした。
言葉は丁寧で、理屈も正しい。
ただ、訓練のたびに魔王ムーブをしないといけないのだと思うと、胃が痛い。……痛すぎる。
廊下の空調がやけに冷たい。制服の襟が首に刺さる。手のひらは汗ばんでいて、指先が落ち着かない。
前を歩く職員の背中はまっすぐで、振り返りもしない。その無言が逆に、逃げ道のなさを教えてくる。
『フフ……ユウ、お前がその気になればこの程度の者たちなど、容易く鏖殺できるぞ? どうだ、圧倒的な力とは実に甘美であろう?』
半透明の骸骨──メルギドスが楽しそうにめちゃくちゃ物騒なことを言ってくるので、めちゃくちゃ嫌そうな顔だけ向けて無視した。
こいつは俺にだけ妙に従順だ。俺が“譲る”と決めた時にしか、表に出てこない。……出てこないようにしてる、という方が正しいか。
何となくの感覚でしかないが、コイツがその気になれば簡単に乗っ取れる気がする……。
だが、コイツはそれをしない。それどころかやたらと馴れ馴れしく、友好的と言っていい。……なんでだろうか。
「──佐々木くん」
前を歩いていた職員が、ようやく振り返った。
スーツ姿。表情の起伏が薄く、感情が全く読み取れない。仕事モードなのだろう。
「本日は簡単なオリエンテーションを行います。戦闘訓練等はありませんので、ご安心を」
「……はい」
戦闘じゃない。
なら、少しはマシかもしれない。
そう思った俺に、職員は続けた。
「まずは、救助訓練を体験してもらいます」
「……救助?」
喉が、ひゅっと鳴った。
そして、職員の目がスンと冷たくなった。
「あなたの異能が“救助現場に与える影響”を確認して貰います」
北見さんが隣で目を伏せる。先日の渋谷を思い出しているのだろう。俺も思い出している。
黒い炎。頭を垂れる人々。凍りつく空気。
「佐々木くん。今から入るのは訓練棟の模擬災害区画です」
職員が端末を操作する。金属扉が低く唸り、重いロックが外れる音がした。
扉が開いた瞬間、空気が変わった。
埃の匂い。湿ったコンクリ。油──いや、消毒液の匂いが混ざっている。
スピーカーからサイレンと、助けを求める叫び声の録音が流れてきた。録音のはずなのに、妙に生々しい。
「うわ……」
思わず声が漏れた。
目の前は、崩壊した街の再現だった。瓦礫の山。傾いた信号。割れたガラス。横倒しになった車。
そして──救助する人とされる人。
「担架、通れない! こっち回る!」
「止血! 圧迫続けろ!」
「ガス臭い、遮断弁確認!」
「三区画、要救助者二名!」
候補生らしい訓練生たちが走っている。防護服、ヘルメット、救助装備。動きはきびきびしていて、声がはっきりしていた。
実戦を想定してるのが一目で分かる。
誰一人として手を抜いていない。その緊迫感に圧倒された。
(……これ、俺が混ざっていい空気じゃないだろ)
俺が一歩踏み込んだだけで、テンポが狂う気がした。
「今回、救助訓練を体験してもらう目的は二つです」
職員が淡々と言う。
「一つ、救助現場の“流れ”を理解すること。二つ、あなたの異能がその流れをどう壊すか──それを確認すること」
壊す。言い方が、容赦ない。
北見さんが小さく息を吐き、俺の横に立った。
「佐々木、まずは見てくれ。……現場はこういう“連携”で回ってる」
担架班が救助対象役を引き抜く。止血班が圧迫し、別班が誘導路を確保する。瓦礫撤去の班が通路を作り、無線で区域ごとに情報が更新される。
「止血、搬送、誘導、瓦礫撤去。全部、秒単位。まさに時間との勝負だ。この流れが止まれば──失われる命がある」
「……はい」
理解した瞬間、心の内側が冷えた。
俺の異能は、発動しただけで周りに恐怖を撒き散らす。そして、恐怖により誰もが動きを止める。
嫌でも最悪な想像が脳裏をよぎる。
職員が頷いた。
「まずは“異能を使わない場合”の動きを体験してください。担架班に入ってください」
「担架……ですか?」
返事を待たず、俺は担架の持ち手を握らされた。
金属が冷たい。手袋越しでも冷えが指に伝わる。
向かいの訓練生が声をかけてきた。
「新しい編入生だよね? よろしく、歩幅合わせてね。じゃあ行くよ」
「あ、はい……よろしくお願いします」
俺の声は情けないくらい普通だった。
「せーの、持ち上げる!」
担架が浮く。重い。人間の重さを模した重量。肩にずしりと来る。
足元は瓦礫だらけで、バランスが難しい。
「ゆっくり! 頭側、段差!」
「は、はい!」
俺も必死に頷く。走る。できるだけ担架を揺らさないように。
派手じゃない。どちらかと言えば裏方の仕事。
なのに、怖いくらい“命の輪郭”が見える。
少し手が滑れば落とす。足を取られれば転ぶ。転んだ瞬間、全部が終わる。
“救助”って、こんなに薄氷なんだ。
「あと五メートル! 救護所入るよ!」
「はい!」
ラインを越えた瞬間、俺は息を吐いた。
「……っは……」
向かいの訓練生が笑った。
「いいね。初めてにしては上出来。お疲れ様」
……ほんの少し、肩の力が抜けかけた。
その時だった。
「佐々木くん」
背中から、職員の声が刺さる。
「次は、“異能が介入した場合”を想定します。短時間、発動してください」
全身の血液が逆流したかのような感覚。
「……ここで?」
「ここで」
北見さんが俺の横に立つ。
顔が真剣だ。
「時間は三秒でいい。俺がカウントする。解除も、合図する」
「三秒……」
三秒で、何が起きる。
そんなの、どんな愚か者でも想像できるだろう。
『フフ……三秒あれば跪かせるには十分だ』
(黙れ!!)
