呪霊を祓った際に生じる消失反応による煙が晴れる。そして領域の主が消えれば当然、領域が崩壊する。周囲を囲っていた領域はただの呪力の欠片となって霧散していく。
数秒ほどして、捉えられていたクラスメイトも含め、千咒達は竹藪の中にあった。
「一件落着、ですよね?」
「え、ええ……、助かったわ。私だけだと無傷じゃ済まなかった」
確かに気配を完全に遮断し、姿まで消せるならば千咒のような眼がなければ苦戦を強いられることになるだろう。
「この子達も今は呪霊に眠らされてるみたいだけど、呪われている訳じゃなさそうだから明日の朝になれば普通に目を覚ますはずよ」
「それはよかった」
念の為、千咒も眼の力を使って確認してみるが、全員とも歌姫の言う通り問題は無さそうだ。
「それじゃあこの子達を下まで運びたいんだけど、あなた何人運べる?」
「んー、まあ山道だし3人かな。男3人を重ねて運ぶ感じで」
「了解。ちょっと待ってね、電話したいから」
そう言って歌姫はスマホを取りだし、誰かに電話をかける。
「―――もしもし? ええ、そう。呪霊は問題なく祓い終えたわ。被害は中学生6名が二級相当の呪霊による軽い催眠状態。外傷はないわ。ただ下まで運ぶ必要があるの。こっちで4人運ぶからあと2人とも大森神社の参道前まで来てくれる? ええ、よろしくね」
それで通話は終了した。
「電話聞こえてた?」
頷く千咒。
「よし、それじゃあこの子達を参道前まで運びましょう。私が呼んだ子達が登って来るまで少しかかるから一人ずつでもいいわよ」
「いやあ、男はまとめてでいいでしょ」
往復するのも面倒なので千咒は寝ている男連中を体格の大きい順に重ねる。そして呪力での身体強化と男連中にかかる重力を適度に減少させてから持ち上げる。
「ねえ庵さん、さっき誰のこと呼んだの?」
「『窓』っていう、呪術や呪力は使えないけど『呪い』が見える人達で、私みたいな呪術師のことを色々とサポートしてくれる人よ」
「へぇ〜、そんな人達もいるんだ」
「ええ、そういえば……、『窓』にはあなたみたいな人を発見したら報告する仕事もあるんだけど、どうして今まで誰もあなたのことを見つけられなかったのかしら」
「んー……、まあ俺こんなに派手に戦ったの初めてだしね」
「初めて……、ええっ!!?」
歌姫が今日一番の驚きの声を上げる。
「ビックリした……、でももっとちっさい虫みたいな呪霊は何体も倒したことありますよ」
千咒は自身の力を自覚した時から、自然と生活をする範囲内で低級の呪霊を発見した時は全て倒していた。
「蝿頭のことね。それであんなに戦えるのね……」
「もちろんその呪術? の練習はしてたし、あとは空手も小学生の時にやってたから」
健全な男子がこんな超能力のような力を手に入れたとあれば当然楽しくなって使いこなす練習をするだろう。もちろん、呪力によるかめはめ波や螺旋丸の練習もした。
空手に関しては呪力による身体能力の強化ができると分かった時に、身体の動かし方の基礎を覚える目的で習い始めた。
呪術にせよ空手にせよこんな力を持っているのだったら、シンプルに強くなりたいと思うのが男の性だろう。
「なるほどねえ、でも強さに関してもそうだけど、私が一番驚いたのはあなたの精神面よ」
「精神面?」
「ええ……、術式を持って生まれたとはいえ呪術師の家系でもない普通の子がいきなり実践で呪霊と戦っても物怖じしない。何より異形とはいえ生き物の形をしているものを躊躇なく殺せるってところに驚いたの。しかもまだ中学一年生よ? もう何年も呪術師やってるけどあなたみたいな子は稀ね」
「ふーん、そういうもんなんだ」
千咒は気の抜けた返事を返す。
まさか躊躇していたどころか、呪霊との戦いを楽しんでいたとは言えない。
「ふーんって軽いわね……、呪いの力を持って生まれても精神面でのハードルを越えられずに呪術師になれない子は何人もいるわ。それも含めてあなたの呪術師としての才能はピカイチね」
「うーん、あんまり喜んじゃダメな褒められ方をしている気がする」
「ふふっ、まあ普通ならそうね。でも本当にイカれてなきゃダメなのよ、呪術師って」
そんな風な会話をしながら二人はクラスメイト達を参道前の少し開けた場所に運び込んだ。そして運び終えてから少ししてスーツを着た男性2名がやって来た。
(……、めっちゃ普通の人だな。呪力量もほんのちょっと人より多いぐらい)
千咒がそんなことを考えながら『窓』の二人をじーっと見つめていると、
「彼ら普段は普通に会社で働いてるのよ」
千咒の心の中を見透かしたように歌姫は言った。
