呪術廻戦の世界でMobが頑張る話   作:不知火りん

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第27話 意味

 薄暗く、カビ臭い匂いが重く充満する総監部の最奥。

 御簾の向こう側に揺らめく影──呪術界の重鎮たちに向かって、五条悟の怒声が叩きつけられた。

 

「はぁ!? んなこと認められるわけねぇだろ!!」

「口を慎め、五条悟。これは決定だ。覆すことはできん」

 

 御簾の奥から返ってくるのは、血の通っていない、冷酷で乾いた老人の声だった。

 

「ふざけんなよ!! 瀬那は俺たちと一緒に星漿体を護衛してたんだぞ! この事件の犯人は瀬那じゃなく、別の──」

「くどい。現場に残されていた術式の残滓、結界の痕跡。何より、彼は今、姿をくらましている。汐宮瀬那が内通者であり、高専および忌庫を襲撃して姿を消した……それが我々総監部の出した結論だ」

「こんのっ」

「下がりなさい、五条悟」

 

 老人の一言が、悟の言葉を鋭く遮った。

 

「くっ……!」

 

 今ここで指先をひと弾きすれば、御簾の向こうでふんぞり返る腐れ老人どもを、一人残らず肉塊に変えることができる。皆殺しにしてやりたい。この狂った、保身しか頭にない連中を今すぐ消し去りたいという凄まじい殺意が、五条の胸をどす黒く染め上げていく。

 

 ──だが。

 

『僕は大丈夫。何も死ぬわけじゃない。だから…………あとは、任せた』

 

 血まみれの顔で、自分を安心させるようにふわりと笑った瀬那の最期の顔が、脳裏を焼き尽くすように蘇る。

 

 ここで自分が感情に任せて総監部を皆殺しにすれば、呪術界の秩序は崩壊し、大混乱が起きる。

 そんなことは、後のことを任せてくれた彼女に申し訳が立たない。

 

 まだだ。まだ耐えるべきだ。

 

「……チッ」

 

 五条はギリギリのところで殺意を押し殺し、指先の呪力を荒々しく散らした。

 そして忌々しげに舌打ちをすると、重い木造の扉を壊さんばかりの勢いで蹴り開け、部屋を出た。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 総監部の重い扉から出た先の、冷え冷えとした薄暗い廊下。

 

 そこには、血相を変えた夏油傑と、不安そうに身を寄せ合う天内理子、そして黒井が待っていた。

 

 扉が開く音と同時に、夏油が弾かれたように駆け寄ってくる。

 

「悟! 総監部はなんて……!?」

 

 矢継ぎ早に詰め寄る夏油に対し、五条はすぐには答えられなかった。蒼白な顔で、ただ力なく首を横に振る。

 

 そんな五条の様子に、夏油は息を呑んだ。

 

 どんな決定が下されたのかと考え、ふと、夏油の視線が、五条の震える手元へと落ちる。五条は、ギリッ……と血が滲むほど強く、一枚の紙を握りしめていた。

 

 その手にあるのは、恐らく呪術総監部からのモノであろう通達書。

 

 夏油はたまらず、五条の手から半ば強引にひったくるようにして、その紙を奪い取った。

 

「……な、なんだ、これは」

 

通 達

 

一、今回の高専及び忌庫(きこ)襲撃の犯人を、汐宮家当主・汐宮瀬那と断定する。

 

二、上記の咎により、汐宮瀬那を呪術界から永久追放、かつ死罪を認定する。

 

三、同咎により、汐宮家の取り潰しを決定する。

 

四、同化は失敗したが、天元様が安定化しているため、同化の恒久的な延期を決定する。

 

 

 紙面を滑る夏油の目が、文字を追うごとに大きく見開かれていく。

 呼吸が止まった。頭の中の血が一気に沸騰し、そして凍りつくような感覚。

 

 全て見終えると五条の胸ぐらを、夏油は凄まじい勢いで掴み上げた。

 

「きみの力があれば、どうとでも出来ただろう!? 上の連中を殺してでも、このふざけた紙を撤回させればよかったじゃないか!」

 

 夏油が、血走った目で五条を睨みつける。

 

「……なぜ引き下がった、悟!! きみは……きみはこの決定を、認めたというのか!?」

 

 五条は奥歯を噛み締め、胸ぐらを掴む夏油の手首を握り返した。

 あえて胸の感情を殺し、氷のように冷たく、虚ろな瞳を作って親友を見下ろす。

 

