その時歴史がまた動かなかった 作:dwwyakata@2024
原作ではラインハルトは幼少期から再三暗殺計画に巻き込まれています。
また戦場でもラインハルトはイゼンルローン回廊での戦いで分艦隊を率いていた頃、ヤンの罠にもろにはまって全滅寸前まで追い込まれたことがあり、実のところ決して無敵ではありません。
そんなラインハルトが死んでいたかもしれない可能性の一つが、本当にラインハルトの命を奪ったら。
これはそんなifの物語です。
ゴールデンバウム朝銀河帝国で、まだ幼年学校を出たばかりの子供が殺された。名前はラインハルト=フォン=ミューゼル。
軍に配属されたばかりだった。
一応表向きは戦死だったが。
しかしながら、実際には暗殺だと言うことは誰もが知っていた。
ラインハルトは姉が後宮に入れられたことで閨閥になり、軍にての出世が確約されていたのだが。
それを快く思わない者もまた多く。
そして、それらの暗殺の手が、幼い命を奪ったのだった。
その場にいて生き残ったキルヒアイスという同期の少年兵は衝撃を受けていたようだが、平民である。
誰も気にしなかった。
ラインハルトの死の報告を受けたその姉。
寵姫であったアンネローゼは、それからまもなく衰弱死。
これも暗殺説があったが、真相はともかく闇の中だった。
更に、である。
それらの報告を聞いた老帝フリードリヒ四世は、元から皆無に等しかったやる気を完全に喪失。
以降、皇帝は事実上いなくなったと見た門閥貴族。
ブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム候、リヒテンラーデ公をはじめとする面々が動き出し。
それらが、帝国を混沌の渦にたたき込んでいくことになる。
誰も知らない。
ラインハルトが時代を変える英傑に育ったことなど。
それだけではない。
この暗い時代を変える、唯一の希望になったかもしれないことを。
一人だけ知っていたキルヒアイスという子供は、それからも軍属としてしばらく働いていたが。
やがてふっと姿を消した。
軍での行方不明や不審死はよくある話だ。
ただ、キルヒアイスがいなくなる前の兵士達は、こぞって証言している。
あれには、悪魔がついていたようだった、と。
しかしながら、戦場でおかしくなってしまう兵士などいくらでもいる。気の毒な例が増えただけに過ぎない。
ましてや平民の一人の兵士など。
帝国の軍の中では、誰も気にすることもなかった。
それから数年後。
自由惑星同盟に、ジークフリード=キルヒアイスという青年が亡命し。
士官学校で首席をとり。
軍人となるのだが。
それを行方不明になった兵士であると認識する者は一人もいなかったし。
何より、気にしたところで、何の意味もないことだった。
人類は四百億。
百五十年、二大勢力である帝国と同盟は戦争を続けており。
その過程で、数え切れない不幸が生じた。
今更、一人の命に誰も興味を示さない。
そういう時代だった。
そしてそういう時代だったからこそ。
悪魔と化した復讐鬼が、解き放たれたことに誰も気づかなかった。
このときは、まだ。
エル=ファシルからの民間人の救出作戦を終えたヤン=ウェンリーは、少佐に昇進。統合作戦本部にて仕事を任されることになったが。
帝国からの亡命者だという青年を紹介されて。
部下として扱うようにと言われていた。
その青年は、士官学校を出たばかりだが、戦闘で凄まじい活躍を見せており、既に大尉にまで出世しているという。
ヤンはそのキルヒアイスという青年を見て、生唾を飲み込んでいた。
ヤンも戦場にいる人間である。
運動神経はからっきし。
間違っても前線に出るような人間でもないが。
それでも、恐ろしい兵士はいくらでも見てきている。
だが、今目の前にいる長身の青年は、赤毛の悪魔としか形容ができない恐ろしさだった。
目つきにしても何もかもがおかしい。
精神のバランスを崩してしまっているのは明らかだった。
「ジークフリード=キルヒアイスです。 以降よろしくお願いします」
「よろしく。 私は見ての通り格闘戦ができるようなタイプではなくてね。 前線での戦闘は任せるよ」
