呪術廻戦の世界でMobが頑張る話   作:不知火りん

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それでは、第22話です。












第22話 氷塩

 開戦の合図などなかった。

 ただ一瞬の静寂の後、高専の正門前は、もはや人間の戦場ではなくなっていた。

 

「オラオラァ! 逃げてばっかじゃつまんねーぞ、術師殺し!」

 

 視界の端、数十メートル離れた場所で、巨大な建造物の残骸が宙を舞っていた。

 

 悟だ。彼が順転を最大出力で解放し、参道の石段や周囲の巨木を根こそぎ引き剥がしては、伏黒甚爾へと容赦なく叩きつけている。

 対する伏黒甚爾も常軌を逸していた。自分に向かって落下してくる数トン級の瓦礫を、呪具の刀と人間離れした脚力で次々と粉砕し、爆発的なスピードで宙を駆け回っている。

 

 轟音と衝撃波が絶え間なく押し寄せ、大地が悲鳴を上げている。まさに大怪獣バトルだ。

 

 だが、私にはそれに気を取られている暇は、一秒たりともなかった。

 

「よそ見をする余裕があるのか、三下」

 

 底冷えする声と共に、裏梅が大きく息を吸い込むような動作を見せた。

 その直後、莫大な呪力が極寒の冷気へと変換される。

 

氷凝呪法──霜凪(しもなぎ)

 

 裏梅の口から吐き出された極低温の吹雪が、放射状に広がりながら眼前の空間すべてを真っ白に染め上げた。

 触れるもの全てを一瞬にして絶対零度の氷像へと変える、凶悪な広範囲凍結技。それが津波のような猛スピードで私へと迫る。

 

「っと……!」

 

 私は落ち着いて術式を展開し、自身の周囲を覆うように分厚い塩の盾をドーム状に展開した。

 

ガギギギギギッ!!!

 

 猛烈な吹雪が塩の盾に直撃し、鼓膜を破るような凍結音が響き渡る。ドームの表面が瞬く間に凍りつき、ピキピキと亀裂が走るが、塩の壁は絶対零度の冷気を完全に遮断し、私への直撃を防ぎきった。

 

「……チッ」

 

 吹き荒れる霜凪が止んだ直後、裏梅が忌々しげに舌打ちをした。

 広範囲を一網打尽にするはずの技を、物理障壁で凌がれたことが気に障ったらしい。

 

「小賢しい防御だ。ならば……!」

 

 裏梅の冷酷な瞳が細められ、さらに凶悪な呪力が立ち上る。

 

 次の瞬間、裏梅の背後から、文字通り氷の山脈が隆起した。

 

 高専の正門ごと私たちを飲み込まんとするほどの、規格外の氷の津波。それが轟音を立てて、空を覆い隠すように迫り来る。

 

 広範囲の凍結が防がれたなら、圧倒的な質量で押し潰すというのか。

 

「それなら、こっちもッ!」

 

 足元の石畳、土壌、そのさらに地中深くまで呪力を浸透させ、ありったけの塩分を強制抽出する。

 

「くっ……」

 

 しかし、足りない。

 

 眼前に迫るあの巨大な氷の山脈を相殺するには、土中からかき集めた程度の塩の質量では圧倒的に不足していた。

 

 ならば、自分自身の呪力を変換して塩そのものを無から生成する。その行為は、莫大な呪力を消費するが致し方ない

 

 私は深く息を吐き、全身の呪力を一気に練り上げた。

 

顕現(けんげん)しろっ!!」

 

 大地を割り、純白の奔流が天に向かって噴き上がった。莫大な量の塩の結晶が渦を巻き、かつて特級呪霊を屠った時とは比べ物にならないほど巨大な塩の龍となって現れる。

 

 白銀の氷の山脈と、純白の塩の龍。

 

 互いの視界を埋め尽くすほどの規格外の質量が、高専の参道で真っ向から激突した。

 

ドゴォォォォォォォォォォンッ!!!!

 

 激突の瞬間、周囲の空気が弾け飛び、凄まじい衝撃波が駆け抜けた。

 

 氷の山脈が、純白の塩の龍をその圧倒的な質量で押し潰そうと雪崩れ込む。

 しかし、塩の龍は砕け散るどころか、その巨大な顎を開いて氷の山脈に喰らいついた。

 

 ミシミシ、メキメキと、耳をつんざくような大質量の軋轢音が響き渡る。

 

 裏梅が冷たい指先を振るうと、氷の山脈から無数の巨大な氷槍が枝分かれし、龍の胴体を串刺しにしようと襲いかかった。対する私は、燃え盛るように消費されていく呪力に耐えながら、さらに塩の柱を何十本も隆起させて迎撃する。

 

