その時歴史がまた動かなかった   作:dwwyakata@2024

3 / 5



ヤンは出世し、キルヒアイスという超有能な提督も味方もいる。

ラップも生きていて、ジェシカとの間に子供もいる。ちなみに二人目も産まれました。

それなのに。

この宇宙は地獄へ転がり落ちていくのです。





2、地獄の大混乱の中で

前線に出ていたヤンは、今は第三艦隊の指揮をしていた。統合作戦本部長と兼任である。まあこれくらいならどうにかなる。

 

同盟では誰かしらの提督が私兵化をするのを避けるために、艦隊指揮官を交代していく伝統がある。

 

今は第三艦隊の指揮官であるが。

 

いつ別の艦隊の指揮官になってもおかしくはないだろう。

 

いずれにしても、威力偵察に出て、そこそこ大きめの貴族領に侵入したのだが。疲弊しきった帝国軍は迎撃すらしてこない。

 

キルヒアイス提督が来る。

 

それを恐れて、出てこないのだろう。

 

確かに徹底的に殺し尽くしていたから、無理もない。

 

とにかく、居住惑星の確保。周囲の安全を確保したヤンは、後方に連絡を入れる。星系の制圧完了。

 

これから調査に入る、と。

 

支援のために、今は第六艦隊を指揮しているラップが来てくれる。

 

心強い話だ。

 

ラップは参謀にしているフォークという人物に手を焼いているらしいのだが。まあ、ラップなら大丈夫だろう。

 

陸戦部隊を降下させ、ヤンはしばらく周囲の警戒をさせる。

 

幕僚の一人であるラオが、不安そうに言った。

 

「偵察艦隊から入ってくる情報は、会戦が激しく行われて、残骸だらけになっているというものばかりです。 領主らしい貴族の旗艦も、先ほど完全破壊された状態で発見されました。 しかし、他の貴族がここを制圧したようにも思えません」

 

「ああ、いやな予感がするね」

 

「焦土作戦か何かでしょうか」

 

「そんなことをする余力は今の帝国にはないよ。 目端が利く者は、どんどん同盟に逃げ込んだ。 今ここに残っている者がいるとしたら……」

 

程なく連絡が来る。

 

艦隊を編成したとき配下に組み込んだ薔薇の騎士連隊だが、現在は規模が拡大され、指揮官であるシェーンコップは少将に昇進。中将に出世する日も近いと言われている。

 

いくつかの連隊が陸戦部隊のプロフェッショナルとして艦隊に分散されている。シェーンコップはそれもあって、陸戦部隊の事実上のトップである。

 

今第三艦隊にいるのは、シェーンコップ麾下のリンツ大佐の部隊であるのだが。

 

そのリンツ大佐が、青ざめた顔で連絡を入れてきた。

 

「こちら陸戦部隊。 言葉よりも映像を見ていただいた方がよろしいかと思います」

 

「ああ、出してくれ」

 

「こちらです」

 

どよめきが艦橋に広がる。

 

それは、地獄そのものだった。

 

貴族の象徴だった領館は完全に焼き払われている。其処には黒焦げの死体が、大量に雨ざらしのまま放置されていて。もはや蛆も集っていなかった。

 

あちこちでは、餓死した、或いは餓死寸前の民が多数いる。

 

死んだ人間の肉をかじっている幼い子供は、腹が膨れ上がり、まるで仏教の伝承にある餓鬼だ。

 

吐く兵士が出る。

 

降下してきた薔薇の騎士連隊を見ても、民は何もしない。

 

また何か来た。

 

そういう表情で、もはや興味すらないようだった。

 

「領主館があるこの星の中枢区ですらこの有様です。 農業区などは今兵を派遣していますが、一体どんな有様なのか……」

 

「わかった。 すぐに専門家を派遣する。 抵抗はないとは思うが、警戒してくれ」

 

「はっ」

 

リンツ大佐が敬礼する。

 

ヤンはムライやパトリチェフらの幕僚を集めると、すぐに救援物資を手配させた。これは。人道以前の問題だ。

 

帝国が悲惨な状態なのは理解はできていた。

 

だがこれは。

 

或いはパンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。

 

一応、帝国から逃げ出してきた者達から、証言は出ていたのだ。

 

もはや法も何もないと。

 

しかもこの間、アルテナ星域で行われた会戦で、かろうじて帝国の貴族達をまとめていたブラウンシュバイクとリッテンハイムが共倒れした。

 

ブラウンシュバイクがまず暗殺され。

 

