「どこまで続くのよ、この廊下……! 足跡とか壁の印も残したのに、一つも見当たらないじゃない!」
歌姫さんがうんざりした声を上げた。もうかれこれ30分は歩いているが、いまだに最奥にたどり着く気配はない。薄暗く、見覚えのある廊下が延々と続いている。
「ざっと15kmくらいは移動したかな。なかなかに厄介な結界だね」
冥冥さんが淡々と告げた。
ここは静岡県某所の洋館。
行方不明者が多発しているという情報を受けて、私と冥冥さん、歌姫さんが調査として派遣されていた。外観は瀟洒なヴィクトリア様式だったが、一歩中に入れば、そこはすでに呪霊の領域内だった。
「残したはずの印がないとなると、ループ構造ではなく、ツギハギ型ですかね」
私がそう呟くと、冥冥さんもそれに頷く。
「そうだね。既存の真っ直ぐな廊下の空間を切り取って、私たちの移動に伴って前後に無限に張り合わせている……それがこの結界の正体だろう」
「ちょっと待ってよ! じゃあこの結界、どうやったら出られるの!? やみくもに走っても出口がないってことじゃない!」
歌姫さんが頭を抱える。
その横で冥冥さんが壁に手を当てた。ぐにゃり、と手が沈む。壁の表面は一見硬質な石造りだが、触ると粘土のように柔らかい。
おそらく呪力で構成されていて、そう易々と壊せそうにはない。
「この結界を出る方法は二つ」
冥冥さんが壁から手を引き抜きながら言った。
「一つはこの結界を作り出している呪霊を倒すこと。もう一つは、この結界の構造自体を破綻させること」
それを聞いて、歌姫さんが顎に手を当てて考え込んだ。この人は普段こそ悟たちにいいようにからかわれているけれど、頭の回転は速い。
「一つ目は、この空間のどこかに隠れている呪霊をあぶりだすのは現実的じゃないし、そもそも結界自体が外側から維持されている可能性もある。となると……空間が作成される以上のスピードで動いて、構造を破綻させれば!」
歌姫さんの言葉に、冥冥さんが艶やかな笑みを浮かべた。
「結界は壊れるだろうね」
「それじゃあ早速走りましょう!」
そう言う歌姫さんに冥冥さんが待ったをかける。
「どうせなら一方向じゃなく、両方に同時に走ったほうがいい。結界の構成は一方向を想定しているだろうからね。私がこちら側にいくから、二人には向こう側を任せていいかな?」
二手に分かれて同時に逆方向へ走れば、結界の構成能力を二方向に分散させられる。合理的な判断だ。
「分かりました。僕と歌姫さんでこっちを──」
頷きかけて、ふと別の考えが頭をよぎった。
「あ、でも冥冥さん。この結界を壊す選択肢なら、もう一つありますよ」
「ほう? それはどんな?」
冥冥さんが目を細めて尋ねた。
「僕が内側から、空間ごとブチ壊す択です」
「は……? 空間ごとって、あんた、まさか」
歌姫さんが息を呑む。
「
冥冥さんが一瞬だけ目を見開いた。すぐに元の涼しい顔に戻ったが、口元にかすかな笑みが浮かんでいた。
「君が、その
「駄目よ!!」
遮ったのは歌姫さんだった。
「今回は調査任務でしょ? 帳を降ろしてないのよ。こんな人目につく場所で領域展開なんてしたら、周辺への影響が大きすぎる」
「あ……そっか」
忘れていたが、確かにそうだ。領域展開ともなれば、術式の余波は相当な範囲に及ぶ。帳のない状態でそれをやれば、非術師には見えないにしても、建物の倒壊や地形の変動といった物理的被害は隠しようがない。
どうやら高専に入学してからの二年間、悟たちと任務を共にしていたことで、私のそのあたりの感覚が壊れていたらしい。
悟たちと任務に行くとだいたい、あたり一帯が跡形も残らないからな……。
「じゃあ冥冥さんの案で──」
と、言いかけたその瞬間だった。
ズドドドドォォォォォンッ!!!
