飛行機に搭乗した羽鳥は、ただ窓から外の景色を見下ろしていた。
そこに広がっていたのは、決して平和な世界ではなかった。
──ガタガタと、機体が激しく揺れる。
窓の外の景色が、瞬きのたびにノイズのように切り替わっていく。
それはまるで、この世界が選び取るかもしれない「破滅の可能性」を、サブリミナル映像として脳に流し込まれているかのようだった。
一つ目の景色。
不吉な赤紫色の空の下、見知らぬ高層ビル群が、まるで飴細工のようにドロドロに溶け落ちていた。
爆撃による破壊ではない。もっと冒涜的な、「文明そのものを溶かして、何者かの寝床として塗り固めた」かのような、生理的な嫌悪感を催す光景。
その溶解した鉄と瓦礫の真ん中に、「黒い影」が揺らめいているのが見えた。
アレは、生物なのだろうか?
首が長く、翼があるようにも見えるが、その輪郭は陽炎のようにあやふやで、ただ「古いおとぎ話の悪役」が、絵本から抜け出して現実を侵食しているような──そんな理不尽な圧迫感だけがあった。
二つ目の景色。
世界が、紅く脈動していた。
空が落ちてくる。いや、違う。雲を突き破り、燃え盛る無数の「星」が地上へ降り注いでいるのだ。
物理法則を無視したその天変地異の中心で、灼熱に身を焦がす「紅い何か」が咆哮する。
その姿は怒りの炎そのものに見えたが、一瞬だけ、その頭部に「王冠のように歪な突起」がシルエットとして浮かんだ気がした。
アレは呪霊の類ではない。
ただ純粋な、世界そのものに対する「憤怒」という概念が、形を持って暴れている。
三つ目の景色。
音のない世界。
空には不気味な日食が浮かび、太陽が黒く塗り潰されている。
ブラックホールを連想させる絶対的な闇。
そこへ、神が人を裁く槌の如く、毒々しい「赤い雷」が音もなく降り注ぐ。
その中心で、優雅に、あるいは残酷に舞っているのは、「白い衣」を纏った人のようにも、神のようにも見える光の集合体。
アレを見てはいけない。
生物としての羽鳥の本能が、魂の底から警鐘を鳴らす。
アレは、我々が知る進化系統樹のどこにも属さない。天災そのものだ。
(……なんだ、これは)
ただ、圧倒的な「格の違い」を見せつけられ、魂が震える。
(これが、この世界の行き着く先だというのか……?)
──夢を見ていた。
あるいは、これはとても古い記憶の再生なのかもしれない。
ガタン、ゴトン。
規則的な列車の走行音。暖かな陽射し。
私は、誰もいない車両のボックス席に揺られていた。
向かいの席に、少女が座っていた。
逆光で表情はよく見えない。けれど、彼女の声には、深く静かな悲しみが滲んでいた。
「……私のミスでした」
彼女は独り言のように呟く。
「私の選択、そしてそれによって招かれたこの全ての状況」
「……君の、選択?」
「はい。この結果に辿り着いて初めて、あなたの方が正しかったことを悟るだなんて」
彼女は少しだけ顔を上げ、私を真っ直ぐに見据えた。
「……今更図々しいですが、お願いします。羽鳥先生。きっと私の話は忘れてしまうでしょうが、それでも構いません。何も思い出せなくても、おそらくあなたは同じ状況で、同じ選択をされるでしょうから……」
彼女は穏やかに続ける。
「ですから……大事なのは経験ではなく、選択。あなたにしかできない選択の数々。」
その言葉は、どこか哲学的で、しかし私の根幹を揺さぶる響きを持っていた。
「責任を負う者について、話したことがありましたね」
責任。その単語が出た瞬間、私は無意識に背筋を伸ばしていた。
『窓』や補助監督として、散々叩き込まれてきた言葉だ。力のない大人が、
「あの時の私には分かりませんでしたが、今なら理解できます。大人としての、責任と義務。そして、その延長線上にあった、あなたの選択。それが意味する心延えも」
「……」
「ですから、先生。私が信じられる大人である、あなたになら。この捻じれて歪んだ先の終着点とは、また別の結果を……」
捻じれて歪んだ先の終着点。私の脳裏に、飛行機から見た破滅の光景がノイズのように走る。
「そこへ繋がる選択肢は……きっと見つかるはずです。だから先生、どうか……」
彼女の悲痛な願いに、私は応える。
「……私は、七海さんのようにスマートな大人ではないし、五条さんのような『最強』じゃない。ただの無力な大人だ。それでも、
私の言葉を聞いた彼女は微かに笑みを浮かべた。
「羽鳥先生。最後に、もう一つだけ。あなたと同じくこの
「少年?」
私は改めて彼女に向き直った。
「はい。彼は、この世界の神秘を凌駕する──あなたの知る『最強』の領域にいる存在です」
「……!」
"最強"。その言葉の重みを知っている私は五条さんの
「その彼をここに導いたのは、私ではなくあなたが目撃した『災厄』たちです」
「なに……!?」
彼女の声音が警告の色を強める。
「『災厄』たちは、儀式を完遂させることで彼を通して、数多の世界に破滅をもたらそうとしています」
「儀式?」
彼女は指を三本立て、そのうちの二本をゆっくりと折り曲げる。
「……儀式を成立させるための
死刑宣告のように重く響く言葉。三段階の儀式。そのうちの二段階が既に完了している。それが意味するのはつまり、後がないということ。その事実に私は戦慄した。彼女の瞳が、私を射抜く。
「彼がその強さゆえに、たった一人で
(私はさっき、彼女に誓ったじゃないか)
『立派な先生になれる』
──キィィィィィ……プシュウ。
不意に、列車のブレーキ音が響き、静かな揺れが収まった。到着したのだ。私が降りるべき、始まりの駅に。
目の前の扉が開き、外の世界から強烈な光が溢れ出してくる。眩しくて、足がすくむほどの光だ。
「……行こう」
私は覚悟を決めて顔を上げた。靴底の底を鳴らし、開いた扉の前まで歩み寄る。そして、光の境界線で一度だけ足を止め、彼女を振り返った。
「私も彼と一緒に、大人として彼の
私の言葉を聞いた彼女は、花が咲くように美しく微笑んだ。
「──はい、お願いします。先生。私たちの大切な
彼女の笑顔を見届けた私は、前を向く。
そして、眩い光の中へ、自らの足で大きく踏み出した。