「……落ち着けよ、傑」

「ッ!?」

「ここで俺があいつらをブッ殺して、その後どうする? 呪術界のトップが消えて大混乱になるだけだ。それに……」

 

 自分を睨みつける親友の目を真っ直ぐに見返し、五条は淡々と言い放つ。

 

「上の決定は絶対だ。俺が騒いだところで覆らねぇよ。これ以上、事を荒立てるつもりはねぇ」

「な……にを、言っているんだ?」

 

 夏油の手から、スッと力が抜けた。

 信じられないものを見るように、夏油の目が大きく見開かれる。

 

「事を、荒立てない……? 瀬那が理不尽に死罪にされて、家まで潰されるんだぞ!? それを……見捨てる、切り捨てるというのか……君は!」

「……あぁ、そうだな」

 

 感情を殺し、短く平坦に肯定する。

 その瞬間、夏油の顔から完全に血の気が引くのを、五条ははっきりと捉えた。親友の瞳の奥で、自分への信頼が音を立てて崩れ落ちていく。まるで冷酷な化物でも見るかのような、彼は五条を見ていた。

 

 弁解したい衝動を必死に呑み込み、五条は床へと崩れ落ちるようにへたり込んだ。

 これでいい。自分が一人で泥を被ればいいのだと、ひたすらに己へ言い聞かせる。

 

 しばらく、重い沈黙が廊下を包んだ。やがて五条は、背後で震えている理子たちを思い出したように口を開いた。

 

「天内と黒井さん。二人は、五条家で預かる。……俺の家なら、上の奴らも手出しはしねぇからな」

「悟……」

 

 夏油の声は、ひどく冷え切っていた。

 彼の目には今の自分が、瀬那を見捨てたくせに、星漿体という重要な存在だけは五条家の権力で囲う、酷薄な人間に映っているのだろう。五条はあえてその視線を受け止め、何も言い返さなかった。

 

「……すまない、悟。君だけの責任じゃない」

 

 絞り出すようなその声には、もはやかつての親愛は微塵も残っていなかった。

 

 踵を返し、背を向けて歩き出す夏油。その背中は、二度と交わることのない決定的な断絶を纏っている。五条はただ黙って、遠ざかる親友の後ろ姿を見送るしかなかった。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 それから、およそ一年の月日が流れた。

 

 五条悟は何かに追われるように、働き詰めになった。

 

 瀬那から任されたこの世界を守るために。もう誰も失わないために、睡眠すら削り、特訓と任務に明け暮れた。

 

 一方の夏油傑は、魂が抜けたような状態で高専に残っていた。

 

 彼は諦めず、この一年間、再三にわたって総監部に異議申し立てを提出し続けた。

 

『瀬那が主犯なわけがない! 彼はあの時、我々と共にいたんだ!』

『あれほどの功績を残した術師を、証拠もなく切り捨てるなど到底納得できない!』

 

 だが、彼の悲痛な叫びは全て無視され、門前払いを喰らい続けた。

 

 五条が圧倒的な力で任務をこなし、呪術界の頂点へと君臨していく背中を見るたびに、夏油の胸には黒い感情が渦巻いた。

 悟は、とっくに瀬那の死を乗り越えたのだろう。この狂った世界に順応し、最強としての責務を果たしているのだ。あんなにも理不尽に友を奪われたというのに。

 

 そんな彼が決壊したのは、2007年の夏だった。

 

 後輩である灰原雄が、任務先で特級呪霊に遭遇した。

 理由は総監部のずさんな情報伝達ミス──あるいは、非術師の家系出身の彼を疎んだ意図的な罠だったのかもしれない。

 知らせを聞いて間一髪で駆けつけた五条によって、呪霊は祓われ、灰原の命だけはギリギリで繋ぎ止められた。だが、肉体の半分を欠損した彼は深い昏睡状態に陥り、「二度と目を覚ますことはないだろう」と診断された。

 

 集中治療室。生命維持装置の無機質な音が響く中、包帯だらけで眠る後輩の姿を、夏油はただ無言で見下ろしていた。

 

『夏油先輩! 俺、自分にできることを精一杯頑張ります!』

 

 屈託なく笑っていた後輩の声が、脳裏に木霊する。

 その時、夏油の中で、張り詰めていた糸がプツリと切れた。

 

 ……あぁ、そうか。

 

 悟がどれだけ最強でも、全員は救えない。

 

