紅蓮に燃える王都「ルミナス」の正門。
かつては聖騎士たちが守護し、平和の象徴であったその門は、無惨に破壊され、邪悪な魔力と黒煙が渦巻く地獄への入り口と化していた。
そこへ、一筋の閃光が突き抜けた。
「――邪魔だ。どけ」
低く、臓腑に響くような声と共に、三池瞬が戦場に足を踏み入れる。
彼の纏う「甲竜の装備」は、戦場の煤や返り血を寄せ付けぬ神聖な輝きを放っていた。白亜の装甲に走る白のラインが、四竜の加護を証明するように淡く脈動している。
押し寄せる下級魔族や亡者の群れは、瞬が歩を進めるだけで、その圧倒的な覇気に圧されて後ずさる。中には恐怖のあまり、武器を捨てて逃げ出そうとする者さえいた。しかし、理性を失った魔獣たちが咆哮を上げて瞬に飛びかかる。
「グアアアアッ!」
瞬は剣を抜くことさえしなかった。
地竜の剛力を宿した右拳を軽く振り抜く。ただそれだけで、大気が爆ぜた。
衝撃波は扇状に広がり、襲いかかった数十体の魔物を一瞬にして肉塊へと変え、後方の建物ごと粉砕した。
「……三智子の魔力は、あそこか」
瞬は視線を王城の天守へと向けた。
そこからは、空を汚すほどの濃厚な漆黒の魔力が立ち昇っている。
それは冷たく、鋭く、そして泣き叫ぶような悲痛な色を帯びていた。
一年前の彼には感じ取れなかった、彼女の魂の悲鳴。
今の瞬には、それが痛いほどに伝わってくる。
王城の中央広場。
そこには、王都の防衛線を突破し、殺戮と破壊を謳歌していた邪神軍の幹部たちが待ち構えていた。
先ほどルシーズに屈服した屍竜将ザルガスを含め、四体の大魔族。
彼らはそれぞれが一国の軍勢に匹敵する力を持ち、この一年の侵攻において数多の勇士を葬ってきた怪物たちだ。
「ヒヒヒ……。来たな、女神の捨て駒め」
ザルガスが、腐臭を撒き散らしながら前進する。
「その鎧……なかなか良質な魔力を感じる。
だが、我ら四将が揃っているこの場所が、貴様の墓場となるのだ!」
「総員、構えろ! この小僧の首を邪神様への土産とするぞ!」
他の幹部たちも、それぞれ禍々しい武器を構え、瞬を包囲する。
炎に照らされた彼らの影が、絶望を象徴するように長く伸びた。
瞬は立ち止まり、静かに彼らを見渡した。
その瞳には、かつてのような恐怖も、過剰な怒りもない。
ただ、目的を遂行するための、氷のように冷徹な決意だけが宿っている。
「……道を空けろ。お前たちに用はない」
「抜かせッ! 『ジェットハリケーン』!!」
ザルガスが魔法を放つ。死の瘴気を孕んだ巨大な竜巻が、瞬を飲み込もうと襲いかかる。同時に、他の幹部たちも四方から攻撃を繰り出した。
だが。
次の瞬間、世界から音が消えた。
瞬の全身から、四竜の魔力が一気に解放された。
紅蓮の炎、碧の突風、地の咆哮、そして白銀の冷気。
四つの属性が完璧な調和を保ちながら渦を巻き、瞬を中心に全方位へと放射された。
「『イラップション』」
短く呟かれたその言葉と共に、衝撃が走る。
ザルガスが放った瘴気の竜巻は一瞬でかき消され、襲いかかった幹部たちは、自分が何をされたのかさえ理解できぬまま、全方位からの魔力圧力によって地面に叩きつけられた。
「ガ、ア……ッ!? ば、馬鹿な……。指一本、動かせん……だと……!?」
ザルガスは、ひび割れた大地に顔をめり込ませながら呻いた。
彼は知らなかった。
瞬がこの一年、どれほどの地獄を潜り抜け、世界の理を司る竜たちの試練を乗り越えてきたかを。
今の瞬にとって、一国を震え上がらせる程度の魔族など、歩みを止める必要さえない羽虫に過ぎない。
瞬は、動けなくなったザルガスの頭を静かに踏みつけた。
「一度だけ聞く。……ルシーズはどこだ」
「ぐ、うぅ……。……玉座の、間だ……。
……あの操り人形は、お前を……待っている……。
お前を、絶望の中で殺すために……」
「そうか。ありがとう。さよならだ」
瞬が軽く足に力を込める。
それだけで、高位魔族であったザルガスの頭部が、熟れた果実のように容易く粉砕された。他の幹部たちも、瞬が放った魔力によって肉体を内側から焼かれ、消滅していった。
まさに、鎧袖一触。
一年前、ルシーズに手も足も出なかった少年は、高位魔族を瞬時に葬り去るほどに成長していた。
瞬は呼吸一つ乱すことなく、血に染まった広場を後にし、王城へ進む。
彼の足音が、静まり返った王城の回廊に規則正しく響き渡る。
一歩、また一歩。
愛する少女が待つ、終わりの場所へと。
一方、王城の最奥――。
重厚な大扉に閉ざされた玉座の間では、ルシーズが一人、静寂の中で瞬を待っていた。
王を斬殺した後、彼女は玉座に深く腰を下ろし、目を瞑り瞑想していた。
