呪術廻戦 晴明の子孫   作:たけのこの里

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夢 ―― 名もなき女と構造に残されたもの

創夜は、夜の中に立っていた。

 

夢だと分かるほど、整っていない。だが現実だと信じるには、あまりにも静かだった。

 

風がない。虫の声もない。それなのに、夜だけが在る。

 

足元は土ではなく、畳でもない。踏みしめるたび、わずかに沈み、すぐ戻る。

 

まるで「地面」という概念だけを借りて、形にしたような感触。

 

遠くに、屋敷が見える瓦屋根。白壁。だが、どこか歪んでいる。

 

柱の位置が微妙にずれている。障子の数が合わない現実の建築を“思い出しながら”組み立てたような、不完全さ理由は分からない。

 

創夜は歩く。草履は履いていない裸足のまま、冷たさも感じず進む。

 

屋敷の縁側に、人影があった。

 

女だ。

 

長い髪を垂らし、結い上げてもいない小袖は淡い色で、文様も控えめ。

巫女とも、貴族の娘ともつかない。

 

だが――“術師”だと、直感で分かる。

 

呪力を放っているわけではない。

結界も張っていない。

それなのに、周囲の夜が、その女を中心に整っている。

 

女は、こちらを見ない。

 

月もない空を、ただ見上げている。

 

「……夜は、嫌い?」

 

突然、声がした。

 

女は振り向かない。それでも、創夜に向けられた言葉だと分かる。

 

「嫌い……じゃない」

 

自分の声が、幼い。

 

女は、くすりと笑った。

 

「そう。なら、まだ大丈夫」

 

女は縁側に腰を下ろす。その仕草は、どこか慣れていて、だが型にはまっていない。

 

「夜を嫌う者は、夜に飲まれる」

 

「夜を恐れる者は、夜に縛られる」

 

女は、ようやく創夜を見る。

 

目が合った瞬間、胸がざわつく。

 

優しい目だ。だが、感情の温度が測れない。

 

母のようでもなく、父のようでもない。人を“見ている”が、“寄り添ってはいない”。

 

「名は?」

 

問われて、創夜は答えようとして――言葉が、喉で止まる。

 

名を言ってはいけない理由は分からない。

 

女は、それを見て察したように頷いた。

 

「そう。名は、縛りになる」

 

女は、夜を指差す。

 

「ここは、まだ名が弱い時代」

 

「人も、術も、世界も輪郭が曖昧で、だからこそ、自由だった」

 

屋敷の奥に、気配が生まれる。

 

――誰かがいる。

 

だが、姿は見えない。

 

「……あれも、術師?」

 

創夜が問うと、女は少し考える。

 

「そうね。術師、と呼ばれてはいる」

 

「でも――」

 

女の声が、わずかに低くなる。

 

「あれは、流れを見る」

 

夜の奥で、何かが“通る”。

 

風のようで、風ではない人影のようで、人ではない。

 

「人を使わない」

 

「人を壊さない」

 

「自分を、世界に溶かす」

 

女は、その“何か”から目を逸らさない。

 

「それが、あれの選んだ道」

 

創夜は、なぜか分かる。

 

――その存在は、怒っていない。

――恨んでもいない。

――ただ、そこに在る。

 

創夜は意味が分からなくて問う

 

「……それは、正しいの?」

 

女は、初めてはっきりと困った顔をした。

 

「正しい、ね」

 

女は小さく息を吐く。

 

「正しさは、あとから決めるものよ」

 

女は、創夜を見る。

 

「私は、触れる」

 

「確かめる」

 

「人も、術も、可能性も」

 

女の指先が、宙に伸びる。

 

そこには、何もないだが、夜がわずかに揺れる。

 

「流れに任せるだけでは、変わらない」

 

「変えなければ、同じことが繰り返される」

 

女の目に、一瞬だけ熱が宿る。

 

「だから、私は残る残って、見て、試す」

 

創夜の胸が、ひりつく。

 

それは、父の言葉に似ているだが、どこか決定的に違う。

 

「……あなたは、怖くないの?」

 

女は、はっきりと笑った。

 

「怖くないわどうなるか面白そう」

 

「だからこそ、やめない」

 

女は立ち上がり、創夜の前に立つ。

 

背は高くない力強くもない。

 

だが、夜がその女を拒まない。

 

「あなたは、まだ選ばない」

 

女は、静かに言う。

 

「選ばされもしない」

 

「それは、あの“流れを見る者”が残した余白」

 

女は、遠くを見る。

 

「自分を管理しなかった」

 

「未来を閉じなかった」

 

「愚かで、優しい」

 

その言葉には、嘲りと、理解が混じっていた。

 

「……あなたは、その人を嫌い?」

 

女は、少しだけ黙る。

 

「嫌いではない」

 

「だが、同じことはできない」

 

女は、創夜の額に手を伸ばす。

 

――触れない。

 

ほんの指先が、近づいただけで止まる。

 

「今は、触らない」

 

「触れるには、まだ早い」

 

夜が、ざわりと動く。

 

「覚えておきなさい」

 

「夜には、二つの在り方がある」

 

「溶ける夜と、残る夜」

 

女は、最後に言った。

 

