「あぁ。瀬那の勝ちだ」
というわけで、第7話です。
──気づくと、俺は椅子に座っていた。
左右に等間隔で並んだプラスチックの椅子。
床はワックスのかかったタイルで、引っ張られたキャリーケースのゴロゴロ音が、遠くで途切れ途切れに反響している。
ここは……空港?
なんで俺が空港にいるんだ。さっきまでトンネルにいたはずだ。呪霊を追い詰めて、トドメを刺そうと──。
「や」
声がした。
隣の椅子に、誰かが座っている。さっきまで誰もいなかったはずなのに。
「うっわ。ざけんな。最悪だよ」
隣に座っていた██を見て思わず毒づいた。
「失礼だな。人の顔を見るなり」
██はくつくつと笑う。
まるで旧友にでも再会したかのような気安さで、足を組んでこちらを見ていた。
「あ〜、そういえば、このシーン見たことあるわ。……ってことは俺は死んだのか?」
「うん、そうだね。少なくとも、このままだと君は死ぬだろう」
まるで天気の話でもするように、軽い調子だった。
俺が黙っていると、██は人差し指を立てて続ける。
「そもそも君の人生はあの子を治した時点で、もう終わっていた」
「は?」
「あの子を治したい。化け物を殺したい。君は死ぬ間際にそう願っただろう? どうやら、それが縛りとして成立したらしい。君の命をかけた、ね」
「ふ〜ん。なるほどね。死ぬ間際だから呪力の核心でも掴んだかと思ったんだが……まぁ、そう都合よくいくわけもないか。ということは、その二つのことを達成したから、俺は死んだってわけか」
██は首を傾げた。まるで子供の間違いを正す教師のように、ゆっくりと言う。
「いいや、あの呪霊は倒せなかったよ。君の体の方が先に壊れちゃったようだね」
言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
壊れた? 俺の体が? そんなはずが。
「状況を簡単に説明すると、君は今死にかけている。呪霊にトドメの一撃を放つ前に肉体が限界を迎えて、そしてその隙に呪霊に腹を貫かれた。まぁ、皮肉にも呪霊を倒せなかったおかげで、縛りが最後まで成立せずに、君の命の全てを持っていかれることはなかったようだけど」
「小依は!」
口から勝手に言葉が溢れていた。
「小依はどうなった!?」
「生きているよ。君が治したからね」
胸の奥が、ふっとほどけた。
よかった。小依は生きている。俺の命で助かった。なら、いい。
……いいのか?
俺がここで終わったら。
あの化け物はまだ生きている。小依は意識がない。俺が持たせた白いお守りだけじゃ、あの化け物からは守りきれない。俺がいなくなったら、誰が小依を。
「ご察しの通り、君がここで死ねば、あの子も助からないだろうね」
そうだ。俺が死んだら終わりじゃない。小依の危険は続く。
あのお守りがある限り。母さんの企みがある限り。この世界に呪いがある限り。
俺が命を捧げて助けた小依が、すぐにまた死ぬかもしれない。
全部、無駄になる。
「……どうすれば、いい」
気づけば、口にしていた。声が震えていた。
██の提案なんて碌なものじゃない。でもそれに縋るしかなかった。
「一つだけ、方法がある」
その声は、変わらず穏やかだった。
「君は、あの子と世界。どっちが大事だい?」
「…………」
これに答えれば、もう戻れない。そんな予感があった。
ふと、原作のセリフを思い出す。
『新しい自分になりたいなら北へ、昔の自分に戻りたいなら南へ』
ふふふ、まぁ、そうだな。
俺が目指していたハッピーエンドはきっと北へ向かう道なんだろうな。
もし、小依に出会えなかったら、迷わずそっちを選んでいた。
前世は社畜として死んで、こんな風に誰かがそばにいてくれる人生なんて、想像すらしなかった。
それなのに、小依は笑ってくれた。隣にいてくれた。
手放すのか。この手で掴んだ、たった一つの──。
あぁ、そうだ、認めよう。俺はこんな世界よりも、小依の方が大切だ。
