呪術廻戦の世界でMobが頑張る話   作:不知火りん

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These violent delights have violent ends.
And in their triumph die, like fire and powder, Which as they kiss consume.
(この激しい喜びには、激しい終わりがある。火と火薬が口づけをして弾け飛ぶように、その絶頂において死ぬのだ。)

──W. シェイクスピア『ロミオとジュリエット』より






第21話 乖離

 私たちは、沖縄を満喫し、無事東京へと戻ってきていた。

 

 時刻は夕刻。とっくに天内理子の懸賞金は取り下げられ、私たちは、蝉の鳴き声がうだるような暑さを引き立てる中、高専へと続く石段を上っていた。

 

「ほーら見ろ。結局何も起きなかったじゃん」

 

 悟が両手を頭の後ろで組みながら、呆れたように言った。

 

「瀬那の奴、ずっと『一番僕たちが油断する瞬間を狙ってる』とかカリカリしてたけど、完全に予想外れだな〜」

「……まぁ、何もなかったならそれに越したことはないけどさ」

 

 私は少しだけむっとしながら言い返した。

 

 確かに、私の予想は外れた。伏黒甚爾ならば、私たちが気を抜いた瞬間に奇襲を仕掛けてくると警戒し、神経を尖らせていたが、沖縄からここに至るまで、全くと言っていいほど襲撃の気配さえもなかったのだ。

 

──プルルルル、プルルルル。

 

 その時、傑の携帯電話が、無機質な着信音を鳴らした。

 

「夜蛾先生からだ。……はい、夏油です。今、高専の結界に──」

 

 電話に出た傑の顔から、一瞬にしてスッと血の気が引いていくのがわかった。

 

「……本当ですか? はい……はい、了解しました。理子ちゃんは必ず」

 

 通話を切った傑は、かつてないほど険しい顔で私と悟を見た。

 

「傑? どうしたんだよ」

 

 悟が怪訝そうに尋ねる。

 

「……高専の地下にある『忌庫(きこ)』が襲撃されたそうだ」

「は……?」

「私たちが沖縄にいる間の出来事らしい。結界が破られ、内部は滅茶苦茶に破壊されている。現在、上層部が総出で被害の把握に努めているが……被害は甚大で、大量の呪物が盗み出された状態だそうだ」

 

 傑の言葉に、心臓が嫌な音を立てて跳ねた。

 

「まさか……僕たちを遠い沖縄に行かせたのは、高専から戦力を遠ざけるためだったってこと?」

 

 私が思わず口にすると、悟も険しい顔で舌打ちをした。

 

「チッ……空き巣狙いかよ。ふざけやがって」

 

 私は内心、激しい混乱に陥っていた。

 

 おかしい。若様の日記に、こんな事件は書かれていなかった。沖縄はただの遅延行為であり、伏黒甚爾の狙いはあくまで五条悟と星漿体のはずだ。

 

 それが、忌庫の襲撃? 大量の呪物の盗難?

 

 若様の日記の未来と完全に違っている。私の知っている歴史から、決定的に何かがズレ始めている。

 

 背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。

 

「……おい、瀬那。顔色悪いぞ」

 

 不意に、悟が横から顔を覗き込んできた。いつものおちゃらけた雰囲気は消え、本当に心配そうに私を見ている。

 

「あ、いや……ただ、嫌な予感がして。こんなタイミングで高専が襲撃されるなんて、絶対におかしい……何か、僕たちの見えないところで、取り返しのつかないことが起きている気がして……」

「だとしても、今ここで私たちが立ち止まったところで、起きてしまった事態はどうすることもできない」

 

 傑が冷静な声で、私の焦りを宥めるように言った。

 

「忌庫の件は、夜蛾先生や上層部が動いている。私たちが今ここで立ち止まっても意味がない。まずは薨星宮の最下層へ急ごう」

「……ま、傑の言う通りだな。ここで俺たちがウジウジ悩んでもしょーがねーし」

 

 悟が不敵に笑って前を向く。

 