周囲には、彼女自身が放った漆黒の魔力が霧のように立ち込め、壁の燭台からは紫色の火が揺らめいている。
「……来た。……来たわね、勇者様」
ルシーズは、背もたれに預けていた頭をゆっくりと上げ、目を開いた。
彼女の感覚は、城内に侵入した「勇者」の存在をはっきりと捉えていた。
その気配は、一年前の微弱な光とは似ても似つかない。
激しく、熱く、そしてどこまでも真っ直ぐな、巨大な太陽のようなプレッシャー。
「あは、……あはははは! すごい……すごいわ、瞬ちゃん! そんなに強くなって、私を殺しに来てくれたのね? 女神にそそのかされて、正義の味方のつもりで、私の胸にまた剣を突き立てに来たのね!」
彼女は狂ったように笑い、玉座の肘掛けを強く握りしめた。
「裏切りのこて」がギチギチと音を立て、石の肘掛けに亀裂を入れる。
頭部を覆う「忘却の兜」の宝玉が、毒々しいまでの光を放ち、彼女の脳内に「憎悪」を強制注入する。
邪神から与えられた強大な魔力が、彼女の細い肉体の中で暴れ回り、精神を破壊的な高揚感で満たしていく。
(……殺す。殺してやる。……あいつが、私が味わった絶望を理解するまで……。あいつが、命乞いをして、泣き叫んで、私への裏切りを後悔するまで……。その後に、一番残酷な方法で、その心臓を握り潰してあげる……)
彼女は、もはや正常な思考を完全に失っていた。
兜の魔力は、彼女の「愛」を「憎悪」へと変換し、「悲しみ」を「殺意」へと昇華する。
彼女にとって瞬は、世界で最も愛おしく、そして世界で最も憎むべき復讐の対象となっていた。
ルシーズはゆっくりと立ち上がった。
「捕われの胸アーマー」から覗く白い肌が、戦いへの昂ぶりでわずかに紅潮する。
彼女は傍らに立てかけていた「暗黒の剣」を手に取った。
剣身からは、触れるものすべてを腐食させる黒い雷光が迸り、床の絨毯を焼き焦がす。
「ふふ、……見てて、主様。……女神の自慢の勇者様が、どんな惨めな死に顔を見せるか……」
彼女は玉座の前の階段を下り、大扉を正面に見据えた。
その瞳は、濁った緑色の奥に、得体の知れない飢えを秘めて妖しく光っている。
彼女を包む魔力は、もはや一人の人間が制御できる域を超え、周囲の空間そのものを歪め始めていた。
瞬は、玉座の間へと続く最後の大回廊を歩いていた。
かつては金箔で彩られ、美しい絵画が飾られていたであろう廊下は、今はルシーズが通った跡として、壁も天井も真っ黒に焦げ、崩れ落ちていた。
廊下には、まだ新しい死臭が漂っている。
瞬はその一つ一つを、逃げることなくその瞳に焼き付けた。
三智子が、ルシーズとして犯した罪。
女神が、勇者を育てるために黙認した悲劇。
邪神が、ルシーズを縛り付けるために用意した絶望。
それらすべてを背負って、彼はここに立っている。
(……三智子。きみは悪くないんだ。
……きみをこんな目にあわせたこの世界を、神を、俺は絶対に許さない)
瞬の手が、玉座の間の大扉に触れた。
扉の向こうから、肌を刺すような冷たい殺意と、狂おしいほどの憎悪が流れ込んでくる。
それは、普通の人間であれば精神が崩壊しかねないほどのプレッシャーだった。
だが、瞬は動じない。
彼は深く、静かに息を吸い込んだ。
(……準備はいいか、イグニール様、みんな)
鎧を通じて、四竜の鼓動が伝わってくる。
彼らは何も言わない。ただ、瞬の決意を支えるように、静かな魔力の奔流を彼に与え続けている。
瞬は、ゆっくりと力を込めて大扉を押し開いた。
ギィィィィ……と、重厚な石の扉が軋む音が、静まり返った城内に響き渡る。
開かれた扉の先。
炎と闇が混ざり合う玉座の間の中心で、漆黒のドレスのような鎧を纏い、禍々しい剣を構えた少女が、狂気に満ちた微笑みを浮かべて彼を待っていた。
「……やっと来たのね。……遅かったじゃない、勇者様」
ルシーズの声が、冷たく、そして甘く響く。
彼女の緑に濁った瞳が、暗闇の中で怪物のように妖しく、美しく輝いた。
瞬は一歩、部屋の中へと足を踏み入れた。
背後で扉が重々しく閉まり、外界との繋がりが断たれる。
逃げ場のない、そして誰にも邪魔されない、二人だけの地獄の舞台。
「……ああ。待たせたな、三智子」
瞬の声は、どこまでも穏やかだった。
それがルシーズの逆鱗に触れたのか、彼女の放つ魔力が爆発的に膨れ上がり、床の石畳を粉々に砕いた。
勇者と死神。
かつて同じ空の下で笑い合っていた幼なじみ。
今、女神と邪神の手で残酷な鎖に縛られた二人の、魂を削り合う最後の決戦が始まろうとしていた。
瞬は、鞘に収まったままの「甲竜の剣」の柄に、静かに手をかけた。