「答えは出たようだね」
██はまるで、俺の出す答えが最初から分かっていたかのように言う。
そして、ある「契約」を語った。
「その条件、本当にお前が守る保証は?」
「保証も何もこれは縛りさ。私とて破ることはできない」
「どうだか。……最後に一つだけ」
「なんだい?」
「────────」
俺の言葉を聞いて、██は目をまん丸にした後、吹き出した。
「あっはっはっはっは! そうか、そうか!! 君がそう言うなら、肝に銘じておくよ」
笑い声が反響する空港の天井を、俺はしばらく見上げていた。
それから、ゆっくり立ち上がった。
北に背を向けて歩き出す。
一歩踏み出すたびに、足元から温かさが消えていく。
「──小依」
最後に、その名前だけを呟いた。
ごめんな。ずっと守るって、そう言ったのに。
約束、守れなくて。
でも、こんな……こんな俺と一緒にいてくれて──ありがとう。
光が消えた。
◇◇◇◇◇◇◇
「……ん……」
温かい。痛みが、ない。
私はゆっくりと目を開けた。
あれ? 私、死んだんじゃ……?
頭をよぎる自分の最後の光景。握りつぶされる感覚。砕ける音。
だけど、意識が暗闇に沈み切る直前、絶望的な激痛を塗り潰すように、暖かい何かが触れていた気がする。
体はどこも痛くない。血はついているけれど、傷跡ひとつ残っていなかった。
「若様……?」
嫌な予感がして、顔を上げた。
トンネルの奥。薄暗い闇の中に、その背中はあった。
立っている。でも、何かが、おかしい。
若様の腹からは、呪霊の腕が突き出ていた。
「若様!!!」
私は喉が張り裂けるほどの大声で叫んだ。
若様がこっちを振り返る。
笑っていた。いつもの、優しい笑顔で。
「ありがとう」
そう口が動いたように見えた。
カッッッ!!!!!!
次の瞬間、視界が純白に染まった。
鼓膜を破るような轟音。
若様の体が、白い光となって弾け飛んだ。それは、全てを飲み込む塩の爆発。呪霊の絶叫ごとかき消して、トンネルの闇を白一色に染め上げた。
衝撃波が私を襲う。私は地面に伏せた。
やがて、静寂が戻る。
恐る恐る、顔を上げる。
そこには、何もなかった。呪霊も。若様も。
ただ、キラキラと光る塩の結晶だけが、雪のように美しく舞い落ちていた。それはこの世のものとは思えないほど幻想的な景色で。私は、呆然とその光景を見つめることしかできなかった。
ふと、ポケットの中で、何かが触れた気がした。取り出すと、それは白色のお守り。若様を守るはずだったもの。若様が持っていなければいけないもの。
……あぁ。理解してしまった。私の傷が治っている理由。私が安全なお守りを持っている理由。最後に、呪霊を道連れにした理由。
全部、若様が。私を生かすために。
「若様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
私の絶叫だけが、虚しくトンネルに木霊した。
返事は、ない。
降り積もる塩の結晶が、私の頬を濡らす涙と混じり合って、溶けていく。
ただ、それだけだった。
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます。
というわけで、完結……ではなく、主人公交代です。
転生者が主人公で色々なことをしていくんだろうと期待してくださった皆様、大変申し訳ありませんでした。私自身、明らかにそう思わせるようなミスリードをしていて、私が読者だったらぶちぎれていると思います。
ネタバレになってしまいますが、ここから先、転生者が出てきたり、実は瀬那が生きていた!みたいなパターンは絶対に無いので、それについては期待しないでください。それでも引き続き読んでくださるという方がいれば、これ以上ないくらい嬉しいです!
最後になりますが、こんな作品にここまでお付き合いくださった皆様に、心からお礼申し上げます。ありがとうございました。
一応まだまだ続きますし、完結まで毎日投稿しますよ!