それでは11話です。
世界は、冷たくて、痛くて、暗いものだ。
それが私たちにとっての当たり前だった。
木の格子の向こう側から、今日も大人たちが石を投げてくる。「気味が悪い」「呪いの子だ」と、口々に私たちを罵る。
石が当たれば痛いし、血も出る。お腹はずっと空いているし、冬の牢の床は凍りつくように冷たい。でも、泣いたり、絶望したりはしなかった。
だって、生まれた時からずっとそうだったから。
私たちには、私たちにしか見えない黒くてウネウネした気味の悪いものが見える。だから大人たちに叩かれる。ただそれだけのこと。世界には私と美々子しかいなくて、それ以外のことは何も知らなかった。
今日も冷たい床の上で、美々子と手を強く握り合って丸まっていた。美々子の小さな手だけが、この世界で唯一の温かいものだった。
そして、その「当たり前」が壊れたのは、唐突だった。
その日、蔵の重い扉が開く音がした時、私たちはいつものように身を縮めた。冷たい外の空気が流れ込んで、積もった埃が舞い上がる。
大人たちが、ぞろぞろと入ってきた。いつもと違うのは、彼らの先頭に、見知らぬ人が立っていたこと。
上等な黒い着物を着た、私たちより少しだけ年上の、綺麗な人だった。村の偉い大人たちが、その人に対して妙にへこへこしている。
「……これは、何ですか?」
綺麗な人が、冷たい檻の中にいる私たちを見下ろして、静かな声で尋ねた。
村の大人たちが、口々に言い訳を始める。
「な、なにとは……。この二人が、村で起きている一連の事件の原因でして」
「この二人は頭がおかしいんです。先日、私の孫も、この化け物どもに殺されかけました!」
大人たちの醜い声が蔵に響く。私たちは、ただ身を寄せ合って震えることしかできない。
やっぱり、この新しい人も私たちをいじめるんだ。そう思って、ぎゅっと美々子の手を握り、目を瞑った。
「違います」
凛とした、でも氷のように冷たい声が響いた。
「事件の原因たる呪霊は、もう私が取り除きました。この子たちは無関係です」
綺麗な人の言葉に、私たちは弾かれたように顔を上げた。
でも、大人たちは一瞬ぽかんとした後、顔を真っ赤にして怒り出した。
「そ、そんなはずはない! この子もこの子の親も、不思議な力で私たちを襲ってくるんです!」
「そうです! 現に被害者だっているんですよ!」
大嘘だ。私たちを先に痛めつけ、お父さんとお母さんを奪ったのは、この大人たちの方だ。見えない何かに怯えて泣く私たちを、気味が悪いと棒で叩き、無理やりこの暗い蔵に閉じ込めた。私たちはただ、自分たちを守ろうとしただけなのに。
いつもなら、何を言っても無駄だと諦めていた。どうせ大人は誰も私たちの言葉なんて信じない。でも、この人ならば。なぜだかそう思えて、私たちは、意を決して反論した。
「それは向こうが──」
「黙りなさい! この化け物め! やはり親ともども、赤子のうちに殺しておくべきだった」
その醜悪な言葉が、蔵の中に響き渡った直後のことだった。
綺麗な人の顔から、スッと表情が消えた。
「……なるほど。傑が道を外すのも無理はない」
そして、その人の指先が僅かに動いた。
ズガァァァンッ!!!
