甲竜伝説ヴィルガスト 再編   作:白豚くん

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第3話:奈落に堕ちた光

暗闇――。 そこには、重力さえも曖昧になるような、深く淀んだ静寂だけが横たわっていた。 中島三智子の意識は、冷たい水の底に沈んでいた状態から、ゆっくりと浮上した。 「……ん、……ぁ……」 漏れた吐息は、冷え切った空気の中で白く濁ることもなく、ただ無慈悲な闇に吸い込まれていく。 まぶたを開けようとするが、鉛のように重い。全身を支配しているのは、得体の知れない倦怠感と、肌を刺すような刺骨の寒気だった。

 

数分前まで――あるいは数時間前、数日前だっただろうか。彼女は、ごくありふれた日常の風景の中にいたはずだった。 放課後の教室。西日が差し込み、埃がダンスを踊る黄金色の空間。そこには、いつものように三池瞬がいた。幼なじみの、少し頼りないけれど、誰よりも心優しい、彼女にとっての「瞬ちゃん」が。 「帰りに、駅前のパン屋さんに寄ろうよ」 そんな何気ない会話を交わしていた。瞬が照れくさそうに笑い、彼女がそれを見て微笑む。そんな、永遠に続くはずだった幸福な一場面。

 

だが、世界は突如として悲鳴を上げた。 学校の帰り道で、突如、幾何学的な光の奔流に飲み込まれた瞬間、三智子の視界から日常は剥奪されたのだ。 引き裂かれるような重圧。必死に伸ばした瞬の手。 「瞬ちゃん!」 「三智子!」 互いの指先が触れ合う寸前、三智子の背後に現れた「亀裂」が、彼女を容赦なく暗黒へと引きずり込んだ。瞬の絶望に染まった顔が、急速に遠ざかっていく。それが、三智子の記憶にある最後の光景だった。

 

「……ここ、は……?」 ようやく開いた瞳が捉えたのは、人間界の物理法則では説明のつかない、禍々しい神殿の内部だった。 石造りの柱には、苦悶に歪む人間の顔のような彫刻が無数に刻まれ、天井は見えないほどに高い。不気味な紫色の燐光が、かろうじて周囲の輪郭を浮かび上がらせている。 三智子は自分が、冷徹な台座の上に横たえられていることに気づいた。手足は細い、だが断ち切ることのできない魔力の鎖で固定されており、指先一つ動かすことすら叶わない。

 

「目が覚めたか、人の子よ」

 

頭上から降り注いだその声は、音というよりも、脳髄を直接汚泥でかき回すような不快な響きを伴っていた。 三智子は恐怖に震えながら、声の主を探して視線を彷徨わせる。 そこには、実体があるようでないような、影の塊のような存在が浮遊していた。それは、ヴィルガスト界の裏側に君臨し、秩序を憎む存在――「邪神」そのものであった。

 

「嫌……離して……瞬ちゃん……瞬ちゃん、助けて!」 本能的な恐怖から、三智子は愛する者の名を叫んだ。しかし、その叫びは広大な神殿に虚しく反響するだけだ。 邪神は、三智子の瞳に宿る恐怖と、微かな希望を愉しむように、低く、くぐもった笑い声を上げた。

 

「瞬、か。あの、ウンディーネという愚かな女神に選ばれた『勇者』の名だな。案ずることはない。お前の想い人は、今この時も、お前を救うためにこのヴィルガストの土を踏みしめ、剣を手に走っているぞ」

 

「……本当!? 瞬ちゃんが、助けに来てくれるの?」 絶望の中に差し込んだ一条の光に、三智子の表情がわずかに和らぐ。だが、邪神の言葉には、それを底なしの闇へと叩き落とすための猛毒が仕込まれていた。

 

「左様。ヤツはお前を探し、この居城へと辿り着くだろう。だがな、中島三智子。ヤツがようやく再会した時、そこにいるのは、ヤツが愛した優しい幼なじみではない。ヤツの肉を裂き、心臓を貫くために研ぎ澄まされた、余の忠実なる戦士だ」

 

邪神の言葉の内容が、三智子の理解を拒絶する。 「戦士……? 何を言っているの? 私、私はそんなのにならない! 私が瞬ちゃんを傷つけるなんて、そんなこと、絶対にありえない!」 必死の抗弁。しかし、邪神の影は三智子の顔のすぐそばまで降りてくると、冷酷な宣告を続けた。

 

「お前の意志など、余の力の前には何の意味も持たぬ。お前のその『優しさ』、その『愛情』、そしてその『脆さ』。それこそが、勇者を絶望させるための最高のスパイスとなるのだ」

 

影の中から、黒と金の装飾が施された不気味な甲冑――「忘却の武具」が、ゆらりと浮かび上がった。 兜の眼窩の部分からは、持ち主の魂を吸い尽くさんばかりの、暗い輝きが放たれている。

 

「今から、お前を創り変える。その柔らかな肌に、二度と脱ぐことのできぬ『忘却の装備』を食い込ませ、その矮小な記憶を消し飛ばし、余への絶対の忠誠を誓う冷酷な戦士へと仕立て上げてやろう。お前は自分の手で、三池瞬を殺すのだ。ヤツが『なぜだ、三智子!』と涙を流し、絶望に顔を歪ませるその瞬間に、お前は最高の悦びを感じるようになるだろう」

 

「やめて……やめて……! そんなの、嫌……!」 三智子の瞳から、大粒の涙が溢れ出し、冷たい台座を濡らす。 だが、邪神の手が、彼女の華奢な足首へと伸びた。 「まずはこの脚からだ。お前の自由を奪い、余の元へと歩ませる重き足枷。そして最後には、その愛らしい頭に忘却の兜を被せよう。その時、中島三智子は永遠に消え去り、三池瞬を屠るための刃が誕生する」

 

神殿に、三智子の悲痛な叫びが響き渡った……。

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