俺は救助区画を見た。担架。止血。誘導。無線。ガス検知。瓦礫撤去。
全部、“止まってはいけないもの”だ。
「……やめた方がいいです」
思わず口から出た。
北見さんが、低い声で返す。
「やめるなら、今後ずっと“やめ続ける”ことになる」
「……っ」
「渋谷での起きたことが、また起きる。街中で。家族の前で。……君は、異能と向き合わなくてはいけない」
「…………」
正しい。
正しいからこそ、苦しい。
職員が淡々と続けた。
「抑制フィールドは展開済みです。安全装置も準備しています。危険は最小限に抑えます」
最小限。
それでも、怖い。──ただ、どこか冷静な自分がいる。
この状況を俯瞰し、冷静に思考が巡る。
これはまたとない機会だ。今この場に本当に負傷者がいるわけではない。いずれ試さなくてはならないなら、こういった場で異能を制御する訓練は欠かせないだろう。それに、この場に俺にとって──……今、何を考えた……?
悪魔みたいな思考がほんの一瞬よぎる。
メルギドスが嗤う。
「…………」
俺は息を吸って、吐いた。
仕方ない。これは仕方ないことなんだ。
やるしかない。腹を括らなくては。
俺は内側に意識を向ける。そして──
「──ッ!!」
ゆっくりと意識が沈んでいく。
メルギドスの気配が重なり──口角が吊り上がる。
「フフ……フハハハハハッ!!」
俺の声が、訓練棟に響いた。
次の瞬間。
──止まった。
担架を持っていた腕が固まる。止血していた手が止まる。誘導していた指が宙で固まる。
無線で叫んでいた声が途切れ、喉だけが震える。
恐怖に顔が歪む。
比喩じゃない。本当に、空気が凍った。
場の温度が下がったように感じた。
“本能的恐怖”が、全員の身体を縛った。
職員ですら、瞬きが止まっている。
顔色が変わり、膝がわずかに落ちかけ──それでも必死に踏ん張っていた。
平然としていられるわけがない。
そうだ……俺の力は、こういう力だ…………。
「……ッ、な……」
誰かが声を出そうとして、出せない。歯が鳴る音だけがやけに大きい。
俺を見る目が揃う。“敵だ”と言っている目でない。……全てに絶望し、生きることを諦めた目だ……。
──やばい。
これが本番なら、致命的だ。
担架が止まる。止血が止まる。誘導が止まる。無線が止まる。数十秒で、人が死ぬ。
そのとき、北見さんが、震える声が聞こえた。
「……か、カウント……ッ! 三、二──」
(解除しろ! 解除しろ! 解除しろ!!)