鼓膜が破れるような轟音とともに、一人の大人が、目に見えない何かに弾き飛ばされて蔵の壁に激突した。
「ひ、ひぃぃぃっ!?」
「な、なんで……がはっ!!」
何が起きたのか分からない。ただ、キラキラと輝く白い粉が雪のように舞い落ちてきて、大人たちの体を硬い鎖のように締め上げていく。
さっきまで私たちを虐げていた恐ろしい大人たちが、無様に地面へ這いつくばらされ、カエルのように呻いている。誰も立ち上がれない。誰も文句を言えない。
私たちの「当たり前」が、呆気なく蹂躙されていた。
綺麗な人は、這いつくばる大人たちを一瞥すらせず、私たちの檻の前まで来ると、太い鉄の格子を素手でバキリとへし折ってしまった。
「……あの、おとなたちは……?」
恐怖で喉が引きつる中、私は震える声で尋ねた。
大人たちはもう動けないのか、それともまたすぐに立ち上がって私たちを殴りに来るのか。それが分からなくて、ただ怖かったから。
けれど、私の問いかけに、その人は小さく目を見開いた後、ふっと表情を和らげた。
「あんな酷いことをされたのに、心配してあげるんだね。優しい子だ」
違う。心配なんかじゃない。あんな大人たち、どうなったっていい。ただ怖かっただけなのに。
私が言い淀んでいると、その人はチラリと大人たちの方へ視線を向けた。その背中から、一瞬だけ息が詰まるような恐ろしい怒りの気配が膨れ上がる。
でも、次の瞬間。
その人は私たちに向き直ると、スッと人差し指を自分の唇に当てた。
「内緒」
ふわりと、どこか毒を含んだような、でも不思議と怖くない笑みを浮かべる。
「あいつらにはね、今、ちょっときつーいお仕置きをしている最中だから。君たちは、もう何も気にしなくていいし、見なくていいんだよ」
はぐらかすようにそう言って、その人は目の前で静かにしゃがみ込んだ。
「こんな地獄で……よく、二人で生き抜いてきたね」
ぽつりと呟かれたその声には、さっきまでの怒りは消え、どこか遠くの誰かを思い出すような、静かな響きが混じっていた。
それから、その人は、ゆっくりと手を差し出した。
手のひらの上で、白い粒子がゆっくりと集まり始める。さらさらと、砂が水の中で踊るみたいに、それはゆっくりと、でも確かな意志を持って形を変えていった。
「ほら」
出来上がったのは、真っ白な、小さなうさぎだった。
それがピョンと跳ねて、折れた格子の残骸を越えて、私たちの方へやってきた。
「子供はさ、そうやって笑ってた方がいいよ」
どこかで聞いた誰かの言葉をなぞるように、その人は優しく微笑んだ。
その笑顔を見た瞬間、不思議と胸の奥で固まっていた怖さが、すーっと溶けていくのが分かった。
笑ってた方がいい。
……私たちは今、笑っているんだろうか。
自分ではわからなくて、隣にいる美々子の顔を見た。美々子は泣きそうな、でも心の底から安心したよう顔で笑っていた。きっと私も、同じ顔をしているんだと思う。
「……君たち、名前は?」
うさぎを私たちの手のひらに乗せたまま、その人は静かな声で尋ねた。
私は隣の美々子と顔を見合わせ、小さく口を開く。
「……菜々子。こっちは、美々子」
「そっか。菜々子と、美々子」
自分たちの名前を、石や罵声と一緒にではなく、こんなに優しく呼んでもらったのはいつ以来だろう。
すると、うさぎに触れていた美々子が、恐る恐る顔を上げて小さな声で尋ねた。
「……あの。あなた……さま、のおなまえは……なんていうの……?」
その人は、少しだけ目を丸くした。それから、ふわりと花が咲くように笑った。
「僕は、瀬那。汐宮瀬那だよ。よろしくね」
それだけ言って、その人は立ち上がった。そして、私たちに向けて、すっと手を伸ばした。
「行こうか」
差し出された手。
それは、私たちを叩く大人たちの手とは違う。私たちを傷つけない、強くて温かい手。
私と美々子は顔を見合わせて、ゆっくりと、その手を取った。
蔵の外に出ると、日の光が眩しかった。温かかった。風が吹いて、土の匂いがして、遠くで鳥の声がした。こんなに世界は音でできていたのかと、ぼんやりとそんなことを思った。
地面には大人たちが白い鎖に巻かれて転がっているけれど、瀬那さんは「見なくていい」と言ったから、私たちはただ、繋いだその手だけを見つめて歩き出した。
やっと次回から高専入学です!
すみません。ちょっと急いで書いたので、あとで変えるかもしれません。
それと私事ですが、1週間ぐらい予約投稿のみで改稿等できません。ごめんなさい。