「承知いたしました。 いくらでも作戦行動を御命じください。 貴族どもの首なら、いくらでもねじ切ってきましょう」
「そうか……」
帝国から何かあって亡命してきたらしい。
そういう話は聞かされている。
それにしても、なんという凄まじい目だ。
ヤンは不安になって経歴を確認したが、軍紀違反などはない。むしろ丁寧すぎるほどの戦闘をしている。
士官学校の成績を見るが、とにかく圧倒的だ。
戦史研究などは優れていたが、戦闘実技などが落第寸前だったヤンとは違い、全ての分野でトップに近い成績を独占している。
ただ、戦闘シミュレーションの艦隊戦では、極めて苛烈な戦闘をすると言うことで有名であり。
キルヒアイスとのシミュレーション戦をした者は、圧倒的に徹底的に叩き潰されて、自信を失うと評判だったそうだ。
変わり者が嫌いではないヤンだが。
ちょっと心配になる。
だが、このときは心配止まりだった。
問題は、その後だった。
ヤンは後方勤務でしばらく過ごすと思っていたのだが。帝国の状況がおかしいという報告を受ける。
老帝フリードリヒ四世が危篤らしい。
そういうことだった。
まあ、老帝である。
しかもゴールデンバウム朝は医療を軽視してきた歴史がある。
歴代の皇帝は地球時代の人間より寿命が短かったくらいで。
むしろフリードリヒ四世は長生きした方だろう。
キルヒアイスはその報告を聞くと、ぼそりとつぶやいていた。
もう少し長生きしていたら。
必ず首をねじ切ってやったのに、と。
恐ろしい言葉で、背筋に寒気が走ったが。だが、キルヒアイスは冷静極まりない人物で、少なくとも関係ない兵士に手をかけたりすることはなかった。
ただ、笑ったところを一度も見たことがない。
さらには何かのロケットを常に身につけていて。
それについては、聞くことすらはばかられる雰囲気だった。
兵士達は怖がっているが、ヤンから見て特に問題行動を起こしているわけではない。今の時点では、問題なく使っていけるだろう。
ヤンが前線に出るように指示されたのは。それから。
ティアマト星系に帝国軍艦隊が侵攻してきた。
一体何度目かわからない。
ヤンは第四艦隊の参謀として、作戦立案の一つを任された。これだったら、まだ巡洋艦辺りの指揮の方がよかったかなと思ったが。
しかしながら、そうも言っていられない。
敵の数は一個艦隊程度で、同盟も同数程度。
敵には戦意が欠けているが、それでも正式艦隊だ。
だとすれば、参謀の判断が全てを決める。
第四艦隊の司令官はパエッタ中将だ。
パエッタは良くも悪くも無能でも有能でもなく、ごく普通に出世してきた人物である。ヤンから見て少し能力が物足りないとは感じるが、それでも極端に無能と言うわけではない。
正面からの戦闘を主張するパエッタに対して、参謀も概ね同じ意見を出していたが。
ヤンとともに参謀にいたキルヒアイスが、ヤンに話を振ってきた。
「ヤン中佐。 このような策はいかがでしょうか」
「ふむ。 ……これは随分と過激な策だね」
「相手はエル=ファシルでアーサー=リンチ少将を破り、中将に出世した指揮官です。 おそらく同盟艦隊は弱いと考えているでしょう。 其処に乗ずる隙があるかと」
「……確かにそれもそうだ」
ヤンがいくつか案を修正して、キルヒアイスと練る。
それでわかってきたが、キルヒアイスは極めて聡明で、少なくとも復讐で何もかもに狂っている訳ではないということだ。
作戦案を出す。
そうすると、パエッタ中将は、策に驚いていた。
「いつも堅実な策を提案する君とは思えないな」
「今回の敵は、アーサー=リンチ少将を破り、調子に乗っているところです。 帝国の国内の事情が怪しいと言うこともあり、おそらくここで手柄を立てて後の身の振りを立てるつもりなのでしょう。 調子に乗っている指揮官、勝てると思い込んでいる心。 足下を掬います」
「……わかった。 いずれにしても、この策だと完勝が狙えるわけだな」
「はい。 できるだけ、今は帝国の戦力をそいでおくべきかと思います」
完勝という言葉に気をよくしたのだろう。
パエッタは長いこと艦隊指揮官をしている「歴戦の将」だが。艦隊指揮官である中将に出世してから、ずっとこれといった戦果を挙げていない。