 氷が塩を砕き、塩が氷を抉る。大質量同士が悲鳴のような音を立てて削り合い、舞い散る氷と塩の結晶が猛吹雪のように視界を白く染め上げる。余波の衝撃波だけで、周囲の木々が根こそぎ吹き飛ばされていった。

 

 地図すら変えかねない戦いは、一歩も譲らない凄まじい拮抗を見せていた。

 

 しかし、その激しい攻防のさなか。裏梅の涼しげな顔に、わずかな違和感が走る。

 

 何かがおかしい。彼の目が、激突の境界面を捉えた。

 

 自分の氷が相手の白竜を押し潰し、そのまま凍らせて飲み込むはずだった。しかし、氷が塩に触れた端から、不自然に崩れ落ちている。破壊されているのではない。ドロドロに溶けているのだ。

 

 裏梅は顔色一つ変えず、再凍結させようと氷凝呪法の出力を上げた。

 

 だが、凍らない。

 

 普段なら一息で氷河を形作るほどの呪力を注ぎ込んでいるにも関わらず、眼前の巨大な白龍に変化はない。再凍結を試みれば試みるほど、底の抜けた器のように莫大な呪力だけが空回りして失われていく。

 

 そのカラクリを見破った裏梅が、冷ややかな殺気をもってこちらを睨み据えた。

 

「っ、貴様!」

「気付いた?」

 

 巨大な塩の龍を操りながら、私はニヤリと笑みを浮かべた。

 

「『凝固点降下』。氷にたくさん塩を混ぜると、水は0度では凍らなくなって、マイナス20度くらいまで凍る温度が下がる。今でも雪の日に道路に塩化カルシウムを撒くのは、これと同じ仕組みだよ。平安時代の術師様には、ちょっと馴染みのない話だったかな?」

「……小賢しい真似をッ!」

 

 裏梅の顔に、明確な怒りが浮かんだ。

 

「ならば、その理屈が追いつかぬほどの絶対零度へと沈めるまで」

 

 裏梅の全身から、先ほどまでの比ではない、凶悪な呪力が立ち上り始めた。

 凝固点降下の限界であるマイナス21度。それを、呪力消費を無視した暴力的な出力で強引に突破しようというのだ。

 

 先ほどの『霜凪(しもなぎ)』すら生ぬるく感じるほどの、空気を丸ごと凍らせる極低温の吹雪が牙を剥く。

 純白の塩の龍が、今度は溶ける間もなく芯から凍りついていく。

 

「くっ……!」

 

 私はさらに呪力を練り上げ、塩を生成して対抗しようとする。しかし、体内の呪力が急速に減っていくのを感じた。

 

 環境からの抽出ではなく、自らの呪力を変換して塩そのものを「無から生成する」行為は、恐ろしく燃費が悪い。これほどの大質量を維持し続ければ、裏梅の莫大な呪力に押し切られる前に、私自身の呪力が完全に枯渇してしまう。

 

 視線の先では、裏梅もまた無から巨大な氷を生成し続けていた。

 凝固点降下というデバフを強いている以上、術式の相性から言えば、あちらの方が遥かに莫大な呪力を浪費しているはずなのだ。

 

 それなのに、裏梅の涼しげな顔には疲労の色一つない。息さえ乱していない。

 

 相性の有利など、暴力的なまでの呪力総量と出力の差で強引にねじ伏せられている。

 

「ここまで、差があるとは……!」

 

 私は、即座に塩の生成を放棄し、自らの肉体を覆うように薄く高密度の領域──『領域展延(りょういきてんえん)』を展開した。

 

 防御の要であった巨大な塩の龍が完全に凍りつき、砕け散る。

 

 その隙に凍傷で壊れていく自らの肉体を反転術式(はんてんじゅつしき)で無理やり修復しながら、猛吹雪の中を正面から駆け出した。

 

「狂人がっ……自ら肉体を壊しながら突っ込んでくるか」

 

 私は極寒の嵐を正面から突っ切り、裏梅の懐へと肉薄した。

 

 無数の氷柱が急所を狙って射出されるが、展延を纏った両腕で強引に弾き落とす。そのまま踏み込み、裏梅の顔面を狙って右拳を全力で振り抜いた。

 

「ふんっ、単純だな」

 

 だが、裏梅は表情一つ変えず、僅かに首を傾げてその一撃を躱す。すかさず私の腕を滑るように掴み取り、がら空きになった私の鳩尾へ向かって、鋭く重い膝蹴りを放ってきた。

 咄嗟に左腕を差し込んでガードするが、ミシミシと骨が軋むほどの衝撃に息が詰まる。

 

 しかし、今度はその蹴りの威力を利用し、腕を振り解きながら後方へ高く跳び退いた。

 

 空中で体勢を立て直し、重力に従って落下しながら展延を解く。両手へ一気に呪力を集中させ、着地した瞬間に、その両掌を足元の石畳へと力強く叩きつけた。

 

術式反転──黄泉戸喫(よもつへっつい)! 