頭上の天井が、凄まじい轟音と共に木端微塵に吹き飛んだ。
洋館の結界が外側からの物理的な破壊によってガラスのように砕け散る。粉塵が舞い、木片と石膏が雨のように降り注ぐ。
私は咄嗟に塩の壁を展開して歌姫さんを庇った。
もうもうと舞う粉塵の向こう、ぽっかりと開いた天井の穴から、春の青空が覗いている。
そして、その穴の縁に、見慣れた白い髪がひょっこりと現れた。
「助けにきたよ〜〜」
軽い調子で、五条悟が楽しそうに笑っていた。
悟は瓦礫の山を飛び降りながら、ひらひらと手を振った。その後ろから、傑がやれやれという顔で続く。
「歌姫」
悟がサングラスを持ち上げて、にやにやとこちらを見た。
「泣いてる?」
「泣いてねぇよ!! 敬語!!」
歌姫さんの怒声が、崩壊した洋館に木霊した。目元に薄っすらと浮かんだ涙を乱暴に拭いながら、悟を睨みつけている。
「泣いたら慰めてくれるかな? ぜひお願いしたいね」
冥冥さんが粉塵の中を悠然と歩いてきた。冥冥さんなら庇わなくとも大丈夫だろうと思っていたが、やはり無傷なようだ。
「冥さんは泣かないでしょ? 強いもん」
「五条!! 私はね!! 助けなんて──」
歌姫さんが何か言いかけたときだった。
ドゴォンッ!
歌姫さんの背後──崩壊した壁の隙間から、巨大な呪霊が飛び出した。結界を維持していた本体だろう。住処を壊された怒りか、歪んだ口を大きく開いて歌姫さんに襲いかかる。
反射的に体が動いた。塩の刃を生成し、踏み込もうとした──が。
私の一歩目より速く、傑が使役する呪霊が飛び出し、敵の呪霊をバクリと丸呑みにした。
「飲み込むなよ、後で取り込む」
傑が呟いた。
傑の呪霊の口の中で、もがく呪霊がくぐもった悲鳴を上げている。
「歌姫センパ〜イ、無事ですか〜〜?」
「硝子!!」
歌姫さんが声を上げた。悟たちの後ろから硝子がひょっこりと顔を出す。
「心配したんですよ、ずっと連絡繋がらなかったから」
「硝子!! アイツらみたいになっちゃ駄目よ!!」
そう言って強くハグする歌姫さん。
硝子は「あはは、なりませんよあんなクズ共」と苦笑している。
「え゛!? そのあいつらに、僕も入ってます!?」
「当たり前でしょう!? すぐに力技で解決しようとする脳筋!!」
「そんなぁ」
めそめそと泣く真似をしてみせる。心外だ。私はちゃんと歌姫さんの言うことを聞いて、領域展開を自重したのに。力技でぶち壊したのは隣でケラケラ笑っているこの白髪だろうに。
「あはは! 言われてやんの!」
悟が腹を抱えて笑っていた。
「お前が! 一番! だめだからな!!」
歌姫さんが声を荒げた。まったくその通りである。
「それにしても」
傑が穏やかな口調で切り出した。
「冥冥さんと瀬那がいたのに、脱出に二日もかかるなんて。何かあったのかい?」
「……二日?」
私たちの体感ではまだ半日程度だったのに、外では二日が経っていたのか。結界の中で時間の流れまで歪められていたらしい。
──それにしても、傑。今のさらっと歌姫さんを頭数から外さなかったか?
歌姫さん本人も気づいたらしく、鬼の形相で傑を睨んでいる。
「ちょっと夏油!! 今の言い方だと、私は戦力に入ってないみたいに聞こえるんだけど!!」
「あ」
傑がパチリと目を瞬いた。どうやら、意地悪でもなく素で数に入れていなかったらしい。
「いや、そういうつもりでは」
「どういうつもりよ!」
二人がわちゃわちゃとけんかする横で、冥冥さんがポツリと言った。
「それはそうと君達、"
「「「え……?」」」
崩壊した洋館の向こうで、けたたましいパトカーのサイレンが鳴り始めた。
……帳を降ろしていない洋館を、天井ごとぶち壊したのだ。そりゃ通報もされる。
「……とりあえず、撤収しようか」
私は盛大なため息と共に、引き攣った笑いを浮かべた。