それによる焦りもあるのだろう。
キルヒアイスの提案だった。
そこを突くべきだろうと。
悪魔じみた発想だ。
味方をそういう形でだますのはあまり好きではないが、エル=ファシルでの脱出行で、ヤンはリンチ少将の身勝手な逃走劇を推測。リンチ少将をおとりにして、民間人を全員救出したという過去が至近にある。
あまりこういう腹芸は得意ではないが。
やれるなら、やっておこうと思った。
翌日から、戦闘が開始された。
戦意に欠ける帝国軍艦隊だが、指揮官は逸っている。
これに対して、第四艦隊は、何度も何度も戦闘が繰り返されたティアマト星系での地の利を生かすようにして、分散した艦隊でゲリラ戦を挑むようにして、それでうまくいかずに蹴散らされている、という様子を装う。
第四艦隊は被害を出し、支えきれなくなって後退。
その様子を見て、敵の指揮官は明らかにいきり立った。
全軍突撃。
そうとでも命じたのだろう。
分散した同盟艦隊の一部に襲いかかる。その艦隊は、即座に後退を開始。ティアマト星系にいくつかあるガス惑星の影に逃げ込もうとする。それを、勝てそうだと思った帝国軍艦隊が追う。
そして彼らが気づいたときには艦列は伸びきり。
逆にバラバラだった筈の同盟軍第四艦隊はまとまり。
さらには、ガス惑星を利用して、同数であるのに敵の包囲を完成させていたのである。
猛反撃が開始された。
凄まじい火力の滝にさらされた帝国軍は、伸びきった陣形を再編しようとしたが、それもうまくいかなかった。
敵が罠にはまったと気づいた瞬間。
ガス惑星に潜んでいた伏兵が、主砲を斉射。
それが旗艦を貫いていたからである。
リンチ少将を破った貴族出身の提督は、同盟軍は弱いと錯覚したまま、艦橋で爆発に巻き込まれ。
帝国軍旗艦級戦艦の艦橋にはなぜか配置されている柱に押しつぶされて死んだのだった。
後は一方的な戦いになった。
司令部が壊滅したことにより、艦隊は壊乱して逃げることもできなくなった。
四千隻以上が完全破壊され、残りのほとんどは逃げることもできずに降伏した。
完勝である。
伏兵を指揮したのはヤンだが。精密な狙撃を成功させたのはキルヒアイスだった。巡洋艦の一隻を任せていたのだが。凄まじい精度の狙撃で、ヤンも瞠目させられていた。
わずかに散り散りに逃げた艦艇は千隻程度に過ぎず、帝国は一艦隊を丸々失ったのである。
パエッタはヤンの作戦と、それによる完全勝利を喜んだ。
歴史が少しずつ狂い始めていることに、気づいている者は誰もいない。
イゼルローン要塞を攻略したヤンは、キルヒアイスが抵抗した帝国軍将兵を容赦なく殺したのを見て、眉をひそめていた。
キルヒアイスと組んで二年。
ヤンは少将となり。
今までどうしても成功しなかった帝国の要衝。同盟と帝国の間にあるイゼルローン回廊を守る、イゼルローン要塞を制圧に成功した。
作戦ではキルヒアイスが陸戦部隊の指揮を執り、名高いローゼンリッターとともに作戦を遂行したのだが。
ヤンは無血占領策を立てたのに。
キルヒアイスは、抵抗の意思を示した帝国軍の士官。特に貴族の士官を容赦なく撃ち殺したのだった。
勿論正当防衛だったのはある。
だが、ヤンはベレー帽を押さえて、どうにもまずいなと思っていた。
キルヒアイスはとにかく有能だ。
だが、ここ二年でわかってきたことがある。
その復讐心は明らかに人格に暗い影を落としている。
作戦に同行したシェーンコップが、戦後処理をしているヤンの元に来て、軽く話をした。
「あの青年はまずいですな。 確かに極めて有能で、一緒に作戦をしていて困ることが一度もありませんでした。 しかし心に悪魔が住んでいるように思います」
「キルヒアイス准将は確かに危うい。 それは私もわかっている。 だが、少なくとも無抵抗の相手に手をかけるような真似はしていない。 軍律を破る気配はないし、それについては私も認めているさ」
この勝利で、ヤンは中将に昇進が確約。
キルヒアイスも少将に昇進するだろう。そうなったら、分艦隊を率いてもらうことになると思う。
帰還したキルヒアイスは、相変わらず愛想笑いの一つもなく、淡々と戦果のみを報告。報告書も出した。