直後にリッテンハイムの旗艦が流れ弾に当たり、そのまま爆発四散したらしい。らしいというのは、情報が混乱していて、どっちも死んだと言うことしかわかっていないからである。

 

まともな皇族も、その後ろ盾になれる大貴族もいなくなった。

 

それで加速した混乱は、帝国をもはや昔は帝国だった存在に落としつつある。

 

話を聞いたラップが、即座に連絡を入れてきた。

 

軽く話す。

 

その間も実直にムライが、医療班と物資を手配していた。

 

「ヤン、これはまずいぞ。 この有様、どうにかしなければならん」

 

「ああ、それはわかっているさ。 だが領主館がこんな状態で、代わりの領主も来ていない。 物資は最後の麦一粒まで、徴収……いや略奪されたんだろう。 それにこの民は……」

 

命令されることに慣れきっていて。

 

自分で何かをすることができない。

 

ずっと支配され、統治されてきた弊害だ。

 

ぞっとするほど残酷な現実だった。

 

これが焦土作戦だったのなら、まだ救いはあるし意味もある。戻ってきた帝国軍が、後で物資を分け与えるだろうから。

 

映像が出ている。

 

栄養失調の人間が多すぎる。

 

明らかに食べてしまってはいけないものを食べた者も多すぎる。

 

狂牛病というのが地球時代にあった。

 

牛などに、いわゆる肉骨粉。栄養として、死んだ牛の骨や屑肉などを粉にしたものを飼料に混ぜて雑に与えた結果。

 

プリオンが悪さをして、脳を滅茶苦茶にする恐ろしい病だ。

 

同族食いをするとこれが起きることが時々あり。

 

人間も例外ではない。

 

人肉食をする民は昔は少なからず存在していたのだが。

 

彼らはそういった病気に苦しめられ続けていたのだ。

 

今、この地方領には、文字通り人肉しかくうものがない。

 

地球時代。

 

圧政やら戦乱やらで荒廃した地域の人間が、子供を交換して食べ合ったという歴史的事実が存在している。

 

当然ヤンはそれを知っているので、ラップに説明したし。

 

それ以上の問題がある。

 

今の同盟は、大量に抱え込んだ難民を、各地の植民惑星に振り分けるのにリソースをほとんど使っている。

 

小競り合いも日常的に起きていて。

 

現在十四ある艦隊のうち、八個は護衛部隊であるガーズとともに、国内の監視でいっぱいいっぱい。

 

残りある六つのうち三つは、首都星ハイネセンに張り付いて、何があっても対応できるように即応体制を整え。

 

今、イゼルローンにいるキルヒアイス提督が指揮している第十四艦隊を除くと、ここにいる二艦隊くらいしか、身動きがとれない。

 

ここ数年で、同盟軍の兵力は億の大台に乗ったが。

 

ほとんどが訓練中の部隊か、旧帝国の艦船をそのまま利用した部隊で、敢えて後方に下げられている。

 

帝国出身の将兵をいきなり前線に投入する訳にもいかず。

 

同盟政府は、完全にリソースを使い果たして窒息寸前の状態だ。

 

国内の経済も最悪の一言。

 

各地の植民惑星の整備のために、ハイネセンからすら物資をどんどん供出し、国庫は空寸前。

 

前線の兵士達が、飯がまずくなったといつも嘆いている有様だ。

 

当然、同盟に逃げ込んできた旧帝国の民に憎悪が向く。

 

今や両者はばちばちと火花を散らしている状態で。

 

だから小競り合いが絶えないのである。

 

流石に艦隊船規模のものはないが、暴動が起きない日など、今や存在していないとも聞いていた。

 

輸送部隊をそれでもキャゼルヌ少将が手配してくれる。

 

イゼルローン要塞は膨大な食料を大量に自動生産できる能力を持っているのだが。その自動生産された物資は、今や後方で消費されている。

 

なお、経済の王者ともいえるフェザーンでも何か問題があったらしく。

 

今はだんまりである。

 

同盟政府が支援を再三呼びかけているようだが。

 

フェザーンはまるでお通夜のように黙り込んでいて。

 

連絡さえまともに通らず。

 

自治領主は連絡にここ数ヶ月応じてこないとか。

 

医療班を率いているタナカという大尉待遇の士官が連絡を入れてくる。老齢の男性であり、大尉待遇ではあるが、本職は医師である。

 

「これはここにおいてはおけませんな。 連れて行かないと、餓死するだけです。 すぐに手配をしてください」

 