「さっさと天内を送り届けて、後でその空き巣野郎を全員ボコボコにしに行くぞ。ほら、顔上げろ瀬那」

 

 二人のいつもと変わらない頼もしい姿に、少しだけ呼吸が整う。

 

 そうだ。一人で抱え込む必要はない。今はとにかく、目の前の任務を果たそう。

 

 そう思い直し、私たちは長い石段を上り切った。

 

 まさにその時だった。

 

「……ッ!」

 

 むわっとした夏の熱気に混じって、生臭い鉄の匂いが鼻を突いた。

 

 正門の前に倒れ伏しているのは、結界の警備に当たっていたはずの高専の術師や補助監督たちだった。皆、急所を的確に突かれたのか、通報する間すら与えられずに意識を刈り取られ、無残に石畳へ転がっている。

 

 そして、その凄惨な光景の中央。

 

 高専結界の入り口を完全に塞ぐように、二つの人影が隠れるそぶりすらなく、堂々と待ち構えていた。

 

「随分と遅かったじゃねぇか」

 

 倒れた術師の一人を足蹴にしながらニヤリと笑ったのは、口元に傷のある、筋骨隆々の男──伏黒甚爾。

 

 そしてもう一人。甚爾の隣に立ち、血だまりを避けるように静かに佇むおかっぱ頭の小柄な人物を見て、私は自分の目を疑った。

 七條袈裟に身を包み、夏の茹だるような熱気をものともせず、冷たい氷のような瞳でこちらを見下ろしている。

 

「……裏梅」

 

 声が震えた。

 

 伏黒甚爾がいるのは想定内だ。だが、なぜそいつがここにいる?

 

 裏梅。

 

 千年前から生きる、宿儺の腹心であり、極めて強力な氷凝呪法(ひこりじゅほう)の使い手。

 若様の日記によれば、現代に受肉して暗躍するのはもっと先のはずだ。2006年のこの場に、しかも伏黒甚爾と並んで現れるなど、絶対にあり得ない。

 

「……おいおい」

 

 悟がサングラスを少し下げ、蒼い瞳を向けた。

 

 空気を震わせるほどの重圧と、刃のように研ぎ澄まされた純粋な殺気がその場を支配する。

 

「ウチの敷地を派手に散らかしてくれたもんだな。その上、正面から堂々とお出迎えとは……ずいぶん舐め腐ったマネしてくれるじゃねーか」

 

 しかし、甚爾は足元の血だまりを気に留める様子もなくニヤリと笑った。

 

「勘違いすんな。俺だってコソコソやる方が性に合ってんだよ。だが、雇い主の意向でな。柄にもなく、こんな奴と正面から堂々と出向く羽目になったってわけだ」

「雇い主……?」

 

 私が問い返すと、裏梅は忌々しげに冷たく鼻を鳴らした。

 

「ペラペラと喋るな、阿呆が。……私としても、貴様のような輩と組むなど、本意ではない。だが、これが、あの方を復活させる最短ルートである以上、仕方なく手を貸しているに過ぎん」

 

 あの方──つまりは、宿儺の復活。そのために、忌庫を襲ったということだろうか? 確かに、あそこには宿儺の指がいくつか封印されている。それであれば納得だ。

 

 だがなぜ今なのか。

 

 疑問が膨らむ。若様の日記の記述とは何もかもずれている。

 

「……傑」

 

 悟が、サングラスを外してポケットにねじ込んだ。剥き出しになった六眼(りくがん)が、目前の二人を冷徹に捉えている。

 

「お前は天内と黒井さんを連れて先に行け。ここは俺と瀬那で食い止める」

「だが……」

 

 傑が苦い顔で反論しようとしたが、悟はそれを手で制した。

 

「状況を考えろ。天内は、ここにいる方が危険だ。忌庫がやられたってことは、学園内の警備はズタズタ。天内がどうするにしろ、守るなら薨星宮の地下しかないし、そこに行くには護衛が必要だ。……それに」

 

 悟は、隣に立つ私に一瞬だけ視線を向け、不敵に笑った。

 