俺は必死に手綱を握り直す。譲った主導権を引き戻す。その瞬間、頭の奥で苛立った声が響いた。
『理解に苦しむ。有象無象がどうなろうと、心底どうでもよい。現にユウ、お前も──……あぁ、そう騒ぐな。望むなら、従おう』
俺は内側から体を引っ張った。
譲った手綱を、もう一度握り直す。
「──戻れ……!」
意識が浮上し、口角の吊り上がりがほどける。
全身がぐらりと揺れて、汗が噴き出した。
──異能解除。
場に、息が戻る。
「……はっ……!」
「動け! 担架動かせ!」
「止血! 続けろ!!」
「無線、復帰! 情報更新!」
訓練生たちが一斉に再起動した。さっきまで固まっていたのが嘘みたいに、怒鳴り声と足音が戻る。
命が戻った、みたいだった。
戻った。戻ったけど──俺の心は冷えたままだ。
……今のが本番だったら。
たった三秒で、現場が死んだ。
俺は膝が抜けそうになり、壁に手をついた。
「……すみません」
言い訳が出てこない。
北見さんが、ゆっくり息を吐く。
「……これが、デメリットだ」
職員が俺の前に立った。さっきの硬直を、無理やり仕事の顔で押し戻している。
でも、目の奥に残っている。恐怖が。
「あなたの異能は、周囲に“本能的恐怖による硬直”を引き起こします」
「……」
「担架が止まる。瓦礫撤去が止まる。誘導が止まる。無線が止まる。止血が止まる」
「……はい……痛いほどわかりました……」
分かってる。
分かってるけど、言語化されると息が詰まる。
職員は容赦なく続ける。
「その数秒が致命的です。火災、ガス漏れ、崩落──“タイミング”に対処できなくなる。子どもがパニックで走り出しても、止める者がいなくなる」
俺は唇を噛んだ。
「……俺は、どうすればいいですか?」
「“使い方”を制御します。あなたの力を“現場を止めない形”で運用するために、ここがある」
北見さんも頷いた。
「まずは短時間発動での運用。これは敵を止めるために使う。また、基本的には救助が終わるまで現場で異能は使わない。使うなら、使っていい瞬間を作る。並行して、この“恐怖による硬直効果”を制御する術も模索していきましょう」
具体的な案の提示。
使っていい瞬間。そんなものが作れるのか──と喉まで出かけて、飲み込んだ。
「……そんなこと俺にできるんですかね」
異能と向き合わず、隠して、逃げて、ここまで生きてきた俺にそんなことできるのか……?
絞り出すと、北見さんは少しだけ目を細めた。
「できなきゃ、また別の策を考えるだけだ。まずはやってみよう。俺も協力する」
「……ありがとうございます」
その言葉が、妙に重かった。
俺は救助区画を見た。担架が動く。止血が続く。誘導が続く。無線が続く。
──止まらないことが、これほど大切なのか。
(……最悪だ、俺)
『馬鹿らしいだろう? お前の力は誰かを救うためではなく、世界を征服するために──』
(黙れ。今は、反省させろ)
そう思った時。
視界の端で、影が動いた。
瓦礫の上。立入禁止ラインの向こう。
誰かが、こちらを見ている。
──候補生。
女子だった。候補生の制服。背筋が不自然なほど真っすぐで、立ち姿だけで“強い”と分かる。
でも、その顔は真っ青だった。
俺と目が合った瞬間、彼女の瞳が揺れた。
そして──膝が、落ちかけた。
(……え)
一目でわかった。俺の異能の影響を受けたんだ。
彼女は必死に踏ん張っていた。
動けないはずの身体を、根性で支えているみたいに。肩が震え、指が硬直している。
恐怖で固まる寸前の人間の動きだった。
──俺のせいだ。
俺は息を止めた。
彼女は数秒、凍りついたまま俺を見ていた。
まるで、理解できない怪物を見るように。
次の瞬間、誰かが彼女の肩を掴み、奥へ引き戻した。
影が消える。瓦礫の上は、何事もなかったように静かになった。
俺の背中に冷たい汗が流れた。
(……見られた)
あぁ、終わった。
きっと最悪の噂を流され、ここに俺の居場所はなくなるのだろう。
「候補生は優秀です。あなたにとっても、心強い仲間となるでしょう」
「…………」
全くそう思えない。
受け入れてもらえる気がしない。
職員は答えを用意していたように言った。
「最後に、改めて確認します。まずは“止めない”ことを覚えてください。あなたの異能は周囲に与える影響が大きすぎる。だから、出すのは最後です」
「……はい」
「救助が終わってから。避難が完了してから。現場が“止まってもいい”状態になってから」
“止まってもいい状態”。
そんな瞬間が来るまで、俺は耐えなきゃいけない。
──いや。
耐えるのは、俺だけじゃない。
現場で担架を運ぶ人間がいる。止血し続ける人間がいる。誘導し続ける人間がいる。
俺が止めたら、全部終わる。──俺も救う側にならないと。
「……分かりました。努力します」
俺は小さく頷いた。
「それでいい」
北見さんが頷いた。
(……というか、さっきの誰だ)
気になって仕方ないのに、今は聞けない。
聞く資格もない。
俺は汗で濡れた手のひらを制服のズボンで拭って、深く息を吐いた。
候補生課程。
でも、ここで制御できるようにならなきゃ──次は救助を止めて、命が失われる。
それだけは、絶対に嫌だ。
『フフ……自身を偽るな。お前も本心では、有象無象がどうなろうと──』
(頼むから黙ってくれ)
頭の奥の笑い声を押し込みながら、俺は次の訓練区画へ歩き出した。
そして、職員が背中越しに言った。
「……今日の担当教官の名は、いずれ正式に伝えます」
その声が、妙に引っかかった。
さっきの硬直──あの恐怖。
それでも立って指示を出した、あの人。
(……この人が、俺の“担当”になるのか)
胃がきゅっと縮む。
でも、逃げない。もう十分逃げた。
そろそろ、自分の異能と向き合うときだ。
そんな小さな決意をしながら、俺は歩いた。