「え、マジ?」
「全国各地にいて、何か異常があれば報告してくれるの。今みたいな状況で手を貸してくれたりね。呪術師は年中人手不足だから、彼らは欠かせない存在よ」
「なるほどなるほど……、平日の深夜に申し訳ないですね」
今日は月曜日、普段は会社で働いているのであれば明日は仕事の可能性が高いだろう。千咒は夏休みだからいいものの、こんな時間にまで起きていれば明日の仕事には支障が出るだろう。
「本当にね、だからさっさとこの子達を下まで運びましょう」
「ういっす」
それぞれクラスメイト達を抱き抱え、下山を開始する。明らかな子供が自分と同じかそれ以上の体格の中学生三人をまとめて持ち上げたことに『窓』の二人は驚いていたが、そこは呪術師にも慣れているのか、追求されることはなかった。
千咒達が下山する間、また新たに呪霊が出現するようなこともなかった。
下には車が2台停まっており、大きなバンの方にクラスメイト達を乗せる。
「あの子達は『窓』が家まで送るから、身元の確認のために名前を教えてちょうだい」
「え、名前?」
「ええそう、名前」
「……、苗字しか分かんないけど大丈夫?」
「苗字しか分からないって……、あなた達友達なんじゃないの?」
歌姫が呆れたような表情で言う。
「いやー、実は普段から遊ぶような仲じゃないんだよね、ここ地元じゃ有名な心スポだし、今日は何かあったらと思って着いてきただけだから」
「……、そういうことなのね。それでもクラスメイトの名前を覚えてないのはどうかと思うけど、クラスメイトのためにここに来たのは偉いわ」
呆れつつも柔らかい笑顔を浮かべながら、歌姫は千咒の頭を優しく撫でる。
「いっ!!?」
歌姫の手が千咒の頭に触れたその瞬間、千咒の脳に前世の記憶が一気に溢れ出した。
溢れ出した情報量に思わず声を出して顔をしかめる。
(これって……!?)
「だ、大丈夫!? もしかして怪我してたの?」
千咒の反応を見て歌姫は慌てて手を離す。
「い、いや大丈夫。戦ってる時にたんこぶできてたみたい」
千咒は咄嗟に誤魔化す。
「そう、ごめんなさいね。急に触って」
「全然気にしないでいーよ。それよりアイツらの名前だけど、そういえばこの肝試し行く前にLINEグループできてたからそこから分かるかも」
「本当? 助かるわ」
「ちょっと待ってね」
千咒はスマホを取り出し、アプリを開いて確認すると漢字、ローマ字、フルネームとタイプはそれぞれだったが全員の名前が確認できた。
車に乗せたクラスメイト達の顔を示しながら『窓』に名前を伝える。
千咒から名前を聞きながら、何やらタブレット端末を操作して確認しているようだった。
全員の確認が終わると『窓』の二人と歌姫は少しの間話していた。そして話が終わるとこの場に千咒と歌姫だけを残して発進して行った。
「あの子達は『窓』が送り届けてくれるわ。あなたは私が家まで送るから」
「ありがとうございます」
「それじゃあ早速車に乗って」
歌姫の言葉に頷き、千咒は助手席に乗り込む。
「道案内はよろしくね」
そう言うと歌姫は車を走らせ始めた。
「ねー歌姫さん」
「どうしたの?」
「今日さ、歌姫さんがここに来たのって偶然?」
「もちろん偶然じゃないわ。実はあなたたちが肝試しに来なければ今日私が祓いに来る予定だったの」
「そうなの?」
「ええ、もちろんこんな真夜中にじゃないけどね」
歌姫は千咒のことに非難の視線を向ける。もちろん、信号待ちで停止中だ。
「すいません」
「冗談よ。呪いが溜まるのはそういう場所が多いから、こういうこともあるわ。だから事前に侵入者がいた場合に反応する結界を貼っておくの。人払いの結界も貼ってなるべくそういう事がないようにはするんだけど、あなた達みたいに最初から行くって決めてる子には効果が薄いのよね」
人払いの結界はその結界を貼った場所に人が近づかないように誘導する事はできるが、千咒達のように予定を組んで心霊スポットに行こうと決めている人間には効果が薄い。
「まあ結果的には今日あなた達が肝試しに来てくれて良かったわ。明日私だけで行ってたらあの狐型の呪霊には気づけなかったかもしれないから」
あの狐型の呪霊は千咒がいなくなった瞬間を狙っていたことを考えれば、そもそも歌姫だけならば呪霊は行動しなかった可能性がある。そうなればあの呪霊の犠牲者がいつの日か現れてしまう。
「それに肝試しに来たのがあなた以外のあの子達だけだったら、私もあの子達も無傷じゃ済まなかった。最悪の場合って可能性もあったわ。だから、むしろあなたには感謝してる」