「わかりました。 輸送艦隊を手配します。 病院船もできるだけ。 ラップ提督、手伝ってくれ」

 

「任せろ。 護衛はこちらでやる」

 

この星系だけで民は八百万いるのだが、そのうち七百万以上が餓死寸前で、残りも重度の栄養失調だった。

 

そして散らばっている死体は、合計して四百万はくだらないという話である。

 

死体は不衛生なため、荼毘に付すしかない。

 

豪胆で知られる薔薇の騎士連隊ですら、あまりの惨状に吐き戻すものが絶えないようだった。

 

ムライがどれだけの物資が必要になるか、冷静に計算して出してくれる。

 

ヤンもそれに対して当たり散らしたりするつもりはない。

 

それに、この状況を連絡すれば、おそらく最高評議会の議員達が文句を言ってくるはずだ。どうしてこの状態で、更に余計な難民を抱え込んだのだ、と。

 

連中はとっくにハイネセンが掲げた民主主義、自立自活の概念を忘れてしまっている。

 

だが、それでも一応民主主義の議員だ。

 

だから、ヤンも意見は無碍にできない。

 

口惜しい話ではあったが。

 

輸送部隊が来たので、医療班とともに悲惨な状態の民を後送させる。

 

わかりきっている。

 

帝国中がこんな有様だ。

 

首都星オーディンですら、地獄絵図だと聞く。

 

しかも皇族がいなくなり、ブラウンシュバイクとリッテンハイムが共倒れした今となっては。

 

イゼルローンに戻る。

 

第三艦隊を追ってくる帝国艦隊はおらず。

 

完全に無人になった星系は、荼毘に付され簡易に埋葬された膨大な墓だけを残し。人間の愚行をあざ笑うようにして、沈黙しているばかりだった。

 

イゼルローンで、普段は悪口を言い合う不思議な仲であるキャゼルヌ少将が出迎えてくれた。

 

なんだかんだで家族ぐるみの仲なのだが。

 

今日ばかりは、そんなことを言っている場合ではない。

 

キャゼルヌが夕飯に案内してくれたので、相伴に預かる。

 

ヤンが被保護者をしていたユリアン少年が、そろそろ軍人になれる年齢であるというのもある。

 

今士官学校にいるが、とても優秀な成績だそうだ。

 

もう少しで、イゼルローンに越してくる。

 

だが、それを喜んでいる余裕などなかった。

 

キャゼルヌの娘二人を寝かしつけてから、二人で話す。

 

ヤンが見てきたことは、キャゼルヌもわかっているようだった。

 

「あまりにもおぞましいものを見てきたようだな」

 

「ええ。 まったく……」

 

「お前さんの得意な歴史学だと、よくある話ではあったのだろう」

 

「わかっていても、納得できるかは話が別です」

 

階級で追い抜いた今でも、ヤンはキャゼルヌに対して、プライベートでは丁寧な対応である。

 

これはキャゼルヌが先輩であるからだ。

 

まあ専門分野の違いもある。

 

キャゼルヌはデスクワークの達人であり、どうしてもヤンのような派手な武勲に恵まれる機会がなかった。

 

それでも少将だから、立派な話であるだろう。

 

「それでどうする。 いや、どうするべきだと思う」

 

「仮に今、大遠征をしたとします。 各地の民を全部同盟に収容するとして、植民星、医療資源、それに物資。 持ちますか?」

 

「今その植民星で大増産をかけているんだがな。 あらゆるリソースを投入して、プラントを大量に作り、そこで帝国からの亡命者に働かせている。 だが元貴族だったりする輩は、このような仕事は貴族がやることではないだとか抜かして、周囲から袋だたきにされていたりしてな」

 

「もたないんですね」

 

ああと、キャゼルヌはいう。

 

それはそうだ。

 

同盟の人口は帝国を追い抜いた。だが、人口が凄まじい伸びをしていた初期の自由惑星同盟は、指導者も優秀であったし、こういった大規模人口増加は予測もしていた。

 

今回は違う。

 

権力闘争にしか興味がない無能な世襲議員達と、それをまとめる権力の亡者ヨブ=トリューニヒト議長。トリューニヒトは倒れてからまた復帰して、それで議長に居座り続けている。それを何回か繰り返して、権力へのぎらついた執着を隠してもいなかった。ただ往年の怪物ぶりは薄れ始めている。これほどの怪物でも、異常な激務では心が病む。ましてや実務能力に欠けるのならなおさらだ。

 

ハイネセンとともに一万光年の旅路を乗り越えた人々が見たら。

 

