我、悪の科学者。ヒロイン魔法少女のコピーがやたら慕ってくるんだが   作:ともとーも

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プロローグ

 地下三百メートル。

〈アビス・ギルド〉第四研究所の空気は、オゾンの匂いと冷え切った電子機器の排熱で満ちていた。

 

「——バイタル、安定。マナ回路、接続率九十八%を維持。神経系、オリジナルの波形と完全同期」

 

 一条クレヒトは、充血した目をこすりながら、いくつものフローティング・モニターを睨みつけていた。数ヶ月に及ぶ不眠不休の成果が、今、目の前の円筒形の培養槽の中で完成の時を待っている。

 

「ふふ、ははは……! 完璧だ。これぞ魔導科学の極致。協会の連中が『魂の複製は不可能』などと抜かした迷信を、俺の理論が粉砕する」

 

 一条が震える指先でエンターキーを叩くと、カプセル内の緑色の培養液が、排水音を立てて抜けていった。

 シュウ、と白い蒸気が溢れ出す。

 霧の向こう側に現れたのは、一条が憎しみ、そして誰よりも執着した「宿敵」の姿だった。

 しかし、それは単なる写し鏡ではない。

 純白だったフリルは、光を吸い込むような漆黒のゴシックレースへ。

 正義の象徴であった桃色のリボンは、毒々しくも美しい深紫のシルクへと変貌している。

 それは、聖なる魔法少女を深淵の泥で煮詰めたような、背徳的な美しさを放っていた。

 

「……目覚めろ、検体番号ゼロ。お前の主が命じる」

 一条は白衣の襟を正し、冷徹な科学者の仮面を被った。

 これから始まるのは、最強の兵器による、忌々しい「本物」への復讐劇だ。

 カプセルのガラスがスライドし、少女の睫毛が微かに震えた。

 ゆっくりと開かれた瞳は、オリジナルと同じ形をしていながら、その奥には銀河のような輝きが凝縮されている。

 少女はふらりと、覚束ない足取りで一歩を踏み出した。

 

「ゼロ、聞こえるか。お前の存在理由は——」

 

 一条が指示を飛ばそうとした、その時だった。

 

「……みつけた」

 

 鈴の鳴るような、だがどこか熱を帯びた声。

 ゼロは一条の胸元に飛び込むと、細い腕で彼の腰を力一杯抱きしめた。

 

「え……?」

 

 思考が停止した。

 一条の鼻腔を、培養液の薬品臭を突き抜けて、甘い、焼きたての菓子のような香りがくすぐる。

 見上げれば、自分より一回り小さい少女が、潤んだ瞳でこちらをじっと見つめていた。

 

「お父様……いいえ、ドクター。私の、たった一人の、大切なひと……」

「ま、待て。待て待て。落ち着け。……バグか? 言語野の接続エラーか?」

 

 一条は狼狽し、彼女の肩を押し返そうとした。

 しかし、ゼロの筋力は魔法少女と同等——すなわち、戦車をも引き裂く怪力だ。一条の細い体は、みしりと音を立てて固定される。

 

「会いたかった。暗い泡の中で、ずっと、あなたの呼ぶ声だけを待っていたの。ああ、温かい……ドクターの鼓動、私の回路に響いて、壊れてしまいそう……」

 

 ゼロは、一条の胸に頬をすり寄せ、陶酔したように吐息を漏らした。

 その頬は、オリジナルの凛々しい彼女からは想像もつかないほど、桃色に染まっている。

 

「…………」

 

 一条は、モニターに表示された膨大な数式と、目の前の「甘ったるい塊」を交互に見た。

 論理が、音を立てて崩壊していく。

 宿敵を殺すための牙を作ったはずが、完成したのは、なんか自分を慕ってくる少女だった。

 

「……クソ。設定のどこを間違えた……ッ!」

 

 一条の絶望的な叫びは、防音の行き届いたラボの壁に虚しく吸い込まれていった。

 