(歌姫さんの顔の傷……、俺がこの世界に転生してなかったら、あの狐の呪霊につけられてたのかもな)
「ホテルに戻ったら好きなだけ寝れるしね」
歌姫は心底嬉しそうに、片腕でガッツポーズを見せながらそう言った。本来は今日呪霊を祓いに行く予定だったため、その必要が無くなったので予定が空いたということだろう。
「好きなだけ寝れるってことは、歌姫さんみたいな呪術師は他に仕事をしてる訳じゃなくて、呪霊を祓うのが仕事ってこと?」
『窓』の人間は普段は普通に一般社会で暮らしている。では呪術師はどうなんだろう。同じように別の仕事をしているのか、それとも呪術師は呪術師という職業なのか。そういう意味の質問だ
まあ歌姫がどうなのかは、新たに前世の記憶を思い出した千咒からすれば答えを知っているようなものだが。
「その通りよ。でも私は京都府立呪術高等専門学校っていう、あなたみたいな『呪い』の才能を持った子を集める学校で教師をしてるの」
「へえ、歌姫さんは歌姫先生なんだ」
歌姫の答えは千咒が予想していたもので間違いなかった。
「今は夏休み中だけどね。授業がないから教師の私も任務漬けよ」
心底うんざりしたように歌姫は言った。
「それはさておき、呪術師っていうのは基本的にはこの高専に所属してる人間のことだと覚えてくれていればいいわ。他にも色々あるけど今のところはね」
「ふーん……、ん? じゃあもしかして高校生になるまで呪術師にはなれない?」
「そういうことになるわね。まあ……、そもそも子供にやらせるような仕事じゃないのよ。それで言うと高校生もだけれど」
「え〜、マジかあ」
千咒はため息を吐きながら肩を落とす。
「あなたに才能があるのは今日だけでも分かったわ。だけど、そんなに急いでなろうとするもんじゃないわ」
「……、そりゃそうですよね」
当然、命の保証はない。自分のみならず他人の死を目の当たりにすることもあるだろう。そんな世界、当然好き好んで身を投じる場所ではないだろう。
千咒は初めて呪霊と実戦とも言える戦いをしたことで、少しテンションが上がりすぎていたことを反省する。
「もちろん将来的に呪術師になってくれるのは大歓迎よ。呪術師は年中人手不足だから」
「……、はい。それはもう超前向きに検討させていただきます」
千咒がそう答えたとほぼ同時、二人を乗せた車は千咒の家の前へと停車した。
「ありがとうございます」
そう言ってシートベルトを外し、車から降りようとした千咒だったが、
「ちょっと待って。よかったら連絡先を交換しておきましょう。さっきは高専に入るとしになるまで待ちなさいとは言ったけど、あなたみたいに将来有望な子は入学前から色々と教えたいことがあるの」
「え、マジで!」
「嬉しそうね……、ほんと、あなた呪術師向いてるわ」
歌姫は笑い半分、呆れ半分で言う。
「電話番号とLINEどっちにする?」
「じゃあLINEで」
電話もできるしね、と言いながら二人はQRコードを読み取ってLINEを交換する。
「また連絡するわ。それじゃあもう遅いんだから早く寝なさいよ」
先生らしい言葉を残して歌姫は車を発進させた。
歌姫の車はもう見えなくなっていたが、千咒はまだ家には入っていなかった。
「この世界は……、『呪術廻戦』っていう漫画の中の世界だった」
辺りに誰もいないことは分かっているが、誰にも聞こえないように小さな声で呟いた。
あの時、歌姫の手が千咒の頭に触れた時、千咒はこの世界が前世で読んでいた漫画の中の世界であることを思い出した。
「どこまで読んでたっけ……、シーンがバラバラで分かんね」
千咒の前世の記憶は完全ではない。例えば前世の自分の名前は分からないし、いつどうやって死んだのかも分からない。言わば思い出的な記憶は少なく、知識としての記憶の割合の方が多い。
そして『呪術廻戦』の記憶に関して言えば、ページが全てバラバラになった上にコマごとにパズルのようになっていて、さらに抜けているページもあるような状態だ。
「痛い……、まあ夢じゃないよな」
頬をつねってもちゃんと痛みを感じる。そもそもこんな事生まれた時から何度もやった事だ。それでも千咒が眠りから覚めることはなかった。
「歌姫先生の顔に傷がなかったってことは、とりあえず今は漫画よりも前の時代ってことかな」
もしかしたら今日、千咒がいた事で歌姫が顔に傷を負うという運命を変えられたのかもしれない。
「……、よし決めた。とりあえず強くなって、できるだけ良い方向に未来を変えてやる」
誤字報告ありがとうございます(*ˊᵕˋ*)