内容はヤンも非の打ち所がなかった。
それはそれとして。
ヤンは、キルヒアイスを他の将官の下につけない方がいいなとも判断した。
キルヒアイスは、ヤンをある程度信頼してくれている。だが、無能な指揮官と判断した相手には、恐ろしく冷徹になるのを時々見ている。
まるで誰かが乗り移ったように人格が変わる。
いわゆる解離性同一性障害なのかもしれないが。
それにしては、どうにも妙なところも多いのだ。
にこりともしないところを除けば非常に端正な顔を持つ青年なので、女性兵士や士官にはもてるらしいのだが。
キルヒアイスは迷惑そうにするだけで、まるで色に興味を見せない。
これはヤンもあまり差はないので、それをどうこうと言うつもりはないのだが。
それにしても、キルヒアイスの色々と欠落した様子には、不安を感じてしまうのも事実だった。
ハイネセンに凱旋する。
それから程なくして、知らされる。
帝国で内戦開始。
リヒテンラーデ公が殺害され、ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム候が戦闘状態に突入。
帝国軍のほとんど全てがどちらかに加担し、戦闘を始めた。
だが、これに乗じてクロプシュトック公などの一部勢力は、独自の動きを見せ、独立勢力として活動を開始。
帝国の大壊乱が始まった。
「やれやれ、参ったね」
ヤンはつぶやいた。
これで同盟は当面安泰だ。
ブラウンシュヴァイクもリッテンハイムもどちらもただの門閥貴族で、軍事の専門家にはほど遠い。
まともな軍事専門家がどちらかにつけば話は変わるだろうが、先だってメルカッツ提督が不審死したという話がある。
どうもブラウンシュヴァイクが抱き込もうとしたところを、先手を打ってリッテンハイムが暗殺したらしいのだ。
帝国にもミュッケンベルガー元帥などの指揮官はいるが、いずれにしても其処までの脅威ではない。
これは帝国には苦難の歴史が始まる。
勿論同盟にとっても侵攻の好機ではあるのだが。
ヤンから言わせれば、今はその時期ではない。
長年の疲弊を立て直す好機だ。
今は兵の再編を進め、経済の再建をするべきだろう。
それに、である。
これから大量の民が逃げ込んでくる。
それを取り込むことで、同盟は膨れ上がる。
対処を間違えば、更に腐敗が加速する。
今の同盟政府はお世辞にもクリーンとはいえない。それができるかどうか、ヤンには不安だった。
大侵攻作戦を。
そういう声がすぐに上がったが。
しかしながら、帝国の内乱から逃げ出してきた民がイゼルローン回廊に殺到し始めたことで。
それどころではなくなった。
逃げ込んできたものには武装したままの艦艇や軍人も多数おり。
それらを丁寧に処理するだけで、イゼルローン要塞の機能はパンク寸前に陥ったのである。
幸い、まだまだ未入植の星はなんぼでもある。
ただし、大量に流れ込んできた民が、同盟を変質させた過去もある。
うまくそれらを捌けるかどうか、ヤンには不安だった。
最前線のイゼルローンからいずれにしてもヤンは動けなくなり。
デスクワークの達人であるキャゼルヌ少将が支援に来てくれたので、全て丸投げしたものの。
それでも大量の仕事をこなさなければならず。
とても侵攻作戦どころではなくなった。
事実最高評議会も、あまりにも多すぎる避難民を前にして、侵攻作戦どころではないと悟ったのだろう。
何しろ、内戦が開始されてから三ヶ月で、十二億人が同盟に流れ込んできたのである。
正式四個艦隊が派遣され、それらはイゼルローン回廊およびその周辺で、流れ込んできた民の武装解除、戦艦などの回収をしなければならず。
一度ならず小競り合いも発生していた。
ほとんど不眠不休で働くことになっているキャゼルヌ少将を見て、ヤンは後でどれだけおごらなければならないのだろうと思いつつ。
長蛇の列をなす避難民を見て、これは同盟も無事では済まないなと思うのだった。
同盟に亡命してきたキルヒアイスの心には既に鬼が住み着いています。
それだけではありません。
この世界では、歴史が全てに見放されたように。
悪い方向へと、どんどん向かっていくのです。