子孫どもの醜態を、大きく嘆くだろう。

 

「だが、道義的にも見過ごせる状態ではない。 何かしらの手はあるか」

 

「この内戦で、門閥貴族達は、蓄え続けた膨大な富を全て吐き出しながら戦争を続けています。 おそらく、誰かが勝つこともないし、物資が先につきるでしょう。 一年程度で内戦が片付くのであれば、或いはその物資をこちらで差し押さえて、復旧活動と開発に投資もできたのでしょうが」

 

「これは或いは、地球が覇者から脱落していらいの混乱が始まるかもしれないな」

 

頭をかき回すヤン。

 

キャゼルヌは、声を落としていた。

 

「不平をため込んだ元貴族の亡命者などが、不満を煽っているという話もある。 軍はMPを動員して押さえ込んでいるが、どうしても限界がある。 国内に物資を回すのですら厳しい状態だ。 もしも大動員などかかったら……」

 

「同盟は帝国と共倒れになりますね」

 

「ああ。 この有様なら、まだブラウンシュバイクかリッテンハイムのどちらかが勝った方がましだったのかもしれないな。 ただそれでも、既に帝国の命運はつきていたのだろうが」

 

「……」

 

気が重い。

 

あの有様を見て、PTSDを発動してしまった兵士は少なくないらしい。実際、映像が衝撃的すぎて、流すのは避けるべきだとムライが進言したほどだ。ムライがそれを言うほどである。

 

ヤンとしても、慄然とするばかりだった。

 

 

 

翌日、酒がまだ残る頭でデスクに出ると、キルヒアイス提督が来ていた。

 

非常に険しい表情だった。

 

敬礼をかわす。

 

「ヤン提督、多くの無辜の民を救出していただき、ありがとうございます」

 

「いえ、実質何もできませんでした。 ひどい状態の民は、イゼルローンの病院機能を最大活用して、それから後送することになります」

 

「ヤン提督。 この状況をどう思いますか」

 

「帝国が立ち直ることは無理でしょう。 しかし、残念ながら、今のありさまでは同盟にも救援する余裕は……」

 

キルヒアイス提督は頷いていた。

 

その目の奥に、暗い喜びが浮かんでいるのに、ヤンは気づけなかった。

 

「実は、最高評議会のジェシカ議員が来ています」

 

「ラップ提督の妻だから、まあ不思議ではないですね」

 

「いえ、最高評議会の議員としてきたようです。 ヤン提督、ラップ提督と私も含め、話をしたいと」

 

「……」

 

ジェシカは反戦を常に掲げている議員だ。それでいいとヤンは思う。

 

だが、このタイミング。

 

しかもこの状況でイゼルローンに。

 

いやな予感しかしない。

 

とりあえず、すぐに会う。

 

二日酔いは消し飛んでしまった。はっきりいって、それどころではなくなってしまったからだ。

 

すぐにジェシカと会う。

 

昔は好きだったな。ラップの方が好きだったと知って諦めた。結婚して幸せそうにしていて、子供も生まれたのを見てベレーを下げた。

 

今は。諦めもついている。

 

とりあえず四人で会う。

 

ジェシカは多少老け込んでいたが、それでも子供が二人もいる(あれからまた娘が生まれた)とは思えないほど若々しかった。

 

老け込んでいるのは。

 

むしろ連日の激務が原因だろう。

 

キルヒアイス提督がいることもある。

 

社交辞令から入って、軽く話をする。

 

「現在、同盟国内の経済状況は極めて厳しい状態です。 帝国領への侵攻はとてもしている余裕がない、それが現実です」

 

「わかっている。 だが、亡命者を保護するために、イゼルローン周辺での警戒は欠かすことができない」

 

ラップがそれを告げる。

 

頷くと、ジェシカは声を落とした。

 

「イゼルローンを封鎖する案が出ています」

 

「!」

 

「最高評議会の議員達は、これ以上の難民の受け入れが、同盟をパンクさせるだけだとやっと気づいたようです。 帝国に侵攻しても意味がないことは、先のヤン提督の戦果でも明らかになりました。 しかも、このままだと彼らは選挙で合法的に、新しく来た難民達の票によって落とされるでしょうね」

 

ジェシカも勿論それはそうだ。

 

だが、ジェシカは権力に固執している様子はない。

 

一度権力の味を覚えると、人が変わる人間はどうしてもいる。これは古くからそうで、高潔だった人物が、至尊の座についた途端に豹変する例は珍しくない。

 

ジェシカが自分の権力などどうでもいいと思ってくれているのは。

 