 

 突き立てた両手の先から、裏梅の足元へと続く周囲一帯の石畳が、不気味な溶解音を立てて崩れ落ちた。

 触れた端からドス黒く濁り、全てを腐敗させ、泥へと変える強酸の毒沼。それが瞬く間に広がり、裏梅の足元を奪う。

 

「面倒なっ……!」

 

 足場が崩れ、わずかに体勢を崩した裏梅の隙を突き、私は圧縮した塩の刃を両手に形成して、再び飛び込んだ。

 

 右手の刃で袈裟斬りに薙ぎ払う。裏梅は瞬時に生み出した氷の短剣でそれを受け流すが、強烈な踏み込みの衝撃を殺しきれず、その両足が泥沼へと深く沈み込んだ。

 

「ぐッ……」

 

 着物の裾が溶け落ち、白い肌が爛れていく。強酸が肉を腐らせる激痛に、裏梅の端正な顔が微かに歪んだ。

 

 これ以上の近接戦は不利と悟ったのか、裏梅は泥から足を強引に引き抜くと、軽やかに後方へと跳び退いて距離を取った。

 

「ならば、この沼ごと凍らせるまでだ」

 

 毒沼という最悪の足場。それすらも、圧倒的な呪力出力による『氷凝呪法』で丸ごと凍結させてしまえば、腐敗の効果ごと封じ込めることができる。

 裏梅はそう判断したのだろう。

 

 ピキピキと音を立てて、ドス黒い毒沼の表面が急速に凍りつき、分厚い氷の層へと変わっていく。

 

 裏梅はその氷を足場にし、体勢を立て直して反撃の構えをとった。

 

 氷の上に降り立った彼が、私へ向けて一歩踏み込もうとした、その瞬間。

 

──ズブッ。

 

 ただ氷が砕けるのとは違う、異様な音が響いた。

 

 裏梅が踏み込んだ足元の氷が、内側からドス黒く変色し、まるでひどく脆い泥の塊のように崩れ落ちたのだ。

 

「なっ……!?」

 

 完全に足場を失い、強酸の泥に両足を深く飲み込まれた裏梅が、信じられないものを見るように目を見開いた。

 

 私は、賭けに勝った安堵を噛み殺しながら、口角を吊り上げる。

 

「……残念だったね。僕の術式『黄泉戸喫(よもつへっつい)』の毒沼は、どんなものでも例外なく腐らせる。呪力で編まれた氷がどうなるかは正直賭けだったけど、どうやら僕の勝ちのようだ」

 

 強酸の泥に足を取られ、膝まで沈み込んだ裏梅へ向け、塩の刃を構えて一気に踏み込んだ。

 

 足裏が沼に触れる瞬間、順転の塩の結晶を瞬時に生成し、即席の足場としてり飛ばす。生成と消滅を繰り返しながら、底なしの毒沼を疾走する。

 

 私が余裕の笑みを浮かべて見せたのは、半分はただの強がりだった。

 

 本当のところ、内心ではホッと胸を撫で下ろしている。この『黄泉戸喫(よもつへっつい)』の毒沼は、無機物であろうと、呪力で編まれた氷であろうと、ついでに言えば私が生成した塩でさえも、時間が経てば例外なく腐らせて泥に変えてしまう。

 だから私は、こうして足裏に一瞬だけ塩を生成し、腐る前に蹴り飛ばすという綱渡りの移動しかできない。もし裏梅の氷が腐らずに広範囲の足場として固定されていたら、機動力を奪われて圧倒的に不利になるのは私の方だった。

 

 足場を失い、毒沼の腐敗に肉を焼かれながら、裏梅は反転術式を回して迎撃の態勢をとった。

 

 私はその不自由な隙を突き、上下左右から波状攻撃を仕掛けていく。

 足場がない裏梅の動きは明らかに精彩を欠いていた。私の振るう塩の刃が、裏梅の肩口を浅く切り裂く。

 

「三下がっ……!」

 

 裏梅が苦々しい表情で後退する。だが、その冷たい瞳は、私の足元──毒沼の上を跳ねるように移動する私のステップを鋭く観察していた。

 

「……なるほど。広範囲を固定するのが無駄なら、貴様と同じようにすればいいというわけか」

 

 裏梅の呟きと同時。

 

 ずぶずぶと沈みかけていた裏梅の体が、ふっと泥の上へ浮き上がった。

 広範囲を凍結させるのをやめ、自分が足を踏み出す『足の裏と毒沼が接するごくわずかな表面』だけを、移動する瞬間にのみ瞬間凍結させたのだ。

 