 瀬那や灰原のように純粋な人間が消費されて壊される。その一方で、呪いを生み出し続ける愚かな非術師たちと、保身しか考えない上層部がのうのうと生き残っている。

 

 最強()ならばどうにか出来るかとも考え、我慢してきたが、どうやらそうではないらしい。

 

 ……なら、原因を全て断つしかないじゃないか。

 

 2007年、夏。

 

 夏油傑は、総監部の重鎮数名と自らの両親を惨殺し、そのまま行方をくらました。

 そして、同日、彼の指名手配及び死罪が決定された。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 新宿駅前。

 

 任務が早めに片付いた家入硝子は、喫煙所で、壁に背を預け、気怠げにタバコを吸っていた。

 

 紫煙の向こうから、足音が近づいてくる。

 

 現れたのは、高専の制服を身にまとった夏油傑だった。そして彼の手には、二人の幼い少女がしっかりと握られていた。

 

「や!」

「犯罪者じゃん。何か用?」

 

 硝子はタバコを指に挟み、普段通りの軽いトーンで声をかけた。

 

「硝子、煙草を消してくれないか。子供の教育に悪い」

 

 さも立派な父親にでもなったかのような、芝居がかった口ぶり。

 大量殺人を犯した犯人とは思えないその調子に、硝子は心底呆れたようにため息をついた。

 

「はいはい」

 

 短く返すと、持っていた携帯灰皿に吸い殻を押し付けて火を消す。

 

「……で、まさか夏油の子供?」

「まさか」

 

 夏油は薄く笑った。その顔には、高専にいた頃の苦悩は消え、どこか憑き物が落ちたような不気味な穏やかさがあった。

 

「瀬那に救われた二人だよ。美々子と、菜々子と言うんだ」

 

 夏油が振り向くと、美々子と菜々子は見知らぬ硝子に対して警戒するように、夏油の制服の裾を握りしめながら、少し睨みつけてきた。

 

「汐宮家の取り潰しに伴ってね。身寄りのない彼女たちも、いわれのない理由で処分されそうになっていた。だから、私が引き取ったのさ」

「ふーん……一応聞くけど、冤罪だったりする?」

「ないね、残念ながら」

 

 それを聞いて、硝子はふう、と短く息を吐いた。

 

「重ねて一応、総監部の奴らを血祭りにあげて、逃亡犯になってまで何がしたいわけ?」

 

 硝子の問いに、夏油は静かに空を見上げた。

 

「……この一年間、ずっと考えていたんだ。なぜ瀬那や灰原は犠牲にならなければならなかったのか」

 

 夏油の瞳に、暗く冷たい炎が宿る。

 

「私たちがどれだけ血を流しても、この世界は変わらない。総監部や御三家といった特権階級が絶対の権力を握り、現場の術師を使い捨ての駒として搾取する。それが、この呪術界のいびつな構造だ」

「……」

「だから、私()呪術界を変える。第一目標は、瀬那の救出とこの事態を仕組んだ黒幕の排除。そして第二目標は……総監部、御三家、そしてそれに連なる保守派の術師たちを皆殺しにし、この腐りきった呪術界を完全に解体することだ」

 

 その言葉に、硝子はハッと鼻で笑った。

 

「ははっ、要するに、ムカつく奴らを全員殺しますってこと? 意味わかんねー。ずいぶんとガキみたいな思考回路になったじゃん」

「ガキの癇癪に見えるかい? ……でもね、硝子。私は分別のある大人ぶって、若者が使い潰されるこの狂ったシステムに黙って加担する方が、よほど異常に思えるんだ」

 

 夏油は淡々と返す。

 

「ふーん、もっともらしい御託を並べてるけどさ」

 

 硝子はひどく冷めた目で、かつての同級生を見据えた。

 

「お前はただ、これ以上大事なものが理不尽に壊されるのを見るのが嫌になって、全部投げ出しただけだろ。痛みに耐えきれないからって自暴自棄になるのを、世間じゃ『ガキの癇癪』って言うんだよ」

 

 硝子の指摘に、夏油は薄く微笑んで何も言い返さなかった。

 硝子はポケットから携帯電話を取り出し、夏油の目の前で迷うことなく通話ボタンを押した。

 

「……あ、五条? 今、新宿なんだけどさ──」

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 新宿の喧騒。行き交う人々の波を割るようにして、五条と夏油は対峙していた。

 

「傑!!」

「……久しぶりだね、悟」

 