ヤンにとっては幸いだった。

 

「これを主導しているのはトリューニヒトよ。 奴は間近で接してみてわかったけれど、本当に得体が知れない怪物のような男だわ。 皆、気をつけて。 どんな陰謀を弄してくるかわからないわ」

 

「わかった。 ジェシカ議員も気をつけて」

 

「ええ」

 

後は、いくつか細かい打ち合わせをして。

 

それで会議を解散する。

 

キルヒアイス提督はむしろ良識派として知られているのもあるのだろう。ジェシカは全て話したようだが。

 

ヤンはそれが不安だった。

 

本来だったら、キルヒアイス提督は、そうするに値する人物だったのかもしれない。だが、戦場でのやり口を見ているヤンは。

 

これが悪手だったとしか思えないのだ。

 

「それで、いかがなさいます」

 

「私は民主主義国家の軍人です。 上からの命令には従わざるを得ません」

 

「そうですね。 いずれにしても、これで帝国への大規模侵攻はなくなった、と見て良いでしょう」

 

「それだけは幸いなのだろうが、しかし帝国に取り残される民は大変な時代を送ることになるな」

 

ヤンは気づいた。

 

それを聞いた瞬間、キルヒアイス提督の口元が笑みに浮かぶのを。

 

ぞくりとした。

 

キルヒアイス提督がたまにいやな気配を放つのはわかっていたのだが。それが明確に可視化された瞬間だった。

 

「キルヒアイス提督?」

 

「どうかしましたか?」

 

「いえ、何でもありません。 ともかく、難民の後送をお願いいたします」

 

「ヤン、それは良いから、数日休め。 あの有様で、ずっと指揮を執っていたんだ。 それくらいは許される」

 

ラップのありがたい言葉に甘えることにする。

 

その数日後。

 

「献身的な難民の救助」が理由で、ヤンは統合作戦本部長から異動。キルヒアイスとラップを麾下に入れて、「イゼルローン方面軍」を任されることになった。

 

第三艦隊の指揮は、同盟中枢からルグランジュ中将が派遣されてきたことで、それを任せることとなった。

 

多少軍国主義の思想があるが、ヤンから見ても有能な将帥で。真面目なため、独断専行もしないだろう。

 

副官であるフレデリカ少佐に調べさせたが、醜聞の類はなく、信頼できる指揮官だそうである。

 

いずれにしても、ヤンはこれは身動きがとれなくなった。

 

それに、キルヒアイス提督が、直後にイゼルローン要塞の指揮官も兼任するように指令を受けたことで。

 

実質上の二頭態勢が発動し。

 

その意味でも、更に動きにくくなったといえる。

 

トリューニヒトの目的はわからない。

 

或いはだけれども、同盟内部の壊乱に乗じて、ヤンが下手な動きができないように前線に縛り付けたのかもしれない。

 

陰謀と空虚な演説で知られるトリューニヒトだが。

 

その割には陰謀のキレが薄い気がする。

 

だとすると、本気で同盟内部の大混乱に辟易しているのかもしれない。

 

いずれにしても現在最高評議会に人材はいない。

 

ジェシカはあくまで反戦派の議員として入ったのであって、それをするのが仕事だ。民政をダイナミックに改革するのは議長の仕事。

 

皮肉な話だが。

 

この有様になって、やっと化け物の底が知れたということであるのだろう。

 

「これは、帝国の状況が、同盟にも波及するかもしれないな」

 

ぼそりとヤンはつぶやいていた。

 

それから、一年ほどはずっと逃げてくる難民をヤンは艦隊を率いて助け続けた。

 

かろうじて逃げ込んで来る難民は減る一方。

 

また、もはや帝国艦隊が仕掛けてくることすらなくなった。

 

エルウィン=ヨーゼフという幼い皇族がいたらしいが、暗殺されたと報告があり。

 

更に最後に残っていた乳幼児女子の皇族まで暗殺されたらしく。

 

実質的にルドルフの血統はつきたそうだ。

 

もはやゴールデンバウム朝は完全に滅亡し。

 

帝国には宇宙海賊まではびこるようになり始めた。

 

ヤンは同盟国内の惨状を見て。

 

何もできないことを悟ることしかできなかった。遠征も救出も、もはや不可能だった。







ヨーゼフ帝は暗殺されました(無慈悲)

多分名前を誰も覚えていないだろう、原作でラインハルトがヨーゼフ帝の後に傀儡の皇帝にした女児も。

混乱はこういう悲劇をいくらでも量産するのです。



  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。