 腐敗が氷を侵食するよりも早く、氷の足場を作っては蹴り、作っては蹴る。

 裏梅は私の戦法を瞬時に模倣し、水面を高速で移動し始めた。

 

 互いに最悪の環境下で、極限の機動力を要求される足場の奪い合い。

 

 だが、この戦い方なら私に一日の長がある。

 私は日頃から空中に塩の足場を生成し、立体的に立ち回る訓練を積んできた。対して裏梅は、今この場で思いつき、泥縄式に合わせているに過ぎない。

 

 私は高速で塩の足場を展開しながら、縦横無尽に裏梅へと斬りかかった。

 

 塩の刃を上段から振り下ろし、躱された隙を突いて死角から下段への蹴りを放つ。裏梅はそれを氷の盾で弾くが、足場の生成に呪力操作を割いているためか、反応がわずかに遅れている。

 その隙を逃さず、顔面へ向けて鋭い掌底を打ち込む。裏梅は首を逸らして躱すが、そのまま空いた胴体へ至近距離から塩の散弾を撃ち出した。

 

 塩の弾丸が裏梅の着物を抉り、反撃の蹴りを塩の盾で弾き返す。

 

 徐々に、私が押し始めていた。いける。このまま削り切れる。

 

 そう思ったのも束の間だった。

 

「……調子に乗るなよ、三下が」

 

 裏梅の目が、氷のように冷たく細められた。

 

 何度か拳を交わすうち、裏梅の動きが目に見えて変わっていく。

 

 私の不規則な足場の展開速度、塩の刃のリーチ、毒沼の腐敗の速度、そして私の体術の癖。それらを瞬く間に学習し、完全に予測の範疇に収めていく。

 

 私の会心の剣閃を、裏梅は最小限の動きで紙一重で躱す。

 

 そして、私が次に生成するであろう塩の足場の位置に、先回りして鋭い氷柱を打ち込んできた。

 

 凄まじいまでの戦闘IQ。これが呪術全盛時代の術師。

 

 私は悟との戦闘を思い出し、思わず歯噛みする。こちらの動きを完全に読み切り、最適解で先回りして潰してくるあの理不尽な感覚とよく似ている。

 

 私の放った必殺の回し蹴りを、裏梅は屈んで躱し、そのまま軸足を刈り取ろうと低い姿勢から氷の刃を振り抜いてきた。

 私は咄嗟に空中に塩の足場を生成して跳躍し、難を逃れようとする。だが、裏梅はそれすらも読んでいた。

 次に着地するであろう空中の塩の足場の位置に、先回りして無数の氷塊を散弾のように撃ち込んできたのだ。

 

「しまっ……!」

 

 足場を砕かれ、空中で体勢を崩したところに、裏梅の重い回し蹴りが背中を強打する。肺から空気が弾き出され、沼に落ちまいと無理な体勢で着地した直後、今度は流れるような連撃が私を襲った。

 

 氷の刃が私の腕を斬り裂き、掌底が顎を跳ね上げ、腹部をえぐるような重い膝蹴りが突き刺さる。

 

「がはっ……!」

 

 血を吐きながら咄嗟に塩の盾を展開するが、それすらも容易く粉砕され、全身に無数の切り傷と打撲が刻まれていく。

 

 体術のキレ、呪力操作の精密さ、そして何より、戦闘における圧倒的な経験値の差。

 平安という呪術全盛の時代を生き抜いた歴戦の術師の底力が、ここに来て明確に現れ始めていた。

 

 打撃を受けるたびに反転術式で治癒を回すが、ダメージの蓄積と呪力の消費が、私の気力をガリガリと削っていく。

 

 呼吸が乱れる。視界が明滅する。

 

 完全に、圧倒されている。

 

 強い。これが、千年前のバケモノ。

 

 このまま近接戦を続ければ、間違いなく私が先に限界を迎える。悟が伏黒甚爾を倒すまでもなく、理子ちゃんと傑があの地下に辿り着くまでもなく、ここで無惨に命を散らすことになる。

 

 限界まで追い詰められた思考の中で、私は一つの決断を下した。

 

 出し惜しみをしている余裕は、もうない。

 

 私は残された全ての呪力を引きずり出し、胸の前で両手を合わせた。

 

 指を内側に深く交差させて組み、人差し指の先端だけを立てて合わせる。

 

 そして、血まみれの口元から、その言葉を紡いだ。

 

領域展開(りょういきてんかい)ッッ!! 

 

寂静塩土(じゃくじょうえんど)












余談ですが、寂静塩土(じゃくじょうえんど)の掌印は水天印です。
水天様は水や龍の神様で、他にもいろいろと小依や塩清操術(えんせいそうじゅつ)と共通点があり、初めて見つけたときはこんなにもちょうどいい掌印があるのかと驚きました。
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