 息を切らして駆けつけた五条に対し、夏油の表情はどこまでも穏やかだった。

 

「どういうことだ、説明しろ、傑」

「硝子から聞いただろう? ガキの癇癪さ」

「だから、親も殺したのか!」

 

 五条の怒鳴り声に、夏油は少しだけ目を伏せ、淡々と答える。

 

「血を流さずに世界が変わるなんて夢見るほど、私はガキじゃない。私だけ血を流さないのは不公平だろう?」

「意味ない殺しはしねぇんじゃなかったのかよ!?」

「意味はあるさ」

 

 夏油は静かに、氷のように冷たい声で断言した。

 

「肉親は目に見える弱点だ。あの総監部がそこを突かないわけがない。利用され、嬲られる前に私の手で終わらせた。……それだけの話さ」

「っ……、弱きを助け、強きを挫く、それがお前の目指す社会じゃねぇのかよ」

「あぁ、そうだよ。だからこそ私は、瀬那や灰原のような人間(弱き)を助け、総監部や御三家(強き)を挫くのさ。そのための多少の犠牲は致し方ない」

「出来ると思ってんのか!? 呪術界を敵に回して、んなこと本当に!」

「出来ると思っているか、か」

 

 夏油は、おかしいものでも見たようにくすくすと笑い声をこぼした。

 

「……君になら出来るだろ、悟?」

「ッ……!」

「自分に出来ることを、人には『できやしない』とでも言い聞かせるのかい?」

 

 夏油は、微かに皮肉を含んだ笑みを浮かべ、かつて隣に並んでいた最強の親友を見据える。

 

「……君は、五条悟だから最強なのか? それとも、最強だから五条悟なのか?」

「何が言いてぇんだよ」

「もし私が君になれるのなら、私はあのとき総監部を皆殺しにしていただろうね。……良かったよ、最強が君で」

「……違うッ!!」

 

 五条の絶叫が、新宿の雑踏を切り裂いた。

 常に余裕を纏っていた最強の顔が、無惨なまでに歪み、崩れている。

 

「違う……俺だって、あんな腐った連中、あの場で全員ぶっ殺してやりたかった……!」

「……悟?」

「あいつが……瀬那が、最期に俺に笑って言ったんだよ。『あとは任せた』って!」

 

 夏油の目が見開かれた。

 一年の間、五条がたった一人で奥歯を噛み締め、誰にも言わずに腹の底に抱え込み続けてきた真実。重すぎる呪いが、せきを切ったように溢れ出す。

 

「あいつが命懸けで守ろうとした、託してくれたこの世界を、俺が感情に任せて壊すわけにはいかなかった!」

 

 声を震わせ、息を乱す五条。

 もしあの日、彼が一人で抱え込まずに真実を明かしていれば。もし二人でその呪いを背負う道を選んでいれば、結末は違ったのかもしれない。自分を守るためにつかれた嘘だと、夏油も瞬時に理解した。

 

 けれど。

 

「……そうか。君はずっと、一人でそれを」

 

 夏油は、酷く悲しそうに、けれど、どこか柔らかく微笑んだ。

 

「悟、君は優しいな」

「傑……! なら──」

「──でもね。……もう、遅いんだよ。もう止まることなんてできやしない」

 

 その声には、怒りも恨みもなく、ただ取り返しのつかないほどの決定的な断絶だけがあった。

 全ては遅すぎた。流した血も、すれ違った時間も、思いも、もう二度と元には戻らない。

 

「生き方は決めた。後は、自分に出来ることを精一杯やるだけさ。例え、意味がないとしてもね……」

 

 夏油は背を向け、人混みの中へと歩き出そうとする。

 

「殺すなら殺せ。それには、意味がある」

 

 五条は、遠ざかる親友の背中へ向けて、震える指先を掲げた。

 

 今夏油を殺せば、瀬那に託されたこの世界は守られる。それが自分(最強)の役割だろう?

 

 そう自分に言い聞かせる。

 

 呪力が集まり、空間が歪む。撃てる。今の自分なら、確実にあの背中を撃ち抜ける。

 

「……っ、く……!」

 

 だが、その指先が開かれることはなかった。

 

 呪力を散らし、力なく下ろされた五条の腕。

 

 人混みに紛れて消えていく、かつて誰よりも信頼した親友の後ろ姿を、五条はただ立ち尽くし、絶望に満ちた蒼い瞳で見送ることしかできなかった。




かくして物語は原作へと合流し
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