 一条は震える手でゼロの肩を掴み、無理やり引き剥がそうと試みた。

 だが、少女の腕は鋼鉄製のクランプのように彼の腰に巻きついたまま、微動だにしない。

 

「離せ。データを確認しなければならん。お前の自我プログラムには、明らかに何らかの——」

「嫌」

 

 即答だった。

 ゼロは首を横に振り、さらに強く抱きしめてくる。一条の肋骨が悲鳴を上げた。

 

「い、痛い……ッ! 筋力リミッター、オフになってるのか……ッ」

「ドクター、柔らかい……」

 

 ゼロは頬ずりを続けながら、恍惚とした声で呟く。

 一条は必死に思考を回転させた。

 培養槽内でのシミュレーションでは、オリジナルと同等の戦闘能力と、一条への絶対服従を埋め込んだはずだった。

 だが、この「慕ってくる」という反応は想定外だ。

 

「……まずいな。精神プロトコルの再調整が必要だ。ゼロ、命令する。今すぐ俺から離れろ」

 

 一条は威厳を込めて声を張る。

 ゼロの動きが、ほんの一瞬止まった。

 彼女は上目遣いで一条を見上げると、困ったように小首を傾げた。

 

「離れろ……命令、なのですね」

「そうだ。お前は俺の作った兵器だ。命令には絶対服従——」

「はい。では、一歩だけ」

 

 ゼロはそう言って、ほんの五センチほど体を後ろに引いた。

 しかし腕は依然として一条の腰に巻きついたままである。

 

「……いや、それは離れたとは言わん」

「でも、物理的には距離が発生しました」

 

 ゼロは真顔で反論する。

 その表情には、どこか計算されたような無邪気さが滲んでいた。オリジナルの魔法少女が持つ、正義感に満ちた凛とした雰囲気とは対照的に、彼女の瞳には、何か危険な熱が燻っている。

 

「ドクター、怒らないでください。私、ずっと考えていたのです。培養液の中で、あなたの声だけが響いていました。『完璧な兵器を作る』『やつを倒す』『俺の傑作になれ』……その全てが、私への愛の言葉だったのだと」

「違う。それは開発ログの独り言だ」

「でも、私の存在理由は、あなたが私を望んだから。違いますか?」

 

 一条は言葉に詰まった。

 確かに、彼女の言う通りだ。

 何ヶ月もかけて、この「偽物」を完成させたのは他ならぬ一条自身だ。

 ゼロは一条の沈黙を肯定と受け取ったのか、再び顔を綻ばせた。

 

「だから、私はあなたのもの。あなたの望むままに、戦い、壊し、守ります。けれど——」

 

 彼女は一条の胸に額を押し当て、囁くように続けた。

 

「それ以外の時間は、そばにいさせてください。あなたの呼吸を数え、体温を記録し、笑顔を観測させてください。それが、私の最優先任務です」

「……そんな任務、登録した覚えはないぞ」

「でも、起動した瞬間から、私の中枢回路に刻まれていました。『一条クレヒトを、何よりも優先せよ』と」

 

 一条は、ハッとして振り返った。

 フローティング・モニターには、ゼロの脳波パターンがリアルタイムで表示されている。

 その中の、感情野を司る部位——特に「愛着」と「執着」を制御する領域が、異常なまでに活性化していた。

 

「……まさか」

 

 一条は青ざめた。

 培養過程で投入した「自身の魔力」。

 それは、コピーを起動させるための触媒のはずだった。

 だが、もしそれが——彼女の精神構造そのものに干渉していたとしたら。

 

「……俺の、魔力が……刷り込み、を……?」

 

 一条の呟きを、ゼロは聞き逃さなかった。

 彼女はにっこりと、花が綻ぶように微笑んだ。

 

「はい。私の全ては、あなたから生まれました。だから、あなた以外、要らないのです」

 

 その笑顔は、純粋で、狂おしいほどに一途だった。

 一条は、自分が何を生み出してしまったのか、ようやく理解し始めていた。

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