瀬那(こいつ)と俺が負けるわけない、だろ?」

 

 その言葉に、胸の奥が熱くなる。

 

 私はニッと笑って深く頷いた。

 

「……分かった。二人とも、油断するなよ」

 

 傑は理子と黒井の肩を叩き、二人を促して回り道から高専の奥へと駆け出した。

 

 私は、遠ざかっていく親友の頼もしい背中を横目で見送る。

 

 傑には、沖縄へ向かう前や道中など、隙を見ては何度も口酸っぱく伝えてある。あの伏黒甚爾には呪力が一切ないこと。だから絶対に感覚を過信せず、一番深い扉の前に着くまで警戒を解くな、と。

 私が持っている未来の知識……その手札は、もう全て切っている。あとは、傑を信じるだけだ。

 

 甚爾がわずかに重心を移動させ、逃げる背を追おうとする。

 

「おっと、そっちは通行止めだぜ」

 

 悟が指先を向けた瞬間、凄まじい呪力が弾け、甚爾の足を止めた。

 甚爾はチッと舌打ちし、肩にかけた呪霊から巨大な刀を引き抜く。

 

「……あーあ。結局こうなるか。俺はこういう仕事は嫌いなんだがな」

 

 一方の裏梅は、私だけを見ていた。白く細い指先が、ゆっくりとこちらへ向けられる。

 

 ぞわり、と肌が粟立つ。

 

 足元の石畳に白い霜が走り、私の吐く息が白く染まった。夏の熱気が嘘のように消え失せ、骨まで届くような冷気が肌を刺してくる。

 

「奇遇だな。私も、このような三下どもとの退屈な戯れは好かん。……さっさと凍らせて終わらせるとしよう」

 

 一瞬にして周囲の気温が氷点下まで下がり、私の足元の石畳が白く凍りつく。

 

「……瀬那」

 

 悟が、低く囁いた。

 

「あの術師殺しは俺がやる。お前はあのおかっぱを頼めるか?」

 

 前を向いたまま静かに告げる悟。

 

 分かっている。頭では分かっている。

 

 この世界は若様の日記にある原作とは違う。

 

 しかし、頭の中で、日記の文字が繰り返し滲んだ。五条悟の敗北。それが日記の結末だ。

 

 その不安がどうしても拭いきれず、気がついたら、私は口を開いていた。

 

「……悟。本当に一人でやれるのか?」

「は?」

 

 悟が一瞬だけ振り向いた。呆れと、わずかな驚きが混じった顔をしている。

 

「俺を誰だと思ってんだ。当たり前だろ」

「そうだけど!」

 

 言葉が出てこない。「私はお前が負ける未来を知っている」とも、言えるはずがない。

 

「……あの男の本命は『天逆鉾(あまのさかほこ)』だ。無下限を強制解除するための特級呪具。絶対に、ここぞという場面で使ってくる。どんなに優勢でも、絶対に隙を見せるな」

 

 私の念押しに、悟は「はいはい」と気の抜けた息を吐いた。

 

「分かってるっての。もう何度も言われて、耳タコだよ」

 

 悟は首をコキリと鳴らし、挑発的な視線を甚爾に向けたまま言葉を続ける。

 

「お前の方こそ、そっちのおかっぱ野郎にやられんなよ? さっさとこっちの筋肉ダルマを片付けて、助けに行ってやるからな」

 

 その軽口に、張り詰めていた私の肩の力が少しだけ抜けた。

 

「……言ったな。遅れたら承知しないからね」

「おう、任せとけ」

 

 悟は狂気すら孕んだ笑顔で甚爾を見据え、私は冷気を纏う裏梅へと構えを取った。

 

 昼の熱気を重く残す夏の夕暮れに、肌を刺すような氷の呪力が吹き荒れる。

 

 沖縄でのあの穏やかで、激しい喜びの時間はもう完全に終わってしまったのだ。

 

 ここから始まるのは、お互いの命を削り合う、ただ残酷で理不尽な死闘だけだった。

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