「あなたは、そのどちらにもなれる」

 

闇が、落ちる。

 

⸻創夜は、激しく息をして目を覚ました。

 

汗はかいていないだが、胸が苦しい恐怖ではない。選択を突きつけられた感覚だけが、残っていた。

 

(……だから、怖い)

 

――夜は、語らない。だが、すべてを見ている。

 

創夜が再び夢に落ちたのは、それから三日後のことだった。

 

眠りに入った瞬間、意識が沈む感覚はなかった。目を閉じ、次に開いたとき、彼はすでに“そこ”に立っていた。

 

夜だった。

 

だが、あの夜とは違う。

 

屋敷ではない廊下も、障子も、柱もない。

 

ただ――広い。

 

どこまでも広がる夜の野原の草は風に揺れているはずなのに、音はない空には月がある。しかし光は落ちず、闇だけが均一に満ちている。

 

それでも、創夜には「見える」。

 

闇の中に輪郭がある距離も、方向も、理由も分からないのに、すべてが“分かる”。

 

(……ここは……)

 

問いが浮かんだ瞬間、答えは“言葉ではなく感覚”として返ってきた。

 

――世界の端ではない

――始まりでも、終わりでもない

――人が立ち会わなくなった場所

 

理解したわけではないただ、そうだと“知ってしまった”。

 

そのとき、気配があった振り向くと、少し離れた場所に“誰か”が立っている。

 

人影だ。だが、性別も年齢も判然としない衣は平安の狩衣にも見え、ただの闇の重なりにも見える。

 

顔は、はっきりしない。

 

それなのに、創夜の胸は不思議と静まっていた。

 

怖くない近づいてほしくも、離れてほしくもない。

 

ただ――「そこにいること」が自然だった。

 

その存在は、創夜を見ていない。

 

空を見ている地を見ている夜そのものを、ただ“眺めている”。

 

(……あの人……?)

 

最初の悪夢に現れた女とは違う声も、圧も、意思も感じられない。

 

創夜は、一歩だけ前に出た。

 

足音はしない草も揺れない。それでも、距離は縮まった。すると、風景が変わる。

 

夜の野原が、ゆっくりと重なり合い、別の光景が滲み出す。

 

大路が見える。人が行き交い、笑い、祈り、呪い、死んでいく。

 

呪霊が生まれる。術師がそれを祓う。救われる者と、救われない者がいる。その存在何も言わないただ、すべてを同じ距離で見ている。

 

(……助けないの……?)

 

その問いに、答えは返らない。代わりに、創夜の胸に感覚が流れ込む。

 

――助けないのではない

――選ばないだけだ

 

人も、呪霊も、夜も、朝も価値を測らない優劣をつけない。

 

(……それは……)

 

創夜の脳裏に、ふと別の像がよぎる。

 

――最初の悪夢に現れた女。

 

あの女は、違った。彼女は、触れる確かめると言った人も、術も、可能性も

 

そして今、創夜は“差”を知ってしまった。

 

同じ夜を見ているのに、見方が、まったく違う。

 

(……同じ場所から……?)

 

その疑問が浮かんだ瞬間。

 

もう一つの気配が“現れた

 

直接は見えないだが、確かにいる。

 

――誰かが、  を「材料」として見ている。

 

その視線は、創夜にも向いた。

 

ぞわり、と背筋が粟立つ。

 

だが、その瞬間――最初からそこにいた存在が、わずかに“動いた”。

 

創夜の前に、一歩。

 

それだけだ何も言わない。何も拒まない。

 

だが、その一歩だけで、視線が、すっと遠ざかる。

 

(……守った……?)

 

違う。

 

守ったのではない。“重ねさせなかった”

 

この存在は、敵と戦わない味方を守らない。

 

ただ――流れに、異物が混じることを嫌う

 

そのとき、創夜は初めて“確信”を持つ。

 

(……この人は……)

 

(人を愛していない)

 

だが同時に。

 

(……人を、嫌ってもいない)

 

その在り方が、なぜか胸に刺さった。

 

父の言葉が浮かぶ。

「才能には責任がある」

 

母の言葉が重なる。

「力は、誰かを救うためにある」

 

だが、目の前の存在は、どちらでもない。

 

責任も、救済も、目的にしていない。

 

それでも――世界は、壊れていない。

 

(……それでも……いいの?)

 

その問いに、ようやく“言葉”が落ちてきた。

 

低く、静かで、性別すら曖昧な声。

 

「……触らなくていい」

 

創夜の胸が、強く打たれる。

 

「……見ているだけで、いい」

 

それは命令ではなかった。教えでもなかった。

 

――とくん。

 

夜の底で、鼓動のような響き。

 

創夜には、それが何か分からない。だが、なぜか分かる。

 

世界が遠ざかり、景色がほどける。創夜の意識が、現実へ引き戻される。

 

創夜は、静かに目を覚ました。

 

悪夢だったのかどうかは、分からない。

 

ただ一つ、確かなことがあった。

 

あの夜にいた二人は、同じ場所から同じものを見て、まったく違う答えに辿り着いた――その“痕跡”だけが、創夜の中に残っていた。

 

そして創夜自身も、すでにその夜に――足を踏み入れてしまっている。

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